マンションのエントランスを出ると、外には冷たい空気が張り詰めていた。 「寒っ」 ロングスカートに長袖のＴシャツ、薄手のカーディガンを羽織っただけの乃梨子は、首を竦めた。 「俺が捨てて来ようか？」 「大丈夫。すぐそこだし」 雅史がゴミの袋を受け取ろうとするのを制して、乃梨子は笑みを浮かべる。 朝、出勤する雅史と共に家を出て、一階へゴミ出しに来るのが、新婚時代からの変わらぬ日課である。 「そうだ。今日は少し遅くなるかも。メールするよ」 「わかった」 大した言葉も交わさないうちに、マンションのゴミ置き場へ着く。 「じゃあ、行ってくるね」 雅史が軽く手を挙げる。 「ん、行ってらっしゃい」 乃梨子もそれに応えて手を振る。 バス停の方へ去っていく雅史の後ろ姿を見つめたまま、乃梨子は溜息をつく。 吐息は空中で白く変わった。 工藤夫妻との夫婦交換から三週間が経過していた。 毎日のように乃梨子の身体を求めていた雅史も、少しずつ落ち着いて来たようだ。あの時のことは、お互い口にしたことが無い。 きちんと話し合いたいと思っていたけれど、その後再び壮一郎と関係を持ってしまった乃梨子には、何をどうして良いのか分からなくなっていた。 部屋に戻ろうとエレベーターに乗り、階数ボタンに続けて『閉』ボタンを押そうとした時、エントランスに駆け込んでくる人影が見えた。 （あ……七恵さん……） 七恵は、茶系のスーツの上にベージュのコートを羽織り、高いヒールの靴を履いていた。スーツの下、ブラウスの胸元が大きく開いていることや、真っ赤な口紅を塗った唇が、乃梨子の目にはとても厭らしいものに映る。 壮一郎とのことを後ろめたく思いながらも、嬉々として夫婦交換を持ちかけて来た彼女、雅史に抱かれたであろう彼女に好感は持てなかった。 一瞬、気付かなかったことにしてドアを閉じてしまおうかと思ったが、結局は七恵がエレベーターに乗り込むのを待った。 「ありがとうございます」 七恵が丁寧に会釈をしたが、それには答えず乃梨子は『閉』ボタンを押した。 「ご主人をお見送り？」 屈託の無い様子で、七恵が声をかけてくる。 「えっ…いえ、ゴミを出すついでに…」 「そう。いつも仲良さそうでいいわねぇ」 この間のことなど忘れてしまったかのような言い草に、乃梨子は思わず眉を寄せた。 「七恵…さんは？忘れ物でも？」 「あぁ、帰宅したところなの。納期に間に合わす為に、徹夜仕事だったから」 言われてみれば、心なし目が赤く、疲れた様子にも見える。 「そうでしたか……お疲れ様です…」 社交辞令で返しておく。 エレベーターの上昇が、やけに遅く感じる。 そういえば、壮一郎ともこうして二人きりでエレベーターに乗ったことがあった。あの時も、早く家に帰りたいと思っていた…乃梨子がぼんやりと考えていると、 「ふふっ、朝帰りするなんて不良主婦って思ったでしょ？」 七恵が楽しげに笑った。 自分たち夫婦はあれから歯車が狂ったようなのに……乃梨子は七恵を疎ましく思う。 「いえ……べつに……」 言葉少なく答えたところで、７階に到着した。 「そうだわ。乃梨子さん、ちょっと家にいらっしゃらない？」 先にエレベーターを降りたところで、くるっと振り向いて七恵が言う。 七恵は乃梨子より上背があり、しかも高いヒールを履いているので、かなり上から見下ろされるようになる。 「え……？」 七恵が自分を誘う意味が良く分からなかった。 「女同士でお話してみたいなぁって思って。だめ？」 じっと見つめてくる瞳は黒目が大きく、吸い込まれてしまいそうな力がある。 （やだ……同性なのに、この人の目を見てるとドキドキする…） 乃梨子は妙に落ち着かない気分になった。 誘いを断る理由がすぐには探せなくて 「七恵さん、疲れてるんじゃないですか？」 言ってみると 「ううん、少しなら大丈夫。今日なら主人もいないし、いらして？お願い。ね？」 にっこり笑った七恵に、手首を掴まれてしまった。 そのまま乃梨子の手を引いて、七恵は歩き出す。 （工藤さん…いないんだ……） ほっとしたような、がっかりしたような気持ちで、乃梨子も歩き始める。 どうも、七恵のペースに巻き込まれてばかりだ…と思いながら。 ※ ※ ※ ソファに浅く腰掛けた乃梨子を、正面の席に座って七恵は見つめた。 七恵の淹れた珈琲を飲みながら、乃梨子は時々室内を見回す。 （この間のことでも思い出しているのかしら？） 落ち着かない様子の乃梨子を見ながら、これからの時間をどう過ごそうかと考えると、鼻歌でも歌ってしまいそうだ。 しばしのんびりと珈琲を楽しむ。 誘っておいて何も話し出さない七恵を不審に思ったのか、乃梨子が伺うような視線を投げかけてくる。 目が合ったので、そのままじっと見つめ、 「この間、如何でした？」 いきなり切り出してみた。 「え……ぁ……あの、ああいうのは……もう……」 乃梨子は頬をぱっと赤く染め、下を向いた。 （まぁ…可愛い反応） 嬉しくなって唇をぺろりと舐める。 「良かったでしょう？乃梨子さんも……雅史さんも」 雅史の名前を出すと、乃梨子がはっと顔を上げる。そのまま乃梨子の視線は、七恵の短いスカートから出ている脚や、ブラウスの胸元の谷間に向けられた。 「妬ける？」 分かり易い反応に、つい笑ってしまった。 からかうような七恵の言葉に、乃梨子が眉を顰める。 