とりかえっこ○○

蔵人一文字 作
１４　　それぞれの護り方

「…ふぅ」
　燈子が目を覚ましたのは、それから三日後だった。久しぶりに聞く母の声は、璃緋都にとっても懐かしく思えたものだった。

　それなのに、璃緋都は自室…ベッドの上で溜息をついていた。別に風邪を引いたわけではない。家から出られないのだ。
　本人の自覚は少ないが、璃緋都は財閥の『お嬢様』である。そして、銃撃を受けたのは国内有数の財閥の主の妻…。
　報道機関がこれに飛びつかないわけはなかった。ここ数日、テレビでは口縄邸が毎日のように映し出され、リポーターやアナウンサー達が事実と憶測を交えてあの事件を語っていたのである。
　『毎日見舞いに行こう』と思っていたものの、連日玄関前に誰かしら報道関係の人間がつめているので、学校にすら行けない状況になってしまったのである。一度何も知らずに外へ出てしまったとき、いきなりフラッシュをたかれ、質問攻めにあってしまったものである。
　その際に、生放送で璃緋都の姿が報道されたせいか、昨日の朝には郵便受けに応援のメッセージやらラブレター（！）やら色々入っていたし、宅配便が見舞いの品物をわんさと持ってくるし、世間が璃緋都をちょっとしたアイドルのように見ているのである。

「…まったく、呆れたものね…これじゃ母さんの見舞いにも行けない…」
　璃緋都はこの数日間、悶々としていた。学校に行けず、病院に母の見舞いにも行けない。さらに、父は璃緋都に『外へ出るな』と言っている。
　マスコミのことを言っているのかと思ったら、そうでもないような気がする。
「…美月や澄江、どうしてるかな…」


「…璃緋都、今日も来てないね」
「…うん。やっぱり、あんなことがあったからなんだろうけど…」
　誰も座っていない璃緋都の席を見つめるのが、最近日課になってしまったような気がする。
「うちの母さんも当事者だけど、マスコミには報道されずに済んだみたい。おかげでわたしは登校できるけど」
「璃緋都は実の母親が撃たれたんだもんね。その上、今頃報道関係が家に詰め掛けてるでしょうし」
　澄江が『お手上げ』のポーズを取った。
「…はぁ、これじゃしばらく璃緋都に会えないわ」

「…ねぇ、その璃緋都について気になることがあるんだけど…」
　黒板の上についた時計を見ながら、美月が言った。時間が早いのでまだ登校してきた生徒は少ない。
「あのとき、璃緋都が妙に苦しんでたりした理由って、何かな？」
「わたしも、それが気になっていたの。『前にもこんなことがあったような』とか、そんなことを言ってたと思うけど…でも、それってたぶん、璃緋都本人が思い出さないほうがいいことなんじゃないかな？」
　机に腰掛けた澄江が美月を見下ろす。背が高いのでどうしてもこうなるのだ。
「うん…あんなに苦しそうにしてたもんね。あんな事件があったばかりだし、璃緋都に何もなければいいんだけど…。せめて、璃緋都に会えればなぁ…」
　美月が母から聞いた内容では、あの事件があった夜、璃緋都はかなり落ち込んでいたようだった。『母親みたいに抱っこして寝ちゃった』と明るく言っていたものの、母の表情もどこか重く暗いように思えたものである。
「わたしも、璃緋都に何かしてあげたいなぁ。何もできないかもしれないけど、そばにいるくらいはしてあげたい」
「…うん」
　澄江の率直な言葉に、美月もうなずいていた。二人とも、璃緋都の裸を見た仲なのだ。
　本来ならば恋のライバル的存在であるというのに、美月と澄江は璃緋都を挟んで結束を固くしていた。

