（８）

　全裸の人妻をしばらく無言で見おろしてから、宮内は、静かな足取りで寝室へと入ってきた。レインコートの肩に雨粒がついている。
　真穂は尻だけで後ろにさがった。すぐに背中がベッドの端にぶつかった。
　なす術を失い、片手で胸を隠して美貌を横にそむけた。また犯されるのだと思った。あの地獄的な陵辱がはじまるのだと当然のように考えた。が、いつまでたっても宮内がのしかかってくる気配はない。
　それが逆に怖くて、真穂は顔をあげた。
　男の視線は、彼女の右手にあるものに注がれていた。
　真穂は慌ててバイブを手放そうとするが、それより先に宮内の手が伸びて、黒光りの淫具を邪険に奪い取った。
「奥さん、これ……」
　一瞬だけ驚きの張りついた顔が、すぐに乾いた冷笑へと変じた。
　真穂は出かかった言葉を呑みこんだ。言いわけのできる状況ではなかった。釈明すれば、何かをしていたという事実を裏づけることになる。
　結局は顔を伏せて黙るしかなかった。しかし、すべてを見透かした目で男に射抜かれるのもつらい。沈黙がつらい。
　宮内は、バイブの先端を指でそっとなぞった。
「濡れてるな。それに、まだ温かい」
　遠まわしな言葉で真実に触れてくるから、よけいに悲しくなる。
　恥辱色の顔立ちを俯かせた若妻の前で、彼は濡れた指を口に含んだ。わざと音をたてて愛液を啜る。それからサイドテーブルの携帯を取りあげ、通話履歴に目を通した。
「まったく……」
　感嘆と失笑の混ざったため息だった。
「つくづく節操のない女だな。昼間あれだけはめられたってのに、今度は亭主とテレフォンセックスか。しかも、こんなものまで使って」
「ち、違います」
　決して嘘は言っていない、慎一とは世間話をしただけである。真穂ひとりが淫裂をいじって悦んでいただけなのだ。
「違わないだろ。ああ見えて意外と色好きだからなあ、久川のやつ」
「やめてください、あの人のことは悪く言わないで」
「フフ。あの人のことは、か」
「痛い……ッい、いやあァ」
　前髪を容赦なしに掴みあげると、宮内は、首輪だけの裸身をベッドの上に突き飛ばした。
「つまり、奥さんのことは好きに扱ってかまわないわけだ」
　うつ伏せの尻にまたがり、手首を捻りあげる。
　金属の擦れる音が背中の後ろから聞こえてきて、真穂はヒッ、と息を呑んだ。彼が何を取りだしたのか、振り向いて確かめる必要もなかった。
「いやです、手錠はいやァン！」
　冷たい枷輪を手首にかけられたとたん、男の上で腰を振る自分の姿がまざまざと脳裏によみがえった。また同時に、それは近い将来の彼女の姿でもあった。
　いやです、許してください、もうあんなことはしないでください。心のなかで何度もそう繰りかえした。口にだして叫んでもみた。だが、浮揚しているのは記憶だけではない。記憶の裏側には現実がある。衣服を剥かれ、乳房や尻を弄ばれ、ペニスを膣に挿入されたという現実である。
　肉体としての記憶が残っているから、皮膚や粘膜が刺激を覚えているから、いやでも淫裂が熱くなる。肌に細かい鳥肌が立ち、赤みを増した乳首も尖ってくる。性交を知っている女の肉体がいやらしいことを期待してしまう。
「さてと、どんなふうに遊んでほしい？」
　いったんベッドの上から退き、レインコートを脱ぎ捨てながら宮内は言った。
「もう一度バイブを突っこんでやろうか、奥さんも気に入ったみたいだしなあ。それとも、また上に乗ってケツを振るか？」
「ま、待ってください」
　片手で尻を掴まれ、反射的に真穂は口を開いた。
「……もうすぐ、刑事さんがきますから」
　股間へと潜りかけた指の動きが止まった。
「電話で主人に話したんです、警察に連絡してくれるってあの人は言ってました。もちろん、あなたのことも全部話しました」
「全部とは、どういうことかな？」
「わたしにしたこと、です」
　宮内の顔に狼狽の色はなかった。静かな目で真穂を見おろしてくる。
「だから、もうやめてください。帰ってください」
「帰ったらどうなるんだ？」
「どうなるって……」
「俺が帰れば、奥さんはこのままだ。そしてすぐに警官がやってくる。で、そのあとはどうなると思う？」
　返す言葉が見つからない。もしも警官が部屋に入ってきたら、まず最初に何を目撃するだろうか。
　決まっている。首輪に繋がれた若い主婦の裸身である。無理強いの性交で感じてしまったことも、バイブでひとり遊びをしたことも証言しなくてはならない。