「あのっ…ああいうことは、もうしませんから」 強い調子の乃梨子の台詞を無視するように立ち上がると、七恵はテレビのスイッチを入れた。 「知らなかったわぁ。乃梨子さんと壮一郎って、以前からお知り合いだったのね？」 言いながらリモコンを操作して、録画してある映像を探し、再生ボタンを押す。 「……ぇ…っ？」 小さく、乃梨子が声をあげた。 画面には、あの時の映像が映し出された。 壮一郎に抱きしめられ、白いセーターを捲り上げられている乃梨子。 （あら…録画のことは雅史さんから聞いてないみたいね） 呆然としている乃梨子を見て、七恵はくすくすと笑い出した。 「この間ね、雅史さんも一緒に見たのよ。刺激的だったわぁ…」 「雅史さん……も……？」 乃梨子が、ゆるゆると頭を横に振る。 驚いて、思考停止しているようだ。 その間に、七恵は画像を早送りしていく。 画面の中で、立ったまま壮一郎の指に責められて、乃梨子が腰を振っている。 「や……やめて……」 画面を見つめたまま、乃梨子が呟いた。 それには反応せずに、七恵はリモコンをさらに操作した。 『…っふぁ…ぁぅ……いや……いや……っ…』 乃梨子の声が部屋に響いた。 愛液の立てる厭らしい音までしっかり録音されている。 『すごいな……ご褒美にもう一本だ』 壮一郎の声。 「ぁぅ………」 乃梨子が膝の上でぎゅっと手を握り締めた。 俯き、耳朶まで真っ赤になっていく。 「思い出すでしょう？壮一郎の指の感触……」 くすっと笑って、七恵は低く囁いた。 『んぁっ…ぁぁぁ……いくぅ………っ…』 映像の乃梨子が達した。 目の前の乃梨子の肩がびくんと震えた。 画面は、ベッドに運ばれた乃梨子が壮一郎に責められながら自慰行為の告白をするシーンになった。 雅史と共に見た時、音声は消していたので、翌日録画を見た七恵はその内容に驚いた。夫が乃梨子と既に関係があるらしいことを知り、軽い嫉妬は感じたものの、どちらかと言えば面白いことになった…と思っていた。 「雅史さんは音を聞いてないから大丈夫よ」 俯いて震えている乃梨子に優しく声をかけ、隣に座ってそっと背中を撫でる。 「消して……消してください……」 乃梨子は顔を覆って、掠れた声で訴えた。 「あら、これからがいいところなのに」 七恵の声が、責めているように思えたのか、 「あたしと……ご主人……なんでもないんです……ほんとに……」 乃梨子が言い訳を始める。 「それはどうでもいいの。私、そういうのは気にしないから」 震えている乃梨子を、可愛いと思う。 そして、もっと苛めてみたい…と。 『ぁはぁぁっ………っ…』 ビデオでは、壮一郎に貫かれた乃梨子が喘いでいる。 「でも、雅史さんには知られない方がいいわねぇ…。乃梨子さんのこと、とっても愛しているみたいだし」 雅史の名を出すと、乃梨子の身体が強張った。 「壮一郎に抱かれる乃梨子さんを見て、雅史さん泣いてたの」 柔らかく乃梨子の背を撫でながら囁き、 （犯される貴女を見て、あそこを硬くしていたけどね） 心の中で付け加える。 「声が聞こえていたら、驚いたでしょうねぇ。まさか壮一郎のことを想って、乃梨子さんがオナニーしていたなんて」 「言わないで……あの人には……」 乃梨子は涙声になっていた。 「言わないわ」 即座に言葉を挟む。 「私の…言うことを聞いてくれたら……ね」 七恵は、乃梨子の柔らかい耳朶をカリッと噛んだ。 「……っ……言うこと……って？」 瞳に怯えたような色を浮かべて見上げて来る。 小さな仕草のひとつひとつに、たまらなく嗜虐心をそそられる。 （壮一郎が気に入るわけだわ） そして壮一郎が気に入る相手は、大抵の場合七恵も気に入るのだ。 「ん。まずは、これからもスワッピングに協力してくれること」 長い指を折って、七恵は数える。 「これは大丈夫よね？乃梨子さんだって、壮一郎好きでしょ？」 乃梨子の答えは無いが、構わずにもう一本指を折る。 「それから……私の奴隷にもなってくれること」 「……ぇっ……」 乃梨子が目を見開く。 「あら、だめ？壮一郎にはそう言ってたわよね？」 「そんなこと……言ってない……です…」 「そう？あぁ…『乃梨子のおま○こ犯して下さい』っておねだりしていただけだったかしら」 口調を冷たいものに変えると、乃梨子の視線が泳ぐ。 もうすぐ映像には、乃梨子が狂乱して淫語を口走るシーンが訪れる。 それが分かっているだけに、反論も出来ないのだろう。 乃梨子は何も言わず、再び俯いてしまった。 「どう？とりあえずその二つでいいわ。奴隷っていっても、毎日お掃除しなさいなんてこと言わないから大丈夫よ」 にこやかに告げると、七恵は乃梨子の顎に指をかけ、無理矢理顔を上げさせる。 「ね？」 ぽろっと大粒の涙が、乃梨子の瞳から零れる。 七恵は唇を寄せ、頬に流れる雫を舌先で掬い取った。 「可愛いっ。今日から乃梨子は私の奴隷よ」 ぎゅっと抱きしめる。 「奴隷になった証に、今日は乃梨子のオナニーを見せてちょうだい。壮一郎に説明した通りに」 |
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| 2009.7.11掲載 |
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