13.

　おじさんと、こんな静かな空間を共有している。
　わたし達にこんな時は無かったわ。・いつも周りがざわざわしていた。
　至福の幸福わせを感じたさっきだって・、周りと繋がっている事を意識しないではいられなかったわ。
　実際、周りの人達と繋がりが無い様には思いたいんだけど、・言葉を交わす事は無くても、生活に繋がる関係が一切無くても、時空間を共有する人々がいるの。
　二人だけになりたいと、そんな当たり前の思いを持っても、社会から隔絶することは出来ないのね。・それが『生きる事』だって分かっているわ。

　それでも、こんな車の中の静けさに浸っていると『おじさんと一体なんだ。』って思えるの。車のボディーが外界と遮断してくれてると、一つの空間にいる気がするわ。
　わたしの一体感・。
　・・・『わたしのおじさん』って呼ぶ時は、わたしとは別におじさんがいる事を確認しているみたいなの・。・・・広くはない空間にいると、その中は全部わたしと一体なのよ！
　わたしはおじさんの一部。おじさんもわたしの一部。

　わたしの中では、もう同化が始まっているの。
　・実際には身体も離れているにも関わらず、セックスと云えば、云えるかも知れない感覚だったわ？・・・わたしは身体が熱くなるのを感じていたし、アソコがジワッとするのも分かったわ。
　でも何も云う気は無かったの・。
　云うべき言葉だって無かったんだもの！
　今のままでもわたしは可成り充実していたんだもの。
　男性にはなかなか理解が難しい人もいるんでしょうけれど、わたしには、限定された空間にいるって云うだけで満足。
　同じ空間に居ると云う事が、空間ごと同化している。と感じられるからだと思うわ。

　一緒にいたい！って云う気持ちは、密着できればそれに越した事は無いのだけれど、わたしだって当然、多くの女性が求める密着って、求めても得られる事の絶対に無い同化なのよ！
　異なる生命体が同化するなんて事は絶対無いんだもの。求めるだけ無理。そんな事は良く承知しているわ。・感覚的な一体感を求めているのよ！
　好きな人とは、誰だって一緒にいたいわ。
　当たり前よ！

　何も云わないでドライバーシートを寝かせて、眠っている様にさえ見えるおじさん。
　何をするのもわたしの勝手・？
　静かな寝顔を見ていると、もっともっと一体になりたくなるの・。
　おじさんの寝顔、可愛い。
　おじさん仰向けになっているからセンター・アームレストに手を突いて、顔を覗き込んだわ。
　狸寝入りに決まっているけど、唇を重ねていったわ。
　中年を終わろうとしている男性の乾いた唇。
　かすかなレモンの香り・。
　承知している癖に全然動かないおじさん。
　わたしに全てを委ねているのね？
　眠っている筈ないもの。
　だって、男の人が自分の自由になりそうな女性を乗せているのよ。
　色んな事を考えている筈だわ。

　レモンの香りが口臭除去剤を使っている事を教えてくれたの。
　それはそうなのよね！・５０にもなる様なお歳で、口臭が気にならない人は鈍感なんだと思うわ。中年にもなれば、どうしてもそんな臭いは付き物だわ。・口の中を清潔に保とうともしない人では幻滅だけど、男性がそんな事に必死になっているなんて、滑稽だわ。
　だから、外見だけのお洒落に夢中になる男性は女性に軽んじられるのよ。
　わたしもエチケットは大事だけど、もっと大事なのが中身だわ。
　人間性だとか、能力、将来性よ！
　現に備えている物と、将来得る事の出来る可能性を含めて、そう云うのがわたしにとっての魅力なのよ。

　わたしだって仕事をしているんだもの。
　将来性の無い男性には簡単には惹かれないわ。
　でもねぇ・、将来性って一緒になれる可能性だって入っているのよ。
　一緒になるって云うのも、必ずしも結婚の形態を指す訳じゃぁないんだけど、奥さんに啖呵切られちゃった様な物だもの。
　おじさんがわたしを大事に扱ってくれると、それ以上にわたしは色々考えてしまうわ。
　奥さんには、どう接しているのだろうか？とか、わたしへの優しさと奥さんへの優しさに違いがあるのだろうか？なんて・。

　色々な思いが『さぁ！』って云う時に浮かんで来てしまうの。
　いつもなら何でもない事が、おじさんといると大きな意味を持つのよ。
　今だって、口臭除去剤なんて事を考えたかった訳じゃないわ。・『こんなに気を遣ってくれているんだ！』って、おじさんの気遣いに嬉しくなっちゃうのよ。
　多くの人の感じる魅力は、言い換えてみれば将来の理想的姿かも知れないわ？
　将来のあるべき姿への到達確率？
　少なくても、それは人の魅力の大きな部分を占めている様に思うの。
　なんでもそうなの・。
　わたしにとってのおじさんは、他の何者にも代え難い大切な存在になっていたのです。
　・・・わたしの希望には必ず、おじさんといる時間がありました。
　人は歳を取るほど、遣る気が減っていくのが普通だわ。
　なかなか社会的に認めて貰えないと、幾らでも遣る気を失う理由はあるのよ。

