十八　合体

　それにしても高校時代に母の下着でマスターベーションしたのを両親が知っていたとは。大学に入ると俺は祖母の家に居候していた。祖母が体調を崩し入院したが長引きそうなので、賄い付きのアパートに移ることになり、引っ越しの手伝いに母が来て一晩泊まった。中学のとき覗いた光景が俺の頭に蘇ったが、母の明るさで何事もなく済んだ。その夜、急用で一緒に来られなくなった父から何度も電話があった訳が、いま分かった。

　私が杏子にも自由に会えるようになって三月が過ぎ、「ビデコミ」のやり取りも順調に進んでいる。
「私ここでは家政婦ね」
　文子が言った。他の二人が家事などやる訳がなく、別荘での少ない自分の時間、文子はいつも家事に追われていた。今も夕食の準備が出来るとすぐに消えなければならない。
「悪いなー」
「いいのよ、ちょっと愚痴ってみたかっただけ。はい、出来ました」
　文子にもここでの自分が自分でなくなる間の重要さが確かな手応えとしてあった。それは抜け落ちた過去の記憶を探し出すことであり、他のふたりとそれぞれの記憶を共有することなのだ。それは、蘭子や杏子にとっても重要なことであった。
「すみませんけど風呂のお湯見てきて下さいな」
「はいよ」
　風呂の湯を止め食堂に戻れば、もう蘭子が待っているはずだ。しかし、文子のままの妻が男に後ろから身動き出来ないように抱かれ、口を塞がれていた。男は頭からストッキングを被っている。私は身構えながらこの状況を打開する手段を考えた。
「相手は一人だ、凶器も持っていない。何とかなるかもしれない」
　文子の目が必死に何かを訴えている。その視線が私から外れた。私は「はっ」として後ろを向こうとしたが、突然目の前がぐらついた。なぜか、傾いだ床が目の前にあり、その上に汚れた運動靴と木刀の先が見える。その図が意識とともにぼやけていく。
「一人じゃなかった……」

　視界に下半身剥き出しで抵抗している妻が段々に見えてくる。
「やめろ！」
　叫ぼうとしたが声が出ない。猿ぐつわをされている。
　飛び掛かろうとしたが動けない、椅子に縛り付けられていた。
　頭が割れるように痛い。
「散々色目を使いやがって、男が欲しかったんだろうが」
　妻の顎をつかみ、怒鳴り散らす男に、妻を押さえているもう一人の男が言った。
「いいから早くやっちゃえ。そうすりゃ、年増女は思いどおりだ」
「あー、オモチャなんかじゃねー本物をたっぷり味あわしてやるぜ」
　私の怒りと絶望が、椅子をがたつかせる。
「気が付いたかい、役立たず。心配すんなって、おとなしくそこで見てな。俺っち“強い男”が欲求不満の奥さまをたっぷりと満足させてやっからよ。もういいって言うほどにな」
　十分に気を付けていたつもりだったが覗かれていたのだ。男がズボンのベルトを外しながら満足そうに言った。
「思ったとおりだ、いいカラダしてるぜ」

