第三話

　月曜日。
　俊作が早く退けた仕事の帰りに軽く一杯ひっかけて家に帰ると既に夕食の準備は整い、咲子と翼はおやじの帰りも待たず夕食に箸をつけていた。

「今日は早いって言ってたのにどうしたのよ。」
「いやーすまん。ちょっと軽く一杯ひっかけてね。」
「もう、いい加減にしてよ、家計が苦しいのに。」
「いいじゃないか、ごくたまになんだから。」
「それより翼、サッカースクールは楽しいか。」
「うん。」
「おう、そうか。それはよかった。」

　苦しい家計なら何も金のかかるサッカースクールに翼をやることはない。
　サッカーなんて近所のガキども集めてどこでだってできるじゃないか。
　南米に行ってみろ。みんなストリートサッカーやってるんだ。
　もっとも日本でそんなことやったら車に轢かれてぺっしゃんこだろうけどな。
　そうは思いながらも俊作にはなにか腹底から込み上げるような楽しみがあった。

「あなた。最近なにかいいことでもあったの。」
「どうして。」
「なんだか顔がニヤけてるんだけど。まさか浮気してないでしょうね。」
　俊作はハッとして顔をこわばらせた。
「何を言ってるんだよ。毎日まっすぐ帰ってくるのに。」
　翼が上目遣いに俊作と咲子を見比べている。
　俊作はごはんをがつがつと掻き込んでお茶で流し込んだ。

　バギーも目に付かないところに隠したほうがよさそうだ。
　これ以上おれの密かな楽しみに踏み込んで来られてはたまらない。
　夕食が済むと俊作は、咲子と翼が入浴している間にラジコンを物置に片付けた。

　ところで、生田のやつ、作業は捗っているんだろうか。
　俊作は今のうちに携帯で確認してみたくなった。
「トゥルルルルゥ。もしもし、おれだ。例のものは出来てるか。」
「ああ。カメラと映像を受信するモニタの準備はできた。」
「そうか。」
「あとはバギーに取り付ける金具だけだが。」
「それで。」
「実物がないと作れないんだよ。」
「わかった。今晩、庭にバギーを出しとくから取りに来てくれないか。」
「よし。」
　とその時、翼が風呂から上がってきたので俊作は慌てて携帯を切った。

　夫婦の性生活が無くなって以来、咲子は返って隣のベッドで寝ている俊作の様子が手にとるように分かるようになった。
　咲子がセックスを拒み出した当初は、いつ挑みかかってくるか分からぬ俊作の一挙手一投足に神経が高ぶって寝付けない日もあったが、最近では勘が冴えて、その心配が無いことがすぐ分かるようになった。
　しかしこの夜、咲子は俊作の様子がいつもと違うのに気づいていた。

　夜中の１時、俊作はベッドを抜け出すと、トイレに立った。
　物音で目が覚めた咲子は壁掛けの時計を見遣った。

　５分１０分経っても俊作はなかなか戻ってこない。
　少し心配になってトイレを見に行ってみると空だった。
　一体何をやってるの。
　でも、まあ、パジャマ姿で遠くへ行くはずもないか。
　そう思いなおして咲子はベッドにもぐりこんだ。

　３０分後ようやく俊作は寝室に戻ったが、咲子は寝たふりをしていた。
　しかし、ここで問い詰めると興奮して襲いかかってくるかも知れない。
　ここはやり過ごしてまた後日問い詰めてやろうと咲子は考えて眠りに就いた。


第四話

「あー。ぼくのバギーがなーい。」
　水曜日、翼が学校から帰るといきなり騒ぎ出した。
「どうしたのよ。」
「ぼくのバギーがどこにもないんだよ。」
「あれにはもう飽きちゃったんじゃないの。」
「違うよ。まだちょっとしか遊んでないんだもん。」
「困ったわねえ。パパが帰ったらきいてみましょ。」

　咲子の脳裡に二日前の晩の出来事が咄嗟によみがえった。
　あの晩の俊作の不可解な行動ときっと関係がある、と咲子は確信していた。
「パパが帰ってきたらとっちめてやろうね。」
「パパがとったの。」
「いや、そ、そうじゃないといいけど。」
「やっぱりパパがとったんだ。」

　翼をなだめるのに咲子は夕食の手伝いをさせることにした。
「今日はオムレツだから、翼も手伝ってくれるかな。」
「うん。やる。」
「じゃーまず卵をボウルに割ってちょうだい。」
「うん。」

「あーん。殻が入っちゃった。」
「もうっ、手でいいから取り出して。手を洗ってからね。」
　しかし、俊作はどうしてまたラジコンなんか持ち出したんだろう。
　あんな歳になってもラジコンで遊びたいのかしら。それとも、あっちの方がずっとご無沙汰ばかりだから、性格がねじれちゃったのかもね。
　そう考えると咲子は思わず噴出しそうになった。

「ただいまー。」
「ほーら、犯人が帰ってきたわよ。」
「来たなー。」
「こらっ。泥棒。」
「いきなり何を言うんだ、翼。」
「ボクのバギーを取っただろ。」

　俊作は一瞬ドキッとしたが、そこは慌てずにうまく取り繕った。
「あっ、あれか、あれはな、じつはおれが壊しちゃったんだよ。」
「わーん。返してよー。」
「返せったって、使える部品だけ人にあげちゃったからなあ。」
「弁償してよー。」
「また今度新しいのを買ってやるから今は我慢するんだぞ。」

　咲子には夫のうそがみえみえだったが、しかし持ち出した理由は分からなかった。
　でもまあ、ラジコンくらいのことでことさら騒ぎ立てるのも嫌だわ。
　あの晩のことは咲子の胸の奥にしまっておくことにした。