１　山下

　日暮れ時、麗子が会議室の前を通りかかると、あらかた電気の消えた部屋の中で、山下が帰り支度をしていた。

（山下さんだ・・・）

　麗子は辺りに人がいないことを確認すると、会議室へ入った。

　山下が麗子を見る。

「何？」

　低く、ボリュームのあるいい声だ。麗子は所在なさげにうろつく。
　
「山下さん・・・・ですよねぇ・・。」

　麗子はわざと甘ったれたような声を出した。
　山下は薄暗がりの中、麗子の顔を確認すると、ニヤリと笑って帰り支度の手を止めた。
　
「山崎・・・だっけ？知ってるぜ。えらいいい女が入ってきたって、社内で噂だ。」

　山下が自分を知っていることは分かっていた。ロビーや廊下で何回も目が合っている。
　
「山下さんこそ、だいぶ女遊びが激しいって、社内で噂よ。」
　
　麗子は後ろに手を組んで壁にもたれた。ボタンを開けた胸元に、谷間がくっきりと浮き出て、廊下からわずかに入る明かりに照らされている。山下は興味の視線を隠そうともしない。
　
「なんだ？俺の女になりてえのかよ？」

　山下は高飛車に言った。それが彼の、女を落とすときの手だった。
　
「女ねえ・・・。あなたが私の男になってよ。」
　
　麗子は負けじと高飛車に返した。そしてゆっくりと山下に歩み寄ると、彼の首に両手を回し、潤んだ瞳で男の目を見つめた。
　
「ほほう・・。言うねえ。」
　
　山下は一瞬揺らぐ心を制した。男と女の駆け引きでは、常に自分が上の立場でなくてはならない。しかし、この女の微笑には男を吸い込む魔力がある。

（なんていい女だ・・・）

　山下は呆れるほど艶やかな女の、とろけた目元と皮を剥いたピンクグレープフルーツのような唇を見た。
　
「硬くなってるみたいだけど？」
　
　麗子が山下の股間にやさしく手を触れる。
　
（こんなとこを見られたら、また、何言われるか分かったもんじゃない・・・）

　山下はチラリと入り口を確認する。

「お前、そうとうエロ女だな。」
　
　山下はごく自然に体を返して、入り口からの死角に入った。麗子はそれを察してニヤリとした。
　
「あなたも、そうなんでしょ？」
　
　麗子はゆっくりとしゃがみこむと、山下のズボンのジッパーを下ろした。

（おいおい・・・）

　中に手を入れてゆっくりと勃起した男根を探る。山下はそのタッチの柔らかさに感嘆した。
　何の抵抗もなく男根が導き出された。ペニスだけが、外気に晒されスースーとする。
　
「わあ・・やっぱりたくさん女を泣かせてるだけあるわね。」
　
　山下はしゃがみこんだ麗子の、細い金のネックレスで飾られた胸元を見下ろした。服の中に覗く艶めかしい身体と、香水の甘い香りが山下の脳を刺激し、男根にそれを伝える。

（しかし、いいカラダしてやがるな・・・）

　山下は表情に出さないよう細心の注意を払った。女が自分を欲しがっているのは確かだ。それに対して、自分は麗子の美しさに対する動揺を何とか隠せているはずだった。

（あとは、ここで『男』を見せれば完全に俺の勝ちだ・・・）

　麗子が、極自然に、男根を口に含んだ。

（うおおお････）

　そのソフトでありながら程よい圧力を与える麗子の唇技に山下は驚いた。

（ここまでうまい女は、初めてだ・・・）

　しかし山下は決して余裕の薄ら笑いは崩さない。

「・・・なかなかのテクだな。」

　山下は強がった。仮にも三桁の数の女達を弄んできたのだ。我慢できる自信はあった。

　麗子は何も答えず、静かに奉仕を続ける。柔らかく、自在に動く舌が、山下の男根の裏筋を巧みになぞる。凄まじい快感が山下を襲う。

「ぐっ･･･」

　思わず声が出た。麗子の『フッ』と笑う吐息を、よだれだらけの肉棒に感じたような気がした。

　麗子の口がリズミカルにピストンを始める。クッチャクッチャと、いやでも性欲を煽る小気味のいい音が会議室に静かに響く。

　自分の肉棒が螺旋を描きながら女の口を出入りする。その微妙な締め付けと生暖かい唾液、そして不特定に踊り、刺激を与える舌の感触に、山下は思いもよらぬスピードで昇りつめていた。

