19.

「…誰だ？いるんだろう？」
　夜道を自宅へと急ぐ脩平は、誰かの気配を感じて振り返った。空には星が輝いていた。一応、この時間になれば親は家にいるだろうけれども、真夜の家にいる、と言ってあれば特に心配することもないだろう。
　もちろん、『間違いがあるんじゃないか』という考えはあるだろうけれども（実際、間違いが何度かあったこともある）、普段から『とっとと結婚しちゃいなさいよ』と豪語する両親なのだから、何も言ってこないはずだ。
　が、今日はいつもより遅くなりすぎた。そのため、脩平はなんとなく家路を急がなければならなかった。
「…君、さっきの…」
　そんな脩平の前に姿を現したのは、先ほど真夜の部屋で出会ったばかりの峰岸冴だった。
「…俺に、何か用？」
　顔を伏せた彼女に、脩平は声をかけた。このまま通り過ぎることもできないし、何よりも女一人こんな場所にいるのは危険ともいえる。
「…あの、真夜と…その、そういう関係なんですよね…？」
　さきほどとは打って変わってしおらしげに言う冴に、脩平は首を傾げた。
「そ、そういう関係って…」
「なんとなく、分かったんです。真夜、あわただしかったから」
（そりゃ分かるだろうなぁ）
　と内心思いながらも、冴の話をよくよく聞いてみる。
「わたし、脩平く…八坂君のこと、入学の時から…」
『やはり、そうでしたか。案外モテるんですね脩平』
　ガルヴァスの言葉を無視して、脩平は冴の話を聞いていた。
「…八坂君、真夜にしたように、わたしにして、って言ったら、怒る？」
　冴が突然言い出した。脩平は面食らったように返事ができずにいたものの、やがてこう言った。
「怒りはしないけど、できない」
「…でも、わたし、本気よ。叶わない恋でも、真夜に負けているって最初から分かっていても…わたしの最初の相手は、八坂君がいいって…。ね、わたしの家、この近くなの。だから…」
「断わる」
　冴の言葉が終わらないうちに、脩平は強い口調で言った。
「…どうして？真夜に悪いから？」
「それもあるけど…」
　慎重に言葉を選ぶ脩平。なるべく相手を傷つけない方法はないだろうか。
「君が、俺を好いてくれるのは嬉しい。でも、俺は…俺は真夜が好きだ。俺はまだガキだから、愛しているなんて高尚なことはいえない。でも、本人に向かって『好きだ』っていえるくらい、本気で好きだ」
「…」
「そんな状態で、俺が君に手を出したら…俺は絶対一生後悔する。君だって、自分に気がないのを承知で俺に手を出されるのは…嫌だろ？俺だって…真夜にしたようにはできない。君に喜んでもらうのは、無理だと思うんだ」
「…羨ましいな、真夜」
　脩平の言葉を聞いたあと、冴がうなずいた。フられた身ではあるものの、表情は穏やかだった。むしろ、すがすがしそうにも見えた。もっとも、あたりが暗いせいかもしれなかったが。
「…きっと、八坂君がそういう人だから、わたしも好きになったのね。でも…今更振り向かせるのも無理よね、きっと。だって八坂君、真夜を振り向かせるのに夢中なんだもの。きっと、わたしが何をしていたって、どんな誘惑をしたって気付いてくれない」
　ちょっとだけ哀しそうな顔を見せたものの、涙を見せたり、泣き出したりすることはなかった。
　自分が真夜を拒絶したら、彼女はどんな顔をするだろうか。脩平はそんな思いを抱かずにはいられなかった…。

「…あれは…？」
　『魂』を逃がしてしまった悔しさもあって、夜風にでも当たろうと思ったガライは、校門から外へ出たところで思わぬ光景に出くわした。
（あれは、確か真夜のクラスの…）
　あわただしく学校の前を通り過ぎていく背中を、ガライが偶然目撃したのである。
「変だな。学校に忘れ物を取りにきたにしては通り過ぎていったようだし、自分の家へ帰るのを道に迷って引き返すということもないな」
　しばらく不審に思っていたものの、特に気にすることはないだろう、とも思う。自分は死神であるとはいえ、この学校の宿直としての仕事もある。迂闊には離れないほうがいいだろう。
　が、次の瞬間、ガライはそんな考えをかなぐり捨てた。

　金属をすりきったような、妙に耳に着く車の急ブレーキ音が響いたのである。それから、鈍い音。
　実際には、それほど大きな音ではなかったのかもしれないが、人間とは違うガライにはよく分かっていた。
「…まさか！」
　自分のすぐ近くで人死にがあるとでもいうのだろうか、それも、真夜の…。