「ソーニャ、ソーニャ」
　抵抗をやめた妻の口が動いた。
「なんだとー」
「ヂ……、………」
「気がフレたのかよ、こいつァー」
「おいおい、気絶しちゃったぜ。ちょうどいいや」
　男が妻の股間に顔を近づけ言った。
「気が付いた時ゃ天国にいるよ、奥さん」
　口の部分のストッキングを破り、そこから舌を出した男が後ろにすっ飛んだ。顔を杏子に思いっ切り蹴られたのだ。杏子を押さえていた男も悲鳴を揚げる。
「ぎゃー」
　男は杏子の頭を振り払うと自分の二の腕を押さえた。血が噴き出している。杏子の口からも血がしたたり落ちた。
「このアマ！」
　大乱闘が始まった。杏子は奮闘したが男二人が相手では勝ち目がない。一人に羽交い締めされ、もう一人に腹を二回蹴られると崩れ落ちた。
「てこずらせやがって」
　無抵抗になった妻が上半身の服も乱暴に剥ぎ取られている。
「もういい、それ以上やったら殺される」
　私はしゃべれない口で妻に言う。男たちには殺気があった。妻の口から弱々しい声が漏れる。
「ソーニャ、ソーニャ」
　男たちにまた緊張が走り、妻の両手両足を強く押さえたが、杏子は一度出ると、しばらくは出られない。絶望感が私の目を強く閉じさせた。幾つかの場面が浮かんでくる。
　　山小屋で犯される妻。
　　地下室で嬲られる民子。
　　建之介が納戸の隙間から見た母。
　私は今から目の前で繰り広げられる光景に耐えられるだろうか。久しぶりの男に蘭子は私の前でどのように振る舞うのだろう。それはいい、どんな蘭子になっても受け入れよう。それよりも別の恐怖が私を襲っている。それは三人を一人の人間にするこれまでの努力がすべて無に帰すという事態だ。
「ニャーゴ」
　猫の声が男たちの情けない悲鳴に重なって聞こえた。押さえ付けられているはずの妻はテーブルの上にいて猫になっていた、なり切っている。ピンと上に伸びた尻尾が見えるようだ。尻餅をついている男たちに熟れた秘部を見せ付けている。振り返った顔を見ると、私でさえゾッとした。少し寄り目になった目はつり上がり、血の付いた唇を舌舐めずりした。
「来ーて」
　語尾の上がるアクセントはサカリのついた猫の鳴き声だ。
「化け物だー」
　男たちは下半身裸のままで外へ飛び出して行った。妻は私の縄を解きながら言った。
「本当に役立たず」
　恐る恐る見た妻の目はあの悪戯っぽい蘭子の目に戻っていた。
「あいつらにやられて悦ぶと思ったんだろ。おあいにく様、あたいだって男を選ぶんだよ」
　男たちが気を取り直して引き返すかもしれない。ズボンやらの忘れ物もある。急いで警察に電話を入れた。犯人は地元の漁師くずれで、すぐに捕まった。

　そんな事件もあったが私たちのコミュニケーションは深まっていった。私と三人の間はもちろん、一番問題であった文子と蘭子も今では相手の存在を肯定的に認めようとしていた。蘭子自身も下品でささくれ立った感じがなくなり、以前のように瑞々しい女らしさを取り戻していて、文子と重なり合う部分が多くなっている。また、杏子の影響だろうか、ひねくれたところがなくなり、相手のことを思うゆとりも出てきたみたいだ。最近では私の願いだったヌード写真も撮らせてくれた。しかし、私は苛立っている。

　お互いの境界が以前よりはっきりしてきた。前は他人事のようにではあったが、お互いを意識出来た文子と蘭子の間は、杏子との間のように、記憶喪失としてしか感じられなくなっていた。最近は、杏子も蘭子が受ける精神的、肉体的なストレスを感じる出来事がなくなっていて、合体するどころか益々三人が離ればなれになってしまいそうだ。私は文子と蘭子の前では出せない焦りと苛立ちを杏子にぶつけた。
「心に望み起こらば困窮したる時を思いおこすべしだ。あのひどかった昔を思ってみろ」
「急いては事をし損じる。焦るな、お日様は見れば見るほど止まっているようだけれども、間違いなく明日に向かって進んでいるんだよ。楽観、楽観」
　杏子は優しく私の不安を包んでくれた。
　しかし、文子も蘭子も私に訴えた。
「このままの状態がずっと続くんじゃないのかしら」
「もう治らないよ」
　文子は言った。
「私を杏子っていう人に会わせて。状況が変わるかもしれない」
　杏子はまだ文子に会おうとしていなかったので、文子は蘭子と杏子とのやり取りの様子を間接的に私から聞くだけだった。私は杏子に談判した。
「そうだな、時期が来たのかも知れん。ビデオのスイッチを入れな」
　私の手を引くと、いぶかる私にささやいた。
「あいつらに見せ付けてやろうぜ」
　意識するビデオカメラを杏子はたちまち忘れさせてくれた。彼女はいつものように上に乗らずに私の横に並ぶと、耳元でまたささやく。
「蘭チャンは荒々しい男がいいんだろ。雄チャンもケダモノになるんだ」
　私と杏子は慣れない正反対の役に悪戦苦闘している。私は強い男の役に、杏子は受け身の女に。

