３

　翌日のニュースを見る気にはならなかった。『もう一人の自分』が言ったことが正しければ、今日もまた、ミイラのようになった死体が発見されたはずだ。
（…死んだわたしを、助けた…）
　その代償に、『もう一人の自分』となった『何か』に、命を半分預けた。…あのとき、『もう一人の自分』は確かにそう言った。
　そして、『あの本を読んだのだから』とも言った。

「…悪魔！」
　突然、真夜が何かに気づいたかのように声をあげた。
（あの本は、悪魔に関することばかりが書かれていた。ということは、あれは悪魔なの？あの本にいた悪魔ということなの…？）
　だが、それ以外考えられない。何かのいたずらというわけでもない。

『出て行ってよ、わたしの体から…』
　呟くというよりも、思い込むような感じで『もう一人の自分』に話しかける。が、答えてはくれない。

　その日、真夜は学校に行くこともできなかった…。

　昼頃になって、真夜はあの本と向かい合っていた。とはいっても読んでいるのではなく、表紙を眺めているだけである。
　いっそ、この本を燃やしてしまえばどうだろうか？とも思う。しかし、この本の（仮に）悪魔が言ったことが本当だとすれば、『燃やした瞬間真夜も死ぬ』かもしれないのだ。

『あら、誰か来るわよ？』
　突然、頭の中に『もう一人の真夜』が話し掛けてきた。
『男の子ね。同級生？突然学校休んだから心配されたんじゃないの？隅におけないわね』
　向こうの方はこの状況を楽しんでいるとしか思えなかった。むかっ、としたものの、相手が自分ではどうしようもない。
　と思っているうちに、玄関のベルが鳴った。
「…どなたですか？」
「俺だよ」
　こんな言い方をしてくるのは一人しかいない、と真夜はドアを開いた。

　八坂脩平。真夜の『同音異字』の苗字を持つ、幼馴染である。今でも付き合いはあるし、真夜自身他人とは思っていない。それは向こうも同じだろう。

　一見すると、粗野な口調からも『ワル』っぽく見られることがあるけれども、実質はそうでもなく、かえって他人を立てることのほうが多い、そんな人間だ。
　でも、幼馴染というところからか、真夜に対しては少々強気に出るところもある。

　ただ単に強気に出ている、というわけではなく、思慮深く遠慮がちな真夜の手を引いている、という立場にあると考えたほうがいいかもしれない。

『なかなかカッコいい男の子じゃない。しかも、素直になれない両思いってところかしら？』
（人の中でゴチャゴチャ言わないでよ！）
　思わず胸の中で怒りを爆発させるも、その声は当然届いていない。
『友達以上、恋人未満というのもなかなかいい関係だけど、『それ以上』になるのが難しい関係なのよね』
「今日、どうしたんだ？学校に連絡もなく休んだそうじゃないか。一年の時皆勤だった弥栄とは思えないぞ。おかげで、俺が見舞いにこさせられたじゃないか」
　脩平が言う。
『その実、心配で心配でたまらなかったみたいね。顔には出してないけどありありと心に描いてるわ。愛妻家の相ね。羨ましいじゃない、この』
『もう一人の自分』がやかましく言う。
「うん、なんでもないの。ただ、寝坊して今起きただけだから…」
　ありえないいいわけだなぁ、と自分でも思うし、脩平も信じないだろう。
「何か心配事でもあるのか？寝坊なんて弥栄らしくもない」
　幼馴染だけに、お互い自分が知らないところまで知っている。だからこそ脩平は真夜の言うことを信じないのだ。
『…さて、それじゃ『それ以上』の関係にしちゃいましょうか』
（え？）

「俺なら、多分力になれるぞ。どんくさい弥栄のことだから、電車で痴漢にでもあって思い悩んでたんだろう？」
「そんなことないわ。第一、電車なんて乗らないもの」
　と真夜が否定すると、いきなり脩平が手を掴んできた。
「ど、どうしたの？」
　今までこんなことなかったのに。真夜が戸惑っていると、『もう一人の自分』が語りかけてくる。
『楽しんでいってもらいましょうか』
『どういう意味？あなた、脩平に何をしたの？』
『まだ手を握られただけでしょう？それくらいで喚かないの。『これから』ってときに失神しちゃうかもしれないわよ？あなたは、『わたし』でもあるんですからね』
「上がって。玄関で立ち話も悪いから」
　気を取り直して、真夜が言った。

