２　事務所

　麗子はそれからもちょくちょく若者に抱いてもらいに行った。若者は名を北川良といった。麗子は良の持つ男のフェロモンの虜になっていた。

　ある日、麗子がいつものように現場に行くと、良が言った。
　
「事務所に来いよ・・・。」

　良はそう言うと歩き出した。麗子の胸がドクンとなったが、良の言うことには絶対服従だった。

（事務所って・・・他の人とかいるんじゃないの？・・・）

　事務所に入ると、他の仕事仲間が昼食をとっていた。扇風機が二つ、気休め程度に回ってはいたが、汗の匂いの立ちこめた、何ともいえない男臭い空気が充満している。

　事務所の中はさほど広くなく、テレビ台に向かって縦に二つくっつけられているテーブルに四人座っている。一人はまだ食事をしていたが、他の人間は食べ終わったのかテレビを見ている。
　仮眠用の布団に一人、奥のパイプ椅子に一人、それぞれが暑い真夏の仕事の、ひとときの休憩をくつろいでいる。
　皆黒く日焼けしていた。上半身裸の若者もいる。麗子が入ると、全員が怪訝そうに見た。

「おじゃましまぁす・・・」

　麗子は伏し目がちに挨拶をすると、そそくさと良に付いていった。
　白いへその出たキャミソールに、ローライズのデニムミニスカート姿の麗子は、完全に場違いだった。ミニスカートからにょっきりと伸びた生脚に、男達の遠慮のない視線を感じる。
　良は台所に用意された食事をとってくると、テレビが正面に見える席に座った。どうやら良の特等席らしい。

（どんな顔してていいのか、わかんないわよ・・・）

　麗子は所在なさげにモジモジしていた。
　
「俺がメシ食い終わるまで、そこでオナニーしてよ。」

　良はテレビの前を指してさらりと言った。

「！」

　事務所内の空気が一瞬にして変わったのを感じる。周りの人間が良を見、麗子を見る。
　良はなに食わぬ顔で食事を始めている。

（ここで･･･この人たちの前で・・・）

　麗子に迷うことなど無かった。良の言うことに逆らう気はない。

（私は・・・あなたのオモチャです・・・）

　常識に縛られた自尊心を、良によって徹底的に砕かれることに、麗子は例えようのない悦びと解放を感じていた。

　麗子は膨らむ期待を胸に、おずおずとテーブルへ向かった。
　
「失礼します・・・。」

　透明なヒールのサンダルのまま、所々黄ばんだ白いテーブルに上がる。

　心臓の鼓動が見る見るうちに高まる。男達が黙って見つめる中、キャミソールとスカートを脱いでいく。

（ああ・・・恥ずかしい・・・）

　全員が見ている。麗子はそれを確かめると、ゆっくりとしゃがみ込んで膝を開いた。

　みんなが見ていたテレビは、麗子の身体に隠された。麗子の背中で高校野球の実況の声がする。
　ちょうどテーブルに座っている男達の目の位置に、麗子の真っ白く、肌理の細かい内ももと、その奥の蜜肉のふくらみを顕わにする黒いレースのパンティーがあった。

　今、全員がテレビの代わりに麗子の白い肌を凝視している。
　
「んふ・・・ん・・・」

　麗子は目を閉じると両手で乳房を揉んだ。両方の乳首がしゃぶって下さいとばかりに勃起し、男達の目を奪う。
　
「ああ・・・」

　麗子は吐息を漏らした。

（私・・・何してるのかしら・・・）

　人妻が、真っ昼間から近所の土建屋で、高校野球をＢＧМにオナニーショーをするということがどういうことなのか、麗子は自分自身で十分分かっていた。分かっているからこそ、そこに絶大な背徳感と罪悪感を生み出すことができる。身体が疼き、興奮が抑えられないほど膨らむ。

（この中の何人が、私のことを知ってるのかしら････）

　良は麗子が引っ越してきたばかりの人妻であることを知っていた。喫茶店のマスターも、麗子が母親であることを知っていた。もしかしたら、ここにいる全員が、夫の顔も、娘の顔も知っているのかもしれない。
　若い男の言うなりに、食卓の上でこともあろうかオナニーを披露して色気をまき散らす女の、何食わぬ顔で過ごす日常の姿を知っているのかもしれない。
　
（ああ・・・見てる・・・みんなすっごく見てる・・・）