　その上、若い人に遣る気があるのは当たり前の事だわ。・・・って、云える時代じゃぁないのよね。
　『若い！」って丈で、遣る気の無い人が目立つ時代なの。
　覇気が無い。って云うのかしらねぇ？
　何かを目指す時には覇気が必要だわ。どんな事を遣ろうとしても障害が無い事なんて無いのよ。・障害が出来るのを予想してどう乗り越えるかを考えなくては、目指す処には到達できないの。そう云う意味では覇気も魅力になるのかしら？

　歳を取れば取るだけ、その人の出来る範囲と云うものが狭まって来るから、歳を取っても遣る気を失わない人と云うのは、それだけでも十分に魅力的なの。
　それに、何かを遣ろうとする人って云うのは若くたって、歳を取っていたって、いつも輝いて見えるのよ。
　だから、おじさんと初めて会った時にも、おじさんは少しでも良い写真を撮ろうと意欲に燃えているのを見たから、余計に魅力的に見えたのねぇ・。

　都会の喧騒の中でも、毎日の締め切りに追われて、いつも次の撮影のセッティングでも考えているんでしょうね？・おじさんの撮影セッティングは難しいわ。
　前例の無い事ばかりにチャレンジしようとするんだもの！
　何時間も考えることが少なくないんですって。・場合によっては一週間以上もセッティングを考えるだけで費やしてしまった事もあったそうです。
　こんな話を聞くと、プロの仕事の大変さが分かります。

　でも、クライアントの担当者が、こんな思いを察する事もできない事も少なくないそうです。
　カメラマンの仕事は出来上がって幾らです。
　こう云う仕事を評価しないのは日本の特徴ですものね。
　アイデアに対価を払う習慣が無かったんですものねぇ！・こう云う点では、しっかりと後進国なのよね。・・・でも編集部員としては、コストは低い方が良いのは云うまでも無い事なのよ・。
　アメリカや E Uに比べると、確かに撮影料は激安ですもの。だって、３０年前よりも遙かに安くなっているのよ。
　『需給バランスだ！』って云う人もいるけど、他のコストを考えると不条理は考えなければならないところだわ。
　どう考えたら公平な裁定ができるのかしら？
　そんな世界を長年に渡って泳ぎ続けて来たおじさん。
　考え方を若くでもしていなければ、とても続けて来られなかったでしょうね？
　・でも、続けて来た自信。その自信もおじさんを輝かしく見せる一つだわ。
　口付けしたちょっとの間にわたしの頭の中は、こんな思いがゴチャゴチャなジグソーパズルの様になって通り抜けて行ったの。
　
　唇を離したらやっぱり、おじさんはわたしを見詰めていた。
「やっぱり狸・？」
「横にいるのがレイさんだものねぇ・。何か起こりそうな気がして寝付けなかったんだ
よ。」
　悪戯っぽくわざとらしいウィンク！
　こんな悪戯を、ただ可愛らしく思えるのが『好きな人』なのよねぇ・。
「晴海の道路上で眠る気になるの？・期待していたんでしょう？・それとも、求めている？」おじさん達の世代ではこんな事を聞かれたら、否定するのが普通なのよ。
「正直言ったら、求めているだろうな。・わたしも男だから・魅力的な女性と二人ッき
りなんだよ。・レイさんは巧いし・・・。理性は『妻でもない女性に迫ってはいけない！』って云っているんだけどね。感情というか？欲望は先に云った方だね。・・・わたしの云うべき事は、『感情もわたしの心だけど同じ様に理性もわたしの心なんだよ。』と云う事で、理性の方だね。」
　期待していた通り、おじさんは正直だったわ。・おじさんの考え方は簡単に予測が付いちゃうのよ。
「それで・理性に従うの？」
「今の時点では・・・、それが大人と云うものだよ。」
「ゥフフッ・理性って、とっても崩れ易いのよね。」
「・・何をしようって云うんだ？」
「・・・・・。」言葉でなんて云う事じゃないわ！
　もう一度おじさんに被さって、横たわった侭のおじさんに横からkiss よ！
　おじさんの両手がわたしを抱きかかえたの。
　わたしだって、おじさんに抱き付く腕に力が入っちゃうわ。
　口の中では、二人の舌が追い駆けっこ・。
　そして絡め合うの・・・。
　・・・ぁあ・・。

