| ３１ 贖罪 神楽都志彦は、『自分が本の中にいたことを知っている人間がいる』と言った。 それは、前に澄江も見たことがある八坂真夜。氷室探偵事務所の所員である。彼女もまた、璃緋都を守るべく行動していた一人である。 『ひょっとしたら、僕は泳がされたのかもしれない…』 「どういうこと？」 燈子の問いに、彼女の…いや、今は澄江が持ってきた『本』の中にいる都志彦が、二人に語りかける。 『…氷室探偵事務所の二人は、いつからかは分からないが、僕という存在がいることを知っていたのかもしれない。 そして、僕という存在が高柳や徳永を狙わないように監視していたのかもしれない…何かを起こす前に始末しようとしたのかもしれない』 「…」 『…でも、これで徳永議員がいる場所が分かった。美月さんが僕を拾う前に、ある女性が僕を拾った…』 「あのブロンドの胸の大きい人ね」 澄江にはその心当たりがある。どう見ても真夜にはつりあわないが、彼女の同僚であるという。 『…その女性が僕を持ち帰った場所…そう、『氷室探偵事務所』。おそらく、徳永という男はそこにいる…！』 「…行きましょう！」 燈子の言葉には、どこか狂気めいたものがあった。溺愛し、実の親子以上の感情を持つ娘璃緋都を傷つけられた…その怒りは歳を経た今でも変わることはない。今の彼女を突き動かしているのは…憎しみそのものである。 「ヤツが生きている限り…璃緋都の心は絶対に晴れないのだから」 （…本当に、そうなのだろうか？） 目的が決定し、足が早まる中、澄江は一抹の疑問を捨てられなかった。自分からここに来たものの、彼女は今まで璃緋都のそばにいて、そして彼女の変化を目の当たりにしてきた。 記憶を取り戻す前の、凛としているというよりは無関心無表情な璃緋都、記憶を取り戻す直前の不安定で弱弱しい璃緋都、そして記憶を取り戻した後、苦しみに悶えつつも回りに支えられ必死にもがき強くなろうとする璃緋都…。 『会いたいと思った』と言ってくれた璃緋都。ためらいつつも自分と交わった璃緋都…。様々な璃緋都の表情が、澄江の中で巡った。 澄江は迷いを持っていた。璃緋都が心から慕っていた神楽都志彦が、対象が憎い相手だとはいえ、自分の母親を利用して殺人を実行することを…璃緋都は喜ぶのだろうか。果たしてそれで本当に彼女は何もかも忘れ、新しい未来を歩み始めることができるのだろうか？ （…っ！） そして、何よりも怖かった。自分がその片棒を担ぐことが怖いのではない。それにより、『大好きな』璃緋都に嫌われるのが怖かった。 （ねえ、都志彦くん） 『ん？』 胸のうちで、澄江は都志彦に呼びかけた。 （…あなたは…なぜ、あの議員やその秘書を殺そうと考えたの？） 『他ならない、璃緋都を守るためだ。あの高柳という男は…璃緋都が凌辱されているところを撮影しただけでなく、その写真やビデオを利用して口縄財閥を脅迫までしていた…このままでは璃緋都の人生がまだ狂わされてしまう』 （そんなことまで…！） 『あの男は生きていてはいけない…だから殺さなければならなかった。だが、徳永という男はそうはいかない。単純に物理的なもので殺すことができない…そんな気がする』 都志彦からの言葉は、意外なものを含んでいた。 都志彦は、燈子の体を用いて高柳を殺害した。その際どういう手段を用いたのかは自分は知らない。 だが、おそらくは燈子の体はただの器であり、実際にことを起こしたのは都志彦なのだろう。現代に生きる幽霊は、そんな強大な力まで持っているらしい。 しかし、その都志彦ですら徳永を殺害することはできない、と言ったのである。 『…ヤツはおそらく、人間じゃない』 （何ですって！？） 激しい息遣い。そして床の血だまり…。 「…やれやれ…まさか、俺たちと同じような存在が絡んでいたとはな…。いや、最初からそれを疑わなくてはならなかったのかもしれない」 『自分以外の何か』が自分の中にいる。徳永はそれを自覚していた。 目の前にくず折れた徳永、そして自分の腕を交互に見て、修平は思い返す。 高柳は強姦したときの写真をネタに口縄家を恐喝していた。その高柳は、自分の獲物を徳永の『もう一人』に糧として与えていたのだろう。 驚くことに、ひょんなこと（高柳が徳永を轢いたこと）から二人の利害が一致してしまったのである。 高柳は自分が凌辱した後（あるいは共に凌辱する際）、徳永にその体を与えることでリスクなく女性を凌辱できる。 なぜならば、徳永の中にいる『もう一人』はどうやら、相手の短時間の記憶を消す力があるらしかった。