インターフォンのボタンを押す。軽やかな呼び出し音が鳴り、すぐに７０５号室のドアが開いた。 「ようこそいらっしゃいました」 にこやかに出迎えてくれた七恵を見て、相変わらず華やかな人だと雅史は思った。今日の七恵はシンプルなすみれ色のワンピース姿だった。彼女の瞳が雅史を見つめ、悪戯っぽい光を宿す。 「こんばんは。お招きありがとうございます」 雅史の傍らで、乃梨子がぺこりと頭を下げて挨拶をする。白いモヘアのニットにチェックのフレアスカートを着た妻の顔は、緊張しているのか仄かに赤く色づいている。 「どうぞ中へお入りになって」 七恵が、雅史と乃梨子の為にスリッパを揃えてくれる。 「どうも……お邪魔します…」 七恵の荷物を運ぶのを手伝って、この部屋に足を踏み入れたのは１０日ほど前のことだったか。もう一度ここに来たいとは思っていたが、まさか妻の乃梨子も一緒になるとは想像もしていなかった。 （七恵さん…何を考えているんだか……） 先に立ってリビングへ案内する七恵の後ろを歩きながら考える。 一昨日、７０５号室の工藤夫人に、美味しいワインが手に入ったから飲みに来ないかと誘われた……と乃梨子が躊躇いがちに告げて来た時から、その疑問は繰り返し雅史の頭に浮かんでいるのだが、まったく七恵の意図が分からない。 「あの、これ…お口に合うといいですけど…」 乃梨子が用意してきたチーズの詰め合わせと、手作りのアップルパイを七恵に手渡している。 「あら、ありがとうございます。お手製？」 「はい」 「嬉しいわぁ。食後のデザートに頂きましょう。ちょうどアイスクリームもあるから添えるといいわね」 二人が話している姿を見ると、雅史は複雑な気持ちになる。 リビングルームへ入ると、壮一郎が甲斐甲斐しくテーブルのセッティングをしているところだった。 「やあ、いらっしゃい」 （へぇ……この人が……） 壮一郎と雅史は初対面である。細身で背が高く、眼鏡をかけている壮一郎からは、少し冷たい印象を受けた。 （七恵さんがあんな風に男を誘うなんて、夫婦仲はうまくいってないんかな…） 室内を見回しながら、考える。 この間も思ったことだが、生活感というものがとても希薄な部屋だ。 「どうも。ずうずうしくお邪魔しまして」 作り笑顔で一礼する。 「どうぞお好きな席におかけください。今、料理を持って来ますから」 壮一郎に勧められ、窓近くの椅子に腰を下ろす。 「お手伝いしてきますね…」 乃梨子は座らずに、キッチンの七恵のところへ行ってしまった。 （なんとも妙なことになったな…） これから過ごす時間が、気まずいことにならなければいいが……雅史は密かに溜息をついた。 料理が並び、壮一郎がワインを開けて各々のグラスへ注ぐ。 窓側に雅史と乃梨子が並び、その対面に七恵と壮一郎が座った。 「では……乾杯でも」 壮一郎がグラスの柄を軽く摘んで持ち上げる。 残りの三人もそれに習ってグラスを掲げる。 「素敵なこの夜に」 七恵がそう言いながら、正面から雅史を見つめた。 （この瞳……ぜったいヤバい……） それだけで雅史の股間が充血してくる。 半裸の七恵が乳房を使って奉仕してくれたことを鮮明に思い出す。 「乾杯」 グラス同士の触れ合う硬質の音が部屋に響く。 「どうぞ遠慮なく召上がってください。料理は僕と七恵で分担して作りました」 笑顔を浮かべると、冷たそうに思えた壮一郎のイメージが和らいだ。 「へぇ、ご主人はお料理なさるんですか？」 感心して雅史は聞いた。気をそらして、股間の昂ぶりを鎮めなくては。 「ウチは食事当番制ですから」 「すごいですね。俺なんてお茶漬けぐらいしか作れませんよ」 当たり障りの無い会話を続ける。 二人で料理を作り、セッティングをして、会話している七恵と壮一郎は、とても仲の良い似合いの夫婦に見えた。 （なんか気疲れするなぁ……早く帰りたい……） これは間男の気分なのだろうか…自嘲気味に考える。 （やっぱり断れば良かったな） あまり嫌がっても不自然だろうと思い招待を受けたのだが、乃梨子も元々乗り気ではなかったのだし、止めておけばよかったと後悔する。 それでも、ワインのボトルが一本、二本と空く間に、雅史はだいぶ寛いで来た。 壮一郎はなかなか話好きで、話題も豊富だった。 七恵はあまり話題に加わることもなく、小まめにキッチンに立っては、新しい皿や小鉢を運んでくる。 「奥さんはおとなしい方なんですね。緊張していらっしゃるのかな？」 七恵のことばかり気にしていたせいか、壮一郎に言われるまで、雅史は乃梨子の口数が極端に少ないことに気付いていなかった。 「いえ……ぁ…すみません。ちょっとぼーっとしていて…」 乃梨子は人見知りするような性質でもない。 今日は具合でも悪いのだろうか。 （まさか、俺と七恵さんのことを何か気付いたとか……） 雅史は急に心配になった。 「本当に可愛い方ね、奥様。お名前はなんと仰るんでしたっけ？」 雅史の様子を楽しそうに眺めながら、含みのある調子で七恵が言った。 「乃梨子…です」 乃梨子の声が力なく聞こえる。 （やっぱり調子が悪いのかな…） それなら、今日は早めに退散しようと雅史は考え始めていた。 「いつも仲良さそうにお二人でいるのをお見かけして、素敵なご夫婦だなって話していたんですよ」 ね？…と隣を見て、七恵が壮一郎に同意を求める。 「あぁ…そうそう。趣味が一緒の夫婦はいいなって話をね」 壮一郎がゆっくりと頷く。 「まぁ……俺たちは大学のサークルで知り合ったので。工藤さん達は共通のご趣味とかは無いんですか？」 自分たち夫婦の話をされると、気恥ずかしかったので、相手に話を振ってみた。 「僕たち夫婦も、大学の先輩後輩でね」 「とても気は合うし、趣味も合うのだけれど…」 壮一郎の言葉を七恵が途中から引き取って話す。 「似すぎているのも考えもので…」 「そうですか？似たもの夫婦って言うじゃないですか」 たしかに、七恵と壮一郎の持つ雰囲気はどこか似たところがあると思った。 「そうね。でも、お互いの足りないところを埋め合うのも夫婦だと思うの」 「僕達は、お互いに余っている部分と足りない部分が似ている夫婦のようでね」 （………？） 二人が抽象的なことを言い出したので、雅史は困惑した。 「よく分からないんですが……共通の趣味はおありなんですよね？」 現実的な方向へ話を戻したい。 「そうなの。それで今日こうしてお二人をお誘いしたんです」 七恵が唇を舐めた。 雅史の背筋がぞくりとする。 七恵の白く柔らかい乳房と桃色の乳首、雅史の精液を舐め取った時の七恵の表情がふいに脳裏に甦る。 「僕達夫婦の趣味は、スワッピングなものですから」 雅史と乃梨子の顔を見比べながら、それがスポーツか何かのように、壮一郎がさらりと言った。 ※ ※ ※ 「７０５号室の竹下さんを誘ってみようかと思うの」 七恵が言い出した時、壮一郎はかなり驚いた。 壮一郎が電車の中や自宅マンションの駐車場で乃梨子の身体を愉しんだことを、七恵が知るはずは無いのだが、女特有の勘が働いているのかもしれない。 竹下家に白羽の矢が立ったのが偶然だったのかは分からないが、壮一郎に否はなかった。近所に住む乃梨子達が夫婦交換の相手になるのであれば、かなり愉しめることだろう。 七恵は昔から、こうと決めたことは必ず実行する。誘ってみたいと言い出した翌日には、もう乃梨子を家に遊びに来るように誘ったようだ。 雅史の影に隠れるように部屋に入って来た乃梨子を見た時には、笑い出してしまいそうだった。 （貞淑な奥さんに見えるじゃないか） 壮一郎の身体にしがみ付いて満員の車内で愛液を滴らせていた女、停めた車の中で下半身を剥かれ淫らに腰を振っていた女とは思えなかった。 