第５章

「えっ？何でよ？」
　いきなり和田の声が大きくなって理保はビクリと身体を震わせた。初めて聞く類の声で、彼の裏の顔を垣間見たようで理保は不安になった。それを察したのか理保を宥めるように和田が電話をしながらゆっくりと腰を振る。理保は喘ぎ声を出さないように口をギュッと固く閉じる。時間にして数分程度の電話だったが、その前後の和田の機嫌は明らかに変わっていた。電話を切ると、和田は携帯電話をサイドテーブルに放り投げた。ゴンッという乱暴な音に理保は身体をすくませる。和田は無言で理保を犯し始めた。
「あっ！いやっ！」
　急に激しい衝撃が加わり、理保はすぐにイキそうになる。先ほどよりもずっと激しい。
「イクッ！！！」
　また理保が全身を震わせる。
「ふぅ。じゃあ、上になって」
　和田がベッドに寝そべり、固く聳え立つ彼の肉棒を支えながら理保はゆっくりと腰を下ろす。クチュッと淫靡な音を立て、理保の中へ彼のモノがくわえ込まれる。奥までズッポリと入ると和田の手が下から伸びて理保の乳首を強くつねった。
「あんっ！」
　明らかに和田は不機嫌そうだった。理保は怖くなった。こんなに不機嫌そうな彼は初めてだ。嫌な客だが、愛想だけはいつもいいのに。
（酷いことされたらどうしよう）
　和田のモノを深々とくわえ込んだこの状態では逃げることも出来ないが、この体位であればある程度は理保の要求も通るのでバックからガンガン突かれるよりはマシである。
「あんっ！あんっ！」
　リズミカルに上下に理保の身体が揺れる。すると今度は理保のバッグから携帯電話が鳴り出した。一瞬、２人の動きが止まる。
（しまった、電源切るのを忘れてた）
　理保は小さく舌打ちしてそっと和田の様子を伺った。いつもは携帯電話の電源を切るのだが、今日は彼氏との待ち合わせが気になってマナーモードにすらしていなかったのだ。さっきそれで店長の電話を受けてしまうという失敗をしたばかりなのに。和田は無表情に理保を見つめて言った。
「出なよ」
「･･･えっ、でも」
　白けた空気の中で理保は戸惑いながら、自分のバッグを見た。携帯電話はしつこく鳴り続けている。理保がグズグズしているため、和田が理保と繋がったまま身体を動かし、サイドテーブルの理保のバックの中から携帯電話を取りだして理保に放り投げた。理保は手にした携帯電話のディスプレイを見て、それが彼氏からだと知った。
（こんな時に出れないよぉ）
「ほら、出なって」
　和田の声がきつくなる。誰かに怒られるのが苦手な理保は反射的に電話に出てしまった。「もしもし？」
　彼氏の声が聞こえてくる。どうやら仕事が予定よりも早く終わりそうなので待ち合わせを早めたいということだった。理保は壁時計に再度目を走らせた。１９時ちょうどだった
『１９時半でどうかな？』
　彼氏の心なしかウキウキしたような声が聞こえてくる。彼もデートを楽しみにしてくれているように感じて理保は嬉しくなった。会社の廊下でも歩いているのだろうか、周囲は静かだ。
「えーと･･･」
　和田の相手は２０時までである。とても無理だ。かと言って、理保の退社時刻が１７時頃であることは彼も知っているため、下手な嘘はつけない。
「あのね、ちょっと残業なの。やっぱり２０時半じゃだめ？」
　もともと２０時半という待ち合わせ時刻は彼の都合で決まったものだった。彼は戸惑ったような声になる。
「いいけど、残業なんて今までなかったじゃん」
「うん、そうなんだけどね･･･」
　理保が苦しい言い訳をしようとした時だった。和田がいきなり腰を浮かして下から激しく突き始めたのだ。
「あっ！ちょっと！」
　理保は慌てた。そこですぐに電話を切ればよいものを、あまりのショッキングな出来事に理保は気が動転し、携帯電話を手にしたまま、和田の責めを受けてしまった。
「いやぁ！！！そんなに激しく･･･だめぇ！！」
　携帯電話の受話口から彼氏の慌てた声がうっすらと聞こえる。それに気づいて理保は誤って熱い物体を触ってしまった時のように咄嗟に携帯電話を放り投げた。携帯電話は和田の顔からそれほど離れていない場所に落ちた。
（あっ、電源切らないと！）
　パニックになった理保をあざ笑うように和田の突き上げが激しさを増してゆく。
「理保ちゃん、危ないじゃん。お仕置きだよ！」
「いやっ！だめっ！あっ！あっ！･･･イク！･･･イッちゃうぅ！！！」
　気が動転したまま理保は絶頂させられる。和田は理保の腕を自分の方へ引っ張り、彼女の上半身を抱え込むようにした。そしてピッタリとお互いの上体を密着させた状態で肉棒を出し入れする。
「いやっ！もうっ！止めてください！」
　携帯電話の電源を切ろうと懸命に手を伸ばすが、腕ごとがっちりと身体を抱え込まれているので理保は身動きが出来なかった。和田の体温や心臓の鼓動が直に伝わってきて気持ち悪い。
「あっ！くっ！･･･ひぐぅ！」
　なんとか声を押し殺そうとしてもどうしても性的刺激に勝てない。
「理保ちゃん、グチョグチョに濡らしてエッチだねー」
　あろうことか、和田が顔の向きを変えてすぐそばの理保の携帯電話に向かって叫んでいる。
「理保ちゃんのスケベマ○コ、気持ちよすぎだよ」
「やめてください！何してるんですか！」
　さすがの理保も半狂乱になって暴れた。が、それでも和田の責めは止まず、結局その後２回も絶頂させられてしまった。

