１　繋がる記憶

　「どうだ？それがお前の全ての記憶だ。」

　麗子は現実を確かめるように頭を振った。

　頭の中がはっきりしていた。麗子はもう一度ゆっくりと自分の、その漆黒の記憶を思い返していた。
　
「あの子供達は・・・？」

　麗子は恐る恐る聞いた。全ての問いに、説得力のある答えがある。それを聞けば聞くほどその記憶が、自分自身の存在が、黒色を増すことは分かっている。しかし、聞かずにはいられなかった。

「信者だ。小さいときから俺の洗脳を受けている。そういう意味ではお前と同じだ。・・・一階で待機している間に飲み薬で覚醒させた。凶暴性と性欲を瞬時にマックスまで引き上げる最高にヤバイクスリだ。殆どの人間が一発で廃人になる。」

　田所は、さらりと言う。

「子供を使ったのは俺の関係性を薄くするためだ。若ければ若い程良かったが、お前を犯せるギリギリの年齢で素質のあるものを選んだ。だが・・・・・こいつだけは薬を飲んでいなかったんだ。」

　男の隣に座っていた青年がニヤリと笑った。この『隆二』こそ、妹と父親を惨殺し、麗子を陵辱し尽くしたあの少年であったのだ。

「俺は特別だったみたいだ。あのとき小六だったが、このオッサンがかなりヤバイって事は前々から気づいてた。ただ面白そうだから乗っかっただけだ。・・・・・シラフでもあの状況は結構楽しめたぜ。日常じゃゼッテー味わえない快感だからな。」

　青年は陰惨な顔つきで言った。麗子はあまりに深く暗い世界に気が遠くなりそうだった。

「お前が失神したあと、遠くで警察のサイレンを聞いた。俺は焦った。それなりの用意はしてきたが、俺が捕まっては元も子もない。俺はすぐその場から逃げた。」

　田所は後悔するように頭をさすった。

「子供達は置いていった。もしもの場合、全て、薬物によって精神異常をきたした子供達の仕業にするつもりだった。どうせ、子供達は正気には戻らない。それほどの薬を投与したのだ。俺と、お前の家と、子供達との接点も、発見されない自信があった。
　俺は家に帰り、その後も何食わぬ顔で生活を続けた。ただ、お前の状態だけが気がかりだった。予定ではあの後、俺達のところへ運び込んで薬の副作用に対する治療をするはずだったのだ。・・・・・それが、お前は警察の手に落ちた。放っておけば子供達と同じように廃人になってしまう可能性があった。しかし、さすがに俺が動き回るのは避けねばならなかった。そんなとき、こいつがひょっこり現れた。」

　田所はまた、隆二を見た。

「うぃーっす。」

　少年がご指名に手を挙げる。田所が話を続けた。

「こいつは、俺の後すぐに家から逃げ出したと言った。そのとき初めてこいつが薬を飲んでいなかったことを知った。
　俺はこいつを危険だと思った。小学六年生でありながら、まんまと俺を欺き、シラフで何の恨みもない人間をバットで殴り殺し、お前を犯していたのだからな。」

　恐ろしい少年である。どんな風に育てられたのか、見当もつかない。

「しかし、この異常さ、狡猾さ、そして胆力の強さは使えると思った。いざとなるとやはり尻込みする奴も出てきていたのだ。お前の父親にしても、土壇場になってお前への『情』を訴え始めたのだからな。」

「まあ、二〇年近く一緒に暮らしてきたのだ、気持ちは分からなくもなかったが、『そういうヤツ』は殺しておかないと、警察にしゃべる恐れがある。・・・・・まあ、それはそれとして、とにかく、胆力の強い、『俺の右腕』となる男が必要だった。俺はこの隆二を使ってみることにした。」

　隆二は得意げにニヤニヤとしている。

「俺は隆二にお前のことを調べさせた。だが、さすがに時間がかかった。何とか病院までは突き止めたが、隆二がお前の見舞いに行く建前がなかった。下手に動いて足が着いては元も子もない。
　俺は、隆二に見張りをさせてお前が退院するのを待った。しかし、何ヶ月経っても、お前は病院から出てこない。警察の出入りも少なくなってきた、事件から一年程経ったある日、俺は始めて隆二を病院の『中』に入らせた。」

　田所はため息を付くように言った。
　
「お前はもう居なかった。病院の者も、誰一人足取りを知らなかった。」

　麗子は一年間の病院生活で醜く太っていた自分の姿を思いだした。きっと彼らは、変わり果てた麗子の姿に気づかなかったのだろう。

「そこから先のお前の痕跡は全くなかった。以前働いていた保険会社にも何も連絡はなかった。
たった一人で消えた人間を捜すのは困難を極めた。しかし諦めきれない。俺の半生を費やして育ててきたのだ。苦悩の日々が続いた。」