　私は蘭子の前にグラスを置き、赤ワインを注いだ。蘭子は最近、自分からアルコールを遠ざけていた。
「いいの？」
「ああ」
　自分のグラスにもワインを注ぐとビデオのスイッチを入れた。いつものような杏子からの「ビデコミ」だと思っていた蘭子はグラスを落とさんばかりに驚いた。
「出来るじゃん！」
　私が、蘭子の失神していた間の杏子との話をすると、蘭子は巻き戻してもう一度見た。二人の目が合う。見つめ合ったまま、二人はグラスのワインを飲み干し、裸になった。
　蘭子は杏子を真似る、必死に真似る。
　しばらくしてゆっくりと顔を上げた蘭子の目には落胆と憐れみの濃い色があった。彼女は正座すると黙って服を着始める。
　屈辱感がはじめて感じる怒りを私の中で爆発させた。蘭子に襲いかかる。彼女は必死で抵抗したが、私は構わず服を剥がした。布が破ける音が私をけしかける。
　声のトーンが変わってきた。蘭子と目が合う。挑発的なその目とにらみ合っていると、杏子の愛撫で体中の血が意志を持って中心に集まるあの感覚が、私に雄叫びを揚げさせ、蘭子の両の足を乱暴に拡げさせる。次の瞬間、蘭子が私を包む動きに目眩がした。何もかもとろけさすようなこの動きに頭（かしら）は狂わされたのだ。
　遠い記憶の彼方に残る初々しい新婚時代の文子とはまったく違い、もちろん杏子とも違った。杏子のそれは素晴らしいものだったが、男に反応するというよりも、男が女を悦ばせるように接した。
　私は暫し蘭子の悦びがそのまま伝わるような動きを堪能した。肌はつきたての餅のようにまとわりついてくる。つい、優しく愛撫しようとすると、頭の中で杏子の声が叱る。
「駄目だ！　荒々しくだ。犯せ、攻めろ！」
　頭が妻を犯す光景が生々しく蘇ってきた。蘭子の声が家中の空気を振動させている。

　文子はセックスの証拠が自分の体に残っているのにすぐ気が付いた。私が正直に話すと、文子は泣いて私の胸を叩く。そしてキッと見上げて言った。
「見せて、見せてよ！　杏子っていう人にも会わせて」
　文子は杏子への「ビデコミ」を撮った。蘭子は私とのセックスを文子に見せることを上機嫌で承諾した。どうしても対抗心が出てしまうようだ。私は心配だった。この前は勢いでああなってしまったが、文子の視線を意識して出来るだろうか。しかしその心配は杞憂だった。
　寝室にビデオカメラをセットして、蘭子を呼び出すと、格子戸から見たあの光景がどす黒い嫉妬と共に鮮烈に蘇ってきた。私は三面鏡を開き蘭子を跪かせた。見上げる蘭子と目が合う。私は意識しまいしまいとすればするほど頭を真似てしまう。蘭子の挑むような目が、彼女も頭のことを思い出していることを告げ、嫉妬が私を益々乱暴にさせた。

　文子は杏子からの「ビデコミ」を見ている。
「あやちゃん。あんたはあたしが思っていたとおりの人だったよ」
　お世辞の苦手な杏子の最高のほめ言葉だった。そして文子と蘭子が記憶にない時に杏子がしたことを隠さずに話した。
　　中学時代、父母を懲らしめ犯したことを。
　　高校時代、意地の悪い級友たちを懲らしめ犯したことを。
　　大学時代、輪姦しようとした男たちを懲らしめ犯したことを。
　　頭とのこと、
　　私とのことを。
　文子は何度も耳を塞ぎ、部屋から逃げ出そうとしたが、耐えて最後まで聞いた。取り乱すことを私は覚悟していたが、聞き終わったあとの文子は静かだった。遠くを見ているような表情は驚き、恐れよりも、記憶の空白部分が埋められた安堵感を表している。