「はは…ははっ……冗談きついなー」 壮一郎がスワッピングという言葉を出すと、雅史が乾いた笑いで答えた。 その隣で乃梨子は目を丸くしてこちらを見ている。 「冗談を言っているつもりは無いんだが……」 壮一郎は苦笑する。夫婦交換を持ちかけると、相手は誰もが似たような反応を示す。笑って誤魔化すか、怒り出すかのどちらかだ。 「竹下さんは、ご結婚何年？」 七恵が尋ねる。 「５年ですよ」 ぶっきらぼうに雅史が答える。 壮一郎の言葉の後から、竹下夫妻の視線はやけに落ち着かなっていた。 「マンネリじゃありません？同じような手順で、同じようなセックスばかり…じゃない？」 「そ…それは……どこの夫婦もそうじゃないですか？」 七恵が雅史をじっと見つめている。 かつては妻の七恵が他の男に抱かれることに、嫉妬、屈辱、抵抗…様々な感情を持っていた。それが今では同士を見守っているようだ…と壮一郎は思う。 性に対して禁忌の意識が薄く、積極的に愉しみたいと思うところが、七恵と壮一郎はとてもよく似ていた。 「多少の刺激は必要だと思うの。経験された方は皆、夫婦仲が深まったって仰るわ」 「あなた…」 困った表情を浮かべて、乃梨子が雅史の服の袖を引っ張っている。目元が赤いのは、ワインの酔いの為か、それとも…。 「自分の奥さんは他の男に触らせたくないの？」 （貴方は自分に触ったのに…ってことか） 七恵の言葉を、壮一郎は頭の中で翻訳する。 雅史のことを”味見”したという話は七恵から聞いていた。 七恵はそういう話も、一切隠したりしない。 「えっ…あの……その……」 雅史がしどろもどろになるのを、乃梨子が不審そうに見上げている。 「無理にとは言いませんけど……じゃあ、少しだけ試してみません？」 七恵は立ち上がると、乃梨子のところへ行き、手を取って立ち上がらせた。 無理にとは言わないと言いながら、かなり強引だ。 「試すって………あの……」 乃梨子が、雅史を見て、それから壮一郎を見た。 おろおろしている乃梨子の肩に後ろから手をかけて、七恵が話し続ける。 「これから２人ずつに分かれてみるの。まずはお話をするだけ。それで４人のうちの誰かひとりでも嫌だって申し出たらそこで終わり。ね？」 雅史も乃梨子も、はっきりと拒絶の言葉を言わない。話を持ちかけた途端に怒って帰ったりしない夫婦の場合、このまま押していけばスワッピングに持ち込めるのは経験上分かっていた。 （どこの夫婦も退屈してるんだろうなぁ…） 他人事のように壮一郎は考える。 面白がって成り行きを見守っている間に、 「じゃあ、乃梨子さんは壮一郎さんと」 七恵は、乃梨子の背中を軽く押しやり、 「貴方は私と……ね」 雅史の腕を取って強引に引っ張っていた。 豊かな乳房をわざと雅史の腕に押し付けている。 「え…ちょっと待って下さいよ。困ります…俺たち、そんなつもりは…」 「お喋りするだけよ。大丈夫、壮一郎さんは紳士だから」 雅史の言葉を遮って、七恵は隣室へと引っ張っていく。 男の力で振り払えないことは無いはずだが、そうしないのは雅史自身が嫌ではないからだろう。 「では、乃梨子さんはこちらへ」 壮一郎は乃梨子の背中に軽く手をかけた。びくんっと震えが掌に伝わってくる。 （罠にかかったウサギのようだな） 乃梨子の白いセーターからそんな連想をした。 そのまま乃梨子をエスコートして廊下を歩く。 七恵が廊下の右側の、壮一郎が左側のドアを開いた。 |
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| 2009.3.14掲載 |
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