　時間にして１０分程度だったろうか、携帯電話はまだ通話中のままだった。この間の理保の喘ぎ声やら和田の卑猥なトークやらを全部彼氏に聞かれてしまう羽目になってしまった。ようやく和田から解放され、携帯電話を手にした理保は泣きながら彼氏に弁解したが、彼氏から罵詈雑言を浴びせられた上にその場で別れ話となってしまった。電話を切ると理保は力なく立ち上がった。
「･･･ひどい」
　和田はベッドに寝そべったまま理保の様子を伺っていた。
「ごめん、理保ちゃん、悪いことしちゃったね」
　彼はたった今の非道行為がなかったかのようにいつもの愛想の良さを取り戻していた。その直前の電話で不機嫌になり、それが彼の意地の悪い行為に繋がったのは明らかでそれにしてもあまりに酷い結果となってしまった。
「理保ちゃん、すぐに電話の電源切ると思ってたんだよ」
　彼の苦しい言い訳。それならばその後電話に向かって叫び続けていたのは何だったのか。理保は和田を睨み付けた。
「今日はわたしの誕生日なんです。それで彼氏とデートの約束をしていたんです！」
　理保はいつしか声を張り上げていた。理保の店では個人情報は載せないし、誕生日企画のようなこともしないため、和田は今日が理保の誕生日だと聞いて驚いた。
「教えてくれればちゃんとお祝いしてあげたのに。プレゼントも買って･･･」
　理保は和田の言葉を聞いて逆上した。これほどの大声で他人を罵ったのは生まれて初めてだったかもしれない。
「あなたなんかにお祝いされたくありません！絶対に許しませんから！」

　その後のことはあまり覚えていない。気がついたら理保は和田のマンションから少し離れた薄暗い路地の電柱の陰で泣いていた。今日一日の辛い出来事を思い出しては泣きじゃくり、絶望した。
（もういや･･･こんな生活）
　痴漢だって、セクハラだって、デリヘルだって、自分が望んでいることではない。ただ、慣れてしまっているだけなのだ。だが、いくら慣れているとはいえ、日頃から少しずつストレスが積もり溜まっていたのだろう。理保の涙は枯れることがなかった。

