７　淫欲遊戯

　麗子はコンビニの角を曲がると、大きくため息をついた。心臓がどくどくと脈打ち、膝がガクガクしている。危ないところだった。完全に欲望に頭を支配されるところだった。

　男の舌が触れた瞬間、衝撃的な快感が襲った。全ての思考がその性欲に呑み込まれてしまおうというとき、一瞬理性が戻った。その瞬間に、最後の力を振り絞って自我を取り戻したのだった。

（あのまま続けてたら・・・）

　麗子は甘い快感を反芻していた。あのまま続けていたら、一体どんなことになっていたのだろうか。あの場で犯されていただろうか。それともひとしきりなぶられた後、男の家に連れ込まれていただろうか。
　何にしても、男のなすがまま無抵抗であっただろうことは容易に想像できた。麗子の身体は、まだついさっきまで陶酔していた素晴らしい快感から抜け出せ切れていない。

　もし、あの男がここまで追いかけてきて、この場で陵辱し始めたら、きっと抵抗はできないだろうと思った。男のなすがままにひざまづき、その見ず知らずの男根にありったけの愛着をこめて奉仕し、自ら濡れた尻をいやらしく差し出して、『入れてください』と懇願してしまうだろう。

　ではなぜ、あの場で拒否を示してしまったのか。犯されることは覚悟だったはずだった。そのためにピルまで服用しているのだ。しかし、最後の理性がそれを阻止したのはなぜか。

　当然といえば当然である。何しろ、少なくとも記憶の上では、麗子はまだ処女なのである。なんだかんだ言っても心の底にある恐怖や不安は小さいものではないはずだ。
　しかし、それとは別に、『もったいない』という感覚もあったかもしれない、と麗子は思っていた。漠然とではあるが、『やってしまったら終わり』という感覚がある。

　相手に身を任せれば、後は相手の欲望のままである。あれでしてしまって、『はい、終わり』ではあまりに簡単すぎた。
　自分は今や自他共に認める美女なのである。やろうと思えばいつでもできる。もう少し自分を焦らしてもいいと思った。

　ＳＥＸに対する興味ももちろんあるが、なんといってもこのスリルが、緊張感がたまらなかった。スリルと背徳感。それは自分のしていること、起こっていることを常に『ナンセンス』だと思わなければ感じることはできない。

　ともかく、自分の魅力が証明されたことで、麗子は行為に恐怖を上回る愉しさを覚えていた。いや、正確には『恐怖あってこその愉しさ』だが。

　さっきの男は確実に麗子のエロティックな肢体の魅力を証明してくれた。ならば、もっともっと、ナンセンスなことを試してみたかった。

　コンビニには、一人、客がいるようだった。麗子は壁沿いに、コンビニの中の人に気づかれないよう、裏手へ向かった。

　自分のしていることの異常さと、恥ずかしさにテンションが上がり、ついつい小走りになった。コツコツとヒールの音が響く。音が誰かに聞こえるかもしれないと思うと、心臓が高鳴り、余計足を速めた。

　コンビニの裏は、囲いなどはなかったが、建物が影になり、駐車場の外灯も奥までは届いていなかった。

　向かって右側になる建物に鉄製のドアがついている。普通コンビニのようなところは、従業員の安全のため、深夜は二人で勤務していると誰かに聞いたことがある。とすれば、表から覗いた店内には従業員は一人しかいなかったので、まさにこのドアのすぐ向こうにもう一人が休憩をしているのかもしれない。ドアは、今にもガチャリと開きそうな気がした。

　麗子は音に神経を集中させながら辺りを見回した。奥にはプレハブの物置がある。左側、つまり建物のドアの正面には、使わなくなったらしい事務机が野ざらしに置いてある。その後ろは低い塀で、すぐ隣の家の窓があり、電気が消えている。
　殺風景だった。しかし、殺風景であればあるほど、その空気を甘い香水の香りで汚す愉しみがある。

　麗子はゆっくりと進むと、慎重に辺りを見回した。麗子が入ってきた駐車場から人が来たら、どうなるだろう。心臓がドキドキする。
　こんな格好でこんなところにいるのを見つかっただけで、何をされるかわかったものではない。そう思うと一瞬の余裕も無いことに気づき、そのスリルに改めて鳥肌が立った。

　すでに麗子は鳥肌に慣れ、そのビンビンと伝わってくる感覚を無意識に愉しんでいるということに、自分では気づいていなかった。

　麗子は、ヒールで音を立てないよう慎重に事務机の上に乗った。駐車場から差し込む明かりが、体の半分を闇の中に浮き立たせている。

　麗子はゆっくりとしゃがみこんだ。膝を開いていく。どうしようもなく込み上げてくる背徳感。『おあずけ』を食らわされていたさっきの興奮が、再びゆっくりと顔を出す。机の前に垂れ下がった薄い布をたくし上げる。

