１．金は払わない

「だいじょうぶだ。気を失っただけだ」
　研二は、沙希を抱き上げた。
「どうする気だ？」
　稔が研二に訊いた。
「もういいだろう？連れて帰る」
「連れて帰るって・・・お前・・・」
「いいんだ。知り合いなんだ」
「知り合い？」
　稔が怪訝そうな顔をする。
「高校の同級生だ」
「同級生？・・・ホントか？」
「本当だ」
「そうか・・・まぁ、お前がそう言うならそうなんだろう。ただ、変なことはするなよ。その子は、ちゃんと契約して来てもらってるんだから・・・」
「変なこと？・・・冗談か？じゅうぶん変なことをしたと思うが・・・」
「まぁ、なんでもありっていうことだったんでな・・・・もしかして、お前の彼女だったのか？」
「まさか・・・・。帰るよ」
「ああ」
　研二は、沙希の服とバックをごみ用のポリ袋に詰め込み、裸の沙希をそのまま抱いてマンションを出た。

「こら、裸で外に出すな」
　部屋を出て、エレベーターホールまで来たとき、沙希が口を開いた。
「やっと、気づいたか」
「とっくに気づいてたよ」
「知ってたよ。気絶のふり・・・得意だったな」
　寄ってたかって、ひどい目にあっているとき、沙希は、ときどき気絶した振りをした。それは抵抗しても適わない沙希なりの抵抗だった。
「思い出したの？」
「知ってたよ。・・・・最初に会ったときから・・・・」
「なんで黙ってたの？」
　研二は、沙希を降ろし、荷物を詰め込んだポリ袋を沙希に渡した。
「懐かしい友達が再会した訳じゃない。知らん顔のほうがいいとおもっただけさ」
　エレベーターが来て扉が開いた。幸い、誰も乗ってはいない。沙希は、裸のまま、ポリ袋を胸に抱えてエレベーターに乗り込んだ。
「なんで、ここに来た？」
「それ、前に訊いたよ」
「本当のことを言え。金じゃないだろ・・・」
「ほんとよ。お金がいるの・・・」
「お金になれば・・・なんでもするって・・・前もそう言ったな」
「そうよ。あなたはお金を払ったわ」
「そうだったな」
　研二は、黙った。沙希は、下着はつけず、スカートとジャケットだけを身につけた。
「ねぇ、訊いていい？」
「あんまり、よくない」
　研二は本気で迷惑そうな顔をしていたが、沙希は、かまわずに続けた。
「あれっきり・・・だったわね。どうして？」
「何のことだ？」
「お金で私を買った時が最後。それっきり、わたしを呼ばなくなった」
　沙希は、全てを昨日のことのようにはっきりと覚えていたが、遠い昔のことを思い出すようにぽつりぽつりと話した。
「そうだったっけ？・・・さぁ、興味がなくなったんじゃないか・・・」
「お金がなかったとか？」
「そうだろ・・・きっと、高校生だったからなぁ、そうそう金は続かないよ」
「そうなの・・・・」
　沙希は、うつむいて小さな声で言った。
　地下駐車場でエレベーターを降りると、研二は沙希を自分の車に乗せた。
「どこ、行くの？」
「ホテル」
「何よ。勝手に・・・」
　沙希は、ちょっと声を荒げた。
「金は、払わない」
「何が言いたいの？」
　研二が、何か言いかけたとき、沙希の携帯が鳴った。

２．食事に誘って

　電話は、拓也からだった。
「もしもし、俺、拓也だけど、男がいるのはわかってるから、返事だけして・・・」
「あら、そうなの、それで？」
「ここ、例のやつらが使ってるマンションだよね」
「そうみたいね」
「横にいるのは、例の彼氏だね」
　少し、緊張して沙希は訊いた。
「まぁ、そうだけど・・・・」
「別に、それはどうでもいいんだ。沙希ちゃんとは、別の件なんだ・・・」
「ふーん、で？」
「やつらが使ってるのは、８１２号室か？」
「確か・・・そうだったわ」
「さっき、かなり大勢入って行ったけど・・・・沙希ちゃんの前にひとりいなかったか？」
「いたわ」
　研二は、不審そうに沙希の顔を覗いた。
「事務所の人、ごめん、すぐだから・・・」
　沙希は、研二に訊かれてはまずいような気がして、研二にそう言って、車を降りた。

