＜６＞

　妻は今さっき俊雅や特Ａの客が覗いていた嘉代をＤＶＤの画面で見ている。若夫婦をヤクザといたぶり、そのヤクザに夫の前で犯され狂う嘉代を。ほんの二時間も経っていないのにストーリー性をもって陰湿にもう編集されていた。
　嘉代がヤクザの攻めに一端感じ始めると不思議な雰囲気を醸し出した。
　上演回数を何回も重ねている良くできた芝居を見ているような感じだった。おそらくこの配役で何回もお客の前で演じているのだろう。しかし慣れによる手抜きなどいっさいなかった。客は一人だが犯されている人妻の夫が見ているのだ。哀れな夫は初めて見た。自分も知らない妻のツボを熟知した男達の攻めに凄まじい性の本性をさらけ出し自分の存在も忘れて狂い乱れる妻を。その姿は二度目にも関わらず俊雅を、ほかのお客をもまた興奮の波が襲った。

　そんな嘉代を初めて見る妻は息をするのも苦しそうだった。美代子もさっきの部屋を見ていなかった。私の上に跨り腰を動かすのも忘れ嘉代の名を呼んでいる。今、嘉代は立ち姿の男二人の間に挟まれ前と後ろの穴に差し込まれてもがいていた。嘉代のつま先が時々床から離れ宙に浮く。
　しかし、俊雅が見ている映像はそんな映像や結合部のアップではなく、嘉代の顔の表情が映っている映像にさっきから見入っている。
　演技派の女優がほとんどヌードも見せず顔の表情だけで卑猥なセックスシーンを演じてみせるのを俊雅に思い出させていた。そんな嘉代の表情もほとんど変化がなくなり能面のようになった。男達も動かなくなった。

　嘉代と向き合っている男が深いため息を吐くと縛られている彼女の夫に言った。
「旦那さんヨー。今あんたの奥さんのあそこは凄いことになっているんだぜ。オーゥ、さすがの俺ももうちょっとでイカされそうだぜ。オイ、哀れな旦那に女房の本当の味を味わせてやろうぜ」
　その男は後ろ側の男に言うと嘉代から離れた。水飴を塗ったようなデカイ男のモノが現れると嘉代は不満そうに首を振った。後ろの男は自分のモノを後ろの穴に刺したまま嘉代の膝を抱え上げると夫の前に立った。そして、嘉代のアワビのようにうごめく秘部と男のモノの刺さった肛門を見せるとゆっくりと腰を沈めた。

「アワワワ、おーおー」
　声を上げ首を振る夫の顔を不思議そうに嘉代の視線が追う。
「そーら、………。死ぬほどの刺激が待ってるぜ。」
　別の男の声が飛んだ。俊雅達が聞いた言葉は編集でカットされている。
　一瞬部屋が暗くなり、どちらがどちらのものか分からない動物的な二つの悲鳴が聞こえた。すぐ部屋は明るくなったが夫は口から泡を吹き、嘉代はカッと目を見開き気絶していた。
　下を見るとそんな嘉代夫婦を見たためか、それとも漆畑の攻めに堕ちたのか妻も身体を痙攣させていたが失神してしまった。俊雅は失神する妻を初めて見た。しかし、妻は嘉代達が悲鳴を上げた本当の理由をまだ知らない。
　身体をひねって妻を見ている俊雅の上に美代子の上半身が倒れてきた。その上半身が”ガク、ガク”と動き、あそこが俊雅のモノを強く締めつけた。美代子はあえぎながらやっと言った。
「あなた、嘉代ともやりたいんでしょ」
　図星だった。

　漆畑はＤＶＤを止めると気絶したままの妻を一人にして部屋から消えた。しばらくしてタオルで身体を拭きながら現れた。そして冷蔵庫から缶ビールを出すと一気に飲んだ。いつの間にか目覚めた妻がベットに座りそんな漆畑をボーっと見ていたが漆畑に促され部屋から消えた。漆畑は乱れたベットを直しシーツを交換し手早く部屋を片づけた。案外、几帳面な性格なのだろう。

