| 良妻賢母は二度ベッドインする 保留守人 作 |
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| プロローグ． ――ふっくらとした白い頬。 大きな瞳は目尻がわずかに下がっていて、年齢を超えた可愛らしさを醸し出していた。 穿った言い方をすれば男好きのする顔立ちと言えなくもない。 だが、子育てをしながらも女性らしさを失わなかった妻は、強い理性も持ち合せていて、決して不埒な輩を寄せ付けなかった。 そんな妻を、ひとり息子が中学生になった今でも強く愛している。 そう言うと、周囲の同僚、友人などは“信じられない”と口を揃える。 だが、妻の容姿や人柄を知る者は、もし彼女が自分の妻なら“わからなくもない”とも言った。 社交辞令と受け取ってはいるが、そう言われて夫として悪い気はしない。 何より自分は、何があっても妻のことを一生愛し続けることが出来る、……と思っていた――。 《斎藤、追い上げた！ 斎藤、追い上げた！》 世界水泳、平泳ぎの１００メートル、テレビから流れる実況アナウンサーの絶叫も頂点を極めようとしていた。 フローリングに横座りになっている妻が祈るように手を合わせ、食い入るように液晶大画面を見つめている。 時おり、横にいる夫の自分にもチラりと視線を寄こすのだが、心配そうに眉をひそめている表情は、切ないほどにいじらしい。 《世界が手招き！ 世界が呼んでる！ 世界が両腕を広げて待っているぅっ！》 勿論、自分も拳を握りしめ、生唾を飲み込んでいた。 《斎藤、前に出た！ 斎藤、抜いた！ なぁ〜んと！ 君は水上のフェラーリかっ！！》 （ん？ この実況……ウザくない？）……とは心の声。 《ああっ！ 世界新か！？ どうだぁぁぁぁあっ！！ 金メダルぅぅぅ〜っ！》 「きゃぁ〜っ！」 ３７歳の妻、絵美子が小娘のように黄色い叫び声をあげて立ち上がった。 《５９秒７７ぁっ！！ 世界記録、達っっせぇぇぇ〜っ！！ 東熊大学２年！ 奇跡の二十歳！ ここにっ、現るぅ〜っ！！！》 「やったね、孝太郎にぃちゃん。スゴイじゃん」と、息子、翔太も後ろのソファから興奮の渦に加わる。 「やったわね、孝太郎くん。すごい……。ね？ あなた……」 「……う…うん」 かつての愛弟子の快挙に万感胸に迫るもの感じながらも、渡辺健一は、愛する妻の喜ぶ笑顔に複雑な思いを重ねていた。 「孝太郎くん、なんだか、雲の上の人になっちゃったわね」 「そんなことないさ。アイツなら、またひょっこり遊びにくるよ」 《金メダル、おめでとうございます！》と、ほどなくして男性リポーターによるインタビューが始まる。 精悍な顔立ち。 逆三角形の若く美しい肉体。 胸板厚く小麦色の肌をした斎藤孝太郎が再び画面に登場する。 「や〜ん！ 孝太郎く〜ん！」と、絵美子はテレビ画面に向かって手を振っている。 再び手を合わせて指を折り、涙目になって彼を見つめた。 《ありがたぁっす！……フヮっ》 まだ呼吸は整わず、肩で息をしている孝太郎。 リポーターが賛辞を述べ、勝負の駆け引きなどいくつか質問したあと、最後に聞いた。 《今一番、金メダル獲得を報告したい人はどなたですか？》 《はい、中学ん時、僕を…見い出してくれた…渡辺コーチと、高校時代の３年間…生活の面倒を見て下さった…コーチの奥さん…です》 孝太郎が目頭を熱くして言葉を詰まらせながらも、テレビで自分たち夫婦のことを口にした。 それを聞いた絵美子が、 「フフッ…中学時代の１年ほどしか、あなたは指導してないのにね」と、嬉しそうにして微笑んだ。 《さて、３年後のオリンピックですが、いかかでしょうか》 《……そうっすね。勿論いい色、目指して頑張るつもりですが、とにかく一週間くらいは趣味のカメラで…人物とか風景の写真、撮りたいっす》 “趣味のカメラ”と聞いて健一はピクリと体が反応し、一気に平常心を失ってしまった。 その原因の主である妻の横顔をとっさに窺うが、絵美子は微塵にも表情を変えず、笑顔のまま画面に見入っている。 彼女は今この瞬間、何を考え、どんな事を思い出しているのだろうか。 《ハハハッ…そう言えば写真の腕前も玄人はだしらしいですね、斉藤選手……》 妻、絵美子と、かつての愛弟子、孝太郎は自分たちだけの秘密にしているつもりだろうが、孝太郎のカメラにおさめられた妻の姿を、健一は知っていた。 リポーターが続ける。 《写真のモデルにしたい人とか、いらっしゃるんですか？》 《……あっ、いや……》と、鼻をつまんで含み笑いを漏らす孝太郎。 リポーターは、顔が痛くなりそうな程の作り笑顔で孝太郎の答えを待つが、無理だと悟って締めくくる。 《とにかく、今日は本当におめでとうございます。 今後も期待しています！》 《ありがとうございました》 《以上、みごと世界記録を塗り替えました、斉藤孝太郎選手でした。 では、一旦、マイクを実況の○館さんへお返し致します》 絵美子をモデルに、孝太郎が撮影した画像データ……。 それは妻の不貞を裏付ける決定的なモノだったわけではない。 シティホテルの一室で、当時３５歳だった妻が下着のようなビキニの水着姿で、１８歳の少年が構えているであろうカメラの前で、ポーズをとっている姿だった。 愛弟子の少年と自分の妻。 孝太郎にとっては恩師の妻だ。 自分の知らなところで、ふたりに一体何があったのか。 あれ以来、どれだけ思い悩んだことだろう。 いろいろ考えたが、絵美子が、 “それ以上は何もなかった”とさえ、言ってくれればそれでいい。 いや、そう言ってくれると、信じてはいる。 だからこそ精神衛生上にも、早くハッキリさせたほうがいいに決まっていた。 だが、どういう風に妻にアプローチすればいいものかと、この１年半近くもの間、ずっと考え続けてきたのだ。 ただ、その写真カットの中には、健一の信念を揺るがすのに十分な“きわどい演出”のものが………… ……つづく |
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| 2015年11月7日掲載 |
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