（１）

「最近さ、ハルのやつがうるさいんだよね。ＳＭプレイをやらせろ、ってさ」
　放課後。ホームルームが終わったばかりの教室内で、秋山隆美は唐突にそんなことを言いだしたのだった。
　ロコネイルのスクールバッグに伸ばしかけた手を止めて、小泉侑加は親友の顔を見た。
「軽く縛るだけ、痛くしないから、ってしつこいの」
「ハルって誰よ」
「あたしのダーリンに決まってんじゃん」
「例のバイト先の大学生？」
「それはキョウスケ。とっくの昔に別れちゃったわ」
　唇を尖らせながら隆美は言った。怒っているのか笑っているのかよくわからない口ぶりである。
「あいつ、あたしに借りたお金で風俗にかよってたのよ。もうサイアク」
「ふうん、そうなの」
「ハルはね、夏休みに合コンで知りあった人。カメラマンの助手をしてるんだって」
　侑加はスクールバッグに教科書を詰めこんだ。教室の清掃がもうはじまっている。
「この前、ハルの部屋にいったんだけどさ。彼、ビデオカメラにロープなんて用意してたのよ。しかもセーラー服まで」
　早口で語る隆美の声を耳だけで聞きながら、侑加は、前髪の毛先を指でいじった。
　ヘアピンの前髪を横に流した髪型は、中学三年のときからの侑加のお気に入りだった。そういう髪型だと、少女らしい清潔感と白い額が目立つ。退屈なときに前髪を触る癖も昔から変わらない。
　性的な話題に興味がないわけではないが、教室で下品な話はしたくなかった。まわりには男子だっているのだ。自分まで安い女だと思われたくない。
「制服を着せて縛りたかったみたい」
「それで？」
「仕方ないから制服は着てあげたけど、ロープはＮＧ。痛いのはヤだしね」
　隆美は足を組みなおした。チェック柄の青いスカートが太腿まで捲れる。彼女はそれを直そうともしない。
「男ってさ、どうしてああいうのが好きなんだろうね。ＳＭとか、変態っぽいのとかさ」
「そんなの知らないわ」
「でもさ、侑加の彼氏もそういうの好きそうじゃん」
「彼氏？」
「レディコミで漫画を描いてるんでしょう」
「ああ、お兄ちゃんのことね」
　半分ほど捲れた隆美のスカートの奥から赤いものが覗いている。彼女が履いているのは、英文のプリント模様が入ったパンティだった。体育の授業のときに更衣室で見たのだ。その下着を数人の男子生徒が盗み見ている。
「雅樹さんは彼氏じゃないわ、イトコみたいなものよ」
「親戚の人なの？」
「たぶんね」
「何よ、それ」
「叔母さんの婿養子だったのよ、もう離婚しちゃったけどね」
「じゃあ、血の繋がりはないんだ？」
「うん」
　そういった男をはたして親類と呼べるのか、高校一年生の侑加にはよくわからなかった。
「いいじゃん、それ。なんか禁断の恋って感じ」
「だから、そういうのじゃないんだってば」
「向こうがそう思ってるとは限らないでしょ、侑加ってば美人だし」
「やめてよ」
「でもさ、漫画にするくらいなら経験もあるんじゃない？」
「確かに、そういう作品も描いてるみたいだけど……」
「へえ、秋山ってＳＭが好きなんだ」
　後ろの席から大木が首を伸ばしてきた。
「なんなら俺とどうよ？」
「えー、大木ってＳＭやったことあるの？」
「ないけど、興味ならあるぜ」
　スポーツバッグを肩にかけて大木は席を立った。
「俺としては小泉のほうがタイプなんだけどな、秋山と違ってお嬢様っぽいし」
「何それ、サイアクゥー！」
　隆美が口を尖らせたときには、大木はもう教室から飛び出していた。彼は今週の掃除当番だ。モップを手にした女子生徒の怒鳴り声が響く。
「あいつ、絶対に遊んでるよね」
　スクールバッグのなかにコンパクトを収めながら隆美は言った。彼女の鞄には携帯電話と化粧品しか入っていない。
「夏休みにさ、大木がラブホに入るのをアイコが見たんだって」
「ふうん」
「しかも、相手はグラビアタレントだったらしいよ」