　杏子とのそして蘭子とのセックスを今、文子は見ている。私は途中から部屋を追い出された。しばらくして、呼ばれた私が恐る恐る部屋に入ると、文子はベットに寝ていた。
「抱いて」
　布団の中で文子は裸だった。
「優しくしてね」
　新妻のように体を硬くしている。
「私、あの人たちみたいなこと出来ないけど嫌いにならないでね」
　私はこの一週間だけでも杏子と一回、蘭子と二回、そして今、文子とだ。もうすぐ五十四歳になる。この先どうなるのだろう。私は有頂天になり、贅沢な心配をしていた。
「何なの、私どうなるの！　いや、いや、あなた、離さないで」
　文子は私の背中に回していた手に驚くほどの力を入れた。
「こけしじゃなく、俺とのセックスで文子が快感に襲われている！　よーし、文子に本当の絶頂を経験させてやるんだ」
　私は腰の動きに集中した。
「あー、何するのよ！　いや、いや、来ないで！　苦しい、助けてー」
　妻は叫びながら気を失ってしまった。
「今のは確か蘭子の声だったな」
　そう思った瞬間、強烈な痛みに襲われた。
「千切れる！」
　抜こうと腰を引く。
「うわ！」
　思わず悲鳴を揚げた。妻の膣が万力のように強烈に締め上げてきた。
「おい、おい！」
　激痛をこらえ、妻の体を揺すったが意識は戻らない。
「膣ケイレン」
　このままの状態で担架に載せられる哀れな姿が浮かんだ、何とかせねば。
「ソーニャ！　ヂヤーヴァル！　蘭子！　杏子！」

　時間だけが刻々と過ぎていき、痛みが痺れに変わってきた。止血した時は三十分に一度はゆるめて血液を流さなければ細胞が死んでしまうと、軍隊で教えられた。助けが来るまでの時間を計算に入れるともう限界だ。覚悟を決め電話のところに行こうとしたが、気を失った妻が重たくて動けない。妻の頬を平手で叩く。何の反応も示さない。みぞおちを思いっ切り拳の尻で叩いた。
「文子、協力しろよ！」
　その瞬間、弾き出された。しなびた茄子を必死に叩く。
「うーん、苦しい。何すんのよ、もー」
　蘭子だ。
「ご免、痛かったかい。でも助かったよ」
「あやちゃん、お姉ちゃん、勝手に動き回らないでよ。突然入って来てさ！」
　いつのころからか蘭子は文子を「あやちゃん」、杏子を「お姉ちゃん」と呼んでいた。
　私は思わず部屋の中を見回した。
「……何、言ってるんだ」
「さっき、突然私が呼び出されると、二人が強引に入って来たのよ、私の中に」
「中にって、……体の中にか？　どこから？」
「分かんない。でも苦しいし、息は出来ないし、必死で止めようとしたんだけど駄目だった。死ぬかと思ったわ」
「今も二人が体の中にいるのか？」
「いるわよ」
　妻は腹、胸、頭、次々と手で押さえた。
「どこか分らない、でもいる。『出して、助けてー』って言ってる」
「誰が？」
「あやちゃん」
「杏子は」
「胡座かいて、腕組んでにらんでる。ウー、吐きそう。もー、いやッ！」

　私はこの時、妻の一時的な混乱と思ったが、これ以後、妻が臨終を迎える時まで文子と杏子に直接会うことはなかった。もし、妻の状態が良くなるのなら、文子が二人を包み込む形であり、それはこれまでのように徐々に進行する、そう思っていた。
　しかし、蘭子が二人を一瞬の間に飲み込んでしまった。思ってもみない展開だったが、以前、文子から聞いた事が思い出された。中学生の文子が父との秘密を母に見つかったとき、蘭子に吸い込まれたことだ。
　妻が心配だった。ひどい混乱状態が続いている。蘭子は日常生活の中にいるのが不安でたまらないようだ。
「何であたしがこんな目に遭わなければならないのよ」
　蘭子自身も自分の精神が正常に戻る時、自分は消える運命にあると思っていた。それはそれでしょうがない。それまでの間を楽しもうと思っていた。

　杏子は何も言わなかったがこうなる展開を知っていたような気がする。最後のビデオを撮った時、二人に見せ付けるためにと言ったが、あれは私が蘭子と、そして文子とセックスが出来ることを願っての最後の贈り物だったに違いない。いつもさばさばと消えていたが、あの時は、実に寂しそうな顔をしてから消えた。
　何といっても文子がいなくなったのが応えた。突然、妻に先立たれた夫は、こんな焦燥感を味わっているのだと思った。
「あやちゃんが残ったほうが良かったと思ってるんでしょ」
「そうだなー、文子があんたらの良いところを取り入れると思っていた」
「そうよねー。……そうなれば良かったのに」
　妻は肩を落とし深いため息をついたが、すぐに大きな声を出した。
「他人事だと思って簡単に言わないでよ！」
「お姉ちゃん、助けてよー」