第６話　アトリエの秘め事

「いい？帰ってきても、あなたは絶対、アトリエを覗いちゃダメよ」
　アトリエなどと大げさな名前が付いていますが、それは、まだ使う予定のない、もう一人分の子供部屋です。
　翔太の下が生まれれば、その子の部屋にするはずですが、妻が欲しがらない以上、今のところ生まれるはずがありません。
　この先も使うことがあるのかどうか。
「当分の間、ここをアトリエにする」
　妻は、以前、そう宣言して、本格的な画材を持ち込んでいたのです。
　そして、定休日の今日は、春佳さんが我が家でモデルをすることになっていました。
　先日、妻がたっちゃんの所を手伝った代わりなのです。
「気が散るといけないから、翔太を…」　
　妻の頼みです。
　はいはい。動物園でも行きましょうか。というわけで、幼稚園から帰った翔太を連れて、出かけることになっています。
　先に出た翔太を追いかけて、裏から出ようとしたその時です。
「こんにちは」
　まだ、二十七歳になったばかり。
　私の会社にバイトできた頃と、全く変わらないと言って良いでしょう。結婚して三年経っても、子どもを生んだことがないスレンダーな身体は、独身の頃と同じくらい締まっています。
　今日は、そのスリムな身体に、ゆったりしたＴシャツとピッタリしたジーンズがとっても似合っています。
　日の光を浴びて、薄い栗色のショートヘアがサラサラと光ます。
「あ、先日はどうも」
　第一声が、なぜ、そうなってしまったのか分かりません。
　ひょっとして、無意識のうちに、この間のことを春佳さんから聞いてみたいという願望があったのかもしれません。
　しかし、思い切って聞くだけの勇気は出なかったのです。
　二言、三言、言葉を交わした後、ふと、春佳さんの表情が変わったのです。
「奥様、この間、大丈夫でしたか。あんなに…」
　春佳さんが、その細い唇から、心配そうに出しかけた言葉。
　胸の奥が一瞬凍りました。
　え？大丈夫って？　
　ああ、確かに春佳さんは何かを言いかけたのです。しかし、私があわてて、聞き返したせいで、かえって口を閉ざさせてしまう結果になってしまいました。
「いえ、あの、遅くなってしまって申し訳なかったと、主人も申しておりました。ホントにありがとうございました」
　やや硬いしゃべり方で、そう深々と頭を下げられては、それ以上、話を蒸し返すことなどできませんでした。　
　お嬢様育ちの春佳さんは、どちらかというと上品な話し方とゆったりした動作をしますが、品のある分だけ、社交儀礼に出られると、つけいる隙間が見つからないのです。まあ、そこが、お嬢さん好みのたっちゃんにピッタリだったのですが。
　私が言うのも何ですが、妻も、間違いなく「お嬢さん」です。ですが、春佳さんの、このゆったりした動作には比べるべくもありません。
　その「お嬢さん」のゆったりした挨拶に、大いにうろたえてしまいました。
　春佳さんが、ゆったりとした動作で、深々とお辞儀をするとどうなるのか。
　その上、来ているのは、襟ぐりの大きく開いたゆったりしたＴシャツ。
　いくら相手が幼なじみの奥さんだとはいえ、男の本能として、視線は、つい「そこ」に逝ってしまうのが当然でした。
　おもわず、あっと声が漏れかけます。
　お辞儀をしても形の崩れない、お椀を尖らせたような白い乳房がたっぷりと見え、そこにはあるべき下着の、影すらありませんでした。
　いえ、その頂点のピンクの部分が見えた気がしました。
『ノーブラ？』
　目の前の春佳さんから、スズランのようなコロンの香りが漂い、私の鼻腔を刺激します。妻がコロンを付けることなど、恋人時代にもあったかどうか。
　しかし、見ていたのは、ホンの一瞬です。
『たっちゃんの奥さんの胸を覗くなんて！』
　反射的に目をつぶり、そのくせ、男のさもしい根性が、もう一度目を開けようとしています。激しい葛藤が、つかの間、私を襲います。
『ホンの、一瞬なら』
　スケベ心が勝利して、中学生のようにドキドキしながら目を開けようとした、その瞬間でした。
　声を聞きつけたのでしょう。戸口に妻が現れてしまったのです。
