６　遭遇

　麗子は再び歩き出した。オイルでギトギト鈍い光を放つ肢体をくねらせ、さっきよりも毅然と、堂々と歩いた。

　商店街を歩き出して、一〇分としないうちに車がやってきたのだ。これから先、すぐにでもまた現実を感じさせる出来事があるに違いなかった。

　誰かとすれ違うかもしれない。誰かが窓を開けて麗子を見るかもしれない。しかし、もう二度とさっきのような醜態は晒したくなかった。いつでも、どんなときでも、美しくエロティックに見られなければ嫌だった。
　そうでなければ、努力に努力を重ねてダイエットし、磨き上げた身体が不憫だと思った。

　一度恐怖を経験して、覚悟はできたつもりだった。麗子は悠々と歩いた。

（みんな見て・・・私を見て、想像の中で犯して・・・。）

　麗子は妄想した。暗闇の中でたくさんの男たちが麗子を見て、いきりたった男根を愛撫している。男根からは既に我慢できなくなった粘り気のある汁が滲み、男たちの口からはよだれが滴り落ちる。男たちは各々の頭の中で、麗子を奴隷のように陵辱するのだ。

（うふふ・・・みんな私を犯したいんでしょう・・・・。）

　麗子は、妄想で感じた。しかし、それはただの妄想ではない。現実に起こる可能性を十分に孕んだ妄想である。それが麗子に臨場感のあるスリルと快感をもたらす。

　体中にオイルを塗りたくったため、汗がスムーズに出られず、ぬるま湯につかったような体温に包まれる。そのどんよりとした感覚が、脳の回転を鈍らせ、思考を断ち切り、欲望のみに意識を向けさせる。濡れてきているのが、触らなくても分かった。

　ふと、麗子は一〇ｍほど先の明かりに気づいた。

（コンビニだわ･･･）

　奥まっているので、ここにくるまで気がつかなかった。

　麗子は戸惑った。コンビニのようなところは、時間にかかわらず人がいる可能性が格段に高い。中や入り口だけでなく、この道さえも、近所の住人がいつ現れてもおかしくない。

　麗子はキョロキョロと周りを見回した。気がつかないうちに『危険地帯』に入っていたことに緊張が走る。そのとき、コンビニの角から人影が現れた。

（きゃっ・・・・）

　麗子はこわばった。男のようだが、暗くてよくわからない。人影はこっちへゆっくりと向かってくる。麗子は思わず立ち竦んだ。

　ただでさえ目立ちすぎるほど破廉恥な格好をした自分が立ち止まったのが、ちょうど街灯の下であることに麗子は後から気づいた。

　童顔だが色気のある美しい顔、形の良い乳房。ジム通いで鍛え、バランスよくくびれたウエスト。男好きする腰と、にょっきりと、ヒールを履いたつま先まで伸びて性欲をあおる美しい脚を、ギトギトのオイルがいやらしい光で装飾して、闇の中に照らし出してしまっていた。

　再び頭の中がパニックになっていた。やはりそう簡単に強くはなれない。
　心臓が怪しく鼓動し、つばが飲み込みにくくなる。このまま歩けば確実に男とすれ違う。それは、想像以上の恐怖だった。
　しかし、さっきのように惨めに身を隠すわけにわけにはいかない。

　足がすくんで動かない。男は影で表情が見えない。麗子に気づいているのかいないのか。いや、気がついているはずだが、ゆっくりと歩いてくる。

「大丈夫・・・毅然として・・・」

　麗子は意を決し、コツコツと男のいる方に向かって歩き出した。
　香水の甘い香りが空気に流れる。背筋をしゃんと伸ばし、高飛車にヒールを鳴らしながら歩いた。あまりの緊張に身体に寒気が走る。
　サングラスをしているので、瞳に表れているだろう動揺は気づかれないはずだったが、それでも、とても男の目は見れなかった。

　男との距離はどんどん縮まる。縮まれば縮まるほど、心臓の鼓動が大きくなる。

（ああ･･･もうダメ・・・）

　男の正面に来たとき、麗子は弾かれたようにくるっと横を向いて自動販売機に手をついた。

　麗子の精神状態は限界だった。男の視線から受けるあまりの圧迫感にとても耐えられず、顔を隠したいという本能にとっさに従ってしまった。

　麗子は、多少は薄らいだがまだ続く重圧の中で、男が後ろを通り過ぎるのを待った。

　男の足音がゆっくりと麗子の後ろに回る。そこで、足音は止まった。

「！」

　麗子はパニックに陥った。『男が自分のすぐ後ろで立ち止まった』。その状況に、心臓の鼓動があまりにも大きくなりすぎて思考回路がうまく動かない。
『とにかく自然に振舞わなければ！』。麗子は力の入らない手でゆっくりとバッグから財布を取り出した。

（『ジュースを買いたい』とでも言うつもり？・・・・）

　男が麗子の後ろにいる正当な理由があるとしら、それしかなかった。そうでなければ、目的は麗子しかない。
　とりあえず、自分は、何食わぬ顔でジュースを買って、ここを去らなければならない。そうでなければ『不審』であり、『不審』であることを男に悟られるのは危険だった。

　麗子は千円札を取り出すと、手が震えないように気をつけて、機械に入れた。

（ああ・・・見られてる・・・）

　背面の肌の存分に露出した部分に、針のように突き刺さる視線を感じる。
　気のせいとは思えなかった。『この男は、確実に自分を視姦している』と麗子は感じていた。その異常な状況、想像以上の圧迫感を持つ視線に、身体が反応していく。