　麗子は感じた。

　道を歩いていて麗子を犯すものはいない。皆、ただ指をくわえてみているだけだ。だが、頭の中で犯している。
　端整な顔立ち、モデル並に発達したプロポーション、男の目を釘付けにする淫らな服装。その神々しいほどの麗子のエロスを、『他人』は妄想の中で愉しむのだ。

　その自分が今、食卓の上で、初対面の薄汚い男達の目の前で、自ら喜んでストリップを披露している。
　そのギャップが、堪らなく麗子のナルシズムを刺激する。
　
（ああ・・どう？皆さん・・・私のカラダ、美味しそうでしょ？・・・すっごくエロいでしょ？・・・）
　
　麗子はゆっくりと立ち上がると、パンティーを脱いだ。
　コツコツと、透明なサンダルの細く長いヒールがテーブルを鳴らす。その人妻の切羽詰ったように恥らう甘い表情に、男達は釘づけになった。

　再びしゃがみ込む。男達に尻を向けて四つん這いになり、冷たいテーブルに火照りきった頬をつけて尻を突き出してみせる。

　誰かがゴクリと唾を飲む音が聞こえた。数え切れないほどの男の肉棒をくわえ込んできた麗子の蜜園とアナルであったが、男達が注ぎこむ視線は、いつでも新鮮に麗子を刺激する。
　
「あぁん・・・」

　また、麗子の吐息が漏れる。淫汁がいやらしく染み出て流れる様を、間近に見ているであろう男達の顔が次々と目に浮かぶ。爛々と輝く淫欲に黄色く濁ったたくさんの目。

(もっと奥まで・・・恥ずかしいところ、隅々まで見ちゃって・・・)

　麗子は、蛍光ピンクのマニキュアを塗った両手でゆっくりと、尻を左右に開いて見せた。

　男達は目を見開いた。まるで人形のように美しい貴婦人の見たこともないほどの肌理の細かい肌。その肌の美しいグラデーションを経て桃色に染まる恥部が、今目の前で、容赦なく差し込む昼間の紫外線の、ストライプの光と影に飾られている。
　
「ああ！・・・・はあ・・・」
　
　自分のしている行為のあまりの下劣さに、鳥肌が立つ。体中の神経が尻に集まり、心臓はドクドクと背徳的な鼓動を打っている。
　麗子は更にその、淫らな液体にテラテラと光るクリトリスに、股の間から細く美しい指を宛てた。
　
「んん・・ん・・ん・・」
　
　指の圧力に、クチュリと小さな音がして、半透明の蜜が溢れる。感度の上がっている恥部は、驚くほど敏感に反応する。
　美しい指が慣れた手つきで蜜肉にたっぷりの淫汁を塗りつけて愛撫し始める。クチュクチュといやらしい音が節操もなく響く。
　
「あぁん！・・はぁん！・・・」
　
　麗子の羞恥心のリミッターはすでに外れ、ナルシストとしての快感に変わっていた。

「吉田さん、そこのバッグ取って。」
　
　黙って昼食を食べていた良が落ち着いた声で言った。
　吉田と呼ばれた男は、艶めかしく尻を振る麗子の横にあるハンドバッグを良に手渡した。麗子の脳には、それに反応する余裕はもうなかった。

　良はタバコに火をつけると、煙に目を細めながらバッグに手を入れた。そして、ニヤリとすると中から玩具を取りだした。男達が目を見張る。
　
「これで、ちょっと遊んでやって。」
　
　良は取りだした二本の玩具を、テーブルの上に投げ出した。