　放課後になると、二人は鬱々とした気分のまま校舎を出た。すでに陽が落ちようとしていたが、二人は向き合ってうなずいていた。
「…行こう、璃緋都の家に」
「うん。たとえ璃緋都に何があったとしても、わたしは璃緋都が好きだもの。璃緋都に何かしてあげたい」
「…わたし『たち』は、といってほしいところなんだけど」
　澄江がむくれるのを見て、美月は微笑を返していた。
「さて、前みたいに都合よくタクシーがいればいいんだけど…って」
「？」
　意気込んだ二人の前に、見たことがない車が停まった。一瞬璃緋都の迎えの車を思い起こしたものの、そんなすごい車ではなく、よく見かける普通の白い車だった（それでも高そうな車ではあったが）。
　窓にスモークがかかっていたので、誰が乗っているのかよく見えなかったが、それを確認する前にドアが開いた。
「…あれ？風花さん？」
「…風花さん…？だけど、何かが違う…？」
　降りてきたのは、あの風花だった…が、何かが違う。まず髪型、それから…。
「風花さんって、こんなに胸すごかったっけ？璃緋都より大きいよ、この人」
　本人を目の前にして澄江が言うのへ、その女性は微笑した。
「…人の胸をまじまじ見ながら言うことではないですし、わたしは風花じゃないですが」
「…へっ？」
「そ、そういえばどこか物腰が柔らかいし、胸も柔らかそうだし…」
「だから胸は関係ないですってば」
　『胸がない』澄江にまじまじと見つめられたその女性は、いい加減その話題が鬱陶しくなったのか、両手で胸を覆ってしまった。
「わたしは、雪村聖架。風花の姉です。…えぇと、風花を知っているということは、あなたたちが『内藤美月』さんと『熊田澄江』さんであってますか？」
「あ、はい」
　うなずく二人を見た聖架は、先ほど自分が降りた車を指差す。
「とりあえず、乗ってください」

「で、何でわたしがあなたたち二人を迎えに来たかというと、風花に頼まれたからなんです」
「へ？風花さんが？」
　二人が後部座席に乗ったのを確認した聖架が話し出した。
（おおよそ、この人が乗るのにふさわしくない車だなぁ…なんていうか、男の人が乗ってそう。中も何も置いてないし）
　美月が思ったのはまずそれだった。この聖架という女性は、見た目はおっとりしているし、いかにも『可愛いものが好きで仕方がなさそう』なのに車の中にはぬいぐるみ一つなく、せいぜい芳香剤が吊り下げられている程度だった。
（…あと、この人の趣味よくわかんない…）
　そうかと思えば、フロントガラスの右上に一つだけ『御意見無用』と書かれたステッカーが貼ってあったりしたので、二人は思わず苦笑してしまった。
「先日の銃撃事件があったせいで、璃緋都さんが登校できないのを心配しているだろうから、二人を璃緋都さんの家に連れてきてほしい、ということで」
（…見抜かれてるなぁ…）
　二人は顔を見合わせた。今の今まで『璃緋都の家、行っちゃおうか』と話し合っていたところである。
「…でも、それならなんで風花さんが直接来なかったんですか？」
「風花のほうは、別に用事があるらしくて。わたしはあなたたちの顔を知りませんでしたが、あなたたちのほうがわたしを見れば反応するだろう、というある意味理不尽な頼み方をされたんです」
「まぁ、確かに反応はしたけど…確かにある意味理不尽かも」
　運転席から振り返って二人を見る聖架が微笑した。

「あと、もう一つ質問していいですか？」
「はい？」
　澄江が手を上げて質問するのへ、聖架が返事を返す。
「何で、発車しないんですか？わたしたち、これから璃緋都の家に行くんですよね？」
　澄江が言うとおり、二人を乗せたまま、車はまだ発進していなかった。澄江のほうに悪気はなく、『何で走りながら話をしないんだろう』的なものだったのだが、聖架のほうは苦笑で返すのだった。
「そうですね。では、そろそろ行きましょうか。えい！」
　聖架の『掛け声』の直後、車のエンジンがかかったかと思うと、先ほどゆっくり降りてきた動作からは信じられないほどすばやい動きでサイドブレーキが解除される。
「…へっ！？」
　澄江が間の抜けた声を上げるのと同時に、車は『どん』とすごい速さで飛び出していた。


「…し、し、し、死ぬ、死ぬかと…思った…ッ！」
　口縄邸の裏側に車が停まると、後部座席のドアから、よたよたと二人が降りてきた。その表情はとても青ざめていた。
「あら？どうしたんですか？わたし、危ない運転してました？」
　本人はいたってケロリとしている。
「そ、それはもう…」
　ここまで来るのに、少なくとも前より十分〜十五分くらい短縮されている気がする。メーターはほとんど七十〜八十ｋｍを保っていたし直線では百に迫る勢いを見せていた。しかも好んで信号がなく、あまり車が通らない道を進んでいたのでスピードが落とされることも少なかった。停まったのは信号や歩行者がいたときだけである。
（…ほとんど絶叫マシンだったわ…でも、聖架さんがスピードを落としたときは、必ずといっていいほど信号に引っかかったり自転車やお年寄りが横断中だったりしたわね。はるか遠くから見えてたのかしら。…この人、ひょっとしてかなりすごい人なんじゃ…？）
「…ええと、先ほどの質問『なんで発車しないのか』に答えますけど…」
「…あれじゃ、聖架さん自身、運転しながら話す余裕ないですよね…あ、あははははは…」

