忘れ物をした――と夫の雅史から電話が入った時、竹下乃梨子は朝食の片付けを終え、のんびりとソファに座って朝刊を開いたところだった。 「ほんと、今日お休みなのにごめん。社名の入った茶封筒なんだけど、どこかに置き忘れてないかな？」 雅史の声の後ろから、駅のアナウンスが聞こえる。バスの中で気付き、駅に着いたところで電話して来たのだろう。 「んー…ちょっと待ってね。あ……これかな？椅子の上にあるわよ」 携帯を持ったまま家の中を探すと、朝食の時に雅史が座っていたすぐ隣の椅子の上にそれらしき茶封筒があった。 「ごめんっ。ほんっとに悪いんだけど、会社まで届けてくれないかな？俺、朝から会議で今から戻ってる時間無くて……それどうしても朝のうちに回さないといけない書類なんだ」 「分かった。どこに届ければいいの？」 「受付に届けてくれれば分かるようにしとく。乃梨子がお休みで助かったよ…っと、電車が来た。頼むよ。ありがとっ」 慌しく電話は切れた。乃梨子はソファのところへ戻り、読みかけていた朝刊を畳む。 （今日はお天気もいいし、お洗濯をたくさんするつもりだったんだけどな） 雅史の会社まで、往復で３時間以上かかる。今日の予定は大幅に変更になりそうだとは思ったけれど、久し振りに都心に出かけることになったのはなんとなく嬉しい。 （何着て行こうかな） 寝室へ向かい、クローゼットを開く。去年の秋の終わりに、バーゲンで買ったきり一度も袖を通していないベージュのワンピースと、濃茶のジャケットを選ぶ。夫の会社に行くからには、それなりにきちんとして行くべきだろう。丁寧に化粧もして、姿見の前で確認する。先月ちょうど３０になったのだが、童顔の乃梨子はまだ２５歳で通りそうだ。鏡の中の自分に納得したように頷くと、夫の忘れ物を大事に抱えて乃梨子は家を出た。 ラッシュアワーは過ぎた頃合かと思っていたが、都内へ向かう電車は思いの外混み合っていた。 （こんなに混んだ電車に乗るのも久し振りね） 胸に茶封筒を抱きしめ、人波に揺られながら、乃梨子はＯＬ時代を思い出していた。雅史との結婚を機に退職し、今は自宅から徒歩で通える設計事務所に、週に３日だけアルバイトに行く生活。何の不満も無いけれど、時々は満員電車での通勤、社内を駆け回るようなめまぐるしい仕事、アフターファイブの飲み会や合コンを懐かしく思う乃梨子だった。 （………えっ……） Ｔ駅を過ぎてすぐに、乃梨子はお尻の辺りに違和感を感じた。はっきりとしたタッチでは無いが、何度も何かがお尻に触れる感じがする。 （……痴漢？…まさか…ね…） さっきまで懐かしく感じていた満員電車が、急に疎ましいものに変わる。よく考えてみれば、ＯＬの頃も何度も痴漢に遭っていたではないか。 （いやだ……でも……偶然に鞄でもぶつかっているのかも…） 思っている間に、時々お尻に当たっていた感触が、お尻にべったりと張り付くようなものに変わった。恐らく、偶然を装って手の甲をぶつけていたのが、乃梨子に抵抗する素振りが無いので、掌で触って来るようになったのだろう。 （やっぱり……どうしよう……） こんな時、勇気のある女性なら男の手首を掴んで駅員に突き出すものなのだろう。けれど、乃梨子にはＯＬ時代からそんな勇気は無かったし、それは何年経っても変わるものではなかった。 身体の位置を変えようと試みる。 （だめだわ……こんなに混んでいては……） 体勢はほとんど変わらず、痴漢の手は少しずつ大胆に、尻肉を揉み始める。 （あ……いや……。やめて下さいって……言わなくちゃ……） 言わなくてはと思っているのに、乃梨子は赤くなって俯いているばかり。 （こんなんじゃ……痴漢を喜ばせちゃう……） そう思う一方で、ＯＬの頃とは違う感覚を覚える自分に乃梨子は気付いていた。 （まだ…痴漢されるだけの魅力があるんだわ……） 電車の中で、見知らぬ男に触られることに価値を見い出すなど、はしたない…と乃梨子は小さく首を横に振った。それでも、男の手がワンピースをたくし上げようとしていることに、ぞくりと快感を覚えてしまう自分がいる。 （………ぁぁ………） 濡れている。 結婚して５年。夫婦の営みも月に１〜２回に減ってしまい、愛液の量が少なくてなかなか夫を受け入れられないこともあるというのに、今、痴漢に尻を触られて乃梨子の秘所は溢れるほどに濡れていた。 （いや……どうして……） 戸惑っている間に、痴漢の手はいよいよ大胆に、腰のあたりまでワンピースを捲り上げている。 （……他の人に……気付かれちゃうわ……） 耳朶まで赤く染めて、乃梨子はイヤイヤするように首を振る。 「………ひっ…」 すっ…と、男の手が下着の中へと入り込んで来て、乃梨子は悲鳴をあげそうになった。唇を噛んで、悲鳴を押し殺す。ゴツゴツした手で直に尻を撫で回される。臀部の谷間に指が這わされる。 （いや…いや……。こんなに……濡れているのに…） 痴漢に知られたくない。 男の手を避けようと尻を振るのも、逆に誘っているようになっているのに乃梨子は気付いていない。 ぬるり…。 痴漢の指先が、蜜壺に到達し、滑る。 「……っ……はぁ……」 電流のように、腰が砕けるほどの快感が走った。 （………ぁぁ……ダメ……） 恥ずかしさで、乃梨子は泣き出しそうになった。 昔は嫌悪感しか覚えなかった痴漢に、触られて、蜜を滴らせて感じている。 無骨な指が、膣口の縁を辿る。 （ぁぁ……いや……っ…） 愛液は、乃梨子の身体の奥から溢れてくる。そして、溢れたところへ太い何かを埋めて欲しくなっていく。 （どうして…こんな……電車の中で……） 入り口を弄っているだけでなく、奥へと挿入して欲しいと思う自分が情けなかった。 情けなく思いながらも、少しずつ脚を開いてしまう。 乃梨子の期待通りに、男の指先が蜜壺へ挿し込まれ、 ちゅぷ… 愛液のたてる音が聞こえた気がした。 （だめ……声が…出ちゃう……） 爪先立って指を受け入れようとした瞬間 「竹下さん？竹下さんの奥さんですよね？」 「……えっ！？」 痴漢の行為に没頭しかけていた乃梨子は、いきなり名前を呼ばれて息が止まるほど驚いた。乃梨子の下着の中に挿し込まれていた痴漢の手が、さっと引っ込められる。 見回すと、少し離れたところで乃梨子に向けて目礼する男がいた。 細身で背が高く、縁なしの眼鏡をかけ、笑顔を浮かべているのに冷たい印象がする男。 （…………工藤……さん……？） マンションの同じフロアの住人だったと思う。すれ違えば挨拶を交わす程度の付き合いなので、名前も確実には覚えていない。 （いやだ……今の…見られて………？） 曖昧に笑顔を浮かべてお辞儀をしながら、乃梨子は胸の動悸を治めようと深呼吸をした。 ※ ※ ※ 発車間際に満員の車内に駆け込んだ工藤壮一郎は、人ごみの中に見覚えのある顔を認めた。知っているはずの女なのだが、誰だったのか思い出せない。同じ会社や取引先のＯＬでは無い気がする。思い出せなくても問題はあるまいと独り決めして、それきり彼女のことは忘れていた。 しばらくしてそちらを見ると、女は目を閉じ、耳まで赤くなって俯いていた。 注意して見ると、彼女の後ろに立つ男の体勢が不自然に思える。 （痴漢か…） 周りの人間は誰も気付いていないようだ。彼女が誰かに助けを求める様子もない。 （２０代後半…ってところか） 面白いものを見れそうだと壮一郎は思った。それにしても、女が誰なのかが思い出せない。 びくっと女の身体が震えた。 電車が揺れた拍子に、一瞬だけ人ごみが割れる。 女の服が腰まで捲られているのが見えた。 （なかなか大胆な痴漢だなぁ） 女が眉根を寄せている。嫌がっているようにも、感じているようにも見える。 ローズピンクに塗られた唇が、薄く開いて吐息を零した様子が分かる。 （ああ……７０２号室の…） その瞬間、女が誰だか思い出した。いつも見かけるのは、もっとラフな姿だったのでピンと来なかったのだ。 （感じてやがる） 上気した彼女の顔は、ベッドの上で女達が見せるような淫らな表情に変わって来ている。周りにいる他の男で、彼女の変化に気付いている者もいるだろう。近所に住む人妻が、混んだ車内で痴漢に触られて欲情している……見ている壮一郎も興奮して来た。 そのまま見物していても良いのだが、痴漢にばかりいい思いをさせることもあるまい。 「竹下さん、竹下さんの奥さんですよね？」 思い切って声をかける。 びくっとしてこちらを向いた彼女は、欲情して潤みきった瞳で壮一郎を見た。 |
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| 2008.12.20掲載 |
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