　やがて肌寒さを感じ、理保はようやく立ち上がった。人に見られなくて良かった。涙を拭き、自分がどこにいるのかを確認する。こんな薄暗い人気のない場所で若い女性が１人でフラフラしているのは良くない。これ以上、酷い目に遭いたくない。その時、理保の携帯電話が鳴り出した。心臓を鷲掴みにされたように理保は固まったが、すぐにバッグに手を伸ばした。絵美からだった。
（あの人のわけないよね･･･）
　あんなに酷い思いをさせて彼が戻ってくることはありえないのだ。理保は自虐的に苦笑して電話に出る。すぐに絵美の明るい声が聞こえてきて理保はホッとした。
「ねえ、今何してるの？」
　理保はボンヤリと周囲を見回した。
「えーと、散歩中」
「散歩？何それーってあれ？そう言えば今頃は彼氏さんとデートだったかしら」
　おどけたような声。親友の彼女には今夜の予定を教えていたのだ。沈んでいた理保の気持ちが少しずつ癒されてゆく。
「いやね、そう言えばお誕生日おめでとうを言ってなかったなーと思ってさ、お邪魔とは思いつつも電話したのだ」
「うん、ありがとう。･･･あのね、彼と別れちゃったの」
「へっ？そうなの？」
「うん。だから散歩中だったり」
　少しの沈黙。絵美の気遣いが感じられる。
「･･･あのさ、いま手元にね、美味しいクッキーと新作映画ＤＶＤがあるのだよ」
「絵美ちゃん･･･」
「そうだ、誕生日ケーキを食べ損なった君に今からケーキを買ってきてあげよう。コンビニのケーキだけどね。遊びに来るかい？」
　こみ上げてくる思いが理保の華奢な肩を震わせた。絵美の言葉で暗い心の闇にうっすらと光が差したような気がした。まだそれほど遅い時間ではない。それに夕食も済ませていないのでお腹も減っている。
「うん、行く！」
　理保は涙を流しながら元気よく返事をした。せっかくの誕生日なのだ。最後くらいは幸せでありたい。

　絵美のお陰で理保は笑顔を取り戻し、その晩は楽しい時間を過ごすことができた。その日、理保は絵美の家に泊まることにした。彼氏と別れたことで絵美に慰めてもらっているうちに理保は彼女に今までにない感情を抱き始めて驚いた。それは絵美も同様のようで最初は恥ずかしさのあまりお互いに意識しないように努めていたのだが、やがて何気なく理保が絵美の頬にそっとキスをすると絵美が嬉しそうに微笑んだ。彼女とは会社の新人研修のグループで一緒になって以来の仲でまだ１年も経っていない割には長年の親友のような付き合いを重ねてきた。そんな彼女を相手に一線を越えてしまう不安もあったが、２人はやすやすと乗り越えてお互いを求め合った。理保は彼氏を失ってしまったが、それに匹敵する大切な存在を手に入れたのだった。

「理保、おはよ」
　目覚めると絵美が微笑んでいた。理保は恥ずかしそうに微笑むと同時に慌てだした。
「いけない！」
「どうしたの？」
　理保の慌てように絵美がびっくりして目を丸くする。
「だって仕事は？もうこんな時間だよ？」
　理保は時計を指さして軽いパニックになっていた。時計の針は９時半を指していた。絵美は腹を抱えて笑った。それで理保はハッと気づいた。今日は土曜日だったのだ。絵美が優しい表情で理保を見つめ、そっと抱きついてくる。
「可愛いなぁ･･･もう」
　理保も夢見心地で彼女の背中に腕を回した。

　店長に事情を話して和田の指名は今後受けないことにした。店長は明らかに不服そうだったが、最後には頷いてくれて和田に話をつけておくと約束してくれた。店側としてはトップ人気嬢に辞められては困るだろうし、彼は店の女の子に対してちゃんと気を遣ってくれる人だ。もしかしたらこれを機に和田を出入り禁止にする可能性もある。ここ数年間ずっと彼のいいなりになってきた店側も女の子達と同様、彼に対してストレスを溜めているのは間違いない。
（わたしがデリヘルで働いていると知ったら絵美ちゃんは怒るかな）
　それを打ち明ける勇気はまだないが、いつかはちゃんと話して理解してもらうつもりだ。そうしないとまたどこかで矛盾が起きて、最悪、昨夜のような悲劇を繰り返すことになってしまう。
「理保、行くよ！」
「うん、ちょっと待って！」
　絵美というかけがえのない存在を得て、沈みがちだった理保の人生が輝きを取り戻そうとしている。確かな幸せの予感がする。そんな心地よい変化を肌で感じながら、理保は絵美の背中を優しく見つめたのだった。