21.

　いつもと変わらない風景のなかを、一人の男が大粒の汗を流しながら走っていた。当然、周りの人間は男が走りぬける光景を振り返る。しかし、やがてそれが通り過ぎていくと、またいつもの風景にもどっていく。
「…はぁ、はぁ、はぁ…」
　男の足が止まった。しかし、見慣れない風景だ。無我夢中で走っていたため、どこをどう走っていたかも覚えていないのである。
「…！」
　背後からの足音を聞きつけ、男はまた走り出した。が、曲がり角へ飛び出したとたん、柔らかい感触と衝撃を感じ、誰かを弾き飛ばした。
「きゃっ！」
　ぶつかったのは、少女だった。高校生くらいだろうか？
「どうしたんだ、真夜？大丈夫か？」
「気をつけなさいよ、ここ、割と人が通るんだから」
　どうやら連れがいたらしい。が、男はそれに構っていられないので、
「す、すまない」
　と言い残してまた走り去ろうとした。
「ちょっと待った。何をそんなに急いでいるんだ？」
　『少年』が止めた。髪を茶系の色に染めていて、『不良』のような姿ではある。が、どうやら一本気の通った性格であるらしく、視線には生真面目さが感じられた。
「…それに、その脇に抱えたものは…」
「ちょっと待ってくれ！わ、私は銀行強盗とかをやったわけじゃない。か、会社の不始末を上司に押し付けられて、殺されそうになったんだ！」
　どうやら、その『会社の不始末』の証拠を脇のカバンに入れて抱えていたようだ。
「そりゃ、ロクなものじゃないな。真夜、冴、準備はいいか？」
「うん。いつでもいいわよ」
　『真夜』と『冴』が名前を呼ばれて大きくうなずいた。
「あっ！」
「お前、こんなところまで逃げてきたのか！」
　やってきたのは、三人の男たちだった。少年たちとは違い、いかにも強そうな外見である。確かに、『雇われた人間』のような風体だった。
「待ちな。この人に何をしようって言うんだ？」
　『脩平』が男たちに聞いた。が、三人は
「お前たちには関係ない話だ。命が惜しかったら、見なかったことにするんだな」
　と返してくる。
「こいつの言うとおりだぜ？女子供といえども容赦はしねぇ。特に、そこの二人、なかなか美人じゃないか」
　『真夜』と『冴』を舐めるように見て、男の一人がいった。
「君たち、逃げたまえ！私のことに構う必要はない」
　逃げてきていた男が言った。
「…悪いね。確かに、俺達は女子供に見えるだろう？」
　『脩平』が言った。
「でもな、実際は…あんたたちよりはるかに年上なんだ」
「何だって？」
　『何を言いやがる』とでもいいたそうに、男が一歩踏み込んできた。
「…『氷室探偵社』所長、八坂脩平。お前たちを警察に引き渡す」
　警察手帳ならぬ『名刺』を指し示した脩平が言った。
「ふざけるな！」
「危ない！」
　シビレを切らした男が、脩平に殴りかかった。が、脩平は一歩も動かない。そして、その茶系の髪が徐々に、銀色に輝いていく。
「…人呼んで、『サマエルハーフ』！」
　完全に『ガルヴァス』と一体化した脩平が、殴りかかってきた男を素手で吹き飛ばした。
「真夜、冴っ、やれ！」
　脩平の声と共に、真夜と冴が踏み込んだ。その髪が、『魅夜』の赤、そして『ガライ』のブロンドに輝く。
「な、何だ、お前ら、人間か？」
「違うわ。わたしは『八坂真夜』、人呼んで『ナイトメアハーフ』！」
「でもって、わたしは『デスサイズハーフ』といったところか？」

　あれから二十年ほどがあっという間に過ぎた。彼ら三人は時を過ごしたものの、まったくといっていいほど歳をとらずに健在だった。
　三人の中には、未だに『魅夜』、『ガルヴァス』、『ガライ』がいる。そして、今でも共生しているのである。
　卒業後、『氷室探偵事務所』に就職した三人は、のちに生まれた氷室と彼方の子供とともに、探偵に専念することになった。彼らの特異な能力は、この仕事に最適だったからである。
　歳をとらず、老いることもない三人は、外見とは反して人間の様々な面を垣間見てきた。
　男たちを難なく警察に引き渡したあと、脩平たちは帰途についた。今ごろはまた、新たな依頼が届いていることだろう。
　事務所にもどれば、彼らは『敏腕探偵三人組』になる。三人が『普通の人間ではない』時点で、敏腕でなければおかしいのだが…。

　さて、あれから脩平は真夜を選び、結ばれることになった。が、ガライの台頭もあって、冴を引き離すような真似ができるはずもなく、今のように三人『一緒』という奇妙な生活を送ることになってしまった。
　そのうえ、冴が脩平をあきらめることもなかった。
「…今夜くらい、ゆっくりしましょうよ。明日になればまた忙しくなるもの」
「そうだな。氷室探偵事務所も名前が売れたもんだ」
「うん、あれから二十年だもんね。長いような短かったような」
　冴もうなずいた。もしかしたら、『歳をとらない』彼らだからこそ、こんなふうに言えるのかもしれない。
「…真夜、手加減しちゃダメよ？」
「お互い様に、ね」
『脩平、これは覚悟しておいたほうがいいですよ？どうやら、タッグで来るようですから』
　ガルヴァスの言葉に、脩平がうなだれた。
『いいじゃない。死にたくなったら、同意の上でお互い離れればいいんだから。それまでは、仲良くやっていきましょうよ。生活面でも、仕事面でも、夜の行為も、ね』
　魅夜が人事のように言った。もともと夢魔である彼女は、『性的快感』に困らない今の生活は天国のようにも思えるのだ。

「…あら？」
『ん？どうかしたか、冴』
　夜の街の中を不意に振り向いた冴に、ガライが尋ねた。
「今、そこに誰かいなかった？…ううん、誰もいないわよね。気のせいよね」
『変なヤツだな。もっとも、わたしが中にいる時点ですでにヘンだが…』
　ガライも自覚している。が、真夜も魅夜も、先ほど冴が指した場所をじっと見つめていた。何かがいるような気がして仕方がなかったのだ。

　だが、やがて何もいないことを悟ると、脩平を促してまた歩き出した。
（…透明人間でも、いたのかしら…？）
　一陣の風のような感触が、真夜の頬を撫でた。その感触は、まるで誰かが掌で本当に頬を撫でたかのようだった。
『…この世には、わたしたち以外にも、常識では通用しない出来事が沢山あるわ。もちろん、さっきの『感触』もそう』
　魅夜が悟ったかのように真夜に言い聞かせた。
『でもね、気にすることはないわ。わたしたちがいるんですものね』
『そうだな。先ほどのヤツにしても、今回気にすることはないさ』
　ガライも魅夜に同意した。自分たちが普通の人間ではない。常識では通用しない出来事は、それだけで充分なのだ。
「透明人間、か…」
『気にすることはありませんよ。それはまた、『別のお話』ということで…』
　首を傾げた脩平にガルヴァスが言った。

　やがて三人は、夜の町をまた事務所に向かって歩き出した…。

　　　　『Ｎｉｇｈｔｍａｒｅ　Ｈａｌｆ』
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　了