（１０）

　玄関の扉を後ろ手で閉めた宮内の腕が、すぐに腰へと巻きついてきた。
「あン、宮内さん」
　コートに隠された久川真穂の裸身が揺れる。背後から男に体重をかけられ、両膝が、次いで上半身が玄関マットの上に崩れた。手錠をかけられたままでは、ろくな抗いもできない。
　玄関先の廊下で尻だけを掲げた女の背後で、宮内はズボンのベルトを外し、ジッパーを引きさげた。せいているのが音でわかる。
「だめです、こんなの……だめえ」
　本気の拒絶ではない。不意打ちの求愛だから、驚きのためについ声が出てしまった。
「ねえ、せめてベッドで」
「俺は今すぐヤリたいんだよ」
「でもォ」
「奥さんだってそうなんだろ？」
　そうかもしれない、と真穂は思った。今なら何をされても許せる気がするし、受け入れてしまう気がする。ようやく安全な場所に戻れたという心の緩みがあった。
「好きにしていいと言ったのは奥さんのほうだぜ」
　コートの裾を掴まれる。ボタンを外すのさえ煩わしいといった感じだ。
　真穂は、彼がコートを捲りやすくするために両膝を交互に浮かせた。意識しての動作ではない、自然と身体が動いたのだった。宮内は低い声で嘲った。
「やっぱり奥さんもその気なんだな、はめられたくって仕方ないんだ」
「ち、違う」
「違わないだろ。さっきだって、あんなに濡らしてたじゃないか。オシッコを見られて興奮したんだろう？」
　真穂は首を左右に振った。そんなの嘘です、でたらめ言わないでください、という意味の否定ではなかった。単に現実を認めたくないだけだった。
　感じていた。非常識な場所で全裸にされ、放尿姿を見られ、夜空を照らす花火のように輝いたあの悦光が、まだ肉体に残っている。
　恥辱と我慢のはてに訪れた空白。今にして思うと、あれは絶頂に近い感覚だった。視覚や感触によって欲情する男とは違い、女は状況や雰囲気から性的興奮を見出す。その風説が決して誤りではないことを、彼女は身をもって理解した。
　だからこそつらいのだ。あのような変態行為で、指一本も触れられずに喜悦してしまったことが恐ろしい。自分の肉体が恨めしくて仕方ない。
　忍耐強い女だと自分では思っていた。両親の言いつけを頑なに守り、人前では謙虚かつ貞淑であることを常に心がけてきたつもりだ。結婚後はさらにその意識が強くなったし、それこそが女の美なのだと信じてきた。少なくとも今朝まではそうだった。
　しかし、今はまるきり逆だった。すっかりと分別をなくしている。一方的に与えられるだけの性に見境もなく溺れ、男にはめてもらうために玄関先で尻を掲げている。貞淑な女とは程遠い振る舞いだ。これではまるで、宮内の口にした淫乱そのものではないか。
　違う、わたしはそんな女じゃない、淫乱なんかじゃない……。
　心のなかで強く念じてみる。しかし次の瞬間には、やっぱり淫乱なのかも……。という思いが浮かんできた。そしてコートを腰まで引きあげられると、あらゆる言葉が頭のなかから吹き飛んだ。
「はめたいんだよォ、奥さん」
　両手で生尻を掴みながら宮内は言った。はじめて女の裸身を前にした少年の口ぶりである。美人妻の放尿シーンを目の当たりにして、彼もまた激情に侵されていた。
　玄関マットの上で裸の下半身だけをあらわにしたまま、真穂の白い尻が左右にくねつく。客を出迎える売女そのものの嬌態である。もしくは、男に従属する女奴隷だ。宮内は、すでに勃起した男茎を尻の谷間にあてがった。
「なあ奥さん、もう一度さっきのやつ言ってくれよ」
「え、え」
「言ったじゃないかよ、抱いてください、犯してくださいって」
「そんなの……ッう、うぐぐ」
　拒むよりも先に亀頭が侵入してきた。淫裂を舐めてさえくれない。
　真穂は、鉄枷をかけられた手でコートの端を強く掴んだ。極度の緊張感のあとの交接だから、衝撃も重く深かった。言葉が、自然と喉までせりあがってくる。

