〜少年たちの暴挙〜　�@

　誰よりも早い時間に登校してきた田中は、自転車置き場の片隅で詩織が来るのをジッと待っていた。
　小学生といっても通用しそうな童顔が、いつになく緊張の色を浮かべている。
　ギラギラと燃え上がる太陽を眺めては、執拗に噴き出してくる汗をグイッと腕で拭う。なにを考えているのか、ときおり股間に手を伸ばしては己のシンボルをさり気なく弄っている。どこか落ち着きをなくしているのには理由があった。
（やれる……この手を使えば絶対に森川とセックスできるぞ）
　時間が経つにつれ、卑劣な行為への不安と恐怖が渦巻いていく。しかし、そんな感情も自制心も今の田中の性欲には勝ることがなかった。
「ふぅー、緊張するぜぇ……だ、大丈夫かなぁ」
　登校してくる生徒たちに不審がられぬよう、携帯電話をいじりながらチラチラとせわしく登校口に眼を向ける。体はずっと震えていた。田中自身、自分のやろうとしていることが恐ろしくてならないのだ。だが詩織に対する強い欲望がすべてをプラス思考へ変えてしまう。

　大丈夫だ……これを見せれば森川は確実に俺の言うことを聞く……

　田中はおもむろに鞄を開くと、中のノートにはさんである一枚のプリント紙にジッと眼を凝らした。
「すばらしい出来栄えだ。これなら絶対にばれない。……よし、勇気をだせ。……それにしても遅いなぁ、まだ来ないのかぁ……んっ、あ、ああ、き、来た！」
　待ちわびていた詩織がついにやってきた。
　明るい笑顔で友達と挨拶を交わしながら、空いたスペースに自転車を置く詩織。
　ひとりの少女が現れただけで、地味な駐輪場がパァーッと華やいでいく。田中の顔は自然と弛んでいた。
「本当に可愛いよなぁ……うっ、ダメだダメだ！　ご、極悪非道に徹しなきゃ……」
　咄嗟にうつむき、何度か頭を振り回してからゆっくりと詩織のほうへ近づいていく。
「も、森川、おはよう」
「あっ、田中くん、おはよう」
　振り返り、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべる詩織。歯並びのよい真っ白な歯が、田中にはなんとも眩しかった。
「あ、あのさぁ……あっ、ちょっといいかな？」
「えっ、なに？」
　田中のいつもとは違う神妙な面持ちに、詩織がクリンとした丸い瞳で不思議そうに見つめてくる。田中は、あどけないその表情に昨日の淫靡な光景をおもわず重ね、いっそう鼓動を昂ぶらせた。
「いや、あのさぁ、実は俺……昨日、学校の帰りにお前と磯貝先輩が神社で会ってるのを見ちゃったんだ」
「えっ！？」
　詩織はドキッとした。
　夏の暑さとは関係なく体温がグングンと上昇していく。
「ど、どうしてもお前と磯貝先輩のことが気になってさぁ……お前らが神社の脇道を登っていくのを見た瞬間、無意識のうちにあとをつけちゃったんだよねぇ」
「…………」
　詩織の顔からサーッと血の気が引いた。
　ふくよかな唇が小さく震えている。
　田中自身も震えていた。
「こ、これを見てくれよ」
　田中はゴクッと咽を鳴らして深く息を吐き出すと、鞄の中からそろりと一枚のプリント紙を取り出し、それをこっそり詩織へ手渡した。
「！？」
「お、俺さぁ、とにかく頭が混乱しちゃったんだ。ま、まさかお前があんな所であんなことをするなんてさぁ。そ、それに、ひどく興奮しちゃって……き、気がついたら携帯で撮ってたんだ」
　そう言い、保存してある携帯画像をさりげなく詩織に見せる。
　木々に囲まれた小高い丘……その中央付近で淫らに絡み合う制服姿の男女……小さく写った被写体からは、それが誰と誰なのかは全く分かりえない。が、しかし、絶対に知られたくはなかった、いや、知られてはいけなかった出来事だけに詩織の動揺は凄まじかった。
「お、お願い……」
「えっ？」
「お願い、田中くん……こ、こんなもの、す、すぐに消して、お願い」
　つい先ほどまでの笑顔とは打って変わり、綺麗な顔立ちが惨めに破顔していく。詩織は、あまりのショックに気を失いそうになりながら必死に懇願した。
「さ、削除すんのは簡単だけどさぁ……お、俺、純粋で素朴なお前のことが本当に好きだったんだぜ。なのに……なのにさぁ、実はあんなことをするエロ女だったなんて」
「ち、違う、そんなこと……」
「なにが違うんだよ。昨日ヤッてたじゃないか、山ん中で磯貝と。立派な淫乱女だよ。なにが清純、純情だよ。なんだかすっかり騙されてた気分だぜ」
「い、淫乱……ひ、ひどい……」
　大きく見開いた詩織の黒目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
　その涙にたじろぎながらも、このチャンスを逃してなるかと田中が攻める。
「こ、今度の日曜日に俺とデートしてくれたら画像を消してやるよ」
「ぐす、ぐす、……ほ、本当に？　ちゃんと約束してくれる？」
「あ、ああ、約束する。目の前で削除するよ」
　興奮を露わに田中は言った。
　高揚した顔は真っ赤に染まり、眼にはあきらかな不純色が滲んでいる。だが詩織に選択肢はなかった。なんでもいい、とにかく自分が犯してしまった恥を残したくない。
　卑劣な行為に及ぶ田中を責めるより、詩織は自分自身を嫌悪し、責めた。
「おーい、詩織―！　そんなとこで何やってんだよ。もうチャイムは鳴ってるぞ！」
　後方から聞こえてきた大声に、詩織がサッと涙を拭いて振り返る。まん丸顔に汗をいっぱいに滲ませた大男。幼馴染の弘明だった。
「チッ、とんだ邪魔がはいったぜ。じゃあな、森川。今度の日曜、朝九時に神社で待ってるから。あっ、このことは絶対に秘密だぜ。まあバレて困るのはお前だけど」
　そう言い残すと、田中は弘明に一瞥くれながら小走りに校舎と向かっていった。