「その子、高校生だった？」
「もしかして、拉致・監禁なの？・・・犯罪？本物の高校生？」
　矢継ぎ早に沙希は、拓也に質問を浴びせた。
「たぶん。本物じゃないかな？」
「事務所の子？」
「そうじゃない・・・そういう噂だ。どんな様子だった？撮影か？」
「うん」
「沙希も出たのか？」
「ごめん」
「ごめんって・・・まぁ、それはそれ。で・・・その子は？」
「うん。なんか、相当まいってたみたい。無理やりやられてるんだったら、かわいそうに・・・なんとかしてあげてよ」
「そうもいかない。もし、拉致でも、監禁でもなかったら・・・・」
「で、どうするの？ただ、見張ってるの？」
「かわいそうだけど・・・彼女が出てくるのを待つ」
「それで？」
「出てきた彼女を説得して、被害届を出してもらう」
「ふーん、で、なんでそんなことしてるの？」
「いろいろ、恨みを買ってるみたいなんでね・・・やつら。ちょっと痛い目にあってもらうのさ」
「もしかして、裏稼業？」
「ああ、そんなところだ。元締めは、真希さん」
「ふーん、でも、真希さんなら、あり得そう」
「そうさ。で、沙希ちゃんの恨みは・・・・それは自分で返すみたいだね」
「まぁね」
「もしかして、やつらが警察沙汰になったら、彼もまずいかも・・・いいか？」
「いいも悪いも、犯罪は犯罪よ」
「そうか、そう言ってもらえるとありがたい。彼には黙っててくれよ」
「もちろん。じゃぁ」
　沙希は、電話を切って、研二の車に戻った。

「事務所にばれたのか？」
「うん。ばれた」
「で？」
「お咎めはないみたい」
「そうか」
　研二は、車を出した。駐車場の入り口近くに拓也の車が止まっていたが、シートを倒したのだろう。拓也は見えなかった。
「そうそう、さっきの話」
　思い出したように沙希が口を開いた。
「何のことだ？」
「ホテルって・・・」
「だめか？」
「違う。お金は払わないって・・・何よ」
「払わないとだめか？」
「そんなこと言ってるんじゃない」
　沙希は、思わず語気を荒げた。
「お金がなかったからじゃないんだよ」
　研二は、独り言のように話し出した。
「あの時、お金がなかったから、お前を呼び出さなかったんじゃないんだ」
　沙希は、黙って研二の言葉を待った。
「もう・・・意地を張るのはやめてくれないか・・・俺が悪かったよ」
「意地・・・・。そうだったかもしれない。わたしのことなんか、なんにも知らないくせに、お金で誰とでも寝るって・・・・だから、お金で誰とでも寝てやったのよ」
「悪かったよ」
「どうして・・・わたしから離れたの。誰とでも寝る女が汚らわしかった？」
「俺も意地だった。会えば、意地を張る。俺が意地を張れば、お前も維持を張る・・・どんどん悪くなる」
「そうだったの？」
「会わなきゃ・・・元に戻ってくれるかなって・・・」
「なんで、そんな話を・・・・」
「俺が謝るまで、ずっと。お金でなんでもする女を演じるつもりかなって・・・・」
「演じる？・・・・・違うわ」
　そう言ったきり、沙希は、黙った。
　研二が、沙希の顔を見た。
「演じてなんかない。でも、・・・・・お金でなんでもするわけじゃないわ」
　沙希は、その後の言葉は、飲み込んだ。
（あなたの望むことなら・・・なんでもするわ）

「わたし、あなたが好きだったの」
　沙希は、どう言おうか、迷ったあげく、ようやくひとことだけ呟いた。
「お金は払わない。好きな人を抱くのに、お金を払う奴はいないだろ」
「ねぇ、お腹すいたわ。好きな人を食事に誘ってくれない？」
　お互いに思うことが多すぎて、会話はでたらめだった。
　沙希は、しばらく研二の横顔を眺めていた。