　妻が濡れた髪をタオルで巻いた全裸の姿で部屋に入ってきた。漆畑に見られても前を隠すでもなく渡されたロングの缶ビールを喉を鳴らして飲んだ。普段の妻はアルコールを受け付けない。何もかも許し合った男と女がそこにいた。
　漆畑が妻を引き寄せると妻は漆畑の口を求め舌と舌が絡まった。長年付き合っている不倫相手といる人妻みたいだ。
　漆畑の手が妻の尻からやがて茂みをまさぐる。妻の手も男のモノを握る。二人の会話が弾む。妻の口からは”仕事”で覚えた隠語や卑猥な表現が次々と飛び出した。普通の女は決して使わない言葉で漆畑と盛り上がっている。まるで娼婦と常連客とのやり取りみたいだ。

　俊雅は時計を見た。妻がこの部屋に来てから一時間とほんの少しが過ぎただけだった。その女は紛れもない私の妻であるが私の知っている美紀はとうにその身体から追い出されていた。これが佐竹の言った妻の完全な変身なのだろうか。そしてその妻を覗いている夫ももはや妻の知っている夫ではなかった。

　漆畑はまたＤＶＤを入れ替えた。いろんなショーの場面がダイジェスト版で映っていった。アブノーマルなセックスの場面が続く。妻は漆畑の説明を聞きながら画面を見ている。この部屋に来て初めてセックスをしていない妻がいた。
　俊雅は一番気になっていることを美代子に聞いた。
「あなたが美紀を誘ったの」
「違うわ、嘉代よ。嘉代がご主人にバレそうになってこの仕事を辞める条件として別の奥さんを組織に紹介することになったの。嘉代が美紀を誘って、そして私を誘ったの。美紀が中々ショーに出られないので私にお鉢が回ってきたみたい。私は教育係のママがやってるスナックへ嘉代に連れて行かれたの。ママとウマが合って常連になっちゃってその内いつの間にかこうなったの。美紀はあなたに言えない大きな借金を作っちゃったのがきっかけみたいよ。私は夫婦の倦怠期が原因だけど。それも言い訳かな。趣味と実益ね。フフフ」
「いつ頃から始めたんだろうこの仕事」
「美紀？　半年ぐらい前みたいよ」
　俊雅はあの通帳がこの仕事の収支だと確信した。通帳が仮名なのは税務署、警察対策なのだ。組織がそうさせているのだろう。

　美代子の口から出る言葉が夕立の雨粒のように跳ねた。
「美紀お酒飲めないから別のアプローチだったと思う。でも、嘉代にだまされたとか、誰かに強制されたとかじゃないと思う。旦那さんの前だけど自分の意志でここまで来たんだと思うわ。ただ私も結果的に組織に協力しちゃった。橘ってかわいい子いたでしょ。あの子に街で会わせたの私なの。
　いえネ、聞いて。私、美紀助けなきゃと思ってママに直談判したのよ。”彼女いくら教育してもだめよ”って。そうしたらママ、”賭ける？”って言うの、街で偶然を装わせて橘クンに美紀を会わせて何も起きなかったらママが諦めるて言うのよ。結果私の負け。美紀すっかり夢中になっちゃって。橘クン、タイプだったのね美紀の」
　夫を前にして無神経というか、ズケズケと言うが嘘はなさそうだった。下を覗くと妻は二本目の缶ビールを片手に真剣に画面に見入っていた。美代子の話は続いた、自慢げに。

「私、二ヶ月で初舞台よ。速さの新記録だって、素人の奥さんでは。ええ、時々プロが素性を隠して入ってくるんですって。でもすぐ分かるそうよ。そんなことどうでもいいんだけど、私怒られるのよ、”明るすぎる”って。お客さんが白けちゃうんだって。だって性格だもんね〜。
　その時にあのマンション強姦事件よ。私ショックで辞めるつもりで抗議しに行ったの、ママの処に。そこであのビデオ見せられたの。組織とどういうことになっていたのか知らないけど、とにかくウチの旦那は承知で私が犯られるの隠れて見てたのよ。二重のショック。それに私も最後はあんななっちゃったしー。本当に死のうかと思ったわ。
　だけどその晩燃えちゃって凄かったのよ、旦那。私もメチャクチャ興奮しちゃったのね。それから旦那が客として私のショーを見に来るようになったって訳。ええ、分かるのよ。だって、その晩間違いなく旦那が私のベットに来るのよ。ジェラシーていうの。とにかく凄いのよ。
　私も旦那が見ている前で知らないふりしてやるのが快感になっちゃってー。そしたら雰囲気がよくなったってみんなほめるし、お客も喜ぶし、夫婦円満になるしー、その上お金もどんどん入ってくるようになったしー。だって、私達子供もいないしやっぱ老後不安だしねー、年金だけじゃねー、最後お金でしょー」
　何という夫婦だ。