　田所は縛られている男に目を向けた。

「この男を見かけて後を付けていたら、偶然お前を見つけたんだ。」

　縛られていたのは小林だった。

「！？」

　麗子は驚いた。今の今まで気が付かなかったが、確かにそれは、香織の幼稚園の父兄であり、西岡の子分である小林だった。その隣で山下も縛られて気を失っている。

「驚いたか？この男は昔からお前のことを知っていたんだぜ。」

　田所がクククと笑った。麗子の頭は再び混乱した。

　小林と自分との接点。それは全ての記憶を取り戻したはずの麗子にも分からなかった。

「こいつはな、事件当時お前の家に新聞を配ってたんだ。木に登って、毎日のように二階のお前の部屋を覗いてたんだよ。」

　田所は嘲るように笑った。

「あの夜、事件を見ていやがったのさ！」

　小林はぐったりとして、自分の話にも反応できないようだった。

「俺は警察が来たのがどうも腑に落ちなかった。事件のほとぼりが冷めてから調べてみて分かった。こいつが通報しやがったんだ。
　殺してやろうかと思ったが、事件も結局波風立たずに片が付いたし、ただ怒りに任せて殺すのは余計な危険を増やすだけだった。
　お前が見つからなければ、何をしても意味がない。ただ、もし見つかったら、俺は何としてもお前を拉致しなければならない。状況によってはお前の顔がテレビに流れることになるかもしれない。そのときは、事件を知っているこの男は邪魔になる。
　そのときのために、こいつの動向はある程度把握しておく必要があった。そしてその結果、あの幼稚園で、偶然お前を見つけたというわけだ。」

　田所は自分の苦悩を労うように大きくため息を付いた。

「・・・小林さんは、ずっと私を尾けていたの？・・・」

　麗子が訊いた。
　
「・・・いや、こいつに聞いた話じゃ、五、六年前にスキー場に行く新幹線の中で偶然お前を見つけて、スキー場まで尾けて行ってお前を犯したことがあると白状しやがった。」

　麗子ははっとした。

「それから色々と策略を練っていたらしいが、その後またお前は姿を消し、こいつも諦めて普通の生活に戻った。ところがあの幼稚園で再びお前に会い、一気に火がついたらしい。・・・まさか俺も、こいつがお前と関わるとは夢にも思っていなかったがな。」

　麗子はなるほどと思った。それなら、西崎のことも合点がいく。あの、初めて西崎の家へ行ったときの異常行為は、小林の情報があったからこそだったのだ。

　しかし、スキー場の男が小林だったとは思いもしなかった。麗子はスキーのことを思いだした。マサト、ヒデキ、カズヤ。大浴場で陵辱の限りを尽くされた。中学生に犯されてあれほど感じたのは、あの『殺人事件』の記憶が体の奥底にあったからかもしれない。

「お前を見つけたという知らせを聞いたときは本当に驚いたよ。正直諦め始めていたからな。九年間探し続けたんだ。
　しかし喜んでばかりもいられなかった。俺はそれからすぐに隆二に言って徹底的にお前を調べさせた。この九年間のお前の変化を。生活、精神、身体、そして性欲がどのように成長していってるのかをな。その結果、お前が俺の望んだ通りの女になっていることが分かった。実験は成功したのだ。
　九年間・・・しかも記憶を失っていながらも、プログラムされた通りの性生活を送ってきたのが何よりの証拠だ。そうだろう？・・・そうして創り上げられ、完成したのがお前なんだよ。」

２　悟り

　麗子は、拘束されて横たわったまま、黙って田所の話を聞いていた。あまりにおとなしい麗子に田所は訊いた。

「ショックか？・・・俺を責めたければ責めるがいい。何を言われても構わない。覚悟の上だ。」

　麗子は不思議な感覚に包まれていた。それは安らぎに似ていた。

『ただ不特定多数の男達の性欲処理のためだけ』に創られた自分の人生。麗子はそれに対して、怒りや悔しさではなく、安らぎと安堵感を感じていた。

「私は・・・・」

　麗子はゆっくりと口を開いた。

「私は・・・ずっと悩んでいたわ・・・自分の異常な性欲に・・・。『周りの人とは違う、周りにあわせなきゃ、普通にならなきゃ』って・・・。それはとても苦しかった。香織ができてからは尚のことだったわ。『この子のために、普通の母親にならなくちゃ』って・・・。」

　男は麗子の心の告白をじっと聞いていた。

「ずっと、ずっと自分の中の黒い欲望と闘って、その度に負けて・・・。勝てるわけなかったのね。私はそうやって創られていたんですものね・・・・・・・。正直、今安心しているわ。もう闘わなくていい。社会にあわせようとしなくていい。ここで、何も我慢しないで、この黒い欲望に身体をゆだねればいいんだ・・・って・・・。」

「・・・・・・旦那は殺すぞ。小林もな。お前の痕跡を残すわけにはいかない。」

　麗子は半分目をつぶったまま訊いた。
　
「香織は？・・・香織はどうするの？・・・」

　田所はニヤリと凶暴に微笑んだ。

「あの子はお前の後釜だ。」

　麗子は、視線を落とした。

「そう・・・仕方ないわね・・・・」
　
　自分と同じ人生を歩むなら、寧ろ幸せかもしれないと思った。