「グラビアタレント？」
「うん。大木のお姉さんってグラビアに出てるでしょ、大木絵梨って人」
「へえ、そうなの」
「そんな人の弟なんだから、相手の女も芸能人に違いないってアイコは言うのよ。顔を見たわけじゃないんだけど、絶対そうに決まってるって」
「アイコも適当なこと言ってるのね」
　ふたりで学校を出て、駅へとつづく繁華街の大通りを歩く。
　もう九月の下旬だというのに、街には薄着姿の女が目立った。ファーストフード店のカウンターから、ドラッグストアの店頭に並んだ化粧品の特売コーナーから、制服姿の少女たちの黄色い声が聞こえてくる。ふたりは、軽食を扱うワゴン車の屋台に立ち寄った。
　アイスキャンディーを舐めながらカラオケ店の前を通りすぎる。映画館の前に行列ができている。
「ＳＭプレイってどんな感じなんだろうね」
　隆美はまだその話題に固執していた。
「この前さ、サユリが彼氏とＳＭしたんだって。手足を縛られただけなんだけど、けっこう興奮したって言ってたよ」
「サユリって、Ｄ組の今野さんのこと？」
「うん」
「嘘でしょう」
　その少女なら、学校の図書室で何度か見たことがある。いかにも優等生といった感じの眼鏡の女子生徒である。
「縄の痕が残って面倒だった、って言ってたけどね」
「ふうん、あの今野さんがねえ」
　それが彼女の癖なのか、隆美は、棒状のアイスキャンディーを咥えながら顔を前後に動かしている。男が見たら卑猥なことを想像しそうな光景だった。
「あたしもダーリンにお願いしてみようかなァ］
「お願いって何よ」
「だから、ＳＭに決まってるじゃん」
「さっきは痛いからいやとか言ってたくせに」
「いやだけど興味はあるもの」
　侑加はため息をついた。けれども、親友の心理がまったく理解できないわけではない。たぶん彼女は、ＳＭ自体に興味があるわけではないのだろう。
　制服のスカートを短くするのと同じように、髪を染めるのと同じように、身近の女友達がしていることを自分もやってみたいだけなのだ。そういった子供特有の好奇心は、もちろん侑加にだってある。理解することはできる。
　しかし、理解はできるが納得はしたくない、という意識もあった。ＳＭとはそんなものじゃないと思う、女子高生が好奇心だけで手を染めていいものじゃない。
　あの日、マンションの廊下で見た若妻の顔が侑加の脳裏に浮かんだ。
「どうしたの、侑加？」
「……ううん、別になんでもないの」
　不意に現実へと戻って、侑加は曖昧に笑った。ゲームセンターから出てきたふたり組の男に声をかけられたのは、その直後だった。
「ねえねえ、これからカラオケでもどうよ？」
　大学生風の身なりをしているが、口調はクラスの男子と変わりない。
　前髪のヘアピンを指で触りながら、侑加は、街並へと視線を泳がせた。腕を組んで歩く制服姿のカップルがいる。ベビーカーを押しながら携帯を耳に当てる若い主婦がいる。ビルの大型ビジョンに映った女性は、新番組のテレビドラマの主演女優だ。
　ふたりの男は、ケータイ小説やバイクの話題を熱心にしゃべりつづけている。その声が、街の喧騒とともに右から左へと侑加の耳をすり抜けた。
　こんなふうに街で男に声をかけられるのは、これがはじめてではない。中学一年のころから特にその機会が多くなった。茶髪の高校生、高級車を乗りまわす若者、タレント事務所の名刺を一方的に押しつけてきた青年。財布から万札を取りだして「パンティを見せてくれませんか」と言いだした男もいる。彼女の父親と同年代の中年男だった。
　なかにはアイドル顔負けの美少年もいた。そして、そういった男に稚拙な恋心をいだいたこともある。けれども、数ヶ月前までの話だ。
　今は違う。男たちが何を欲しているのかに気づいたから、無邪気に喜ぶことができない。夢中になどなれなかった。彼らは、女を裸にするためにアプローチを仕掛けているのだ。