「…ガライ！大変だ、ひき逃げだ！」
「脩平？お前、何でここに？」
　そう言いながらも、ガライはアスファルトに倒れた人影に目をやった。
「…峰岸、冴…」
　撥ねられた際に頭を打ったのか、出血がひどい。が、息はあるようだった。それでも、虫の息としか言いようのない状態だった。
「…しっかりしろ！」
「待て！」
　ガライが目を閉じる。目の前の冴は虫の息だ。だが、自分にはこの近くで『魂狩り』を行う指令は届いていない。少なくとも、彼女に『肉体との別れ』を告げるのは自身ではないことは分かっている。
「…予定に無い…？」
「えっ？」
「…彼女は、死ぬ予定がないんだよ！わたしは死神なんだ！」
　脩平に分からせるように大声で言いながら、ガライは冴の体を抱き起こす。
「う・・・八坂…君…？この、この先にも、女の…人が倒れてて…」
「なんだって！」
　冴を抱き上げてから、ガライが走り出した。暗い夜道を脩平も追う。

「この人、確か…」
　冴の言うとおり、冴が倒れていた場所からさほど離れていない十字路に、女性が倒れていた。髪の長い面長の美女だった。
『…脩平、確か、『元校長の家』にいた女性では？』
　脩平自身は顔を見ていないのだが、ガルヴァスが覚えていてくれたようだ。
「…こちらのほうは、どうやら刺されたようだな。幸い傷が軽い。恐らく、彼女が通りかかったことで、犯人が生死の確認をしなかったんだ」
　ガライが冴を見ながら言う。
「…じゃあ、犯人は冴に見られたと思って、わざと轢いたのか！」
「それは違う。おそらくは偶然だ。ひき殺すつもりでいるのに、急ブレーキを踏んだりはしないだろう？」
「…ちっ！ガライ、彼女は助かるのか？」
「普通に考えれば難しい。だが、彼女には死ぬ予定がない。…なんとしてでも助ける義務がある」
　ガライに抱きかかえられた冴は、息も荒く、もはや長くはないだろう。
「…やるしか、ないか」
「えっ？」
「…お前たちと、同じさ…」

「…面白いことがいろいろ分かったよ。あの前校長、生徒には人気があったし、周囲にもそれなりの人格者で通っていた。だが、過去に一度事件を起こしていてね」
　その後、また真夜の家に一同が会したとき、氷室から調べた結果が知らされることになった。
「事件といっても、事故だ。児島前校長は過去に飲酒運転で事故を起こしていて、それが人身事故になってしまったんだ。相手は死亡、前校長は無傷だった」
「…でも、そんな飲酒運転で事故を起こしていたら、校長になるなんて絶対無理でしょう？」
　冴が言った。そこで氷室が初めて気付いて、冴に聞いた。
「…君、誰？」
「…ええと、なんていうか…」
　苦笑する冴。まさか、自分もつい先日死亡してもおかしくない事故に巻き込まれました、とは口が裂けても言えない。そして、どういう縁からか、自分の中にあの『死神先生』が入ってしまっている、ということもである。
　状況的には真夜や魅夜の事例に近いだろう。要するに、ガライが出て行こうとすれば冴は死ななければならないし、冴が死ねばガライは消滅する。そういう関係なのだ。
　真夜から説明を受けたあと、氷室は当惑した顔ながらも納得したようで（目の前に真夜や脩平がいるのだから納得しないわけにはいくまい）、報告を再開してくれた。

　あれから、脩平たちもやむなく自分たちの秘密を冴に明かすことになってしまった。とはいえ、冴のほうは思ったよりも驚いたりしなかった。それどころか、『ガライはガルヴァスを愛している』ことを知り、一度はフられた身であるにもかかわらず、『わたしにもチャンスがあるのね！』と息を巻いていた。
『真夜、壮絶な三角関係よ？うかうかしていると、脩平君、取られちゃうわよ？』
　魅夜も魅夜で、脩平が冴に取られたら、と思うとしばらくの糧がなくなるため少し不安げでもあった。