（だめ・・・）

　麗子の身体は持ち主の言うことなど聞かない。どんどん熱くなり、勝手に妄想が膨らんでいく。あまりの緊張に耐えられずに意識が遠のいていく。

（ここで負けちゃダメ・・・）

　麗子は腹をくくった。そのために今夜、こんなところへ来て、こんな格好をして、こんなことをしているのである。性欲を、スリルを、『愉しまなければならない』のだ。麗子の瞳に深い淫欲の色が滲み出た。

（いいわ・・・・じっくり見せてあげる・・・。私のカラダ、好きなだけ目に焼き付けなさい・・・。）

　麗子はジュースのボタンを押した。静まり返った街に、ガタガタと派手な音を鳴り響かせながら、ジュースが取出口に落ちる。

（ああ･あ･･･）

　その音に驚かされた緊張に同調して、更に大量の淫欲が沸きあがる。しかし、もはや恐怖や迷いはなかった。麗子はその自分の身体の反応を愉しんでいた。

　怪しい背徳感に溺れながら、脚をピンと伸ばしたままゆっくりと『く』の字に腰を折り曲げていく。
　後ろに、それもごく至近距離に『男』がいるにもかかわらず、『お好きなように』と言わんばかりに尻が突き出されてゆく。

　十五センチほどの布の両側に丸い大きな尻の肉がはみ出、布自身もオイルと汗と愛液でところどころ汚らしく染みて肌を透かしている。ピッタリと閉じた太ももの接触部分にもヌメヌメとオイルが滲み、その、オイルでいやらしく質感を醸し出す尻からヒールの先までの美しい生脚のラインは、尻フェチにも、脚フェチにも、『これ以上ない』と言わしめんほどのエロスに満ち溢れている。

　それはまるで、男の欲望のためだけに作られた、性欲の象徴のような肢体だった。
　麗子は屈んだまま自動販売機のガラスを見た。

「！・・・」

　ガラスに薄く反射して、同じように屈みこんで麗子の尻に静かに顔を近づける男の姿が見える。

（ああ・・・やっぱり見てる・・・・私の身体を・・・）

　全身に鳥肌が立つ。麗子は、薄い布を隔てて男のすぐ目の前にある自分の蜜壷から、愛液が一気に染み出るのを感じて焦った。

　緊張の中、刺激のたびにゆらゆらと不安定にぐらついて失ってしまいそうな思考を、注意して調節する。ある程度落ち着くと気を取り直して、今度はゆっくりと尻を振り始めた。

（どう・・・・欲しいでしょ・・・犯したいでしょ・・・・）

　麗子は自分の行為に、思考に、陶酔した。それが目的なのだから。

　緊張の中、どんよりとした怪しく心地よい快感の海の中で、唯一繋がっている細い糸を感じる。それが切れたら、終わりだと思った。自分がどうなってしまうのか、見当もつかない恐怖。
　その綱渡りは、今まで経験したことのない甘美なスリルだった。

（ああ・・・）

　薄い布一枚で隠された麗子の美しく淫らな蜜園。そこに、なにかしら熱いものを感じる。男の吐息だと麗子は思った。屈みこんだ男の顔が、布を隔てた蜜園のすぐそばにあるのをはっきりと感じる。
　心臓がドクンドクンと脈打つたびに、その蜜園から恥ずかしい愛液が染み出る。

（気づかれちゃう・・・）

　麗子が必死で押さえようとすればするほど、その空しい行為を漆黒の欲望が嘲笑うように、愛液はどんどん溢れ出てくる。

　すでに流れた愛液がオイルと汗でヌルヌルの脚を、太ももからくるぶしまで伝い流れている。男はそれに気づいているだろうか。

（はっ！・・・）

　麗子は電撃に打たれたような衝撃に襲われた。神経を集中し尽して、信じられないほど敏感になっている恥部。その恥部の肛門の部分に『なにか』の圧力を感じたのである。その衝撃に誘発されるように、全身の毛穴からどっと汗が噴出し、暗い罪悪感が津波のように襲いかかった。

　麗子はその部分に更に集中した。そのあまりにも卑猥な感覚の虜になってしまいそうな自分の節操の無い性欲に、恐怖が膨らんでゆく。

（ああ！･･･あぁあ･･･）

　生暖かく柔らかいその感触は、草を伝う青虫のようにゆっくりと上下に蠢き、麗子を暗い谷底のような、それでいて信じられないほど甘い淫欲の世界に引きずり込んでいく。
『物体』はどんどん湿気を増し、その液を薄布が吸い取り、細かく震える肛門から蜜園へと生暖かく流れる。

（ああ･･･ダメ･･･）

『舐められている』と思った瞬間、体中に快感の鳥肌が立った。信じられなかった。妄想の中では何度となく描いた状況ではあった。しかし、これは現実なのだ。こんなに卑猥で、陰湿で、常識から逸脱した行為が、自分を原因として今現実に行われている。

　頭の奥の方で最後の一本の糸が切れる感覚がした。その瞬間、凄まじくどす黒い、しかし甘美なこと極まりない快感が麗子の身体と脳に、あたかもダムが開門されたかのようにものすごい量で流れ込んだ。
　麗子は、さっき車が近づいたときに感じたものと同じ、奇妙な感覚を感じていた。

（ああ・・・・）

　スリルと緊張から解放されていく。すーっと力が抜け、不安やその他の余計な感覚が全て無くなり、底知れない、暗く陰湿な欲望だけがむくむくと起き上がって麗子の全てを甘い優しさで包む。

(ああっ！！・・・)

　心の奥底で一瞬叫んだ瞬間、麗子はすっと立ち上がった。びっくりした男が背後でよろけるのを感じる。

　麗子はくるりとコンビニのほうにきびすを返すと、男に見向きもせず、何事もなかったように毅然と歩き出し、コンビニの角を曲がっていった。

　男はその後姿を、ただただ、呆然と見守っていた。