第２話 胎動　

　やはり妻は、消極的でした。
　あの日以来、妻が変わってくれることを期待したのですが、相変わらず、明るい中でのセックスは断固拒否です。
　あの時は、と言ってはみても取り合ってくれません。
「あの時は、実家だったから、調子狂っちゃったのよ。だからヘンになっちゃたんだもの」
　もちろん、あれ以来、たまに実家を訪れても、お母さん達のいるところでするなんて、と言って、絶対に応じようとはしません。
　しかし、あの晩から日が経つうちに、我が家に大きな変化が訪れました。
　やはり、あの時のセックスで子どもを授かったのです。
　つわりのひどい中で、その後、二人の間にセックスがなくなるのも当然だったかもしれません。
　そして、もう一つの大きな変化が、親父の死でした。
　母は、私が大学生の時になくなっていました。父は、自分の妻の思い出に浸っているだけの人生が全てだったのでしょう。駅前のつぶれかけた書店を細々と守りながら、私の学費を出してくれた後「おまけのような人生だ」と自嘲していた父が、病魔に倒れたのです。
　一人息子の私にもわからないほどの愛着を、母と営んできたこの小さな書店に持っていたのでしょう。
　死ぬ間際に、くれぐれも店を頼むと言われた私は困惑するしかありませんでした。
　生まれてくる我が子。
　死にゆく父。
　せめて父に孫の顔を見せられたのが、最後の孝行になったのかもしれません。
　妻と話し合った結果、私は父の最後の頼みを聞くことにしました。
　会社を辞めて、書店を経営する。
　会社員としては平凡な私に、経験も知識もない自営の道は簡単ではありませんでした。しかし、私は懸命に働き、妻もまた、子育てをしながら、懸命に支えてくれたのです。
　そうなれば、二人の間に余裕もなく、つわり以来のセックスレスに近い状態が続いてしまうのは仕方のないことかもしれません。
　そんな生活であっても、３年も経つと、我が家も次第に生活が安定してきました。
　郊外の駅前によくある、ほんの小さな書店。
　会社員時代の頼りない退職金と蓄えで改装したおかげか、少々客も増え始め、わずかばかりの駐車場収入などと合わせれば、何とか暮らせるくらいにはなったのです。

　ようやく、明日のくらしを心配せずに済むようになった、そんなある日のことでした。
　珍しく妻が私のベッドに入ってきました。
　灯りを消して、すぐのことでした。
　平均的な身長の私でも、同じベッドに入れば、妻の足は、私のスネほどです。
　妻が足を膝に絡めながら、顔を近づけます。
「来週の土曜日に前島さんのスタジオに行ってきて良いかしら」
　顔を起こせば、実用一点張りのパジャマに包まれた細い肩が見え、さらりとした黒髪が枕に垂れ下がります。
　え？どうしたの？
「えっと、あの…」
　スタジオといえば、たっちゃんが最近、親父さんから任された、前島写真館の支店のことです。小さな通りを隔てて、向こう五軒先。すぐ近所です。
　たっちゃんの奥さんは、書店を継ぐ前に、私の会社に来ていたバイトの子でした。
　お互いにバイトの子を結婚相手を紹介したことになるね、と笑いあっている仲です。だから、単なる幼なじみの、ご近所づきあい以上に、普段から、つきあいがあります。
　ただ、普段は、妻が一歩引いた感じなので、妻からわざわざたっちゃんの家のことを言い出すのは珍しいことでした。
「たっちゃんがどうかしたの？」
「ほら、あの、そう、前にもやってたし。それに、私、後輩でしょ。だからって、頼まれちゃったの」
　そうです。
　結婚前、妻は、このたっちゃんの実家でバイトしていたのです。
　確かに妻なら、写真館の事情も分かっているのでしょう。
　そして、たっちゃんも妻も、Ｎ美大の卒業生です。違うのは、写真科と油絵科というだけのことです。
　律儀な妻にとって、先輩・後輩と言うことに抵抗があるのでしょうか。
　もちろん普段は、そんなそぶりも見せませんが、妻はどこか、たっちゃんには、よそよそしい部分があるような気がします。