そのため、凌辱された本人は、『凌辱された事実』は体に残るが、犯人の顔は覚えていないのである。 また『徳永の中にいるもう一人』は、女性と交わることを糧にしなければ生きていけないし、生身の徳永もそれは同じようである。 そのため、徳永も生きている限りは『もう一人』のいいなりになるしかなかったのである。 ところが、口縄璃緋都の場合は違った。 正義感の強い少年…神楽都志彦が、璃緋都の記憶を消去する前に助けに来てしまったのである。 その結果、高柳は上手く逃げおおせたものの、徳永は眼球を抉られ、結果的に都志彦は死んだ。 その後すぐに璃緋都から自分たちの記憶を消去しようとした徳永（のもう一人）だったが、すぐに女性…雪村風花が駆けつけたため、高柳という人間の記憶を消すことができていなかったようだ。 徳永は、その際に眼球と免許証を置き去りにしている。それはただ単に忘れていたのもあるし、また璃緋都…そしてそれ以前に被害にあった…さらにこれからも被害にあうであろう女性に対する、何も出来ない自分が唯一できる贖罪行為だったのかもしれない。 自殺は許してもらえない。ならば…誰かに殺してもらうしかない。だが、普通の人間には自分を殺すことはできないのである。 さて、璃緋都は徳永の記憶は消されたが、高柳の顔は覚えていた。それは、あの時、高柳の記憶を消すことができなかったからである。 『このままではまずい』と思った高柳は、璃緋都を消すことを考えたが、璃緋都が廃人同様になったと聞き、『どうせ自分から死ぬだろう』とタカをくくり、手を出さなかった。しかし、しばらくすると璃緋都は（氷室に記憶を消されて）元気を取り戻し、ごく普通に生活するようになった。それを見た高柳は、璃緋都の存在に畏怖していた。 そこで、登下校の最中に襲撃を、と考えたが、絶えず護衛がついているし、曲がりなりにも国会議員の秘書をしている自分が女子高生を追い回すのも何かと目立つ。考えた高柳は、ある程度のリスクはあるものの、璃緋都を撮影した写真を使って口縄財閥を脅し、口を封じてしまうという暴挙に出ていたのである。 「…修平」 修平に言われるまま顔を背けていた真夜が、心配そうに声をかける。無理もない。夫が人を殺めたのだ。 「これでいい。お前にやらせるわけにはいかないし、それに…こいつは俺にしか殺せない。 人間じゃない力を持つ、俺にしか…殺せない。たとえ神楽都志彦の幽霊だって、無理なことなんだ」 徳永議員に宿っていた『何か』は最後まで姿を見せなかった。それが何故かは、修平たちには分からなかった。 あるいは、徳永の最後の抵抗が功を奏していたのかもしれない。 （終わるか、これで…全てが…） 血液が滴り落ちる右腕を見下ろし、修平はそう呟いた。 「八坂さん…うっ…！」 やがて、所員の冴に案内されて部屋に入ってきた人物が、部屋の惨状に声を上げた。 「…これは、徳永議員…！？」 風花に続いて入ってきた璃緋都が、口元を覆った。徳永はもう息をしていないことくらいは、璃緋都にも分かる。 「何があったんですか…これは一体…なんで、ここでこの人が…死んでるんですか？」 璃緋都の記憶にはないが、ここにいるのはおそらく、自分を凌辱した男である。探していたとはいえ、ここで対面するとは思っていなかった。 正直会ってどうするのか、どう思うのか自分にもよく分からなかったのだが…不思議にも、璃緋都には憎しみの感情が湧かなかった。 「…何があったのか、話していただけますな？」 言ったのは、修平自身が呼び出した久瀬警部である。この事件の顛末は、とうとう容疑者死亡で終わってしまったのだ。 彼にとっても釈然としていないところが大きいのだろう。 振り返った修平が口を開こうとしたとき、異変は誰かの声とともに起こった。 「…八坂さん、後ろっ！」 「…えっ・・！？」 信じられない光景があった。息絶えたはずの徳永が、なんとゆっくりと…よろけながらも立ち上がろうとしていたのである。 いや、それは本当に徳永なのだろうか。立ち上がる途中、徳永の顔から何かが落ちて小さく音を立てた。 …義眼だった。神楽都志彦が抉り取った場所に入っていたもの。 『徳永』の顔が上がる。その顔に残った眼は、異常な光を放つ視線を一点に集中させていた。 その視線は目前にある修平ではない。修平を通り越した奥である。 「見つけた…」 『徳永』が笑みを浮かべた。 |
| あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。 |
| 2012.5.2掲載 |
蔵人一文字さんの作品群→ |