　慌てて振り返ります。
「あら、あなた、まだ…。あ、こんにちは。今日はよろしくお願いします」
　なぜかやや慌てるようにして春佳さんに近づいて挨拶します。
　そそくさと表に出てくる姿を見ると、なぜだか、さっき春佳さんが言いかけたことが気になりました。
「パパ、まだ？」
　口を開き描けた私の横に、翔太がいつの間にか私の横にいました。
「あなた、しょうちゃん、行ってらっしゃ〜い」
　ママ、バイバイと手を振る翔太の手を引きながら、後ろ髪を引かれる思いで出発するしかありませんでした。
　ふと振り返ると、妻が、春佳さんの手を取るように、いえ、実際に、手を取って中に招き入れている姿を見ることができました。

　真っ暗になった、裏口側から見ると「アトリエ」の窓にだけ明かりがともっていました。駅の明かりが、我が家の背後から照らしています。
　背中に負ぶった翔太に気をつけながら、鍵を開ければ、薄暗い我が家。
　してみると、妻は、こんな時間まで夢中なのでしょうか。
　ただいまぁ。
　独り言のように小さい声を出しながら、店の裏の狭い部屋に翔太を寝かせます。
　頼んでおいた通り、妻が翔太用の布団を敷いておいてくれたのです。
　たっぷり一日歩いて動物園フルコース。お昼寝無し。電池が切れたように、眠る翔太。
　可愛い寝顔です。
　どうせ寝てしまうだろうと夕食を食べさせてあります。まあ、多少バッチイのは仕方ないとして、そっと布団に入れます。
　このまま朝まで起きるはずがありません。
　安らかな寝顔は、夫婦のごくありふれた日常の延長そのものでした。
　しかし、妻の様子が気になります。
『何かが、起こっている』
　妻の日常に、何かが忍び込んでいる気がしてなりません。それは、たっちゃんの所へ「お手伝い」に行った日から始まっている。そんな気がしてならないのです。
　意識しないうちに私は、足音を忍ばせて階段を上っていました。
　だいぶ古くはなりましたが、作りのしっかりしている家に、ささやかながら改築したのですから、覗ける隙間などあるはずもなく、中を見ることなど不可能です。
　ドアを細めに開けて覗こうにも、古い木造のままゆえ、ドアの外に立てば、軋む音で、ばれるに決まっていました。もし気づかれれば、あとあと、うるさいことになるに決まっています。
　しかし、それでも未練たっぷりに、真っ暗な、すぐ隣の部屋に行ってみたのです。
　ここは、翔太が大きくなったら使うはずの部屋で、もともと大きな一部屋だったのを２つに仕切ったものでした。
　隣の物音は聞こえません。でも、未練たっぷりに、何か方法はないものかと見回してみます。ふと、天井近くの壁に、丸いダクトを発見したのです。
　やってみるものです。初めて気がつきました。
　ここだけは隣との壁が薄く、その上、換気用の小さなダクトが二つの部屋をつないでいるはずでした。これを外せば、話し声くらいは聞こえるはずです。
　私は、スツールを動かし、登ってみました。それで手が届きます。
　防音工事をしてある壁を突き抜けて、電車の音が静寂を破ります。
　その瞬間を狙って、ダクトのフタをポコンと外してみると、隣の部屋の灯りがかすかに漏れてきます。もちろん、視野が限られ、部屋を覗くことなど不可能ですが、中の音は、はっきりと聞くことができます。
　静かな夜でした。時折、走り抜ける電車以外は、静寂を破るものはありません。
　サラサラと鉛筆を滑らせるような音だけが響いていました。
　妻が集中してるのでしょう。いつまでも、その音だけが響き、突然、また、駆け抜ける特急電車の轟音が、防音の壁を突き抜けて静寂を破ります。
『考え過ぎだったんだ。どうかしていたな、俺』
　再び戻った静寂の中で、鉛筆の滑る音を聞き続けるだけの時間に疲れて、そろそろ降りようとした矢先のことでした。
「お疲れ様。これで、だいたいＯＫです。今度、彩色に入りますね。こんなに長くなっちゃってごめんなさい」
「いえ、私もいけなかったんですし。やっぱり、前半、ちょっと、ふふ」
　春佳さんの含んだような笑い声に妻の、相づちのような、密やかな笑い声が重なります。