　よく分かりませんが、やはり、芸術系の大学では、そう言った上下関係が多少にしてもあるのでしょうか。
　だから、私が「たっちゃん」と呼んでも、いまだに妻は「前島さん」と呼んでいるのです。しかし、今回は、どうやら妻に直接話があったようです。
　頼まれるって、何を？まさか、モデルをやってくれってか。
　ハハハ、と笑うと、妻は、一瞬、今でも、十分に魅力的なぱっちりとした眼を見開いた後、一呼吸置いて、失礼ねとふくれてみせます。
「なんだか手伝ってほしいらしいの。久しぶりに撮影会が入ったんですって。でも、土曜でしょ。翔太の幼稚園も休みだし」
　早期教育が流行だとかで、今年から、一粒種の翔太を幼稚園に通わせていました。
いいんじゃないの。たまには、違うところの空気を吸うのも。ま、こんなに近所じゃ、あんまり気分転換にはならないかもしれないけど。
　初めてのことではありましたが、たっちゃんの所なら、別に「働きに行く」という感じはしませんでした。
　これまで、人を雇うこともままならず、私と妻で店を切り回してきたのです。
　家業と育児と家事で大変辛かったと思います。
　長男の翔太を生んで、バイトの女の子を雇うようになりましたが、それでも、妻に負担がかかりがちになります。
　だから、妻も、なかなか手が空くことなどなかったのです。
　今年に入ってようやく、良いバイトの女の子が入ってくれたのと、翔太が、幼稚園に通い出して、その分、手がかからなくなったのです。
　また、絵でも描こうかしらなどと妻は計画していたようです。どうやら、そんな余裕が出た矢先に、たっちゃんの依頼が入ったことになります。　
　たっちゃんも、それなら俺に言えばいいのにね、と言ってみると、妻は意外なことを言います。
「あのね、この間、春佳さんに絵のモデルをお願いしたのよ。ほら、あのひと、スタイルも良いし、昔、前島さんの写真のモデルもなさってたって言ってらしたから」
　妻の専門は「ヌード」です。
　個人的にモデルを頼むということは、やはりヌードを、ということになるはずです。
　まだ、確か二十七歳の、あのおっとりした春佳さんがヌードモデルを、などと言うことは、想像もできませんでしたが、女同士と言うこともあるし、経験のある妻にとっては、ごく当たり前のことなのでしょう。
「で、それを前島さんに言ったらしいのよね。それなら、代わりに敦子さんにも手伝ってもらわなくちゃって」
　茶目っ気たっぷりのたっちゃんなら言いそうなことです。
　わざわざ、どこかでパートに就くのなら反対もします。けれども、一度や二度たっちゃんの所を手伝うくらい、目くじら立てることでもありませんでした。
　心理学科卒の身に芸術はよくわかりません。撮影会などというものにも行ったことはないのです。単に華やかそうなイメージがあるだけです。
　ただ、そんな華やかな場所なら、子育てと、家業と主婦という忙しさの中に日常を埋没させてしまった妻の気分転換になるのではと思ったのです。
　父の病死から、やむを得なかったとは言え、結婚前に予想もしなかった自営業の妻として苦労をかけることになってしまいました。
　亡父のわがままを聞くのを、何も文句も言わずに助けてくれた、妻に対して、引け目もありました。
　その程度のことで華やいでくれれば、それに越したことはありません。
　いいよ、行ってきなよ。れみちゃんに頼めば、なんとかなるだろ。
　今年からアルバイトに頼んでいる藤沢玲未ちゃんの、大きな胸を思い出していました。
　本が好きで、最初は客としてうちに何度かやって来た子です。
　そのうち、店頭のバイト募集を見たようです。
「あの、このバイト、私にもできますでしょうか？」
　えくぼとキレイな歯並びをみせながら、笑顔でやってきたのです。
　本のそばにいたいからと、たいした時給も出せないウチにきてくれたのですが、できる、どころの話ではなく、優秀でした。
　超有名な女子大の国文科に通う、非常に優秀で真面目な女の子なのです。
　そして言葉通り、本が大好きです。