「嘉代さんはどの位なの、経験は」
「三年くらいみたいよ。私達、職場でも外でも仕事に関してはお互いに詮索しないことになってるの。嘉代とはたまに同じ舞台に上がるけど、知らんぷりよ、お互いに。でも凄いのよー、嘉代。今、トップよ。人気、実力、稼ぎ、どれを取っても一番。仲間内でも一目置かれてるの。心技体、どれを取っても尊敬しちゃうわ」
　”心技体”も”尊敬”もここで使う言葉じゃないだろうと思ったが変に説得力があった。しかし、ずたずたに引き裂かれた俊雅の心の傷を美代子のこの明るさが優しくいたわってくれているのを感じた

　妻が今見せられている画面は正に組織が教育用に作成したものだった。佐竹が以前俊雅に説明した色んなジャンルのショーの画面が次々現れた。これを見る新人の神経をマヒさせ、この仕事への抵抗感を和らげ、虚栄心、金銭欲をあおり、他の人妻へのライバル心をかき立せる為に。
　俊雅は妻がどのジャンルにどんな反応をするかを美代子の話を聞きながら注視していた。他の客も妻がどんなショーを演ずるかを占ったろう。そして組織は妻の嗜好をもっと真剣に見極めようとしているのだろう。

　美代子が言うように嘉代は色んなショーにナンバーワンとして出ており、お客を喜ばせ、自分も狂喜していた。美代子も出ていた。彼女はまた自慢げに言った。
「半年以内の経験でナンバーワンに入っているの私だけよ」
　それは文字どおりストリップショーだった。本物のストリップ劇場を借り切って使っているようだ。頭巾のお客で満席だ。顔を知られこういうところに行けない人に大いに人気があるそうだ。踊っているのは若い奥さんが中心だったが、その中で年長の美代子が君臨していた。踊りも上手だったがべつに理由があった。
　
「ここでは”客上げ”って言うんだけど、舞台を盛り上げておいてお客さんを舞台に上げるの。女性は一人客も時々上がるけど、カップルで来ているのが圧倒的に多いわ、それも夫婦ね。愛人関係では中々ここには入れないし、雰囲気で夫婦だって分かるの」
「上げてどうするんだ」
「いたぶるのよ私が上手に。やりすぎてもマズいし、刺激が少なくてもダメな訳よ。要はここを出てから最高に夫婦で盛り上がって又あそこに行きたいわって思ってもらわなくっちゃ。その見極めがうまいの私」
「具体的にどんな事するんだ」
「色々だけどパターンとしては女の人を他の客の前で辱める、カップルで上げちゃう、男優さんと絡ませるってとこね。ええ、最後までイっちゃうこともあるわ。舞台で本番、その時は舞台も客席も興奮しちゃって最高よ。これよ」
　美代子は画面を指差した。

　画面では無理矢理舞台に上げられた女がひまわりのいたぶりや男優の愛撫に抵抗していたが、いまはもうあえぎ声を上げ秘部をお客の前に晒している。
「いいですね」
　ひまわりは一人の客に確認を取った。その客はゆっくりうなずいた。
美代子は俊雅に説明した。
「舞台の奥さんの旦那さんよ」
　男優は夫の目の前で挿入した。
「ウッウァー」
　舞台の人妻は泣き声のような悲鳴を上げたが、ひまわりと男優は彼女の長衣を脱がし頭巾だけの裸にした。男好きのする身体をしている。年は四十位だろうか。身体は金縛りにあったように硬直している。
　ひまわりが夫の手を取ると舞台に引き寄せた。夫は妻を抱きしめキスをした。

「パパ、パパ」
　その人妻は夫の首に抱きつきうわごとのようにつぶやく。夫が答える。
「うん、うん」
　硬かった人妻の身体が男優の突きに微妙に反応しだした。夫が妻から身体を離すと妻の腕は自然に男優の背中に回った。夫は妻と男優の繋がりを覗き込む。
「アー、アー」
　人妻は小さいが声を上げ始め、腰も柔らかく動き出した。段々と声も腰の動きも大きくなってくる。突然夫が舞台に上がり男優を押しのけると妻の上に乗った。
「おー、おー」
　夫はただ腰をバタバタ動かすだけだったが妻は叫んだ
「パパ、凄い。パパ、凄い〜」
　美代子がまた解説する。
「旦那ずーっとインポだったんだって。病院、強壮剤、果てはスワッピング、なにしてもダメ、それがこのとき出来たのよ。ご祝儀がすごかったわ」