「ああ！･･･」

　麗子の尻がビクリと反応する。バッグから取り出されたものが何か麗子には見当がつく。

　一本はアナル用だった。男達は驚いた表情でバイブを眺めていたが、状況を理解すると、ギギギィと椅子を引いて立ち上がった。

　男達は麗子の周りに集まると、目の前で一人黙々と官能に耽る若妻の濡れた蜜肉と肛門に、それぞれのバイブを宛った。
　
「んぁっ！・・あぁあ！・・・」
　
　若妻が淫らな悲鳴を上げる。男達はそのエロティックな尻の動きを取り憑かれたように観察しながら、各々の穴にゆっくりと玩具を差し込んでいく。
　麗子は、身体の中にゆっくりと二本の異物が侵入してくる感触に集中した。誰もが無言で、玉の汗を浮かべる顔の、目だけがギラギラと輝いている。

　各々の玩具が根元まで入ると、男達は顔を見合わせてスイッチを入れた。

「あぁあん！！」

　細かく、力強い振動が、二つの痴穴を中心に尻全体を包む。

「はあ！・・・あああ！・・・」

　力んで神経を集中させればさせるほど、肝心な部分に力の入らない電気的刺激の危機感に、麗子は悶えた。
　汚らしい肉体労働者達が、今、絶世の美女であり、高貴な社長夫人である自分の身体に触手を伸ばし始めたことに、麗子は凄まじい官能を感じていた。

（ああっ！・・・犯して！・・・みんなで犯してっ！・・・）

　美しい尻に二本の卑猥な玩具が突き立てられ、強力にうねって、蜜だらけの恥部をかき回している。その、ピンク色に紅潮した尻は、悦びに打ち震え、ゆっくりと妖艶に蠢いている。
　
「・・・そこの角の、山下さんの奥さんだよねえ。」
「！」

　左側から聞こえてきた男の声に麗子ははっとした。
　ぬるま湯に浸かるような甘い快感に支配されていた脳に電気が走り、胸をチクリと刺激する。
　
「旦那と子供、奥さんのこうゆうとこ、知ってんのかねえ？」
　
　右側からも聞こえる。しかし、悦びに卑猥にうごめく尻の動きは止まらない。　
　
　山下と、香織の顔が脳裏に浮かぶ。凄まじい恥じらいと、背徳感が、込み上げる。

「・・やっぱり･･･みなさん･･あっ！･･･私のこと知ってらっしゃるんですね・・・・あぁん・・」

　麗子は、わざと声に出して言った。その桃色吐息の悶えを含んだ声に、男達は奇妙な、しかし激しい優越感を感じた。責める手に、意地悪さが増す。

「・・ああっ！・・・はあっ！・・・」

　男達は二つの玩具を駆使して、『他人のもの』であるはずの麗子の身体の、もっともプライベートな二つの穴を、遠慮なく、傲慢に陵辱し続ける。

（ごめんね・・・ごめんね、香織ちゃん・・・）

　見ず知らずの男達に征服された二箇所の蜜肉が、独立した二つの快感をもたらす。その二つの快感が交互に麗子を官能に導く。
　若妻の穴からトロリと美味しそうな愛液が溢れ出る。男達は心の底から愉しんでいた。
　
「はあ・・・エロいなあこの女・・・」

　誰かが感嘆の響きをこめて言った。すでにズボンの中では、勃起しきったペニスの先端から染み出した汁がパンツを湿らせ、ヌルヌルと心地よく蠢いている。
　男達はその己の下半身の感触を愉しみながら、目の前のフェロモンをむんむんと発する美女を責め立て、日頃、妄想の域を出なかった欲望を発散していた。

　麗子は四つん這いで喘ぎながら、淫汁の垂れ落ちる股の間から良を見た。自分の尻をいやらしく責める、筋張った男達の汗ばんだ手の向こうで、ふんぞり返ってコーヒーを飲んでいる。

（ああ･･･）

　目が合った。その、麗子を見てニヤニヤと笑う表情は、まるで悪魔そのもののように麗子をうっとりとさせる。
　
（ああ・・・なんて素敵な男なのかしら・・・年下のくせに・・・人妻にこんな仕打ちをするなんて・・・）