　そのせいか、丸っこい眼鏡をかけていますが、ショートヘアに包まれた、卵形の顔の中で、クリクリした目と愛嬌のある笑顔が、周囲にパット花が咲いたような印象を与える、可愛らしいお嬢さんです。
　妻の若いときも細かったのですが、玲未ちゃんは、さらに細身です。全体がほっそりしているせいか、指までが細く、作業用の軍手もぶかぶかでした。
　そのくせ、細い身体に、まるっきり似合わないほど、豊かで形の良いバストを持っているのです。この胸を近くで見られるだけでも、男なら幸せでしょう。
　触ったこともない玲未ちゃんの胸を思い浮かべながら、すっかりなじんだ、妻の胸に、つい手が伸びます。
「どうしたのよ」
　珍しいといいつつ、自然な仕草で私の手を払います。さりげない拒否の仕草ですが、逆に、それが、いつになく私のやる気を起こさせました。
「たまには良いだろう」
　肌触りはいいけれど、あまり色気を感じさせないパジャマの前あわせから、するりと手を忍び込ませます。
　何となく、懐かしい、やわらかな膨らみが掌に入ります。頭の中で浮かべた玲未ちゃんの膨らみを思い浮かべながら、妻の胸をまさぐります。
「あん、どうしたのよ。一体。雨でも降るのかしら」
　そう言いながらも、妻は胸がビンカンです。一度私が触ると、抵抗が次第になくなってしまいます。
　右手でコリコリした乳首を触りながら、左手で、すばやくボタンを外していきます。久しぶりとはいえ、夫婦のこと、慣れた手順です。
「電気が先」
　夏がけを剥ごうとして、言われてしまいます。
　いつもの通りです。
　そう。妻は明るいところで夫婦生活をすることを極端に嫌います。昼間はもちろん、夜の常夜灯でさえ、消さないと承知しないのです。
　まあ、一晩中ついている、店の看板の灯りが、外からぼんやりと照らしてくれるので、目が慣れれば何とか見えますが。
　電気を消すのと、手探りで妻のパジャマのズボンと下着を一緒に脱がすのは一続き。これで、もはや遮るモノはありません。
　私自身も裸になってから、夏がけをサッと剥がします。
「エッチ」
　そんなこといったって。
　見慣れた妻の身体とはいえ、久々の乳房の感触とオンナの匂いは、健康な私を、たちまち元気な姿にしました。
　ずいぶん久しぶり。忘れかけていた感覚です。
「あぁ」
　小さく妻がうめくのを聞きながら、右の乳首を舌先で転がして、左の手でそっと乳房全体を撫で上げるように触っていきます。
　敏感な妻は、ものの数分で濡れてくるはずです。
　左右の胸を交互にしゃぶり、やわらかなＣカップを根本から優しく撫で上げていくと、妻の息は、それだけで、もう絶え絶えです。
「あぁ、あなた」
　妻の声が優しく、しっとりとしてくるころには、妻の秘所は、そっと濡れそぼっているはずです。
「あん」
　右手を伸ばして、クリトリスをそっと触り、静かに指を伸ばしていくと、思いがけないほど妻の秘所は濡れていました。
「あぁ！だめぇ、声が出ちゃいそう」
　囁くように声を出しながら、妻の手が、そっと私を包み込んできます。
　やわらかな妻の手は、あまり技巧的ではありませんが、やわやわと動きながら、私の張り出した部分を指先でたどります。
　十分過ぎるくらい妻の秘所はしっとりとしていました。
　それに、感じ方が、激しいようにも思います。
　妻の反応はこんなに激しかっただろうか。
　翔太が生まれてからも、年に数回はしてきたセックスを思い出そうとしました。
「あなた、そろそろ」
　妻は、前戯で逝くのを好まないようで、ホドホドになると、自分から要求してくるのです。恥ずかしがり屋のくせに、そんなところがあるのは不思議でした。
　あるいは、大学時代の「オトコ」に仕込まれたクセでしょうか。
　妻の要求がある度に、そんなことを、つい考えてしまい、胸のどこかがチクッとするのです。
　そのくせ、私も、とっくに、この柔らかい場所に包まれたくなったいますから、喜んで侵入してしまうのですから、現金なものです。
　私が体勢を入れ替えたときです。
「あなた、今、安全日じゃないんだから、ちゃんとつけてね」
　そう、今のところ、妻は翔太の弟も妹も欲しくないと言っているのです。
