９．

「お前はなぁっ！」
　目覚め一番、脩平は『作業』を終えたあと、ガルヴァスに向かって怒った。
「弥栄の夢に出ることはないだろ！」
『そういう脩平も、朝一番から夢のせいで溜まった『欲望』を吐き出したではありませんか』
「仕方ないだろ。夢の中とはいえ、あんなもの見せられれば、男だったら誰だって抑えられなくなるに決まってる」
『そう、抑えられなくなるのは男も女性も関係なく同じなのですよ。普段、どんなに清楚だろうと、貞淑だろうと、同じこと。ひとたび導いてやれば、あんなふうに乱れ、悶え、自ら求めるようになる。面白いものでしょう？』
「面白いものかよ」
　吐き捨てるように言ったあと、脩平はやっと登校の準備をはじめた。
『あれは『夢の中』での出来事。実際の彼女には何も起こっておりませんよ？彼女のような心根の美しい少女から生気を吸い取ろうとは思いませんからね』
「どうせなら、弥栄に取り付いている夢魔のほうとヤってくれよ。そうすりゃ出て行くかもしれないからよ」
　『作業の産物』を始末し終えると、着替えを済ませて階段を降りる。
『それはいけません。いまや、あの夢魔は彼女の半分の命。本当ならば、真夜という少女は、歩道橋から落ちた事故の際に死んでいるはず。それを助けたのが、あの夢魔ですからね。夢魔を追い出せば、彼女は即座に死んでしまう。それに、彼女から夢魔を追い出せば、夢魔のほうもただでは済まないでしょう』
（そういうことだったのか）
　道理で、あの事故で真夜が無傷だったはずだ、と脩平は思った。落ちたあと車にはねられたりはしなかったものの、充分な高さがあるし、下はアスファルトだ。死ぬことはなくても、無傷はありえないと言っていい。
「ま、俺たちも同じようなものだから大して驚かないが…」
『私のほうは、酔狂で貴方に拾われただけですが』
「強がるなよ。飢え死にしそうなところを俺にたかったくせに」
　ガルヴァスは、どうやら上から堕とされたあとのこの世界では、自分だけでは存在できない体になっていたらしい。そうなると、誰かに取りつく必要があった。
　脩平は、自らその体を分け与えたのである。
『貴方が、根っからの善人で助かりましたよ。これで、私の力を悪用する方面に物事を考えていたら、後に斬り捨てなければならなかった』
「誰か苦しんでいれば手を差し伸べる。ネコが棄てられてれば構ってやるし、人が倒れていれば肩くらい貸すさ。たまたまお前が堕天使だった。それだけだろ」
　脩平はこういう人間だ。もっとも、それを知る人間は多くない。両親と真夜、それからガルヴァスくらいのものだろう。
　食事を済ませたあと、脩平は余裕を持って家を出た。

「何やってんの、真夜。最近、なんかぼーっとしてない？」
　クラスメイトに声をかけられ、真夜はようやく今が授業中だということに気がついた。近頃、魅夜のせいか、てんやわんやでつかれきっているのだ。授業も耳に入ってこない。
「大丈夫よ。多分」
　我ながら曖昧な返事ね、と思いながら、真夜は改めて前を見つめる。退屈な授業が退屈だと思えない気がする。体中が、妙にだるい。
『…少しすれば、慣れると思うわ。人間の体と夢魔の体質が重なっているんだもの。拒絶反応を起こすに決まってる…』
　魅夜のセリフにも心なしか元気がない。おそらくは、彼女のほうにもそれ相応の苦痛があるのだろう。