「ああッ、だ、抱いてください……わたしを犯してッ」
　叫んだのと同時に勃起が押しこまれた。
「ヒイーッ」
「まだだぞ、そのまま叫びつづけるんだ」
　亀頭のくびれまで引き抜き、また押し入れる。
「ほうれ、どうした」
「犯して、もっと犯して」
「違うだろ。今度は犯してじゃなく、突いてだ」
「ああン……つ、突いてェ」
　淫語を口にするたびに性感も強くなる。
　腰を深く組み入れたところで、宮内は、床に手を伸ばして首輪のリードを掴んだ。手首に巻きつけ、グイグイと引っぱりあげる。
　無理な姿勢のまま上体を揺さぶられ、真穂は苦悶の表情を浮かべる。これは、情交の姿を借りた拷問だった。しかし、形はどうあれ勃起を挿入されていることに変わりはない。
　宮内が腰を打ちつけてくると、すぐに甘い喘ぎがこぼれはじめた。
「こんなふうにヤラれるのが好きなんだろッ、好きで仕方がないんだろッ」
　マンションの通路から扉一枚を隔てただけの玄関先に、肉と肉のぶつかりあう卑猥な音がパンパンと響く。
「おらあッ、答えろよ」
「ッンン、す、好きなの……ああだめ、好き、これ好き……ッた、たまらない！」
　真穂は泣いた。あまりの気持ちよさに泣き叫んだ。
　あたかも決壊したダムのように、彼の熱情が、快美が、濁流となって押し寄せてくる。肉芽や乳首まで点火したように熱い。触れられていない部分までそんななのだから、淫裂はもう愛液でグッショリだった。
　気がつくと、真穂は自分から腰を振りはじめていた。
　非常識な場所での陵辱だから、遠慮のない挿入だから、ひどく感じる。勃起の圧倒的な存在感が嬉しい。はめられている淫裂がたまらなくいい。理屈や体面などもはや不要だった。女としての唯一無二の喜びだけがそこにあった。
　意識が、肉体が、崩壊の先にある死へと突き進む。きりもみ回転しながら失墜する。
「突いて、ねえ、ズンズンきてェ」
　若妻の口からこぼれる懇願の言葉は、やがて「ひィン、ひィン」という淫ら泣きの声になった。その喘ぎが、歓喜を訴える「いい」という単語に宮内には聞こえた。

　　　☆

　エレベーターをおりて部屋に戻りかけたところで、ふと彼は足を止めた。
　なんだ、この匂いは……。
　怪訝に眉を寄せ、左右を見渡した。空調の音が響くロビー内に人影はない。もう一度あたりを見まわしたとき、エレベーター横の通路に彼の目線がとまった。
　確か、奥には非常口があるはずだ。妙な異臭はそこから漂ってきている。
　Ｌ字型に折れた通路の壁際へと歩み、首を伸ばして覗きこんだ。非常口の前にも人の姿はなかったが、ひどい匂いにまぎれてかすかな体臭が残っている。女の匂いだ。
　ドアノブを押して無人の内階段を眺めたあと、彼は足元に目線を落とした。床に小さな水溜りがある。雨による漏水でないことは匂いでわかった。
　酔っ払いが粗相でも働いたのだろうか。いや、そうじゃない。この独特の残り香には覚えがある。
　同じフロアに住む若妻のものだ。二回ほど廊下で目にしただけだが、着衣姿でも目立つあの身体つきは忘れようがなかった。
　では、この放尿水はいったいなんなのか。
　ＳＭ趣味の夫に強制されたとも考えられるが、可能性は薄かった。今朝もエレベーター前で見かけたが、あの気弱そうな男にそのような行動力があるとは思えない。
　かといって、淫らな疑念が晴れたわけではない。単なる体臭よりも濃く生々しいこの匂いは、確かに情交時の淫臭だった。男女の交接、あるいは、それに類似する淫戯がここでおこなわれたことは疑いようがない。
　ならば、相手は亭主以外の第三者、つまり不倫相手の男ということか。あの淑やかそうな美人妻が、そのような危険な遊びに興じているというのか。まさか、と思う。
　なんにせよ、彼女がなんらかの秘密をかかえているのはほぼ確定的なことだった。彼は携帯電話のボタンを押した。
「もしもし」
　気持ちがはやっているのか、声がうわずりそうになる。
「いきなりで悪いんだが、仕事だ。明日、人を何人かあつめてくれ。ちょっと調べたいことがあるんだ」