　ダッシュボードから久々にコンドームを取り出すしかありません。
　妻は、一種の完璧主義者ですから、安全な時期以外は、断固としてナマではさせてくれないのです。最後の瞬間だけ外に出す、などと言うことは、妻にとっては問題外なのでしょう。
　例え、コンドーム越しでも、久々の妻の中は、ヌルヌルと濡れ、良く締まっていました。
　あれ？こんなに締め付けよかったっけ？
「失礼ね、誰かと比べてるの？あん、久しぶりだからじゃない。あん、あなたも、元気、あぁ、だし、あん、こんなに、なってる」
　それにしても、今日の妻は、ひどく濡れ過ぎているような気がしました。それに、コンドーム越しにも伝わるような、いつになく強い締め付けです。
　う〜ん、これは、スゴいよ。いつからこんなにキツクなったの？
　そう言いながらも、腰が止まらないのは男のサガというものでしょう。
「あ、あ、あ、だめぇ」
　小さな声ですが、妻があえぎ声を上げます。妻のオーガズムも近いようです。
　私が密かに自慢にしている、張り出したカリ首も、ゴムをつければ、効き目が小さくなってしまうはずですが、今日の妻は、良く感じているようです。
　やはり、久々のセックスだからでしょう。
　私自身も終わりが近づいてきています。
「あ、あ、あなた、くる、きちゃう、あぁ、あ、あ」
　小さな声で妻が終わりを告げようとしています。
　私もブレーキを外し妻に合わせるべく動きを激しくしました。
　妻の胸をギュッと掴みます。手の中で柔らかく、変形していくのを感じて、ふと、玲未ちゃんの硬そうな胸を思い出してしまいました。
　なぜか、あのメガネ姿の玲未ちゃんの顔が妻と重なります。
　玲未ちゃんは、どんな顔であえぐのだろう。そう思ったとたん、私の限界は不意に訪れたのです。
「あ、ぃくう、いくう、あぁ！」
　幸いにも、妻のオーガズムに間に合ったようです。
　ヒクンヒクンと動く妻の中で、私も引き金を引きました。不謹慎にも、他のオンナのことを思い浮かべながら。
　ゴムの中とはいえ、絞るような妻の美肉の動きに合わせて、いつになく、長い射精感でした。
　はあ、はあ、はあ。
「どうかしたの？」
　けだるさからでしょうか、妻の返事が一瞬返ってきません。
「え？何？」
　オーガズムの余韻が、まだ、妻に残っているのでしょう。いつになく濡れ、締め付けていたことを尋ねても、何のことだか分からないようです。　
　余韻が醒めるのもそこそこに、身支度をするのも妻のクセ。
　その後ろから、今日はすっごく良かったよ、と声をかけると、妻が肩をすくめます。
「もう、今日はどうしたのよ。ビックリしたぁ」
　たまにはね。
　私は、早くもパジャマを着てしまった妻の胸を後ろからまさぐります。
　イヤ、この胸がさ。なかなかいいよね。
　ふと玲未ちゃんの胸を思い浮かべてしまったのはヒミツです。
「なによ。誰かと比べてるの？」
　一瞬、妻が、私のやましい気持ちに気づいたのかと思いましたが、何も言いません。私の手を優しく、そっと外しただけでした。
　じゃあ、土曜日、行ってくるねと言うと、向こうのベッドに行ってしまいました。
　いつからか、普段寝るときのベッドは別になっています。
　妻が向こうを向いてしまえば、妻の髪だけが常夜灯にほの暗く映るだけでした。


「じゃあ、行ってくるわね。帰りは夕方。お昼は、テーブルに用意してあるから、おみそ汁を温めてね」
　妻が、帰ってくる早々に、いつものようにテキパキした物言いです。芸術を志していた人間のイメージとは裏腹に、能率第一、実用性重視なのです。
　なにやら支度をしているのでしょう。バタバタと、私が声をかける隙もないタイミングで、再び出て行きました。
　あれ？いつの間に？
　肩までの真っ黒なストレートの髪が、きれいにセットされていたのです。おそらく、さっき出かけていたのは美容院に行っていたに違いありません。
　服装も、いつもと違いスーツ姿です。翔太の入園式以来ではないでしょうか。
　良くは見ませんでしたが、おそらく、化粧もばっちりのはずです。出産以来、ナチュラルメークとは名ばかりの、驚くほどの手抜きした化粧とは、きっと大きく違うに決まってます。