　麗子は良のオモチャにされる快感に、どっぷりと漬かっていた。良の前では、香織や山下への背徳感さえも、みだらな官能に拍車をかける調味料になってしまう。

　悪魔のような男の前で、世間に後ろ指を指されるほどの痴態をあえて自ら晒すことが、麗子のマゾヒズムとナルシズムを最高に刺激していた。

「ううん！・・・あはぁ・・・」
　
　二本の凶悪なバイブは、確実に麗子を快楽の頂点へ導いてゆく。麗子はその感覚に集中した。

「何？・・・近所の旦那さんとか・・・ヤッちゃったりしてんの？」

　誰かが興味ありげに聞く。アナルからゆっくりと抜かれ、挿し込まれてゆくバイブの快感がじわっと高まってゆく。

（もっと言って・・・）

　そしてそのアナルの感覚に神経を囚われているところを狙って、蜜肉のバイブが『隙あり』とでも言わんばかりに、いやらしくうねりながらグチョリと挿し込まれるのである。
　
「んっ！・・・はぁあ・・・」

　麗子が何とかその快感と闘っているところへ、一人の男が麗子の尻を抱え込んだ。

「！？」

　男はいきなり激しくアナルのバイブをピストンしだした。

「ああっ！ダメッ！・・・ダメッ！・・・」

　麗子が後ろ手に男の手を掴むと、今度は蜜壺のバイブの動きが速まった。汗だくになっている尻に巻きついた、やはり汗だくの男の腕がヌルヌルと滑る。

「あぁん！・・あはぁん！」

手から力が抜けていく。

「へへ・・こんなチャンス、滅多にねえからなあ。」

　麗子の手を振り払ってアナル責めのピストンが再開される。一気に感覚が狂気の域まで昇りつめる。

「ダメッ！・・・ダメッ！・・・」

　麗子は懸命に美しい身体をくねらせて、襲い来る凄まじい責めから逃がれようとするが、腰をがっちりと抱え込まれている。

「へへ！・・・へへへ！・・・」

　女が責められて暴れれば暴れるほど、男は興奮する。男達は汗だくになりながら、色っぽく身体をくねらせる人妻を力ずくで押さえつけ、ヒクヒクとエロティックに動く美しいピンクの尻を夢中で責め続ける。

「あはぁん！･･あぁあっ！･･」

　麗子は身体がおかしくなりそうだった。全く力が入らないところに、弾かれたような快感が絶え間なく襲ってくる。背中で、グッチャグッチャと愛液が洪水を起こしている卑猥な音がする。

「あああ！ダメッ！・・・出る！出ちゃう！・・・あっ！」

　麗子が痙攣した瞬間、大量の愛液が溢れ、ビチャビチャと机の上に垂れ落ちた。

　男達は一瞬手を止め、ピクピクと、えづくように痙攣しながら汁を吐き出す蜜壷を凝視した。

「へへへへへ！・・・」

　しかし、それでも男達はピストンを再開した。無機質な音と共に、失禁したかと見紛うほど愛液まみれになった両穴を責め続ける。

　「ああ！・・ああっ！・・・」

　必死で尻を振る麗子。その人妻を押さえつけて、これでもかと愛液滴る両方の穴を責め立てる男達。
　それを眺めていた良が立ち上がった。

「ようし、奥さんこっち来い。可愛がってやる。」

　男達がその声に反応して手を止めた。

　良は麗子の腕を掴んで、テーブルから下ろした。そして布団の上で麗子の『ショー』を眺めていた若者を足でどけると、麗子を仰向けに寝かせ、カチャカチャとズボンを脱ぎだした。逞しくそそり立った男根が姿を現す。

（ああ・・・）

　麗子はその凶暴に筋張って、血管の浮き出た愛すべき男根を、うっとりと眺めた。

　良は、麗子のその美しい脚を大きく開いて、男達に汚されまくった愛液だらけの蜜肉を、満足げに見つめた。

「あ・・・・ああ・・・・」

　当たり前のように無造作に肉棒が挿し込まれる。絶大な幸福感が麗子の中に充満する。

「ああ！・・・・凄い・・・・」

　奥まで入ると、良は慣れた動きで腰を振りだした。

　男達はしらけていた。愉しんでいるところをいきなり『はい、それまで』と言われたのだ。
　しかし、さすがに良には逆らえない。あれほどの女を、ここまで好きにできる良は、さすがというより他になかった。