「さて、一応表門のほうも見ましたが、あれではとても入れそうにないですね。璃緋都さん、可愛そうに…」
「へ？表門、見てたんですか？というか、通ったんですか？」
　邸宅裏側の塀を見上げる聖架に、今度は澄江が質問する。運転に集中しきってしまっていたのかと思いきや、そうでもなかったらしい。
「…さて、まずはここから入りましょうか。車を踏み台にすれば塀は乗り越えられます。お二人は中に入ってください。わたしは一旦車を置いてから追いかけます」
「あ、はい…って、聖架さんはどうやって入るんですか？車置いてきちゃったら、中に入れなくなっちゃうんじゃ」
「ごもっともですが、わたしは大丈夫なので…」
　終始笑顔の聖架に言われ、美月たちは車の上に上がって塀を乗り越える。降りるときは一旦塀にぶら下がってから落ちた。
「では、璃緋都さんのところに行ってあげてください。間違っても正門に近づかないようにしてくださいね。あなたたちが中に入っていることがバレたら、取材の対象にされてしまいますし」
「分かってます。それじゃ…」
　塀の向こうで、美月たちが遠ざかるのを待ってから、聖架は再び車に乗り込んでいった。
（さて、あの二人はどういう方法で璃緋都さんを護ろうとするのでしょうか？風花によると、菜月さんは『記憶を取り戻さないほうがいい』という判断をしたようですが…）
　ひとしきり考え事をめぐらせると、聖架は再び『えい』という掛け声とともにエンジンをかけるのだった。


「…というわけで、『あれ』には女性を妊娠させる効力はないそうよ。詳しいことはよく分からないけど」
　…一方そのころ、風花は数週間ぶりに帰宅していた。会社ではなく、姉の聖架、妹の弓華が住む家である。実際は風花もこの家に住んでいるはずだが会社のほうが忙しいのでほぼ泊り込みになってしまっているのである。
「それにしても、突拍子もない話ね。女の子に『アレ』が生えちゃうだなんて」
　風花は、弓華にあえてこの件についてすべてを説明していた。謎の本、璃緋都と美月・澄江のこと、璃緋都の母が撃たれたこと、そして、先日渡したものが、璃緋都の『モノ』から出たものであること…。
　弓華は信じられない、という顔をしていたものの、真っ向から『ありえない』という反発はしなかった。同じ顔をした姉妹ということもあり、風花を言うことを最初から疑うつもりはないのだ。
「わたしだって信じられない話だが、この目で見てしまったからな…」
「風花姉さん、まさかその璃緋都さんと…その、しちゃったんじゃないでしょうね？それで、あんなものわたしに持ってきたわけじゃないよね？」
　風花が、面倒に首を突っ込むのが好きな性格だということは、弓華もよく知っている。自分も数年前にさんざん振り回されたものだ。
「興味はもちろんあったが、してはいないな」
「も、もちろん『あった』って…あははは…」
　否定をしない風花の性格も、弓華はよく分かっている。
「それで、だ…その璃緋都について、迷っていることが一つある。あえて今まで何も知らなかった弓華に相談したいことがあるんだ」
「へ？風花姉さんでも迷うことがあるの？わたしに相談って、尋常じゃない気がするんですけど」
　弓華に言われて、風花は思わず苦笑していた。確かに、自分から弓華に相談を持ちかけたことはほとんどない。
　ただそれは、弓華のことを『頼りにならない』と思っているわけではなく、むしろ妹に自分の弱さを見せないための配慮である。
　常日頃、常人とはやや違った生活を送る風花から見れば、ごく普通、常識的なアドバイスができるであろう弓華はある種頼れる存在ともいえた。

「…たとえば、だ。もし、わたしが記憶喪失で、重大なことを忘れていたとする。それも、自分の人生観が変わるような出来事…悲しいことを、だ」
「うんうん」
　風花の言葉を、弓華が一つ一つうなずきながら受け止めていく。
「そんな場合、弓華は…わたしがそれを『思い出す』ほうが幸せだと思うか？それとも、『思い出さないままでいる』ほうが幸せだと思うか？
　どっちが、わたしを守る最良の方法だと思う？忘れていたことを受け止めるべきか？それとも、忘れたまま日常に戻すべきか？」