　美代子は続ける。
「男も上げるわよ。人妻さんとセックスするの。私もするわ。いざとなったら男は意気地がないわね。最後までいけるのほとんどいないわ」
「病気とか心配だろう」
「実はね男性の場合、ほとんどが男優さん発掘が目的なの。上がる前に組織が指定する病院で検査を受けさせてるの。そこの先生もここのお客さんらしいけどね。男優さんてこういうショーの場合どうしても脇役よね。でもいい男優さん見つけるの大変みたいよ。女の場合は少々気分がノンない時でもなんとかなるけど、男の場合はねー、文字どおり”はい、本番”ていう時に”ごめんなさい”じゃーそれこそ一大事よね。フフフ」
ＤＶＤが終わった。俊雅は下を覗いた。

　美紀は今漆畑の上に跨りゆっくり動いている。快感に目を閉じると嘉代の痴態が現われた。こちらを見て笑う嘉代を美紀は睨み返した。恨みはなかった。対抗心だけだった。
「私だって」
　上半身を起こした漆畑が見透かしたように言った。
「あんたに出来るかな」
　美紀は答えず腰を大きく前後に動かした。美紀の足は大きく開いているので繋がりがむき出しになっている。覗き込んでいる漆畑の顔を起こしその口に自分から舌を絡ませた。
　そして自分が今度は上半身をベットに寝かせた。漆畑はあのねちっこい攻めで松葉くずしの形で攻める。そして、時間をかけて正常位の形になった。それに答え美紀の肉体も貪欲に振舞う。美紀は積極的にそして自然に振舞う自分が信じられなかったが、全身が上手なマッサージを受けているような心地よい感覚に包まれているのを感じた。
　漆畑がバックから出した革のベルトを美紀の両手、両足にはめる。そのベルトには鎖が付いており、彼はベットの四隅にその鎖をつないだ。美紀の全裸の体が大の字に固定されたのだ。彼女の目がきらきら光る。漆畑が荒々しく乗ってきた。
「犯されているみたい」
　美紀は絞り出すように言った。二人の腰が淫らに激しく動く。
「また、あそこがグチュグチュいってる。ア〜、最高ー！」

　目を閉じると今度は嘉代のほかに美代子の視線も感じた。そして、汚らわしそうに美紀を見るもう一人の自分がいる。彼女は言った。
「あなたその男を愛しているの。愛してなんかいないでしょ。愛してもいない男とセックスするなんていかがわしいこと、恥ずかしいことなのよ。
　愛している人とでも女は受け身で慎みがなくては。あなたみたいに積極的に淫らに振舞うのはとてもはしたないことなのよ。
　あなたは私なんかじゃない。あんたなんか私がもっとも軽蔑するタイプの女よ」
　美紀は言い返した。
「うるさいわねー。これが私の本当の姿なの。お前は外面（そとづら）、うわべを繕ってるだけなんだよー。お前にはこのわき上がる快感を経験できないのよ、かわいそうに。嘉代や美代子を見てごらん。類は友を呼ぶんです」

　快感が体の隅々まで行き渡り、絶頂の予感が体の芯からわき上がってきた。それなのに漆畑は突然美紀から離れた。
「いや、いや、抜かないで。どうしたのよ」
「天井にある金網の穴を見てみな」
　嘉代達夫婦が気絶する前に言われたのと同じ言葉を漆畑は美紀の耳元でささやいた。さっきの画像では音声が消されていたので美紀は初めて聞く。彼女はゆっくりと天井を見渡した。部屋が暗くなった。
　俊雅は美代子と下を覗いていたが、二人のいる部屋が突然明るくなった。しかし、明るかったのはほんの一瞬ですぐに元の暗さになった。嘉代夫婦が気絶した時と同じだった。
「よせ！　やめてくれー」
　俊雅は叫んだ。