「でも、主人も今日はゆっくりしておいでって」
　なんだか、声もしっとりして聞こえるのは気のせいでしょうか。
「ふふ、私もこんな趣味が自分にあったなんてしらなかった。この間で、なんだか変わっちゃったのかな」
「あの時、ほんと、すごかったですものね。私もあんなふうになるなんて、後からずいぶん主人に冷やかされちゃいました」
「ウチなんて、もし、わかっちゃったら、マジで離婚だわ。でも、あんな風になるなんて。絶対、私、そんな気なんて無いって思ってたのに」
「そんなことないと思いますよ、この間お話した通り。あ、あの、もう服を着てもいいのかしら」
「そうね、私も着るから、あ、ティッシュ、これ」
「考えてみてはいかがかしら。うちのも、ぜひもう一度って」
「うん、でも、ちょっと怖いのよ。どうなっちゃうのか。それに、やっぱり、ね、他の人って…」
「大丈夫、敦子さんなら、それに伸吾さんもきっと。保証しますよ。あの時は、ＯＫしてくれたじゃないですか」
「う〜ん、あの時は、なんとなくだったのよ。オカシクなっちゃってたし。でも、いざ本当にって思ったら。自信ないし…」
「無理にとは言いませんけど、きっと、二人にとって良いと思いますよ」
「えぇ…」
　二人の会話に何となく、なまめかしい艶っぽさがあるように感じます。それに、「あの時」というのは、この間の土曜のことに違いないのです。何があったのかは分かりません。ただ、妻が「オカシク」なってしまった「何か」は、あったようです。
　妻と春佳さんが何かをしたのでしょうか。それにしたって、口ぶりでは、たっちゃんもそれを知っているようすです。
　そして、その「何か」は、まだこの先があるようでした。
　妻が口にした「他の人」とはどういうことでしょうか。
　ひょっとして、春佳さんと、この間、何か、多分、エッチなことでしょうが、何かがあって、そこに他の人間が加わる？
　しかし、そんなことをたっちゃんが許すはずもありません。あるいは、たっちゃんが加わると言うことでしょうか？しかし、まさか、友人の妻に手を出すようなヤツではないハズです。
　私には、何が何だかわかりません。混乱するだけでした。
　それに、今の隣の部屋がどうなっているのか、さっぱり分かりません。
　ヌードを描くために春佳さんが脱いだというのは、まあ、わかるとして「私も着る」と言うことは、妻も脱いでたと言うことです。
　描く方が脱ぐことなど必要無いはずだと思うのですが…
　私には、どう考えて良いのか分かりません。
　最後の「ティッシュ」というのも、いったい何なのでしょうか。
　私の疑問は解答があるはずもないまま、ぐるぐると回るばかりでした。
　もっと、聞いていたいと思ったのですが、時間がありません。
　妻達が出て来た時に、電気も付けずにこの部屋にいれば、どんな言い訳を考えてもムダのような気がします。かといって、正面から、春佳さんと何があったのかと聞く勇気はありません。
　私が思っても見ないような芸術上の理由なら、邪推した私に激怒するのは目に見えているし、仮に、妖しい何かがあったとしても、とぼけられたら、それまでなのです。
　今は、じっと耐えるしかありません。
　私は、この間の件を、なんとかしてたっちゃんから聞き出そうと決心しながら、再び階段を忍び足で下り、翔太の脇でそっと横になりました。
　じっと、息を潜めていると、春佳さんが帰る音が聞こえます。なにやら会話をしているようですが、声を潜めるように話しているため、全く聞き取れません。
　かろうじて、聞こえたのは、最後の「それでは、また」という言葉だけでした。
「あら、あなた帰ってたの。全然気がつかなかった」
　廊下からのぞく妻の顔が、ほの暗い廊下の灯りに照らされ、なにやら紅潮して見えたのは気のせいでしょうか。
「うん？うん、いや、いいんだ。翔太が寝てたから、俺も、ちょっとうたた寝しちゃったみたいだし。今終わったのかい？」
「ええ、うん。まあ。あら、うたた寝なんて、風邪引かないでよ」
「ううん、まあ、大丈夫だよ。それより、申し訳なかったなあ、たっちゃんのとこに電話しておこうか。こんなに遅くなるとは思わなかっただろ」