「…難しい問題だね。どっちも正論なんだもの。今まで忘れてたのなら、忘れたままのほうがいいような気もするし、でも、思い出して全てを受け入れるほうが正しいような気もする…。だけど…」
「…だけど？」
　考え込む弓華の顔を、風花が覗きこむ。
「わたし自身だったら、全てを受け止めたい。全てを受け止めた上で、自分で未来をつかみたい。たとえば、風花姉さんや聖架おねえちゃんががわたしを守るために、わたしを傷つけないために、昔から隠し事をしていたとしても、わたしはそれを全て話してほしい…あれ？何か論点狂っちゃったかな」
　弓華は首をかしげたが、風花ははっ、としたような顔をしていた。
（…ふふっ、聖架もそうだったが、この弓華も只者じゃないな。ひょっとしたら、わたしたちのことなんか既に知っているのかもしれないな）
　そう思った風花は、小鳥のように首をかしげたままの弓華を、正面から胸に抱きしめていた。
「ふぇっ…な、何するのよ風花姉さん」
「…ふふっ、なんでもない。やっぱり弓華は可愛いな。それに、利口だ」
　妹を抱きしめた風花は、そのまま頭を優しく撫でてやる。妹のほうは驚いたようだが、拒まずにそのままでいた。
「いつまで子供扱いするのよ〜…わたしも風花姉さんももう二十歳なのよ」
「その割には、ちっともここは成長していないようだが…下着で多少寄せているようだが、脱がせたら谷間が残念なことになりそうだ」
　ゆっくりと胸をまさぐられた弓華が、顔をしかめた。
「こらーーっ！どさくさにまぎれて何するのよっ！」
「あっははははは…うわっ！」
　妹の反応の仕方に笑ってしまった風花を、今度は弓華が押し倒す。
「もう、こうなったら風花姉さんの乳房が潰れて小さくなるまで揉み解してやるんだからっ！」
「こら、やめろ、使い物にならなくなったらどうするんだっ！わわっ！」
　思わぬ反撃にあってしまった風花が、声を上げるのだった。


「ねぇ、修平…この後どうするの？あの屋敷に行けない以上、他の手がかりを探すしかないわけだけど…」
　早朝に出立した真夜と修平の二人は、修平が運転する車の中で今後の予定を話し合った。
　見た目には高校生くらいに見える修平だが、こう見えて運転は上手いのだ。
「…とりあえず、雪村さんと落ち合う形になるな。打ち合わせもせずあわただしく出てきちまったから、一度連絡を取らないとか」
「それで、やっぱり…犯人を捜すの？」
「…どっちの、犯人だ？」
　修平が意味深なまなざしで聞いた。
「そうね。同一犯じゃない可能性もあるけど…でも、やっぱり、今回と二年前は…同じ犯人だと思う。もちろん、わたしが当事者だったわけじゃないから、ただの勘になっちゃうんだけど…」
　自信なさそうに言う真夜を、修平が見る。
「いや…俺だって同じ意見だ。だが、どちらにしたって璃緋都お嬢様を守る形には違いない。となると、あの屋敷の使用人だけじゃもちろん不安だ。誰か人をやる必要が出てくるだろうな。俺が行くか、真夜が行くかは決めてないが。それから…彼女をどんな方面で守るか、というのも今後の方針の一つになる」
「…そうね。『知っていいこと』もあるし、『知らぬが仏』ということもある…あの子の場合、どっちが幸せなのかしら。神楽都志彦…その名前を思い出さないほうがいいのか、思い出したほうがいいのか」
　真夜がうつむいた。
「…ああ。だが、思い出してもらわなければ…璃緋都お嬢様は…この先ずっと、家から出られなくなる。俺たちは今は彼女を守るが…彼女にとって真の幸せは…誰にも守られることなく真に外に飛び出せる…そんな翼を気兼ねなく広げられることだ。だから、俺は…俺自身は、彼女に知ってもらう必要があると思っている」
　車は左に曲がった。風花はもうYTCに戻っているだろうか？もしかしたら寄り道をしているかもしれない。
「…俺は、男だからな。いくらお前が近くにいるといっても、俺と真夜の心は違う。…俺が今言ったことは俺の理論だし、璃緋都お嬢様や真夜にとっては自分勝手に映るかもしれないな。同じ女として、真夜の考え方はどうなんだ？」
「悲しすぎる過去だもの。できれば忘れたままでいてほしいわ。それで幸せに生きることができるのなら。だけど、今の彼女は追われている…狙われている。本人も知らない…忘れたままの『敵』に狙われている」
　信号に引っかかり、車が停まる。その間も真夜はずっとうつむいていた。どうすれば、璃緋都を傷つけずにすべてを片付けることができるだろうか。
「…誰も傷つかずに、今のまま…というのは無理な相談なのかもしれないわね」
「そうだな…そう考えると、うちの所長も…優しいと見せかけて、案外残酷なことをしたのかもしれないな。もちろん、本人はそれを理解していたんだろうけど」
　信号が青に変わり、修平が運転する車が再び動き出した。
あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。
2009.2.4掲載
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