　口の中にも爽やかなレモンの芳香が・ァア・。
　この人に全てを委ねたい・。
　長いkissだったわ。・・・心まで吸われそう・だった。
「おじさん、邪魔の入らないところ、行かない？」ここじゃぁ、どんな人が覗きに来るか分からないもの。真夜中の駐車場では『人の姿が見えない車がユサユサしている事もある。』と、聞いた事もあるけれど、まだ周りは明るいの。
　パトカーも見廻りに来るし、公共の場所では思い切った事も出来ないわよ！

「ねぇ、行かない？」
「ん！・どこへ・？」
「二人ッきりになれるトコ・。」
「海、もう飽きたのか？」
「分かっている癖に・。」

　バックレストごと起き上がったおじさんは、静かにスタートさせたわ。
　左一杯に着けていた車を軽く右にハンドルしながら少し走って、一遍にハンドルを切り込んだの。ここの道幅ならUターンは簡単だったわ。もと来た道を戻って行った。
　晴海通りを西に走って、銀座四丁目を過ぎて日比谷の交差点を右折・？
　日比谷通りを北に走るの・・？大手町を過ぎ、首都高の下を通って小川町を左折したの。
「どこ行くの・？」わたしは湯島にでも向かっているのだと思っていたのよ。
「俺の隠れ家。」
「えっ・？」
「・・・・。」
　駿河台下交差点を左折して、最初の信号を又左折・・・。
　ビルの前が開けているところへ車を停めたの・・・？
　なかなか瀟洒なビルだったわ。小さな入り口から廊下へ入ると直ぐにエレベーター・。
　おじさん全然、口を開いてくれない。
　着いて行くより仕方ないじゃない・。
　このビル、他の部分は何処かの会社みたいなの・・・。
　入り口にいくつもの会社の名前が書かれていたし、郵便受けが沢山あったから、貸しビルなんでしょう？
　最上階のボタンを押して、また廊下。・・・突き当たりの事務室の鍵を開けて入ったの。
「さぁ、ここだよ。」
　おじさんの手が招き入れるの・。

　ビルの造りは貸事務所って造りだったけど・。内装は事務所って感じとは大分違う印象だったの。・確かに隠れ家だわ。
　なんで貸しビルの中に・・・？
　１２畳ほどもある部屋なんだけど、おじさんが隠れ家と云いたい気持ちが分かったわ。
　・マンションなんかとは全然違う造りなんだけど、事務所なんて雰囲気じゃぁないの！
　電気大学が直ぐ傍に見えている大きな窓。
　これだけが貸しビルの名残があるのよね。サッシだって云うだけでチョット雰囲気が違ってしまうのに、それが大きいんだもの・。
　二重の厚いカーテンが曳かれれば、豊かな書斎のような雰囲気だわ。
　壁面に所々見える四角い切り欠きは多分、埋め込み式の引き手よね・？
　両脇のビルは道路直近まで出ているから、この窓の外の空間は貴重よ。　
　だって、道路の反対側のビルまでの距離があるのよ！
　こんなにビルが密集しているところにあるのに！
　わたしのいる編集部の部屋なんて、窓を開けたって隣のビルの壁しか見えないのよ！
　南向きの大きな窓からは落ち掛かった陽の天空光が差し込んでいた。普通の部屋と違うのは、天井に灯りが無く、壁面に間接照明が設えられていた事・。明温調な色彩で調和した室内の雰囲気は、窓の光が無くても明るく、それでいて落ち着ける・・・。
　くつろぎたくなる雰囲気なの。

「ここで何するの・？」晴海を動き出した時には『今日は何処のホテルかなぁ？』って、思っていたンだけど、背凭れの大きなソファーに腰を下ろしながら云ったのよ。・見掛け依りはしっかりした・、座り心地・？
「時々休んでいるのさ。・前は現像なんて事もしたけど、殆どがデジタルになっちゃったから、改装したんだよ。」

