良妻賢母は二度ベッドインする
保留守人 作
１．

　――――斎藤孝太郎は健一が”発掘”した逸材。
　その彼を妻と息子に引き合わせたのは今から４年半ほど前、孝太郎が中学を卒業する直前のことだった。

　大手製薬会社からＩＴ企業にヘッドハンティングされた健一は、かつて、自身も出資している無名のスイミングクラブのコーチを副業にしている時期があった。
　ある年、県内の公立中学水泳大会を視察していたとき、孝太郎の才能をいち早く見抜き、彼をクラブへ勧誘したのだ。
　
　健一指導の下、飛ぶ鳥を落とす勢いで次々と記録を更新する孝太郎。
　大手スイミングクラブや有名な水泳強豪校に目をつけられる前に、もっと大きな舞台で彼を羽ばたかせることが健一の急務だった。
　しかし、その為にはこの弱小クラブには無い、長水路での練習が不可欠になる。
　そこで健一はコネクションをフルに利用し、形式上は孝太郎がクラブに在籍したまま、日本有数の水泳強豪高校へ進学ができるよう道筋を作ったのである。

　ところが高校入学の直前、孝太郎の母親の不倫が発覚し彼の家族は離散してしまう。
　両親に見捨てられ、路頭に迷う孝太郎。
　そして最終的に健一が下した決断が、高校の３年間だけでも彼を我が家に引き取るというものだった。

　夫が突然連れてきた、一見不良っぽい孝太郎少年。
　当然、妻、絵美子が猛反対したのも無理はない。
　しかし、ケンカは強いが根は素直で従順な少年。
　当時、弱虫でいじめられっ子の小学生だった息子がすぐに孝太郎を慕うようになる。
　間もなく、不登校勝ちだった翔太の性格は見違えるように明るくなり、ひきこもりが嘘だったように学校へ行くようになった。

　結果、絵美子が彼を可愛がるようになるまでに長い時間は必要としなかった。
　高校は水泳特待で学費全額免除。
　さらに我が家には、彼を住まわすための“離れ”があったことも事態をスムーズにさせてくれた要因のひとつだった――――


　さて…………かつての愛弟子が驚愕の躍進劇で、世界記録を樹立した日本時間昨日深夜の世界水泳選手権大会。

　そしてその翌朝。
　妻が息子の中学校へ出かける為の身支度を終え、ジャケットを手に、ワンピース姿でリビングルームに姿を現したところで健一はコーヒーカップを手描きで絵付けされている瀟洒な受け皿に戻した。
　絵美子の髪をアップにしたＰＴＡルックは清楚感が漂い、気品のよさを感じさせる。

　健一は朝刊を折りたたんでテーブルの上に置き、立ち上がった。
　そして、一学期末テスト後の保護者懇談会に出かけようとしている慌ただしい妻に声をかける。
「いつも君に任せっきりですまないね、翔太のこと……」

「まぁ、今日はどうしたのかしら？　いつもはそんな事、言わないのに」
「これでも、いつも感謝しているんだよ」
「あら、そうだったの？　全然、気がつかなかったわ」
　そう言って絵美子はおどけた表情を見せ、健一のカバンを手に持った。
　出勤の為、先に家を出る健一を送り出すため、リビングから一緒に玄関まで向かう。

「それより絵美子、昨夜は随分、激しかったね」
「やだっ、翔太に聞こえるでしょ」と、押し殺した声で叫びながら、体をひねるようにして階段の上の方を不安げに覗く妻。
　大丈夫とわかってすぐに振り返ってから夫の肩を叩き、
「もうっ…」と、漏らした。

　たとえ思春期真っ只中の息子を持つ母親でも、ベッドでは全裸で夫に抱かれ、腰を振ったり乳房を揺らすこともあるだろう。
　どこの家庭でも、子供が知らない世界を夫婦は共有しているのだ。

　夫婦はヒソヒソ声で会話を続ける。
「君がさ、あんな声、出したりするの、本当に久しぶりだったから」
「だ…だって……あなたがいきなりあんなモノ、持ち出してくるんですもの」
「よく言うよ、今までに何度も試してみよって、俺、言ってたじゃん。で、興奮した？」
　夫の問いに妻がはにかむ。

「アレ、本当はさ、コンドーム被せてから使うといいらしいぜ、汚れないように」
「あら、そうなの？　ところであなた、あのあと、どうしたの？　アレ……」
「ん？　あっ、ベッドの下に置いたまま寝ちゃったんだ」
「もうっ、翔太に見つかったらどうするのよ」
「アイツが俺たちのベッドの下なんか見ることないさ。
　悪いけど、ちゃんと洗って、しまっておいてくれるかい？」
「いやん、今朝はもうそんな時間ないわよ」
「３ヶ月ぶりのエッチだった？」
「いいえ、６ヶ月ね」
「そ…そうかい。でも、今思い出してもまたアソコが元気になっちゃうな」

