七　参加

　俺は三月二九日のスライドショーを見ている。
　ガラガラと格子戸の開く音がする。映像はこれまでと違い間隔が一定で、定位置からの撮影だった。三脚を使い自動シャッターで撮ったのだろう。
　母はもう、男のようなあの女に変身・と思う。だから、不能というものは想像するしかないが、文面からは父の喜びがひしひしと伝わってきた。画面を見て笑った自分を詫びた。
　しかし、“欲望”という鬼は貪欲である。満たされると、はじめの感激は薄れ、慣らされ、やがて一段上を欲する。「六月二一日」のフォルダを開いた。

　もう始まっている。母の声が快楽の階段を上っている。
　格子戸が開く。
　嬌声が沈黙に代わる。
　母の表情は目を見開いたままで止まっている。
　止まっていた男が動き出す。
　必死の抵抗は山小屋での情景を思い浮かばせた。
　母が男の顔から父の顔へ視線を移す。
　そして、ゆっくりと顔を背ける。
　両手で押さえていた口から大きな声が漏れると、母は失神した。
「あんたたち、いったい何をしたんだい。容赦しないよ」
　杏子は今までにない荒々しさで二人を責めるとすぐに消えた。母は目覚めてもそのままの格好で動かない。父と男はすごすごと部屋を出て行った。
　父たちはまたひとつ越えてはならない一線を越えてしまった。テキストを読む。

　私はその後、文子の知らないだろう杏子と何回か浮気をした。そのためには男の協力が必要だ。そして私が男になるには、杏子の力が必要だった。文子を含め他の女では依然として駄目だった。杏子は相変わらず乱暴で礼儀知らずだったが、私は満足していた。
　しばらくすると、私が見ているとも知らずに、益々淫らになっていく妻に新たな欲望が湧いた。失神する前に私が現れたら、妻はどう振る舞うだろうか。ぜひ見てみたい。
　私は男に妻が失神する前に出たいと言った。男はもちろん反対した。私たち夫婦、家庭すべてが崩壊すると。私は強引に押し切った。
「俺が全責任を持つ」

　妻はすでに快楽に溺れている。私はカメラの自動スイッチをオンにすると格子戸を開けた。妻は固まった。男は私の目を見て、言葉ではなく目で確認する。
「本当にいいんですね」
　私の目が頷く。腰がゆっくりと動き出した。妻が信じられないという顔で男を見る。そして激しく抵抗した。男が何回か助けを求めるように私を見る。もう少し長く抵抗が続いたら、私は計画を中止したろう。やがて、黙って見ている私に妻は視線を移した。
「そうなの」
　妻の目が言い、抵抗は止まり、男が再び動き出すと、私の胃はキリキリと痛んだ。目を閉じ、されるがままの妻に何の反応もない。しかし、私の目を意識した妻の快楽は必死で隠れ場所を探している。そして失神の中に逃れた。
　杏子は荒れ狂った。

　私は叱られるのが分かっていて、恐る恐る家に帰ってくる子供みたいに、用のない外出から帰った。待ち構えていたように文子が出てきて、真剣な顔で私を見る。
　私は覚悟し、構えた。
「純一のことですけど、明日、学校で三者面談があります」
「純一……、さん……しゃ、めんだん？」
　混乱した頭が親としての自分を必死で探し回っている。
「先日、お見せしましたでしょう。学校からの通知」
「息子の大事な進学のことに対して無責任ですね」と言う響きがあった。
「ああ……」
　思い出した。受験を希望する高校について、親子で話し合ってから面接に来て欲しいという内容だった。
「どう致しましょう」
　私は息子の希望校に不満を持っていて、息子が希望するよりも一段上の高校、この地域のトップ校を望んでいた。三年生になって勉強にも熱が入り、成績も上がっている。このまま、がんばれば十分に可能だと見ていた。

　文子は催促するように聞いた。
「純一の希望どおりでよろしいですか」
「ああ、純一の考えも分かるが、もう少しあいつも積極性を出して……」
　と反対意見を言おうとしたが、頭の切り替えが完全に出来ていない。「ああ」で言葉が止まってしまった。文子はその「ああ」を「Yes」と採った。
「本当ですか、いいんですね。ありがとうございます。ああ、良かった」
　文子の表情がぱっと明るくなり、軽くなった肩がスキップするように奥に消える。文子は息子の味方だ。教育には熱心だったが、いわゆる教育ママではなかった。
　私はそこに座り込んでしまった。本当に目眩がしたからだ。
「なんなんだ、これは」
　私は一人残され打ちのめされていた。さっきの寝室でのことに対して予想していた、どんな非難、怒り、蔑みの言葉よりこたえた。それなら私にも十分反撃が出来る。この一年間の恨み辛みがぶちまけられる。私は第一ラウンドのゴングと同時に、ダウンしＫＯされていた。こちらは一発のパンチも出していない。
　杏子のことを知らない、覚えていない。それはあり得る。しかし、あの時の私を見た表情、失神から覚めた時の態度、知らないとは言わせない。だが、リターンマッチは先送りだ。とても勝ち目はない。