　そこまで考えたところで、真穂のなかに新たな疑念が浮上した。もしや宮内は、彼女がバイブを手にすることまで想定していたのではないのか。
　目立つ場所に淫具を放置したのも、手錠をかけなおしていかなかったことも、今にして思えば不自然なことだった。いくらリードで繋いだとはいえ、両手が自由なら万にひとつも脱出の可能性が残されるからだ。つまり、別の理由で手錠をかけなかったのではないのか。何もかもが女を貶めるための罠だったのではないのか。
　なんにせよ、彼女がバイブを使ったという事実は払拭されない。言いわけをしたところで、新たな陵辱の口実を男に与えるだけだった。その言いわけすら今は見当たらない。
「どのみち奥さんに逃げ場所はない、ってことさ」
「卑怯です、宮内さんは卑怯ですッ」
「そんなことを言う前に、何かすることがあるだろうが」
「な、なんのことですか」
「決まってるだろ、謝罪だよ」
　不自由な裸身が宮内の手で引き起こされる。ベッドの脚にくくりつけたリードも外された。
「へたな嘘で俺をだまそうとした罰だ」
「わたし、嘘なんて言ってません」
「なら、亭主に聞いてみようか？　俺が電話をかければすぐにわかることだぜ」
　そう言われては黙るしかなかった。
「言いわけもなし、か」
　宮内はフン、と鼻で笑った。
「……だったらはやく股を開け。そして言うんだ。このオマ×コに誓ってもう二度と逆いません、ってなあ」
「ば、ばかなこと言わないでッ」
「謝罪がいやなら、身体で償ってもらうだけだ」
　真穂は顔を伏せた。彼の要求を呑んでも拒んでも、その先には屈辱色の未来しかない。何もかもが闇だった。
「……わかりました、わかりましたから」
　混乱のなかで彼女は口を開いた。
「その前に、あの……お手洗いに」
　長いあいだ全裸で放置されていたため、尿意がもう限界近くまで迫っている。
「お手洗いにいかせてください」
「オシッコか？」
「え、ええ」
　首輪のリードごと引き寄せられて、真穂は、よろめきながら立ちあがった。尿意のためか、それとも肌の露呈を防ぐためか、ひどく内股の不恰好な姿勢である。
　宮内は、床のレインコートを拾いあげて真穂の肩にかけた。両腕には手錠がかかっているから、袖は通さず、前ボタンだけをきっちりととめる。まだ淫臭の残った裸身が厚手のポリエステル生地に隠される。
　慎一にはない独特の男臭さに身肌を浸したまま、真穂は短い声で喘いだ。自分の意志で衣服を身にすることはおろか、用を足すことすら不可能なのだ。何をするにも宮内の許可が必要だった。これではまるで罪人ではないか。
　いや、違う。真の罪人は宮内のほうなのだ。他人の妻を所有物のように扱う彼こそ罰を受けるべきなのだ。けれども、ここには彼を罰する第三者などいない。
　リードを引かれ、二本足で歩く犬の姿のまま寝室からつれだされる。
「宮内さん、ま、待ってください」
　不穏な胸騒ぎを覚えたのは、リビングを抜けた直後のことだった。宮内の足は洗面所に隣接するトイレではなく、玄関のほうに向かっている。
「お手洗いはそっちじゃありません」
「知ってるさ」
「なら」
「お手洗いというのは、人間が用を足す場所のことだぜ」
　彼が何を言おうとしているのか、すぐには理解できなかった。
「飼い犬が用を足す場所じゃあない」
「宮内さん、あなた」
「それに、だ。まともな女はこんな恰好しないだろ」
　宮内はコートの前に腕を伸ばした。地肌に触れるためにボタンを外す必要などなかった。隙間から手首を入れるだけで、指があっさりと恥毛に触れた。
　そこを軽く撫でてから、彼は膣口に指をねじこんだ。
「だ、だめ……ンン」
　男物の地味なレインコートに隠された尻が丸く動いた。手錠をかけられた窮屈な姿だから、揺れ幅も大きい。けれども指が膣溝から離れることはない。蛸のように吸いつき、粘膜の壁を擦りたててくる。
　鼻息が押し殺した喘ぎへと転じかけたところで、宮内はコートから指を抜いた。
「犬というよりも猫だな、万年発情期の牝猫だ」
　蜜液に濡れた指を頬に押しつけられて、真穂は美貌を横に向けたまま目を細めた。その表情こそ、眠りかけた仔猫そのものだった。
「そろそろ自覚してほしいな、自分の立場ってやつを」
「……わたしは慎一さんの妻です」
「ああ、誰にはめられても喜ぶ淫乱妻だ」
　中途半端な疼きだけが残された肉体を強く引かれる。宮内の手が、玄関のドアノブにかかった。
「待ってください、どこに……」
「罰だと言っただろう」
　死刑宣告のような口ぶりでそう告げて、彼は扉を押した。