「あ、大丈夫よ、ええ、私が電話したし。それに、私も、今度またって、お願いされてるから、おあいこよ」
「え？また行くの」
　さっきの会話が頭の中で瞬時にリフレインしました。
『もう一度』
『怖い』
　そう言っていたはずです。いったい、それは「撮影会」なのでしょうか。
　それに、耳を研ぎすませていましたが、妻がたっちゃんの所に電話した気配はありません。妻は、私がうたた寝してたということを信じているようです。
　その上でのウソでしょう。
　どうやら、私には、この件でたっちゃんと話してほしくなさそうです。
「そうなのよ。また、お願いね」
　さりげない、言葉でした。もちろん、妻のお願いというのは、自分がいない間のことなのでしょう。
　さっきの会話では、まだ、行くのをためらっていたようにも感じましたが、いつ、妻は決心したのでしょうか。それとも、決心するべきコトと、撮影会のお手伝いというのは別なのでしょうか？
　いくら考えても、疑問はぐるぐると同じ所を巡るばかりです。
「どうする？お茶、入れましょうか？　お風呂も沸いてるはずだけど」
　私は妻の後を追うようにして、後ろ手に戸を閉めながら、一緒に入らないかと言ってみます。
「どうしたのよ。いったい。あなた、晩は翔太と食べたんでしょ。私、お腹ぺこぺこなの。何か食べてからにするわ」
「いや、たまにはいいじゃないか」
「ホコリだらけなんでしょ、ちゃんとお風呂に入らないと」
　矛先をかわそうとしているようにも感じますし、いつもの妻らしい返事にも聞こえます。
「翔太も寝てるしさ」
「ほんと、どうしたのよ」
　夫婦にだけ通用するニュアンスで、夫婦の関係を求めたのです。妻はそれでも、相手にしてくれません。
　なあ、と言いながら妻を後ろから抱きしめます。
　どうしたの、もう、と言いながらも、妻はさすがに逃げはしませんが、困惑した様子です。
　確かに、最近、こんなに短期間で妻を求めたことなどありませんでしたから。妻は、私が、何か冗談でも言うためにそうしてると思ったのかもしれません。
　しかし、私はそのまま抱きしめながら、半ば強引にキスをします。やや驚きながらも、振り返って、私のキスを素直に受け入れてくれます。
『これって…』
　妻のうなじから、何かコロンのような香りがしたことに気がつきました。
　立ったまま、近頃すっかりなくなった激しいキスをしながら、果たして妻は、こんなコロンを付けていただろうかと頭が動いていました。
　意外なことに、妻のキスは積極的です。
　セックスの途中で、それも、よほど感じた時でないと、ディープキスは苦手としているはずでした。
　それなのに、妻は、自分から舌を絡めてきます。
　そして、姿勢が苦しいのでしょう。私の腕の中で、自分から、ぐるりと身体を向けます。キスをしたままの動きでした。
『この匂いは、確か…』
　うなじ、と言うより妻の身体のここかしこから、ほんのり漂う香りがしたのです。
　思い出しました。
　朝の、春佳さんのコロン。
　あれです。
　一日中、同じ部屋にいると、同じ匂いになるのでしょうか。いえ、それにしては、強すぎます。第一、ああいうコロンは、時間とともに薄れてゆくものです。コロンを付けた部分と密着しない限り、これほど香りが移ることはないような気がしました。
　抱きしめた妻の身体が、いつになく柔らかい気がしました。
　私が、ジーンズ越しに尻を撫でると、キスをしたまま、妻がうめくのがわかります。
　どうやら、かなり感じているようです。
　私は、自分が勃起しているのを自覚しました。そして、息苦しいまでに巨大化したものを妻の腹にこすりつけたのです。妻も、私が求めているのが冗談などではないことがわかったはずです。
「あなたったら、ほんと、いったいどうしちゃったのよ」
　妻がねっとりした目をしています。
　身体をくっつけたまま、それでも、信じられないといった表情をしています。
「ダンナが、奥さんとしたがるのが不思議かい？」
「だって、この間、したばかりなのに…」
　妻は、はたと考え込み、次の瞬間イタズラっぽい目で、私の肩をパシッと叩いたのです。