「カラオケがいやならドライブでもいいぜ、友達が車を持ってるからさ」
　その言葉は隆美に向けられたものだったが、男の目は侑加の顔や胸元を盗み見ていた。もうひとりの男もスカートの足に視線を落としてくる。彼らの興味が侑加ひとりに向けられているのは明らかだった。
　侑加は、身体を横にそむけた。そうしたところで、視姦を防ぎ通せるものではない。劣情を秘めた目つきが制服のブラウスやスカートに刺さる。強く感じる。その下には、性を知らない十六歳の処女の肉体が隠されている。

　　☆

　湾岸地区にある高層マンションの十八階が彼女の自宅だった。
　鍵をさしこんで玄関の扉を開けると、侑加は台所へと向かい、水道の蛇口を捻って手を洗った。冷蔵庫から菓子袋を取りだし、シュークリームをかじる。
　父親はまだ仕事から帰っていない。母親は同窓会のために都心のホテルへ出かけている。侑加は、ミルクを注いだコップを手にして部屋へと戻った。
　ストライプ柄の青いリボンタイを襟から外し、腰に巻いたセーターとともにベッドの上へと投げ捨てる。
　小奇麗なのか散らかっているのかよくわからない部屋だった。棚にびっしりと収められた漫画本、ファンシー雑貨やぬいぐるみの数々。アイボリー色の壁は、アニメ漫画の美少年のポスターで埋め尽くされている。いわゆるボーイズラブ作品と呼ばれる漫画である。
　ハンガーの洋服や化粧品の数は、この年頃の娘にしては多くない。かといって子供っぽいだけの様相ではなく、男にはない甘さが室内にひろがっている。果汁を溶かしたミルクのような匂い、思春期の少女だけが持つ独特の体臭。それが、空気に溶けて部屋の隅々に染みついているのだ。
　侑加は学習机の椅子に腰かけると、ポケットから携帯電話を取りだした。
　着信を知らせるランプが点滅している。女友達からのメールが三件、卑猥な内容の悪戯メールが一件入っていた。
　女友達としばらくメールのやりとりをしてから、携帯を机の上に置き、学習教材の並んだデスクラックへと手を伸ばした。そこにも数冊ほどの漫画本が収められている。
　少女漫画の雑誌を開き、黙々とページをめくって熟読する。時折、携帯をいじる。夕食前まで制服ですごすのが彼女の常だった。
　ページをめくっていた彼女の指が止まった。
　男女の情交シーンがページに描かれていたのだ。主人公の若い女教師が、教室の黒板に両手をつき、スカートを尻の上まで引きあげている。
　女の背後で腰を密着させているのは、彼女の教え子でもある男子学生だ。下校時刻を告げるチャイムが響くなか、ふたりは互いの名を呼びあい、花柄の背景をバックに性の高みへとのぼりつめていく。
　侑加の胸がざわめいた。が、情交そのものに興奮を覚えたわけではない。処女の娘には確かに刺激的な内容ではあったが、この手の濡れ場なら、少女漫画を開けばひとつやふたつは決まって描かれている。また、中高生向けの漫画だからどぎつい性描写もない。
　彼女の目を惹きつけたのは、その直後の描写だった。行為が終わったあと、男子学生が黒い首輪を女に巻きつけたのだ。
『これが俺の愛情表現なんだ。好きだから、先生のことを独占したいんだ』
　教え子の恋人に耳元でささやかれ、女教師は陶然の表情を浮かべる。
　それは薄っぺらな再生紙に印刷された漫画の登場人物にすぎない。だが、侑加には別のものが見えていた。ペンとインクで描かれた女の顔が、違う女の姿と重なっている。
　男物のコート姿で歩く、長い黒髪の女。怯えと緊張にまみれた人妻の顔。子供向けに美化された漫画の話ではない、女子高生の心に沈殿した現実の光景である。
　夏休みを目前に控えた雨の夜だった。
　コンビニ店のアルバイトを終えて帰宅したさい、マンションの廊下でひとりの女を見かけたのだ。同じ階に住む若い主婦だった。清潔感のある美人で、自分も将来はこんな女性になりたい、と何度も思ったものだった。