「どうした？　なんかあったんか？」
　夏服シャツの肩あたりでグイグイと額の汗を拭いながら、弘明が心配そうに声をかける。
「う、ううん、なんでもない」
「そうか。あのよぉ、もし困ったことがあったら遠慮なく俺に言えよ」
「……うん、ありがとう」
　弘明の優しさは詩織の胸をたまらなく締め付けた。
　たがいに一人っ子同士。近所ということもあって幼いころから兄弟のように慕い育ってきた二人。小学生の時なんかは、仲のよい二人に対して美女と野獣などとよくからかわれもしたものだ。思春期にはいり、どちらともなく自然と距離をおくようになったが、互いを思いやる気持ちだけは少しも変わらずにいた。
　弘明のほうは、妹から大人の女性へと変貌していく詩織にその想いはいっそう強まっているのだが、どうしても悲観的になってしまう。それも無理はなかった。
　かたや町民的アイドルと騒がれるだけあって、ブラウン管に映るアイドル達とくらべてもまるで見劣りしない。キュートさの中にゾクッとするような色気をも漂わせている。いっぽうの弘明は、どっぷりと脂肪をつけた体型に父親ゆずりの赤ら顔。自分でも不細工だと思っている。そんな男がいつまでも馴れ馴れしくしていたら迷惑になるのではないか、そう思うと距離をおかずにいられないのだ。

　キーンコーン、カーンコーン
　授業終了のチャイムが鳴り響くなか、ひとり深い溜息をつく詩織。
　この日、詩織はずっと自分の浅はかな行動を悔やんでいた。
（どうしてあんなことをしてしまったんだろう……もっと強く拒んでいたら……）
　考えれば考えるだけ自分への嫌悪感が強まっていく。
　詩織は、クラブ仲間に休部届けを預けてから鬱のまま帰宅した。

「なあ弘ちゃん、今日は真っ先に俺と乱取り相手してくれよ」
「おっ、ずいぶんと気合が入ってるなぁ。よおし、もし俺の内股に耐えられたら帰りにラーメンでもおごってやるよ」
「な、なんですとぉ！　ぬおお、絶対に今日は投げられねえぞぉ」
「うっしっし、……んっ？」
　仲間と戯れていた弘明が、帰宅しようとしている詩織の姿にピクッと反応する。笑い顔を仲間に向けながらも、これまでに見たことのない詩織の表情がどうにも気になってならない。
「あっ、悪い！　乱取りは明日にしよう」
「えっ、なんだよ？」
「いや、あのさ、……あ、あたたたっ、腹が痛い！　急に腹が痛くなってきた。俺、今日は部活休むから、監督にそう言っといてくれ」
「お、おい、弘ちゃーん！」
　弘明は、巨体を揺らしながらダッシュで走った。
　校舎の二階へかけ上がり、キョロキョロとあたりを見回し田中を探す。
「あっ、いやがった。おーい、田中！」
「あん？　げっ、あいつだ」
　なにやら鬼のような形相で呼び叫んでくる弘明に、怪訝そうにしながらも心の中ではビクビクしている田中。
（も、もしかして森川のやつ、あいつに今朝のことを話したんじゃ……）
　ゆっくりと席を立ち、それ以上にゆっくりとした足取りで弘明のほうへ歩み寄っていく。弘明が急かすように何度も手招きする。ようやく傍までくると、弘明は田中の胸ぐらをグッと掴んでイガグリ頭の仁王顔を目の前まで近づけた。
「おい、今朝詩織になにかしなかったか？」
　ドスのきいた小さな声で弘明が問う。
「な、なんだよ、知らないよ」
「本当か？　嘘ついてたら承知しないぞ」
　迫力満点の赤ら顔に、田中は怯えながらも咄嗟に嘘をついた。
「ほ、本当に知らないって。け、今朝会ったとき森川が泣いてたから……も、もしかして彼氏とケンカでもしたのかって聞いてたんだよ」
「か、彼氏だと？　誰だよ」
　はじめて知る彼氏の存在に、弘明の紅顔がじわじわと引き攣っていく。しめたとばかりに田中の幼い口が僅かに歪んだ。
「な、なんだ、知らないのか？　三年の磯貝先輩だよ」
「磯貝？　せ、生徒会長の磯貝先輩が詩織の彼氏なのか？」
「そ、そうだよ。ほら、あの人って女癖が悪いって評判じゃないか。だ、だからさ、もしかしたら酷いことされたんじゃないのかなぁ……」
　田中は、含み笑いを堪えながら静かに言った。
「そ、そうだったのかぁ……っで、磯貝先輩ってそんなに女癖が悪いのか？」
「うん、そうらしいよ。あくまで噂だけどね」
　しばらくのあいだジーッと田中の顔を眺めていた弘明は、ふと何かを思い立ったようにその場から走り去った。