七月十七日
　誰もいない寝室に母と男が入ってくる。
　少し遅れて父が入って来たが、母と男の行為は止まらない。
　母は以前みたいに大きな声を揚げない。
　男も喋らない。
　父も全く喋らない。
　ベットのきしむ音だけが聞こえる
　母のものとは思えない、荒く動物的な息づかいが部屋中に響いてきた。
　それが男の、父の、そして見ている俺の興奮を掻き立てる。
　母の視線が父の顔に向く。
「見ている、見ているのよ。どうしよう！」
　はじめての言葉を発しながら失神した。テキストファイルを開く。

　私には一つの疑問が芽生えていた。男が文子を淫乱な女に変えるのには、アルコールといくつかの手続きが必要だったはずだ。最近は違う。必死に抵抗している文子がわずかな沈黙のあとに、男を求めるあの淫乱な女に変わった。居間のテープレコーダが記録している。沈黙に重要な意味があるようだが、録音は男に内緒なので理由は聞けない。

九月七日
　次の舞台は座敷だった。座敷の真ん中に布団が敷かれていて、その周りをカメラが囲んでいる。自由なアングル、上からの映像も加わり、迫力ある場面が続く。男は以前のように荒々しく振る舞い、母を嬲り、父に対して優越感に浸っている。母も以前はあった色気、艶かしさはなくなり、快楽だけを求める下品な女になっていた。
　二人は父を辱めた。パンツ姿の父はオドオドとした姿で写っている。遠慮がちに父の手が女の肌に触れようとすると女の罵声が飛んだ。
　正座した父の両膝を枕に女が寝る。その女を男が責める。父の目の前で繰り広げられるその動きが、父の体に伝わっている。女は汚れた始末を父にさせた。
「やめろ、親父」
　俺は思わず叫んだ。父の姿はそれほどに屈辱的だった。
　父は杏子が出て来るまで耐えた。男は杏子の乱暴な責めに悲鳴を上げ果てる。
「おまえは帰れ」
　父は男の目を意識することなく杏子に甘えられた。

　テキストファイルを読む。
　この日の映像は何度消去しようとしたことか。この日、はじめて妻にカメラを見せた。ちょっと嫌な顔をしたが、拒否はしなかった。私は参加しようとした。もちろんこんな惨めな姿を晒すためではない。妻の体に触ることで、より大きな興奮が欲しかった。
　しかし、妻と男は残酷になっていた。二人は私をこれでもかと辱めた。妻は私のマゾの部分に塩を擦り込んだ。そして、これが何よりも私を一番深く傷付けた。妻は私を「雄一」と呼び、男に「あなた」と言ったのだ。杏子は男を帰したあと、私の気持ちを見抜いて言った。
「駄目だよ抜け駆けは、おまえには俺が必要なんだよ」
「俺の気持ちが分かるか！　おまえなんかに」

　フォルダの日付は一月二十八日、年が変わっていた。
　舞台は寝室に戻っている。座敷のほうが写真を撮るにはいいが、寒がりの母には無理だ。舞台は変わったが同じような構図で始まった。俺は父の哀れな姿を見る気にならず、フォルダを閉じようとしたが何かが違う。葉巻を置くと画面に集中した。
　四つん這いにされた母は男にうしろから責められているが、視線は父だけに向いている。いや、父を求めている。
「来てー」
　父が参加した！
　獣の形で男と繋がったままの母が父と抱き合う。父は母の顔を優しく撫ぜキスをした。母の手が父の背中に回る。母を何とか自分に引き戻そうとしている男の焦りが伝わって来る。
　母の体を知り尽くした男の動きに、母の爪が父の肩に食い込む。肉体を貫く快感に戦くように震える妻を父の腕が受け止め、悲鳴にも似た喜びの声を父の口が飲み込む。父と母は、男が無きがごとく愛し合っている。母は父のすることのすべてを受け入れ、自分のすべてを父に投げ出している。ただの一点を除いて、母を間に挟んだ父と男の立場は完全に逆転していた。
　母が失神するまでの少しの間、あの好色で陰湿な女が現れると、あの男と協力して父を激しく責めたが、すぐに杏子が助けに来た。杏子は男に何もしてやらずに追い返した。

　テキストは語る。
　私は杏子の前で自分を全てさらけ出して、自然に振る舞えるようになっていた。駄々っ子にも、やんちゃ坊主にも、泣き虫にもなれた。そんな私を杏子も気に入っているようだ。私と杏子には強い連帯感が生まれていた。妻は私に耐え難い屈辱を与えたが、信じられない喜びも与えてくれた。