「はあ･･･」

　露呈した蜜園に生暖かい風がダイレクトに触れる。屋外で恥部を晒している自分。麗子はその自分の異常行為の恥ずかしさに、悲鳴を上げそうになった。
　駐車場の外灯が左の内ももと、足首の金のチェーンにギラギラと反射する。

　もし、誰かが来れば、麗子の痴態は隠しようもなく目撃されてしまうだろう。車が入ってくれば、運転席からでも見えるかもしれない。その、命綱の無い凄まじいスリルが麗子の体中の毛穴という毛穴を敏感にさせ、『社会人』の理性を壊していく。

　麗子はハンドバッグからヘッドホンステレオを取り出すと、イヤホンを耳に押し込んだ。それだけでも周りの音は半分に遮断される。心臓がより高鳴っていく。麗子はスイッチを入れた。

「ああ・・・・ああ・・・」

　凶悪なハードコアの大音量が聴覚を奪い去る。麗子は恐怖に擦り切れるようなうめきを上げた。
　外にどれくらい音が漏れていて、この静かな空間に、どれだけこの暴力的な音を撒き散らしているのか、それを考えるだけでも気が遠くなりそうになる。

　緊張すると感覚は研ぎ澄まされる。恐怖も然りである。麗子の研ぎ澄まされた、視覚、聴覚、触覚のうち、聴覚が暴音によって完全に閉ざされたのだ。もちろん、今こっちに向かって歩いてきているかもしれない人の足音も、駐車場に入ってくる車のエンジン音も聞き取ることは不可能である。

　麗子の背に隣家の窓がある。もし、今まさにその窓が開き、男の淫欲を孕んだ手が伸びてきていたとしても、触られる瞬間までそれに気づくことはないだろう。そして、触られたときは手遅れなのだ。

　当然、残りの二つの視覚、触覚はより敏感になる。

「ああ･･･」

　自ら追い込んだスリリングな状況に陶酔する。麗子はさっきのように細い一本の線で支えられた正常な神経をギリギリ保っていた。この感覚が、たまらないのだった。

　麗子はゆっくりと手を伸ばし、ハンドバッグから玩具を取り出した。
　その黒光りする玩具は、女の恥部に快感をもたらすためだけに考えられた卑猥な装飾が施されている。

　生暖かい空気が身体を舐めるたびに、敏感になった触覚が過敏に反応し、半ば陶酔しかける麗子を、否応無く色あせない現実の恐怖に引き戻す。
　その、数秒ごとに不安定な精神をぐらつかせ、失神させてしまおうと襲い掛かる恐怖の中、麗子はその玩具をゆっくりと蜜壺に当てた。

「んん・・・・」

　そっと当てただけで驚くほど甘い感覚が脳の中に広がる。麗子は、ゆっくりと目を閉じた。

「ああ・・・・あああ・・・・」

　気が狂いそうなほどの恐怖が襲う。視覚は完全に閉ざされ、耳には大音量のハードコアが麗子を怒鳴りつけ続けている。

　触覚が一気に最高値まで研ぎ澄まされる。真っ白い餅のような肌が、かつて味わったことの無い緊張にピリピリする。今、すぐそばに人が数人、いや数十人来ていたとしても、気づくことはできないだろうと思った。このいやらしく男の性欲を掻き立てる罪作りな身体に触られるまで。

『諦めざるを得ない状況』に追い詰められることによって、自分の快感が倍増するということに、麗子は気づき始めていた。
ギリギリの恐怖の中、針のように尖った感覚は、風の動きや湿気を正確に肌に伝える。

（あああ・・・・）

　麗子は『触覚』というものの、今まで気がつかなかった優れた能力に興奮した。心臓が壊れそうなほど鼓動する。頭の中が真っ白になっていき、現実と空想の区別がつかなくなる。
　恐怖から逃れるためには、後先を考えずに欲望に身を任せるしかない。つまり、『諦めるしかない』。

　麗子は、玩具のスイッチを入れた。

「！！・・っはあっ！・・ああっ・・」

　傷口を触られたような鋭い感覚に、麗子は声を押し殺す代わりに身を激しくよじった。が、襲ってきたのは痛みではなく快感である。

　暗がりの中に、真っ白い女が一人いやらしく身体をくねらせ蠢いているのを、外灯が捉えている。
　麗子は目を開けなかった。ひたすらその快感を貪った。最早『これで犯されても本望だ』という思いが神経を快楽の一途に向かわせていた。脳の中がぐるぐると回っている。
　鉄のドアが開いて、従業員が出てきているかもしれない。駐車場から数人の若者が歩み寄ってきているかもしれない。真後ろの窓から住人が手を伸ばしているかもしれない。

（誰でもいい！・・・誰でもいいから私を犯して！！・・・）

　麗子は妖艶な仕草で玩具の強烈な責めを堪能し続けた。