「うおおおっ！ああっ！」

　山下はとうとう声を上げて、己の肉棒を麗子の口から引き抜き、その猛攻から救った。

「・・・ああ・・分かった、分かった・・。『引き分け』ってことにしようぜ。」

　山下の余裕の無い顔を見て、麗子は勝利を確認した。が、そこは山下に譲った。

「そうね、エロいのはお互い様ってことで。」

　麗子はそう言って女神のように輝く笑顔を向けると、まだ興奮冷めやらない山下を尻目に、さっさと会議室を出て行った。

「とんでもねえ女だな・・・。だが、それだけの価値がある・・・。」

　山下は実質敗北を認めながらも、うれしかった。

「あんなに俺を魅了する女は、今までにいなかった・・・」

２　感傷

　付き合いが始まっても、麗子の生活は相変わらずだった。
　確かに山下のセックスは魅力的だった。が、麗子の性欲は、決して単なる性行為だけで満たされるものではない。
　以前と同じように、ところかまわず色気を振りまき、電車で痴漢に遭い、街で視姦され、自慰に耽る生活が続いた。それに対して、山下も何も言わなかった。

『所詮、麗子の性欲を抑制することはできない』と山下は悟っていた。割り切った関係であった。

　ある日の夜、麗子はいつものように視線を浴びに外に出た。マサト達とのことがあり、過去を捨ててこの地に越してきて、まだひと月である。街が変われば、男達の視線も新鮮だった。

　街を歩き回るうち、ふと、人通りの少ない路地に目が止まった。彩のない景色と、初夏の生暖かい風の匂いが、麗子の脳裏に一年前のあの夏の夜、初めて屋外で露出した商店街を思い出させた。

(そういえば･･･そんなこともあったわね・・・。)

　麗子は路地に入った。道は車が余裕を持ってすれ違えるほどの広さがあり、両脇には住宅が行儀よく並んで、ポツポツと灯りが灯っている。

　時計を見た。

（一一時・・・）

　人は歩いていない。街灯だけが閑散とした街と、コツコツとヒールを響かせる麗子だけを照らし出している。

　麗子は感傷に耽るように、ゆっくりとその静かな路地を歩いた。といっても、感傷に浸るほどの思い出は無かった。記憶はわずかな期間しかないのだから。麗子はそのわずかな記憶を辿ってみた。

　色々あったように思う。しかし、それは決して淡く美しい記憶ではなく、どす黒い欲望に蹂躙された、酒池肉林の記憶である。そしてその漆黒の欲望が、確かに未来においては暗く深い闇ではあったが、現時点では麗子の全てを支えていることも、皮肉ながら事実であった。

　住宅の並びに、小さな工場を見つけた。三階建てのその工場は、現在稼動しているのかも怪しいほど古かったが、建物の外側についている鉄の階段の天辺の三階の入り口に、小さなライトが灯っているのを見ると、誰かしら管理している人がいるようだ。建物の裏は、丘になっているようで、階段と隣の家の塀の隙間から低い街の明かりが見える。

（あの天辺って、きっといい景色なんでしょうね・・・。）

　麗子は辺りに人がいないことを確認すると、階段を昇り始めた。
『カンカン』という、ヒールが鉄の板を叩く音が心地いい。

　二階の入り口に着く。頑丈そうな鉄の扉が無造作にある。ここにはライトは無いが、天辺からの明かりで十分足元は見えた。更に昇る。

　天辺には一．五メートル四方ほどの足場があった。麗子は鉄パイプの手すりに手を掛けて裏手の景色を見た。

（いい景色・・・）

　街が全貌できた。まだ住み慣れぬ街は、麗子を歓迎するようにやさしい光を放っている。
　麗子は振り向いて、今昇ってきた階段を見下ろした。

　下から見ていたよりはるかに高さを感じる。さっき自分が立っていた場所が両脇を建物で遮られてまるで舞台のように見えた。

（今あの通りを誰かが通って、このボロ工場の古い階段の上にいる私を見たら、何をしていると思うかしら・・・）

　そう思ったとき、麗子の身体に小さな火が灯った。