　実は、妻は、普段は、あまりおしゃれもせず、目立ちませんが、一度化粧をすると、なかなかのものなのです。
　ぱっちりした目元と締まった口元、そしてスッキリとした知性を感じさせる顔立ちは化粧映えしますし、翔太を産んでからも、奇跡的にスラリと戻った体型は、とてもではなく、子持ちの三十過ぎには見えません。
　あの、見合いの時のフェロモンというのは感じなくなりましたが、まあ、結婚してしまえば、そうそうそんなものを感じるわけもありません。だから、果たして妻から本当にフェロモンが放出されなくなってしまったのか、私には分かりません。
　まあ、これは、私だけではなく、たいていの男は、そう感じるのではないでしょうか。
　体型と言えば、胸のサイズまで戻ってしまったことが、私にはちょっと悲しいです。何しろ、翔太が生まれてしばらくの間は、私の手には余るほどだったのが、またＣに戻ってしまったのですから。

　夕方、妻からメールが入りました。「遅くなる」とだけあります。
　少々意外でしたが、まあ、一度手伝うと言った以上、テキパキとした妻は、いろいろ頼りにされているのでしょう。
　零細な所ほど、一人の仕事が増えるものです。抜けられないのは十分に分かることでした。
『ゆっくりしていいよ。頑張って』
　返答はありませんでした。
「玲未ちゃん、どうやら、家内がまだかかりそうなんだ。今日、もうちょっと頼めないかなあ」
「良いですよ。どうせ、デートも無いですし」
　笑いながら冗談交じりに答えてくれます。
　やや垂れ目ぎみの優しい顔と、スッと通った鼻。丸っこいメガネが、卵形の優しい輪郭に似合っています。
　整った口元は、いわゆる日本型の美人と言えるのではないかとも思います。
　しかし、地方から来た、真面目で、おとなしい子のためでしょう。女子大の中でも、男の子と縁のないグループにいるようです。
　そう言えば、合コンなどにも誘われたことがないと言っていましたが、別にそれを気にするでもないようです。
　本に触れているだけでうれしいと口癖のように言ってくれます。
　そんな真面目な読書家の玲未ちゃんは、それほど背は高くありませんが、全体的にスリムで、指先も細く、手首などは、掴むと折れてしまうのではと思えるほどです。
　こんな、細い腕で、入荷した段ボールを、一生懸命に運ぶ姿には、誠実さを感じない人間はいないと思います。
　でも、働き始めて間もなく、私は気づいてしまったのです。
　仕事用のエプロンには、隠しきれないほどの巨乳に。
　細身で、知性的な外見と似合わないほど豊かな胸は、まだオトコを知らなそうに硬く、張り出しています。
　以前、たまたま着てきた薄手のサマーニットをほめたら、それいらい、似たような服をいつも着てくれています。そんな素直さも彼女の良いところです。
　もっとも、薄手のニットは、彼女の胸の形がくっきり見えるのが、最大のうれしいところなんですけど。
　まあ、こんないい子が「デートもない」といってくれると、なんとなく、独占した気分で、はしゃぎたくなるのは、オトコとしては、当然かもしれません。
　そりゃもったいないなあ。今度、おじさんが、ごちそうしてあげるから。
「はい、期待しないで待ってますね。奥様に怒られちゃうから」
　もちろん、妻が聞いて怒るわけはありません。私が手を出すなんて、思っていないはずですから。
　どちらかというと安全パイと思われているはずなのです。
　まあ、事実でしょうけど…。
　第一、私より妻と仲が良いのです。ちょっかいを出せば、妻に直通なのは分かり切っています。
　まあ、もちろん、そんなつもりもないのですが。
「せめて、寿司でも取るから食べてってよ」
　食事の用意が面倒くさいのもあります。久々に、寿司清に電話して、玲未ちゃんにも食べてもらいます。
「おや、なんか祝い事かい」
　と、めったに出前を頼まない私に大将がからかいます。数軒しか離れていない大将とは、商店街の寄り合いで親しい仲です。
