ある夏の日の深夜、いつものように飲んで帰宅した男は自分の部屋から隣の人妻の携帯に連絡した。
　予め、亭主の不在を聞いていたのである。

　RRRRRRRR・・・・・・
（はい・・・冴子ですが・・・）
（冴子、夜も遅いけど、散歩でもしよう・・・）
（え？こんな遅くに？ええ、そうね・・・いいわ）

　冴子も快くその誘いに応じ、深夜のデートをすることになった。

　二人は漆黒の闇の中、川の堤防の上を寄り添って歩いている。
　月は出ていない。
　満天の星空を眺め、二人だけの世界の中にいるような感覚に浸る。
　男は立ち止まって呟いた。

「星が・・・きれいなだな」
「ええ、そうね・・・とても、きれいね」
　夜空を見上げた冴子の横顔がどこか寂しさを感じさせた。

「冴子、好きだよ・・・」
「嬉しいわ・・・あなた」
　二人は立ち止まったまま、唇を重ねた。

「冴子・・・愛してるよ」
「私も愛してるわ・・・あなた」
「でも、報われない恋かも知れないけど・・・でも、生きている今を大切にしよう、それに互いの貴重な時間を大事にね・・・」
「・・・・・・・・ええ、」
　冴子は黙って俯いた。

　冴子にとっても、決して実らぬ恋だと察してはいたが、男の言葉が冴子の胸をグサリと突き刺した。
　男との出会いが、冴子にとっては官能的な未知の世界に導いてくれている。
　冴子自身、新しい自分を発見していた。
　男との出会いによって、こんなにも激しく官能的で、しかも刺激がこんなにも自然な形で快感として受け止められるとは考えてもいなかったことであった。
　冴子にとって、一人の女として生きていること、そして次第に男に磨かれ、輝きを増していくことが、幸せを感じていた。

　冴子としても、輝いていられる時間はこれから多くは望めない。
　だとすると、今の切なさも耐えられると感じていた。
　冴子が人妻としてではなく、女として恋をしていること、人を愛することがこんなにも心ときめくことだったことを知ったのである。

（私もまだ、一人の女として生きられる・・・人を愛することができるのね・・・）
　冴子は心からこの出会いを大切にしたいと考えていた。

　いつしか、二人は堤防の草むらに腰を降ろしている。
　男の腕は冴子の肩にさり気なく置かれ、冴子は男の腰に腕を回していた。
　冴子は男の肩にもたれかかりながら、星空を眺めていた。
　二人だけの世界が静かに時を刻んでいく。

　男はそっと再び、唇を重ねた。
　冴子はロマンチックな気持ちのまま、唇を委ねていった。

　二人はその場で仰向けになり、星を眺めながら静かなときを過ごしていた。
　男は冴子の体を引き寄せた。
　冴子は男の腕の中で抱かれながら言った。

「静かね・・・」
「ああ・・・」
「もうそろそろ帰らないと・・・」
「そうだね・・」
　互いに、いつまでも同じ時間の流れの中に身を任せていたかった。

　相手を束縛しないことが二人の間で暗黙の了解事項であった。
　冴子にはご亭主がいることが男の気持ちを自制させていた。

　また、冴子は男の抑制の効いた関係が心地いいものと感じていた。
　大人として、申し分のない理性の持ち主であること、そして自分の知らない官能の世界を教えてくれていること。
　その二面性が心ときめく思いで、心待ちしていることが女としての幸せだと感じていた。

（これが、女として生きている実感なのね・・・）
　冴子は今の関係がいつまで続くのかなど、どうでもいいことだと思っていた。

（今の時間を大切にして生きていきたい・・それだけでいい・・・それ以上は望んではいけないんだわ・・・）
　そして、この人との関係は決して誰にも知られないようにしなくてはならない。
　既婚の冴子にとっては、辛いことだった。

（出会うのが遅かっただけね・・・・・・）
　心の奥底から込み上げるものが、冴子の目に光るものを浮かび上がらせていた。
　夜空を見上げた頬に一筋の涙が零れ落ちた。
　その時、夜空に瞬く星の一つが流れて消えた。