「ふ〜ん・。・・・こんなトコにも事務所を持っていたの！？」
「ここはあんまり知らせていないけどね・。」
「名刺にもここは書いてなかったわよね？」
「当然さ！・隠れ家なんだからね。」
　おじさんは壁に埋め込まれたテレビのスウィッチを入れ、隅の壁にしか見えなかった扉を開けると、簡単なキッチンでコーヒーメーカーの用意を仕始めたの。
　それから粗目の入ったポットと、フレッシュクリームの紙パックを持ってきたわ。
　コーヒーには粗目の方が良い。って聞いた事はあるけれど、理由は分からないの。
　家では上白糖ばかり使っていたけれど・・・。
「どうして粗目なの？」
「嫌かい？・」
「ううん！・・喫茶店なんかでも粗目を使っている処があるじゃない！・何か理由があるのかなぁ？って・・・。」
「上白糖って、甘みだけじゃない！・スカッてしているけど、上っ面だけ通り過ぎて行
くようで淡泊な感じがして、味に面白みが無くなるんだよね。」
「それは雑味があるって事？」
「味が天然に近い気がするんだけどなぁ・。」
「何にでも拘るのねぇ・・・！」
「そんな積もりは無いんだけど、・理由も無く何かを欲しくなる事が少ないからなぁ。」
　そう云えば、おじさんはコーヒーに拘っているところが何回かあったわ！
「何か理由が無いと欲しくならないの？」
「写真は表現だと思っているから、表現するべき物をいつも頭に置いている所為かも知れないなぁ？・愛だとかの感情とか、物事の真偽、・・・これが響いているのかなぁ『本物とは何なんだ？』って、いつも考えているからなぁ。」
「じゃぁ、わたしみたいな女はどう思っているの？」
「良い女性だと思わなければ、今の関係にはならなかったよ！・良い事物には甘くなるのがわたしだからね。」
　おじさんの世代の人達って、『言わずもがな・・・。』って、感覚があるみたいね？
　絡め手ばっかりで、チョットでも気恥ずかしさを感じる言葉は、『云わなくたって、察知しろよ！』って、思っている処があるのよね。
　女性の側は、そんなのを分かったって、確証を持てる訳じゃないじゃない！
　やっぱり、ハッキリと言葉で言って欲しいのよ！
　・言葉にしたって嘘は吐ける訳だけど、口にして云って貰えると凄く安心できるの・。

「ねぇ、わたし・おじさんを愛してる。」街中で見るおじさんって、少しショボ呉れた親父でしかないんだけど・、何をするのも一生懸命！・・・写真の事だけじゃなくって、目の前の事に一生懸命になってる。そんなおじさんが溜まらなく愛おしい。
「わたしは簡単に、・その言葉は言えないよ・。」
　ゆっくりと噛み締める様な言い方だったの・。
　もちろん、おじさんからも『愛しているよ！』と、云って欲しかったんだけど、奥さんを持つ身では、簡単には云えないわよね・？
　わたしにも、奥さんにも・、・・・それぞれに一生懸命になるから、誠実に接しようとするから、云えないのよね・？
「・・・仕方ないわよね・。奥さん良い人だもの。・・・きっと、おじさんを一生懸命支えてくれていたのよね？」わたしも思っている事をそのまま言葉にしていました！
　こんな事・、今までのわたしには考えられない事・・・！
「ごめんね・。」
　おじさんが謝る短い言葉に、万感の思いを乗せてきたことを感じ取っていました。
「おじさん本当に正直なのね・！」おじさんの心の隅々まで感じ取った感覚でした。
「身体ごと向かってくるレイさんに、わたしは自分を不甲斐なく思うよ。」
「ウウン・・・、おじさんは悪くないわよ。・わたしが勝手におじさんを好きなの！」

「・抱いて！」
「・・・・・？」
「わたしは、おじさんを感じたいの！・全身で直接感じたいの！」
　戸惑っているおじさんの態度に、壁の収納棚の扉を開け始めたの・。
　この部屋の雰囲気だもの、何処かにステレオがあるはずだわ。殆ど無音の空気は重くなってしまうんだもの。
　見付けたパワーアンプをオンすると、天井に埋め込まれたスピーカーから流れてのは、ドリス・デイ・・・。
　失恋の歌よね、これ・。離れて行こうとする人に縋り付く思いの歌・。
　甘えるような歌声。・・・わたしの心を歌にしたみたい・・・。
　こう云う歌を聴くおじさん、もうわたしの心の全てを知っている筈・・・。

　ソファーの前に戻って、リズムに身体を委ねたの・。
　最近のリズムとは違って流れるような曲、緩やかなウェーブに身体がうねる・。
　激しすぎない官能的なワルツのウェーブ・・・。
　両脚の踵が知らず知らずリズムを追っていた・。
　身体の中心が熱くなってくる・・・エロティシズム・。
　リズムを追って、左腕をジャケットから抜くの・・・。
　右腕も抜いて、左手で持ったジャケットを出窓の棚に放ったわ・。
　ワンピーのボタンをリズムを追って外して行くの・。
　脚元に摺り落としたワンピーを拾ってジャケットに被さるように置いた・。

　スリップを透かしてわたしの身体が窓に残る光でシルエットの様に見えるように・・・、おじさんの方に向き直ったわ・。
　全身がリズムに乗って揺れるわたし・、スリップがそれを強調しているはず・。
　明から様なヌードより、おじさんにはこの方が官能を刺激するはずよ。