| 最終話 希望 八重樫の部屋に、あわただしい音が響いていた。 「そんなに慌てなくていいんじゃないかな、忍」 主に音の原因は忍が走り回っている音である。といっても、テーブルの上に缶ビールやら料理やらツマミやらを並べているだけなのだが。 「何言ってんの、一応身内が来るんだからそれ相応のもてなしをしなきゃ」 「その割には、どっちかというとテーブルに並んでいるのは君の好物ばかりに思えるんだけどね」 八重樫の苦笑を受けつつ、忍…いや、『八重樫忍』がまたキッチンに風のように飛び込んでいく。 「それに、来るって言っても君の弟さんと、その奥さんじゃないか」 「まあね。でももうすぐ来るしね」 この二人は、忍の弟…巴が高校を卒業し、大学に入ったあとめでたく八重樫一太郎とゴールイン、つまり結婚し、今は八重樫のマンションで共に暮らしを立てている。 あれから三年。周囲の環境が移り変わるには十分な時間が経った。結婚はしたものの忍にはまだ子供の予定はなく、両親には未だに『結婚したんだから早く孫の顔を見せろ』と怒鳴られている。 北見夫妻の間には子供が生まれた。今度は大事無く生まれ、歳を経て生まれた子供だけに溺愛しているようである。 あの事件に懲りず、どこかにまたペンション、あるいは飲食店を建てる気でいるらしく、『その際はまたよろしく』と、赤ん坊の写真とともに手紙が送られてきていた。 なお、聖のほうはあの事件の後無性に子供が欲しくなったらしく、連夜北見に迫っていたようだ。 順平と夢月は、高校卒業前から正式に交際を開始したようである。案外に相性の悪くない組み合わせだったらしく、順調に最近まで上手くやっており、最近では真剣に結婚を考えているようだった。 夢月は進学、順平はそのまま就職し結婚に備えているようである。 『自分にはそういう才能はない』と言っていた夢月ではあるが、一度小説を書いて投稿してみたところ、それが見事受賞され、母親は『カエルの子はカエルね』と喜んでいるようである。 呼び鈴が鳴り、忍が慌しくすっ飛んでいった。 （こりゃ新聞勧誘とかだったら相手を殴りかねないな） と八重樫は苦笑したものの、どうやらそれはなかったらしく、応対している。 「…久しぶり、姉貴」 現れたのは、両手一杯の荷物を持った忍の弟、巴である。彼は高校を卒業、そのまま試験に合格して一流の大学に入り、そのあとヒカリと結ばれた。…といっても、ヒカリの家が家だけに婿入りなので、今は巴が『口縄』姓である。 「来たな色男、ヒカリちゃんは？」 「これから来るよ。荷物だけ置いて迎えに行ってくる」 そういって、また巴が外へ出て行った。 大学在学中の結婚であるため、巴は勉学にアルバイトにと相当忙しい身となってしまっていた。 今は妻となっているヒカリの実家が実家なので、つまるところ金銭には困らないのだが、巴は『頼り切るわけにはいかない』と自分で学費を稼いでいるのである。また、それはヒカリも同じであり、社会経験も兼ねて色々アルバイトをしている。 このあたりはヒカリもだが、ヒカリの両親がしっかりしている、ということなのだろう。 二人とも通う大学が違うものの上手く折り合いをつけてやっているようで、夫婦仲はとてもよいようだった。 なお、さすがにあの豪邸には住めないようで、結婚した忍が八重樫の家に行ったこともあり、二人は今旧甲賀家に住んでいる。 「あぁ、ヒカリちゃん身重なんだっけ」 「早いものだねぇ。あれからもう三年も経つんだから」 今頃、巴がおなかが大きくなっているヒカリの手を引いてエレベータに乗り込んでいるころだろう。 「お邪魔します」 「久しぶり、元気だった？さ、中に入って。転ばないようにね。巴、今ヒカリちゃん何ヶ月？まだそこまでお腹大きくないよね？ いつ生まれるの？」 「忍、落ち着きなよ」 何から何まで慌しい忍を引きとめる八重樫。 「…それにしても、もう二人目かぁ」 忍がそう言うと同時に、今までヒカリの後ろに隠れていた少女がひょっこりと顔を出した。もうすぐ二歳、ヒカリにそっくりな顔立ちである。 人見知りするのかどこか不安そうな表情であるものの、母親に手をつないでもらって嬉しそうにしていた。 「んー、大きくなったねぇ」 忍が歩み寄り、姪の頭を撫でてやろうとすると、少女はまた引っ込んでしまった。 「ふふっ、まだ人見知りするんです。そのうち慣れてくれると思うんですが」 「とにかく、ここじゃなんだから中へどうぞ。忍も早く呑みたくて仕方がないみたいだし」 八重樫に招かれ、二人が玄関で靴を脱ぐ。もう一人、幼い子供はまだ上手く脱げないので巴に世話してもらっている。 （おーおー、パパしてるねぇ、巴。結婚はこっちが先だったけど、子供はそっちが先だったかぁ。しかももう二人目がおなかにいるんだもんねぇ。 なんていうか多分、ヒカリちゃんが激しいんだろうな、これ） 「くしゅんっ！」 突然、ヒカリがくしゃみをした。 「まま、ママ？」 そのヒカリを少女が不思議そうに見ている。まだ何を見ても珍しい年頃なのだ。 ヒカリは今になって思う。あの『少女』は、自分を『ママ』と、夫…巴を『パパ』と呼んだ。 あの頃から、彼女は自分たちの娘であったのだろう、と。 そして『紀子』という少女は、その小さな体に余りある清い精神を持っていたものの、その結末は幸せとはかけ離れたものになってしまった。幸せを自分の手で掴もうとすることができる大人になる前にその短い生涯を終えてしまった。 ならば、今一度、今度は自分達の手でその生命を育もう。ヒカリも巴も、口には出さなかったがいつもそう思っていた。 先に部屋の奥に入ろうとしていたヒカリが、巴に手を支えられてもの珍しそうにきょろきょろしている娘に呼びかける。 その目は慈愛に満ちており、まさしく『母親』そのものの瞳であった。 「…おいで、『ノンちゃん』」 かくれんぼ 了 |
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| 2013.10.5掲載 |
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