（なんで…こんなに、ドキドキするんだろう…？）
　真夜の胸が急に高鳴り始めた。脩平ならば、いつも部屋に入れているというのに。さっき『悪魔』にいろいろ言われたせいかもしれない、と思う。
「なぁ、昨日といい、今日といい、歩道橋から落ちる事故があってから、何か変だ。頭でも打ったのか？ああいうのって、急に症状が出て血管が詰まったりして、突然死することもあるっていうし」
　縁起でもないことを言う。
「何もないわ。心配させて悪かったけど…」
『ほら、この脩平ってコも、幼馴染ってことから手を出しづらかったんでしょうね。あなたのことを考えて自分を慰めてたことも何度もあるみたいよ？』
（馬鹿なこと言わないでよ！）
『馬鹿なこと？そうでもないわよ？あなただって、自分を慰めたことはあるでしょう？その手と、指で』
　頭の中に、『悪魔』の声が響いてくる。もちろんそれは、目の前の脩平には聞こえていないのだが。
『どのみち、『後一押しが出来ないカップル』の『あと一押し』をしてあげようって考えに違いはないわ。いってらっしゃい』
　そんな言葉が頭の中に伝わった直後、何かが真夜の背中を押した。もちろん、後ろにはすぐベッドがあるだけで、何があるわけでもない。
「わっ！」
　床に座り込んだ脩平に飛び込むような形で突っ込む真夜。
「ど、どうした？やっぱり、どこか悪いのか？」
　慌てて起こそうとする脩平。見た目は『ワル』なのだが、根本的にいい人なのだ。それに、脩平自身は『腐れ縁』を主張していても、やはり幼馴染というものなのだ。
「だ、大丈夫…って…」
「あ」
　上体を起こそうとした真夜が、どきりとした。何か、胸のあたりに妙な感触がするのだ。見るまでもなく、倒れこんだ際に『揉まれて』しまったらしい。
「…お前、こんなに胸大きかったっけ？」
「いつまでも、子供じゃないもの。胸くらい嫌でも大きくなるわ」
　顔を赤くしながら、真夜が言う。
「そんなことより、いつまでも触ってないでよ、もう…」
　と真夜がその手を振り払おうとしたときだった。

「えっ？」
　いきなり、脩平のほうから抱き寄せてきたのである。拒むことも抵抗することもできず、真夜は自分の顔が脩平の胸にうずまるのを感じていた。
　同時に、自分の体にも何か『変化』があるということも。

『あなたの仕業なの？』
『さあ、どうかしら？一押ししてあげたのはわたしだけど、人間の本能を刺激した覚えはないもの。変化に理由があるとすれば、それはただ単にあなたたちが『エッチ』なだけでしょう？』
『もう一人の真夜』は相変わらずあっけらかんとしていた。腹立たしいくらいに。

「ちょ、ちょっと、何を…」
「弥栄、俺もう、我慢できない」
　抱き寄せたままの体勢から、絨毯の上に押し倒される。ゆっくりと、指が胸の上を這いまわってくる。
「…ん……っ」
『いつもと明らかに違う自分』に気付きながらも、真夜は脩平に逆らうことができなかった。なぜならば、拒む理由がないからなのだ。
「…するなら、ベッドの上で…ね…？」
「そうだな。ちょっとくらい、痛いかもしれないぞ。俺、責任もてないからな」
　悪態と気遣いが交差する、『ワル』未満の『いい人』のひと言。真夜はなぜか嬉しかった。

『さて、わたしは見物させてもらうわね。大丈夫よ。ミイラにはしないから』
　恐ろしいことを言う『もう一人の真夜』。が、真夜はなぜか今回ばかりはほんの少しだけ彼女に感謝していた。