　視線を床に落としたまま歩く彼女の横には、中年の男の姿があった。彼女の夫でないことはすぐにわかった。エレベーター前で話す夫婦の姿を、侑加は何度か目にしたことがあったのだ。
　女の背中には黒い紐のようなものが垂れさがっていた。
　すれ違いざまに一瞬だけ目にしただけだが、あのときの衝撃は忘れようがなかった。あれは間違いなく首輪のリードだった。握り手を巻いた男の手首がしっかりと見えたのだ。
　あんなに上品で淑やかそうな大人の女が、虫も殺さぬような顔の若妻が、夫以外の男に首輪を引かれて外を出歩いていたのだ。しかも、彼女のコートの下はたぶん裸だったに違いない。実際に見たわけではないが、不思議と確信に近い気持ちがあった。恥辱色に染まった若妻の顔がそれを実証していた。
　まだ性経験も恋愛経験もない女子高生にとって、あの日の光景は、女友達の家で見たアダルトＤＶＤよりも鮮烈なものだった。
　いったいあれはなんだったのか。彼女の横にいた男は何者なのか。いわゆる不倫というやつなのだろうか。あるいは、何かの事件に巻きこまれたのか。
　けれども、今となってはその謎を解明することもできない。すでに彼女は、マンションから姿を消している。
「北島さんの奥さんに聞いたんだけどね、久川さんのご夫婦、離婚しちゃったそうなのよ。そうそう、あの美人の若奥さん。あんなに仲が良さそうだったのにねえ」
　リビングで話す両親の会話を、侑加はこっそり耳にしたことがあった。その日以来、少女の心に消えない暗雲が渦巻きつづけている。
　離婚の原因やあの男との関係が気になっているわけではない。そんなことはどうでもよかった。肝心なのは、男が性的興味のために女を玩弄していたことだ。
　女の身体に首輪を巻きつけ、猛獣やペットのように扱う。決してあってはならないことだ。最低の行為だと思う。けれども最近、その観念が根底から崩れそうになっている。
　この前さ、サユリが彼氏とＳＭしたんだって……。
　隆美の言葉が頭に浮かんだ。
　侑加とて年頃の女子高生だ、異性に対する嫌悪感も好奇心も持っている。女の身体にしか興味のない男なんて好きじゃない。でも、恋愛はしてみたい。セックスにだって少なからず関心はある。少しどころか、人一倍願望は強いくらいだ。
　では、ＳＭはどうなのか。身体を叩かれたり縛られたりして、恥ずかしいことを強要されたりして、はたして嬉しいものなのだろうか。これもひとつの愛の形だというのか。
　ありえないことだった。そんなものは単なる暴力ではないか。けれども、実際に惑溺している女がいる。
　彼女と同年代の少女でさえ身を投じているのだ。ならば、あの主婦もそうなのか。強制ではなく、自らの意志で興じていたというのか。処女では到達不可能な魅惑がＳＭ行為には内包されているというのか。
　どう？　羨ましいでしょう。これが大人の遊びなの、とっても素敵で気持ちのいいことなのよ……。
　記憶のなかの若妻がささやきかけてくる。
　侑加はそっと目を閉ざした。そして、自らの卑猥な姿を思い浮かべてみた。男の前に全裸で跪く自分、肌に食いこむ荒縄、乳房や股間を見つめる嘲笑の目。
　何もかもが理解に苦しむことだった。彼女にとっては、ノーマルな性交すらいまだ未知の闇なのだ。しかし、おぞましさや不快感ばかりではない。未知のものを知りたいという欲求もある。ひとりで楽しむための夢想だから、想像が加速する。
　侑加の肩に何かが触れた。
　背後にふたりの男が立っている。先ほど街で声をかけてきた若者だった。彼らは、侑加の制服を無理やりに脱がせると、下着姿の少女をベッドの上に突き飛ばした。
「ガキのくせに、お高くとまってんじゃねえよ」
「ヤラれたいんだろ？　おらァ」
　侑加は手を伸ばして抗おうとする。その腕を、クラスメイトの男が押さえつけた。ブラジャーの胸を掴んでいるのは、生活指導の中年教師だ。女子生徒にセクハラを働いているという噂がある。