「穴がどうしたっていうのよ。早く来てヨー」
　美紀が聞き返した時、突然幾つもある天井の穴が明るくなった。その中で何かが動いていた。人の頭だと分かった。
「大勢に見られている！」
　しかし、彼女は全裸で大の字に縛られている。逃れる術はなかった。
　美紀は一瞬で理解した。
「この部屋に来てからの自分を何人もの人が覗いていた。この部屋は秀幸の部屋なんかじゃない。秀幸も始めからグルだったんだ。この部屋での彼との逢瀬も見せ物にさせられていたんだ」
美紀は薄れていく意識の中で、舞台に立っている自分がはっきり見えた。

　電車の中で俊雅は妻に近づいた。妻が気づき笑顔になる。妻の横に座った。電車は空いていた。短い間に二回も失神した妻を心配していたが元気だった。妻の手が髪に行った。シャワーで濡れた髪を気にして触ったがもう乾いていた。
「良かったわ、あなたより遅くならなくて。反省会でビール飲まされちゃって。顔、赤いでしょ、臭くない？」
「色っぽいよ。今夜はオールナイトフィーバーだぜ」
「バカ」
　俊雅は足を組み替えるふりをして自分のももを妻のももに押しつけた。組んだ肘が妻の豊かな胸に触った。俊雅は二人以外の時にさっきみたいな会話やこんな行為はしない。普通の精神状態でないのが自分でもよくわかった。妻は場所をわきまえずにこういうことをするのをひどく嫌った。が、妻は素知らぬふりをしている。

「今度、コーラスに振りを付けることになったの。その責任者を押しつけられちゃった。もー、根回しが出来ちゃっていてみんなが攻めるの私だけを。かなり本格的なものになりそうなのよ。昼は振り付けの先生のところに行ったり、夜も今までより出ることが多くなると思いますけど、いい？　お願いします。その替わり、入院していたＰＴＡの役員さん退院されて元気になられたそうでそちの出番はなくなりますから」

　俊雅は佐竹の命令でいずれ仕事をしている妻の前に自分が引き出されることは、今日の経験で覚悟していた。しかし、今のように妻が私に仕事のことを秘密にして振舞っている姿を一日も長く見ていたいと思わずにはいられなかった。
「雅也、今度の合宿よかったって。だいぶ自信が付いたみたいよ。今度の模試を楽しみにしていてなんて言うのよ」
　俊雅は妻に合わせているが必死だった。実際は妻のようにうまく切り替えが出来ていない。今日の嵐のような一日、それでも妻には半年の準備期間がある。自分にはあのビルに入っての五〜六時間を整理が出来る訳がない。まだ他人事みたいで実感がわかない。しかし、自分の中に何かが住み着いたのは感じた。妻の中の何かはもう彼女を自由にコントロールしている。

　ベットに入ると俊雅は言った。
「さー、明日は息子が帰るし、今夜だけだ、この息子が大きな顔を出来るのは」
「いやねー」
　しかし、息子は大きくならなかった。美代子に吸い取られたからだけではなかった。息子はあの狂った妻とやりたかったのだ。
「飲み過ぎたんでしょー」
「ごめん」

　いつもと変わらぬ日曜だった。テレビはつけられていたが俊雅は趣味のプラモデルに熱中している。第二次大戦で活躍したドイツの戦車がもうすぐ完成する。
　妻はベランダで花の手入れをしている。あの日を境に妻はふっ切れたように明るくなった。
「美代子がねー受験生のいる家じゃ悪いから美代子の家でやりましょって。パーティー」
「ふーん」
　俊雅の脳裏には美代子が犯されるマンションの映像が浮かんだ。犯しているのは自分だった。
「嘉代の旦那さんも来るって。最近やたら仲良くなったのよ。あなた初めてよね、旦那さん。最初は取っ付きが悪いけど気にしないでね。来週の土曜日よ、忘れないでよ。仕事入れないでね」
「ああ」
　あのヤクザをも唸らせる嘉代のあそこの動きを俊雅は経験してみたかった。

電話が鳴った。俊雅が取ると妻へだった。
「コーラスの中村さんだって」
「すいません」
　軍手を外しながら妻が電話口に出た。
「はい、分かりました。はい、いいえ…、そうして下さい。…よろしくお伝え下さい。ええ、その前に出来ればこの間のような資料をいただきたいです。はい、宅配便ですね、はい、明日ですか。ええ、午前中なら…、よろしくお願いいたします」
　電話を切ると目の前にあるカレンダーにペンで書き入れながら言った。
「来週の木曜日、三時からコーラスの責任者のミーティングがあります。お願いします。あー、ということは木曜日がコーラス、金曜日がＰＴＡの役員会、土曜日が美代子んちでパーティー、日曜日がまたＰＴＡのバザー。忙しいーゾー、ファイト、ファイト」