《ママーっ、ママってばーっ！》
　２階から息子の叫ぶ声が聞こえる。
「はーい、ちょっとまって〜」

　健一が玄関で靴ベラを手に、靴を履きながら言う。
「だってさ、ママがあんなエッチな腰の振り方をするなんてさ、俺のほうがびっくりしたよ」
「もっ……」と赤くなってうつむく妻。
　しかし、すぐ顔を上げると怖そうな声で、
「あなたまでママって呼ばないでいただけるかしら。はい、どうぞ……」と、夫にカバンを手渡す。

「ごめんごめん。ところで、今晩も、する？」
「まぁ、半年も何も無かったのに……。
　それに今日は朝から参観と懇談会、午後から三者面談よ。
　今はそんなこと考えられないわ」
「そうだったね。学校でも世界水泳の話題でもちきりになるんじゃないか？」
「フフッ…どうかしら」
「とにかく、よろしく頼むよ」
「遅くなるの？」
「う〜ん、東条厚労相の動きが読めないんだ。それによって、わからないな。
　いきなりシンガポールへ飛ぶってことになるかもしれない」
「薬事法の件ね？」
「あれ？　俺、そんなことまで君にしゃべってる？　オフレコだよ。
　あ〜あ、スイミングコーチをバイトでやってられた時代が懐かしいよ」
「フフッ……いってらっしゃい。気をつけてね」
「ああ、君もな」
「はい……」

　夫の背中を笑顔で見送る妻。
　だが、玄関を出るとすぐ、健一の表情が険しくなっていたことを妻は知らない。
　健一は妻と孝太郎に対する拭えない疑惑を胸に、無理に明るく振る舞っていたのだ。

　昨夜の“営み”においても然り、セックスに関しては慎ましかったはずの妻が、結婚生活１５年以上経た中で、かつて見たことがないほど激しく乱れていた。
　そんな妻の姿に興奮もしたが、どうして今なんだろう、と勘ぐってしまう。

　息子がまだ起きているのを承知の上での行為。
　明るい部屋でのフェラチオ、クンニリングスを伴うオーラルセックス。
　それに加えて今まで絶対拒絶していた“オモチャ”の挿入さえも許したのだ。
　それらをすべてを絵美子が受け入れた理由は何なんだ？
　空しいことに今の健一には、ひとつの考えしか思い浮かばない。

　テレビに映し出された久しぶりに見る孝太郎の若き肉体に、絵美子の感情が疼いたとしか考えられないのだ。

　駅へと向かい歩きはじめた健一は、絵美子の笑顔を脳裏に焼き付けながらも、三十半ばを過ぎた自分の妻が、詰襟学生服を着た高校生の孝太郎に抱かれている妄想を打ち消すことができないでいた。


　……「ママっ！　校章のバッジがないんだってば〜っ！」
　翔太の声に、夫を送り出した絵美子は応える。
「はいはい、今行くわー！」
　急いで階段を駆け上がり、息子の部屋に入るなり腰に手を当て、仁王立ちになって言った。

「先生の前ではママって言わないのよっ！」
「はい、はい、“お母様”。早くバッジ、探してよ〜」

「も〜っ！　そこどきなさいっ！！」
　　　　　　　　　　　　　　　　　
　絵美子には、おおよその見当がついていたようで、すぐに膝を突いて床に腹ばいになり、ベッドの下を覗き込む。

「っん、もう…しょうがない子ね……」
　ベッド下の奥に転がっていたバッジを見つけ、腰を突き上げるようにして精一杯腕を伸ばしてやっとの思いで掴み取る。

　立ち上がって、
「これぐらい、ちゃんと自分で見つけなさい！」と、ヒステリックな口調で言って、突っ立っている息子に手渡した。

　絵美子が身に着けていたのはスカートの裾がキュッとすぼまったエレガントなネイビーカラーのワンピース。
　翔太の無表情にも固まった視線に、スカートの裾が腰辺りまでたくし上がっていたことに気付く。

　反射的にクルッと背を向け、慌てて腰を左右に振りながら裾を正した母親は口調を一転、声を低くし静かに言った。

「……早く…準備しなさい」　

　　……つづく
【前】/【次】
あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。
2015年11月11日掲載
Copyright (c) 2015 保留守人 All rights reserved.
▲