　すぐに下着も身体から奪われ、大学生風の若者が裸身にのしかかってきた。
　男たちの罵声と高笑いが飛びかうなかで、勃起したペニスが淫裂を打ち抜く。クラスメイトが、中年教師が、誰ともつかない男が、次々と処女の肉体に入ってくる。侑加は泣きわめくどころか喜悦の声すらあげていた。その光景が、ノイズの多いビデオ画面のように頭に浮かんでいる。
　不意に弱い痺れが下半身に走って、淫らな妄想が途切れた。いったいいつの間にそうしたのか、スカートの内側に右手が潜りこんでいる。
　数秒ほどの躊躇のあと、彼女は、パンティの股底に指を押しつけた。
　え、嘘……こんなに濡れてる……。
　両腿を少しばかり左右に開き、ふたたび指をあてがった。上下にそっと擦る。
　彼女の肌は白い。夏場でさえガラスのような透明感を放っているほどだ。肩までの髪も染色していないから、目を閉じると、制服を着た人形の容貌になる。
　そのような顔の女子高生が、知識や妄想の性しか知らない処女の娘が、自室でパンティの股間をいじりながら息を詰めている。
　ＡＶの女のような大胆さはない、臆しながら何かを探っているような指づかいである。それだけでもたまらないのか、あるいは恥ずかしさのためか、時折、前のめりの肩をピクリと震わせる。
　桜貝の唇が小さく動いた。
　弱い息づかいがほんの一瞬だけこぼれる。いや、吐息ではない。吐息に限りなく近い声だった。心の奥で浮沈を繰りかえしていた言葉が自然ともれ出たのだ。
「……気持ちいい」
　かすれた声でもう一度つぶやいた。
　制服姿のままパンティに指をあてがっている侑加の頬が赤らんだ。行為の途中でそんな言葉を口にしたのは、これがはじめてのことだった。気持ちいい。何気ないその台詞が、今はひどくふしだらなものに感じられた。
　と同時に、そのふしだらさが新たな性熱をはこんでくる。息づかいが弾んだものになる。声を殺すために唇を引き結んでも、恥ずかしさは消えない。むしろつらくなるだけだった。それでも我慢をつづけていると、身体全体が震えはじめる。
　パンティのなかがムズムズとして仕方ない。味わうように、楽しむように、指が動く。
「いい……き、気持ちいいッ」
　ふたたび声が出た。どこか遠慮のあった最初の口調とは違い、今度は喘ぎそのものの割れ声だった。そして、そんな淫声を発する自分が一人前の女になったように思えてくる。
　自慰にここまで没入したことはない。恥ずかしさと怖さのために、途中で指を離してしまうのがほとんどだった。ごくたまに淡い性感を覚えることもあったが、それ以上の行為、たとえば、淫裂を直接指で触ったことなどは一度もない。下着の上から擦るだけでじゅうぶん満足だった。
　だのに、今日はいつもと違った。感じている。木綿のパンティが湿ってしまうほどに身体が燃えさかっている。
　久しぶりの自慰だからか、あるいは、あの若妻や隆美のせいだろうか、性熱の加速が異様にはやかった。淫裂を擦る指が止まらない。やめられない。
「あ、あ、あッ……ンンゥ」
　太腿の間隔が徐々に開きはじめる。白いハイソックスの足が緊張する。そして、もっと強い性感にまみれてみたくなる。
　不意に彼女は立ちあがり、半分ほど開いたままの窓のカーテンを閉ざした。それからチェック柄のスカートを脱ぎ捨て、思いきってピンク色のパンティも足首から外した。
　白いブラウスだけの姿でベッドへとあがる。
　腰を浮かせて股間に指を忍ばせた。お座りを命じられた仔犬の姿勢である。が、なかなかその先へと進むことができない。
　直接触るのはまだ抵抗があるのか、何度も手を引っこめてしまう。ブラウスの下で見え隠れする恥毛や尻だけが色っぽく揺れる。
　未知の快感に触れてみたいという好奇心と、処女としての恐怖心。そのふたつが彼女の内側で交錯している。やがて苛立ちのために身体を揺らした拍子に、左手が枕に当たった。