　息子の雅也が自分の部屋から出てきて冷蔵庫から飲み物を出すとそんな妻を見ながら俊雅に話しかけた。
「お母さん、また元気になったねー。これで我が家も安泰だね」
「そうだな…」

　しばらくして、俊雅の携帯が鳴った。佐竹からだった。
「いま白百合さんの初舞台が決まりました。来週の木曜日です。お相手は自分からのご指名で漆畑さんだそうですよ。すばらしいショーになりそうですな。
　桔梗夫妻が客として来ます。ひまわりさんとこも別々ですが来るそうです。この間の特Ａのお客さんも大勢見えます。野田さんも宜しかったらどうですか。人気がありますんで返事はお早めに。
　しかし自分の奥さんを見るのに金を払うのも勿体ないですなー。いっそウチで奥さんと共稼ぎはどうですか、野田さん、ハッ、ハッ、ハ。いずれにしても携帯のスイッチだけは入れておいて下さいよ。奥さんとの会話、好評でしてね。
　そうそう、白百合さんのご希望でストリッパー専門に振り付けをする先生を付けることにしました。私どもの見立てではＳＭそれもマゾの素質も十分です。本人もご関心があるようです。こないだのようなＤＶＤを見て勉強したいそうですよ。熱心ですな。早速宅配便で送ります、明日。ウチ専属の宅配便。えー、”漆畑”というものが伺います、十時です」

　俊雅は電話を切るとテレビを見た。テレビにあの評論家が出演していた。まるで半年前の画面が再生されているように同じことを喋っている。

「人間にとって白蟻は害虫である。しかし、その本来の生息域は森林やサバンナであり、植物の遺体であるセルロースを主食とする昆虫で自然界の貴重な掃除屋さんである。ヒトは誕生してからの大部分を、他の動物と同様に自然界の生態系の中で移動しながら狩猟採取の時代を過ごした。その時代白蟻はヒトの敵ではなかった。
　しかし、農耕が始まるとヒトは定住するようになり、森の木を切り白蟻のテリトリーに家を建てた。白蟻にすればヒトが侵入者である。大好物で出来た家を餌にするのは自然であり彼らには悪意も罪もない。侵入者の気づかぬうちに被害は拡大し、気づいた時には土台から崩れ落ちる。かくして人は白蟻を害虫と呼び恐れるようになった」

「イネやムギは収穫量が多く長期間保存できる為に狩りをするより多くの人を養うことが出来たし、農耕社会は田畑の開墾、管理、収穫のために多くの人が協力する必要があった。また種を植えてから収穫までは長い時間が掛かる。農耕社会は動物の世界、狩猟採取の時代とは違って多くの人が集まる複雑で忍耐を要求する人間社会というものを必要とした。
　それは本音を隠す建前の社会であり、明日の為に今日を耐えることを要求した。それを善といい、そうすることを人間らしいと尊んだ。
　その社会に楯突き、本能や欲望の赴くままに生きることを人間社会は悪と呼び、そのように行動する人間を軽蔑し排除しようとする」

「何億年もの歴史を本能として脳の中に記憶し、ヒトとなってからも何百万年もの間、弱肉強食の世界で本能と欲望に支配され生きてきたのだ。また、それが自然界の理にかなっていたから厳しい生存競争の中を生きてこれたのである。
　たかだか五千年、どう長く見ても一万年の歴史しかない人間社会がそれをコントロールしようとするのは傲慢であり、所詮無理なことである。それは幾多の歴史が証明しているし毎日のニュースを見ればわかることだ」

　評論家はあの意味深な笑みを浮かべた。
「人の知情意を食い荒らす白蟻があなたの幸せな家庭の上に舞い降り、羽を落としてソッと潜り込んだかもしれませんよ。いえ、ひょっとするとあなたの家はもう彼らに粗方食い尽くされてしまっているんじゃありませんか？」

　俊雅には見える。羽根を着けた白蟻があちこちから溢れ出して飛び立つのが。
　ベランダからは鼻唄が聞こえてくる。鼻歌が出るとき妻は最高に機嫌がいい。

-完-