「あ！あなたったら、ひょっとして春佳さんのヌードを想像したんでしょ。エッチぃ」
　それでも、妻の顔は、怒っているようには見えません。いえ、むしろ、なんだか艶っぽい笑みすら浮かんでいます。
「そんなことないよ。たまには、ね」
「あら、あら、奥さんは、もう賞味期限切れじゃあ、なかったの？」
「え？あ！」
　確か、先月、うちでたっちゃん達と飲んでいる時に、そんなことを言った気がします。夫婦関係がないことを自虐ネタにしてのことでした。
「賞味期限がきれた」
　そんなセリフを言った記憶があります。
「いや、レンジでチンしてみたら、食欲がわいちゃってね。こんなに柔らかいし」
　私は、妻の胸に手を伸ばしました。長袖Ｔシャツの下はノーブラでした。
　服の上からでも、十分に乳首が尖っているのがわかります。
「あれ、してないの？」
「え？あ、うん、描くときは、つけないのよ。なるべく締め付けられないようにしてるの」
「ふ〜ん、それなら、いっそ、全部脱ぐとか」
「何よ、エッチね」
　妻の顔が、心なしか赤くなった気がします。
「それだったら僕もモデルになるけど」
「もう、なんでそうなるのよ」
　そう言いながらも、本気で怒った顔もせず胸を触る手をそのままにしています。
「じゃあ、モデルさんなら、ここを大きくしないようにしないと、あら？あらあら」
　妻の手が、優しげな手つきで私のモノを捕らえました。いくら冗談めかしていても、いえ、冗談だからこそ、妻が、自ら触ってくることなど、記憶にないことでした。
　そこは、先ほどから触っている妻の胸の感触で、既に半ば以上、大きくなっていたのです。
「もう、こんなにして。春佳さんのこと考えてるんでしょ。私は賞味期限切れですものね」
　すねたような口ぶりに、逆に、妻の色気を濃厚に感じたのです。
　どう？
　もういちど、夫婦のセックスを持ちかけます。
「あら、私は別にしたくないけど。あなたも、お疲れでしょ。早く寝た方が良いわよ」
　そう言いながらも、やや上目遣いに、微笑んで見せます。なんだか妖艶な笑みに見えます。
　さりげなく胸をまさぐる私の手をはずそうとしつつ、それでも、やはり感じるようで、身を微妙にくねらせるのです。
「そんなこというなよ。旦那さんが求めてるんだから、夫婦として、奥さんにも協力する義務があると思うけど」
「あら、そんな義務はないと思うわ」
　そう言いながらも、妻は私の背中に回した手を、ゆっくりとさするように動かしています。
「じゃあ、浮気しちゃおうかな」
　妻の手がぴたりと止まりました。
「あら、そんな元気があるのかしら」
　いくぶん声が剣呑になった気がします。しかし、調子に乗った私は、続けてしまったのです。
「そうだな、調達するのは難しいから、春佳さんに頼もうかな」
　私は、意図的に玲未ちゃんの名前は出しませんでした。妻は、どう考えたのでしょうか。
「あなた、してみたい？」
　え？私は、意外な妻の言葉にビックリしました。妻の目を見ます。
　その瞳はイタズラな表情ではなく、何かの影がかかっている気がしました。　
　答えるのに躊躇する、その一瞬の間に、妻が言葉を続けます。
「あなたがしてみたいなら、協力しようか？」
「え？え？え？」
　おそらく私の反応が、あまりにも間抜けだったせいでしょう。妻の目から影が消え、クスリと笑いながら、今度は私の胸をぴしゃりと叩きます。
「もう、エッチね。どうせ、今日も春佳さんのヌードを想像してそうなったくせに。でも、そうなっちゃたんだから、そのまんまじゃ可哀想よね」
　いや、そうじゃないんだと口の中でもごもごしてしまいます。
　かといって「君のことを疑ったらこうなった」と言うわけにもいきません。
　妻がさらりと私の腕から逃れて、キッチンに向かって踏み出します。
「今日はご苦労様。一日、ありがとう。お礼に、奥さんが妻の義務を果たしますよ〜」
　おいおいと私が手を伸ばすのをかわしながら、妻は言います。
「ほら、１日のホコリを落としてらっしゃい。その後のお楽しみぃ」
　そう言いながら、キッチンに行ってしまいました。どうやら、風呂に一緒に入る気はないようです。