　既に初老に近いのに、野太いだみ声は、相変わらず好奇心旺盛で、元気そうです。
　大将自身が届けてくれたのも、きっと、私がなぜ寿司を頼んだのか探りに来たのでしょう。
　妻がいないことと、寿司が私と息子の分、もう一つ余分なのが玲未ちゃんの分なのを素早く見抜き、ニヤリと笑いかけてから、出て行きます。
　この次の寄り合いでは、だいぶ冷やかされることになりそうです。
　しかし、現実問題、まあ、私が店番をする都合上、翔太と一緒に食べてもらうわけですから、玲未ちゃんへの賄賂のようなものです。
「社長さん、すみません、ごちそうになります」
　こんな小さな書店主の私のことを社長などと呼んでくれるのは、飲み屋のお姉ちゃんか、玲未ちゃんくらいです。少々くすぐったい気もしましたが、玲未ちゃんは一貫してこう呼びます。　育ちの良いお嬢さんらしく、外した仕事用のエプロンをきちんとたたみながら、翔太と一緒にテーブルに向かいます。
　私は、やはり、見るともなしに、エプロンを外した玲未ちゃんの胸をさりげなくチェックしてしまいます。
　大きいよなあ。
　今日も薄手のニットです。流線型に突き出した硬そうな膨らみがキレイに見えます。まさに、ロケット・バストとでも言うのでしょう。こんな巨乳の持ち主が、形がくっきりと出てしまうような服を着るなんて犯罪的だとは思います。　
　目を離せなくなるのは、断じて、私がスケベすぎるからだとは思いたくありません。
　真面目そうで、全体としては童顔の玲未ちゃんは、ヘタをすると中学生に間違われることがあるそうです。失礼しちゃうと言いながら、ほっぺたをプックリとさせると、本当に高校生くらいにしか見えません。
　この胸に触れた男は、まだいないはずなのは、その表情の幼さ、あるいは真面目そうな雰囲気のせいでしょうか。
　もちろん男として、私が最初にこの胸を手にしたいという欲望はあります。
　そう思わないでもありませんが、相手は優等生タイプの玲未ちゃんです。十歳以上も年上で、結婚している私のことなど、眼中にないことくらい分かります。
　不倫などといったドロドロした言葉とは対極の、さわやかで健全な存在なのですから。
　せいぜい、豊かに揺れる胸を、近くでそっと見られるくらいで、幸せだと思わなくてはならないといけません。
「社長さん、じゃあ、交代です」
「ごめん、すぐすませるから」
「どうぞ、ごゆっくり」
　互いに正面を向けながら、さっと、奥との狭い境をすれ違います。
　足下には、在庫や新着の本が置いてある上、マジックミラーのしきりで、暗くなっています。どこかに足を引っかけたのでしょう。玲未ちゃんがよろけます。
「あん！」
　別に他意はありませんでした。単に支えようとしただけだったのです。
　しかし、私の右手は見事に玲未ちゃんの胸の先端を包み込んでしまったのです。
　掌に、柔らかいくせに、男の手にもみほぐされたことのない硬さをもった、見事なボリューム感が残ります。
　慌てて、手を引きますが、しっかりと、その感触を身体に刻み込んでしまいました。
「大丈夫？」
　私は動揺を隠すしかありません。
「あ、すみません」
　今まで見たこともないほど、顔が赤くなっています。両腕で胸を覆うようなポーズです。
　まるで、触られたことを確認しているかの表情でした。
　しまった。これじゃ、痴漢だと思われる。
　よろけたのにつけこんだ、と思われてしまわないだろうか。
　まさに、胸を触られてショックを受けた乙女という風情です。
「ご、ごめん、わざとじゃ」
　ない、と言おうとした時には、玲未ちゃんがクルリときびすを返して、店先にそそくさと出てしまいました。追っかけてまで言い訳をするのもヘンです。
　それにしても、あの瞬間、確かに、手には、玲未ちゃんの硬い膨らみが触れたのです。感触を反芻すると、そこには、確かに、乳首のコリっとした感覚すら残っている気がしました。
　素知らぬ顔で、レジ周りを片付け始めた玲未ちゃんを残し、私は、翔太を寝かすべく、奥に行くしかありません。
　今、この瞬間、妻のことは頭になかったことだけは確かでした。