２章 出会い

「奥さん、そんなに飲んじゃ身体に悪いですよ」
「ほっといてよ！」
　屋台の主人に向かって酒臭い息を吹きかけながら、めぐみは残りの焼酎を胃に流し込み、もう一杯と主人に向かってグラスを差し出す。主人もしぶしぶ一升瓶から酒を注ぐが、半分ほどでやめ、差し返した。
「ケチケチしてんじゃないよ」
「こいつはタダ酒だ。奥さん、それを飲んだらもう帰るんだね、子どもも待ってるんだろう」
「……」
　言い返す言葉もなく、子どもの姿が浮かび、涙が込み上げてポロポロとグラスに落ちる。

「ご主人、１杯いただけないか？」
　背の高い、場所に似つかわしくない上等なスーツを着た男がめぐみの隣に座り、バージニアスリムをデュポンで点けた。夏彦である。
「あては何にするかね？」
「適当に見繕ってくれ」
　涼しい顔で、他の客とは一線を画した風格を漂わせ、マスターから受け取った灰皿にポトリと灰を落とす。いつになく険しい顔をし、周りにいる人に話しかけにくそうな雰囲気を与えている。
「気取ってんじゃないよ」
　めぐみがいきなり夏彦に向かって言った。酔っていたせいもあるが、夏彦の姿が夫の姿と重なったこともあった。他の客達は会話をやめ、マスターも決まりの悪い顔をして、なんてこと言うんだ、とめぐみを睨む。
「気取ってるかな？」
「何様だってのよ。男なんて、男なんて、騙して女を利用することしかないくせに……悔しい」
「何かぼくがあなたに迷惑をかけたのなら謝る」
「いいんですよ、お客さん、この奥さんの言ってること本気に捉えちゃだめです。かなり酔ってんだから」
　マスターが割って入り、それから他の客も自分達の会話に戻り、笑い声が屋台に充満する。夏彦とめぐみは無言で静かに飲んでいた。
「お客さん、もう閉めるよ」
　気が付けばすでに夜半を越え、客はめぐみと夏彦だけだった。マスターがのれんを下ろし、材料の片付けをしている。
「奥さん、ぼくと一緒にちょっと飲まないかい？」
「……んえ」
　素っ頓狂な声を出し、机の上でうつ伏していためぐみはトロンとした目を夏彦に向けた。夏彦は表情も崩さず、酔いの全くまわってない顔で正面を見ている。
「マスター、奥さんの分もぼくが払う。いくらだね？」
　２人分の会計を済ませ、夜空で虚空を見ながら、めぐみが出てくるのを待つ。出てくると、肩に手をまわし、路地でタクシーを拾う。
「お客さん、どちらまで」
「ハヤト・ホテルまで頼む」
　ハヤト・ホテルは超高層の高級ホテルでシングル料金５万からと庶民ではちょっと手の出ないホテルだ。夏彦は携帯電話からハヤト・ホテルに電話する。
「２人分の予約を頼む。今からだ。スイートは無理かね？」
　お客様、急にそんなこと言われましても困ります、といった内容のホテル側のフロントからの返事が静かな車内に妙に声高に響く。
「夢野夏彦だが……」
　そのあと少しの会話があり、結局予約を取れた。めぐみは夏彦とホテル側との会話を夢うつつで聞きながら、夏彦の身分を考え出した。こんな大それたことができるのはヤクザの組長か政財界の大物か、どちらにしても夫に捨てられた自分と比較したら全く釣り合いが取れない。
　ホテルの前にタクシーが停まり、２人はホテルのロビーに入る。
「ちょっと待って……。こんなことされても、あたし……」
「嫌らしいことをしようと言うんじゃない」
「そういう意味じゃなくて……。困ります、はっきり言って」
「困らせたいんだ、とっても」
　めぐみの酔いは一気に覚めた。夏彦の考えている意図がさっぱり分からず、ボーイが案内してくれるのにただついてゆくだけだ。案内されたスイート・ルームは最上階にあり、部屋の調度は超一流の品々で飾られ、窓からの夜景は100万ドルという言葉があればまさにぴったりだった。
「見てよ、とてもきれいだよ」
「そうね」
　夏彦が感傷に浸っている姿にただ疑問しか感じず、生返事で答えることしかできなかった。
「ちょっといい？」
　めぐみは夏彦の手を取ると応接間でガラスのテーブルを挟んで対座に座る。
「どういうつもり」
「……」
「こんなことされて、ほんとに困るわ。身体が目的ならそう言ってちょうだい。ロマンチックなんて感じる歳じゃないんだから……」
「どうしていいか分からないんだ。おれは負け犬じゃないだろうか、人生に逃げていないだろうか、生き方に自信を持っていても実は不安で不安でしょうがないんだ」
　それからめぐみに向かい、夢野財閥の苦境、弟の提言、自分の仕事について切々と語った。気付くとめぐみの隣に座り、身体を折り曲げて膝枕をしてもらっていた。めぐみはそんな夏彦のこめかみのあたりを優しく撫で、髪をすいた。
「無性にやりきれないときがある。弟以上にビジネスでは負けない自信があるが、実際はただの放蕩息子というレッテルを周りから張られ、そんなとき周りを見返したいんだけど方法が見つからない」
「あなたはあなたよ。すごく頑張っているし、立派だわ。あたしなんて夫に捨てられて、もうどうしていいか分からない。信用できないのよ」
　涙がポロリと夏彦の顔に落ちる。夏彦は起き上がると、めぐみの着ているものを脱がせた。脱がせながらお互いの目を見つめ合い、唇が触れ合った。