「…で、その事故なんだけど、警察の上層部がもみ消した可能性がある」
「えっ！」
　事件の思わぬ展開に、真夜が息を呑んだ。
「そして、その事件の直後…十五年前の事故の直後、児島前校長は、当時十二歳だった『鹿沼真一』を養子にしているんだ」
『わたしたちが不法侵入してるときに、ベッドインに熱中していた男ね』
　魅夜がうなずく。流れからしてその通りだろう。
「…このとき、前校長は『罪滅ぼし』のためだ、と警察に洩らしていたそうだよ」
『…なんとなく、一本に繋がった感があるわね。つまり、『鹿沼真一』というのは、事故被害者の忘れ形見…前校長はそれを引き取ったのね』
　魅夜が真夜に告げる。もっとも、そのくらいのことは真夜にも理解できる。氷室は魅夜の声までを聞くことができないため、淡々と話を続けた。
「…当時十二歳だった真一は、全く面識のなかった児島に引き取られたわけだ」
「…普通、変に思いますね。家族が突然いなくなって、その直後に引き取り手が現れれば…」
「うん。だから、警察もようやく本腰を入れて調べてくれることを約束してくれたよ」
　冴の言葉を受けて氷室が言った。
「…児島には地位がある。ということは財産もある。…校長自身は善人だったが、真一のほうは、『裁きの代行人』になったつもりだったんだろう。
　十五年前の事故に関わった人間が次々と何者かに襲われる、という事件が最近起こっていたんだ。
だが、一人一人の怪我はたいしたことがなかったうえ、一度に大量に襲われたわけでもない。
　だから、警察は十五年前の事故と関連しているとは思わなかったんだろうね。実質、それ以外の事件にも、襲われた刑事たちは関わっているんだから」
　刑事が襲われた際に、なんらかの方法で情報を入手していたとしたら…。警察によってもみ消された内容が、真一に流れたとしたら。
『…あの義父のせいで、殺人をすることになりかけた…みたいなことを言っていましたね、彼は』
　ガルヴァスが思い出したように言った。
「今まで、『児島前校長に命令されて殺人をやらされるところだった』という意味に捉えていたけど…違う意味だったのか」
　脩平がなるほど、とうなずいた。どうやら、真一のほうも復讐のために目的以外の人物の殺害はしたくはなかったらしい。

「…あの、それだけの情報を、どうやって得たんですか？」
　突然、真夜が氷室に質問した。『調べた』といえば確かにその通りだが、警察によってもみ消されたはずの情報を、彼はどうやって得てきたのだろうか？それも、短時間で。
「…うん。警察に『太いパイプ』があってね。この前ここに来た警部もそうだし、妻の親族に偉い人がいるから。もっとも、その事故の時は、まだその役職についていなかったようだけども」
　氷室はそう言った。が、まだ腑に落ちないところもあったのだが…。それは、彼なりの『手腕』といったところなのだろう。

「…これが『証拠』か」
　氷室の前で、あのテープが再生される。女の嬌声に混じって、男の声が事件に関係することを次々と吐き出していく。
「…なるほど、これならば充分な証拠になるよ。けれども、これは、君たちの手柄にはしないほうがいいだろうね」
「ええ。不法侵入の賜物ですから」
　真夜が言った。それだけが心配だったのである。
「あなたたちの場合、不法侵入以前に『不純異性交遊』ですからね」
　冴が堂々と言うのへ、脩平と真夜が咳き込んだ。
「そう言った件は、各自始末をつけるように。学生はともかく、二人とも結婚を認められた年齢…じゃないな、八坂君は」
　高校二年である脩平は認められた年齢ではないのを、氷室が思い出す。
「そうそう、卒業しておおっぴらに結婚の騒ぎができるようになったら、スキを見てわたしが横取りするんですからね」
「あのね」
　思い切り横道にそれた話を、真夜がたしなめる。
『すごいわねぇ。高校生から『結婚の騒ぎができるようになったら〜』ですって』
　魅夜も魅夜で、自分ごとなのに人事のように言う。
「とりあえず、彼を逮捕できるだけの情報はすでにあるわけだが…」
　…と氷室が言いかけたとき、冴が口を出した。
「…そのことだが、一つ頼みたいことがある」
「？」
　声の方向から冴だとは思ったものの、つい先ほどまで彼女がいたはずの場所には、ブロンドの長髪の美女がいた。言わずとしれた、ガライである。
「び、びっくりした！突然入れかわらないでよ！」
　真夜が思わず言った。冴の中にいるのは、あのガライなのだ。そして、その存在意義は魅夜や真夜と同じである。つまり、いつでも入れ替わりが可能になった、という意味でもあるのだ。
「…頼みたいこととは？」
「その『児島真一』とやらを、夜の学校に連れてきて欲しい。わたしはわたしで、本来やるべきことを済ませなくてはならない。こんな体になってもな」