「あぶねっ！」
　目の前で、不意にゆらっ、と倒れ掛かった真夜を、脩平が受け止めた。
「しゅ、脩平…？どうしたの？」
「どうしたの？じゃないだろ。こっちが聞きたいくらいだ。体調が悪いなら無理して学校に行くんじゃない」
　脩平は、真夜を立たせてやってから言う。
『どうやら、夢魔を体内に宿らせたことで確実に異常が起きているようですね。無理もありません。本当ならば、ありえない事態なのですからね、夢魔が人の中にいる、というのは』
　ガルヴァスが状況を告げてきた。確かに、真夜はどこか具合が悪そうだ。それも、ただ単に風邪をひいただとかではない。
『なぁ、ガルヴァス。お前なら、真夜の中にいるっていう『夢魔』と話ができるんじゃないか？』
　今度は脩平からガルヴァスに持ちかける。
『できないことはないかもしれませんが、夢魔を彼女から追い出せば、彼女は死んでしまう。そのことをお忘れなく』
『それは分かってる。だが、俺も弥栄と同じで『ワケのわからないもの』が中にいるからな。痛みや苦しみぐらいは、わかってやりたい』

　真夜を引きずるようにして、脩平は自分の家へ戻ってきた。
「…脩平、ここ、脩平の家じゃないの。わたし、自分の家に帰れるから…」
『無理しないほうがいいわ。わたしも貴女も、かなりまいってる』
　魅夜が真夜に告げた。

　脩平の部屋にたどりついてすぐ、真夜の体に異変が起こった。なんと、昏倒していた。息をしていないのだ。
『おい、ガルヴァス！こいつは、かなりヤバいんじゃないか？』
『ええ。彼女の中にいる夢魔は無事にしても、息をしなければ人間は死ぬ。彼女が死ねば、夢魔も必然的に…』
　ガルヴァスの返事も、脩平の考えたとおりだった。なんとかベッドに寝かせたものの、この状態では救急車を呼ぶわけにもいかないだろう。呼んだとしても、医師が首を傾げるだけだ。
『どうすれば、助けられる？』
『彼女が力を取り戻せばあるいは』
『力を取り戻す、だって？』
　ガルヴァスからの意外な言葉に、脩平は戸惑った。真夜は人間だ。力を取り戻すとはどういう意味だろうか？
『夢魔の力はそのまま彼女の力、彼女の力はそのまま夢魔の力。この二つが上手くやることで、彼女は今まで生命を繋いできていたということになります。そのため、『夢魔と人間』である彼女ら二人は、『夢魔と人間』の両方を等しくこなす必要があるわけです』
「…それで分かった」
　ガルヴァスの言葉を全て聞いてから、脩平は強くうなずいた。それから、ベッドに腰掛けて眠りこける真夜に…いや、魅夜に話し掛ける。
『…聞こえるか？…いるんだろ？返事をしろ！弥栄もお前も…危険なんだ！』
　ガルヴァスに語りかけるときと同様に、声に出さずに話し掛ける。
『…生きてるわよ。なんとかね…。正直、人間とよろしくやるっていうのが、こんなに難しいことだとは思わなかったわ。もともとわたしの不注意でこうなったから、わたしが消えるのは構わないけど…彼女を、真夜を道連れにしなきゃならないのは心残り…』
『バカなこというな。お前、わざと『真夜寄り』の生活を送ってきたんだろう？だからこそ、急に体調を崩して、昏倒なんてことになったんだろう？』
『…』
　魅夜は言葉を返してこない。が、やがてこう言った。
『…バカでしょう。わたしは夢魔。それなのに、『人間と宜しくやってみよう』と、少しでも思ってしまったのだから』
『…今から、お前が力を取り戻せば、真夜は助かる。そうだろう？』
『今更、夢魔の力を使いたいとは思わないわ』
　真夜は、夢魔の力を嫌がっている。魅夜は直感的に知っていた。心の中では『便利』だと思い込ませていたかもしれない。でも、真夜にとっては『人間と離れている』ことの象徴でしかなかった。
『わたしは、ダメな夢魔ね。獲物にもならないオンナのコに怪我させたあげく、望んでいない力を共有させたうえ、道連れに死なせるなんて』
『…いいか、俺の生気を吸え』
　少し考えた後、でも、強い想いを込めて、脩平は言った。