　男達は諦めきれない顔をしながらも、しかたなくまたテレビを見始めたり、雑誌を開いたりしだした。

「あぁん！・・・あぁん！・・」

　野蛮な男だらけの狭い事務所の一角で、人妻は至福の喘ぎをこらえもしなかった。

　良は誰にも麗子を抱かせなかった。職場内の立場では、良は下っ端の方だったが、それでも誰も良に逆うことはできない。

『良を怒らせたら半殺し程度じゃ済まない』という空気が染みわたっているようだった。

　麗子はそんな良の『女』であることに喜びを感じていた。良に犯されて、それから家に帰って、洗濯をし、掃除をし、夫のワイシャツにアイロンを掛け、娘のためにクッキーを焼いて、夕方になると香織を迎えに行くのである。

　もちろん罪悪感はあった。麗子は山下を愛していた。山下は自分を愛してくれ、香織をよく可愛がってくれた。一切麗子のすることに口出ししないし、休日には三人で、公園や遊園地に行ったりもしてくれる。

　『やりたい放題』は自分だけのような気がしていた。しかし、この愉しみは捨てられなかった。

（もう少し年を取って・・・男が誰も私に見向きもしなくなるまで、待っててね・・・）

　麗子はそう心の中で呟いた。 　

３．　手掛かり

　そんな毎日が暫く続いたある日、麗子は夕食の買い物を済ませて、いつも通る工業高校の横を歩いていた。

　ふと、門のところに、二十歳過ぎくらいの青年が立っているのに気が付いた。青年は麗子に気付くと待っていたかのように歩み寄ってきた。

「久しぶりだねぇ、麗子さん。」

　青年は麗子の名前を言ったが、麗子には彼に会った記憶がなかった。

「あの・・・何処で会ったかしら・・・。」

　麗子は警戒していた。麗子は、自分が男にとって性欲の対象以外の何者でもない事を知っている。知っている人であれ、知らない人であれ、男という存在に対して淫欲を切り離して考えることはできなかった。
　青年はニッコリと笑った。

「ああ、やっぱりね。なぁんにも憶えてないんだ。」

　麗子は青年の反応に少し戸惑った。

「おっさんの薬、強力だからなあ・・・。俺、あんとき飲まなかったんだよ。飲んだ奴らはみんなダメさ、あんたでさえこの有様だ、あんとき小学生だった俺達には堪ったもんじゃねえよなあ。」

　青年の言っていることは麗子にはチンプンカンプンだった。

「あの・・・何の話かしら・・・」

　麗子は訝しげに聞いた。人違いをしているのだと思った。

「警察が来て、おっさん逃げちゃったり、ゴタゴタしてたからな。俺が行ったら、あんた勝手に病院からいなくなってるからさあ、焦ったよ。」
（！・・・・）

　麗子は雷に打たれたような衝撃を受けた。

（・・・病院・・・）

　青年の言う『病院』が、麗子の記憶の病院のことなら、それは今の麗子の記憶の出発点である。
　この青年は、『それ以前』の麗子を知っているかのように話している。

「・・・あなた、病院に入る前の私を知ってるの？」

　麗子は青年に詰め寄った。昔のことに執着はないはずだった。しかし、すぐ目の前に手掛かりがあるのなら当然聞きたかった。

　青年は意地悪く笑うと、ポケットからハンカチを出した。

「今日はここまで。あんまり喋るとおっさんに怒られるからな。」

　そう言うと青年はいきなり麗子の口にハンカチを当てた。

「んん！･･･」

　すぅっとした化学的な匂いが体の中に広がった。麗子は気を失った。

　再び目覚めたとき、青年はいなかった。
　麗子は、学校の壁にもたれて座っていた。時計を見てみる。三十分くらい気を失っていたようだった。
　麗子はよろよろと立ち上がると、家路についた。

　それから三日ほど学校の周りを歩き回ってみたが、青年は現れなかった。

　何一つ手がかりはない。ただ一つ、青年は、『今日はここまで・・・』と言った。それは次があるということだろうか。麗子にはそれを待つ以外どうすることも出来なかった。