　次の瞬間、彼女は花柄の枕を太腿のあいだに挟みつけていた。はじめて自慰を覚えた小学六年のころ、机の角に股間を擦りつけていたのを思いだしたのだ。
　腰をそっと前後に動かしてみる。すぐに女子高生の口から弱声がこぼれた。
「あン、やだァ……いい」
　枕カバーの粗い生地に淫裂が擦れて、無数のこまかい性感があつまってくる。腰のあたりが熱くなる。
　上半身は制服のブラウス、下半身はハイソックスだけの裸という姿で枕の上にまたがりながら、侑加は、ぎこちない動作で腰を揺さぶった。はじめて男に騎乗した女の嬌態である。彼女はさらにブラウスの胸元に指をかけた。
　ボタンを左手でひとつずつ外す。すぐにブラウスの前が左右に割れた。ブラジャーはパンティと同じピンク色だが、こちらは黒い水玉模様になっている。
　中途半端なセミヌード姿であるから、全裸以上に肌の透明感がきわだって見える。それは、彼女の持つ身体的コンプレックスの象徴だった。肌の白さだけではない。幼い胸の膨らみも、くびれと呼ぶには物足りない腰まわりも、何もかもがいやだった。その節々に未成熟ならではの青い色気が見え隠れしていることなど、本人はまったく気づいていない。
　特に気に入らないのが顔だった。目元を中心に、ややきつい印象があるのだ。
「美人なんだけど、いつも怒ってるみたいな顔なんだよなあ、小泉って」
　小学生のとき、クラスの男子が冗談半分で口にしたその言葉は、今でも小さな瘡蓋となって彼女の心に張りついている。
　自分の容貌に劣等感をいだくことは、女なら当然のことだ。醜女には醜女なりの、美人には美人なりの悩みがある。そして十代の娘の場合、劣等感はそのまま大人の女に対する憧憬になる。
　セクシーな衣服やアクセサリーを身につけるのと同じように、性に溺れることで少しでも背伸びをしてみたかった。一人前の女を気取ってみたかった。そのために侑加はブラウスを肘まで落とし、ブラジャーをひと思いに捲りあげた。
　彼女のバストサイズはＡカップだが、最近、ブラがややきつくなってきた感があった。その乳房に、五本の指を埋める。揉み押しながら、腰をくねつかせる。そうしていると、本当に男と繋がっているような気がした。自分が処女だということすら忘れそうになる。
　汗ばみはじめた白肌を、アニメポスターの美少年たちが冷笑の目で見おろしている。
　まだ子供のくせに、処女のくせに、侑加はいやらしい女なんだね……。
　もっと乱れてごらん、お尻を振って僕たちを挑発するんだ……。
「いやン、だめ……そんなの無理ッ」
　無数の目と罵倒を浴びながら、侑加は、尻の振り幅を大きくした。目に見えない美少年のペニスが淫裂を突きあげる。その場面を想像して、性熱も強大なものになる。
　甘い起爆の衝撃が背筋に走った。
「ッン、ンンーゥ」
　引き結んだ唇から呻きが出る。セミロングの黒髪も揺れる。首が前に傾き、次いで大きくのけぞり、制服姿とも全裸とも取れるような肉体が痙攣した。それが絶頂だということすら彼女は気づかない。
　シーツに顔を埋めてしばらく放心したあと、やっと侑加はベッドからおりた。快感の余韻が強く残っているから、ひどくフラフラとした足取りだった。少しばかりの罪悪感も頭の隅に張りついている。
　ブラウスとブラジャーを身体から取り去ると、侑加は、箪笥から替えの下着とバスタオルを取りだした。ハイソックスも足から抜いて、全裸のまま部屋の扉を押す。
　足音が廊下の奥へと消える。散乱した制服だけが室内に残された。それは、この世でもっとも魅惑的な花畑の光景だった。造花に似たブラとパンティも散らばっている。蜜の甘さにかわる性臭もある。
　その匂いは、ベッドの上と床の隅からたちのぼっていた。枕カバーの生地に、丸く縮まったパンティの裏布に、処女の股から漏出した恥液がベットリと付着している。