第11章 リ・スタート

　点けっぱなしになっていた奥のテレビからニュースが流れています。
　首都高から飛び出した車が、ビルに突き刺さっている衝撃の映像です。
　お盆で人気のないビルから、にょっきりと生えた車の映像は、まるで、ニューヨークのあの事件を彷彿させます。
　夜になっても現場は混乱していると、レポーターが興奮した声でわめいています。
　しかし、こっちはそれどころではありません。
　妻の何かが壊れてしまったかのようです。
　もはや、何も拒みません。
　それどころか、積極的に私に「犯す」ことを要求するようになったのです。
　蛍光灯の冷たい灯りの下で、なまめかしい裸体がうねうねとうごめいています。
　深夜の店の真ん中で、一糸まとわぬまま、妻の両手を縛りつけているのです。
　いえ、一糸まとわぬどころか妻の秘所には、一毛すらありません。
　あの日、以来です。
　あのまま入院するハメになった私は妻に命じたのです。
「退院までに、毎日、少しずつ抜くように」
　妻は、その長いまつげを伏せたまま、一言もあらがわずにハイと答え、退院した晩に狂ったような交わりをしたときには、キレイにツルツルにしていました。
　今でも、生えかけたものを片端から処理しています。
　そのツルツルの秘唇をむき出しにしたまま、妻が横たわっています。
　店の真ん中に持ち出した、ベンチプレス台。
　しなやかな黒のレザーに表装された、細い台の上で、妻はすでに妖しげな呼吸になって、腰をうねらせています。
　バーベルは取り払って、代わりに、支柱から妻の両手に伸びたロープがピンと張っているのです。
　両脚は、大きく広げられ、台の左右に降ろされています。
　ツルツルの秘唇は、ぱっくり問われたようにピンクの中身をむき出しにして、おまけに、蛍光灯の明かりをてらてらと反射してうごめいています。
　目隠しをされた妻の顔は、上気したように真っ赤です。
「縛られただけで、こんなにぐしょぐしょになるのか」
「あぁ、ごめんなさい」
「今日はこれを使ってやろう」
「何を、あぁ！あうぅ、なんなのこれ、あう、あなたぁ、激しすぎるぅ！」
　振動音と妻の嬌声だけが店内に響きます。
　単なるマッサージ器ですが、目隠しをしている妻には、その強烈な振動だけがすべてのはずです。
「あなた、じゃないだろ、セックスの時は」
「あぁ、ごめんなさい、あう、ご主人様！あう！ああ！でも、激しすぎて！」
「逝きそうなんだろ。まだ、逝っちゃダメだぞ、奴隷が、自分だけ楽しむなんて、とんでもないからね」
　そういいながらも、妻のクリトリスを連続して攻めれば、こらえることなんてできないのは分かり切っています。
「あう、あん、あん、あぁ、だめぇ！あう、いっちゃう、いっちゃう、あう！お願い逝かせてください！」
「逝っちゃったら、罰だよ」
　意地悪く良いながら、わざと急所を外し、太もも近くに振動を与えます。そのじれったさに耐えきれないのでしょう。妻の腰が、ヒクヒクッとマッサージ器のアタッチメントを求めるように動きます。
「あう、お願い、逝かせて、お願い、何でも罰を受けますから、逝かせて、逝かせてくださいませ…」
　秘唇から、涙のしずくのように、秘液がポタリと黒いレザーの上にこぼれます。
　ビショビショの秘唇のど真ん中に、グッと押し当てました。
　一瞬、脚がびくんと広がったとかと思うと、腰を突き上げたまま、つかの間、呼吸までも止めて、妻が静止しました。
　永遠のように感じる、ほんのわずかの静かな時間の後、カクカクと機械のように腰を動かし始めたのです。　
「あ、あう、あぁ！あ、あ、あ、いく、いく、いくぅ！あうぅう！」
　両脚にぐっと力が入り、一瞬、躰を持ち上げます。　
　太ももがヒクヒクとケイレンし、アタッチメント越しにも、妻の秘唇が、収縮したのが伝わってきました。
「くぅ…」
　空気が漏れるような声が唇から漏れて、そのまま、クタッと脱力してしまったのです。
「淫乱な雌奴隷め、勝手に逝ったな」
　力が抜けきった風情に見えても、そう言いながら乳房を揉んでみると、たちまち反応が蘇ってくるのです。
「あぁ、ごめんなさい」
「よし、そんなにスケベなら、淫乱な躰を好きなだけいじって見せろ」
「あぁ。そんなこと」
　右手だけを解くと、むりやり、股間に押し当てます。
「あ、お願いそんな恥ずかしいこと、させないで」
「ちゃんと動かすんだ。勝手に逝った罰なんだからな」
「あぁ　…はい、うぅ、こ、こうですか。でも、あぁ、恥ずかしくて」
　身もだえするように恥ずかしがりますが、そのくせ、早くも中指がクリトリスを本格的に弄っていました。
「恥ずかしいです、あう！」
「恥ずかしいと言いながら、本気でやってるじゃないか」
「あぁ、お願い、お笑いにならないで」
　私は耳元で、言うべきセリフを囁きます。
「あ、いやぁ、言えない」
　クナクナと頭を振りながらも、指遣いが激しくなっています。
「淫乱な雌奴隷が逆らうんじゃない。感じてるんだろ！」
　ぎゅっと乳首をひねります。
「あう、あう、ああ、いい！あぁ、感じてます、あう、恥ずかしい」
「ほら、しっかり見てやるから、さっさと言え」
「み、あう、言えない、ああ、でも、罰を受けなきゃいけないんですよね、ああうぅ」
「そうだ、淫乱な雌奴隷は、何でも言うことを聞くんだろ」
「は、はい、言うことを聞きますぅ。あう、でも、恥ずかしくて、でも、あぁ」
「はやく！」
　叱りつけるようにしながら、右の乳房を絞り出すように掴みます。
　人差し指で、ピンと乳首を弾けば、すっかり、奴隷の気分に染まった妻の声がこぼれてきます。
「あぁ、お願い！見て、見てぇ、ご主人様ぁ、スケベな奴隷の、あぁ、恥ずかしい、お、オナニーをご覧に…　あうう！」
　最後まで言えませんでした。
　快楽の声を噴きこぼしながら、妻は、また達してしまったのです。
　ハアハアと息も絶え絶えになった妻が、突然、不安げに、目隠しをしたままの顔を上げました。
「あの、あな…　ご、ご主人様、まさか、あの、写真を撮ったりは…」
「ははは、やっと気づいた？　イクところもちゃんと写しといたぞ」
「いやあ！それは、いや、ダメ、あなた、それだけは」
　片手で、胸を隠して、降ろしたままの両脚の付け根を重ねるように身をよじります。
　必死に身を隠そうとしているのです。　
「何を言ってる。この間のは大好評だったじゃないか」
　そう言いながら、さらに、続けざまにシャッター音を響かせます。
「あぁ、だめぇ」
「ふ〜ん、だめなんだ」
　そう言いながら、必死によじりあわせる太ももの間に指を伸ばします。妻の両脚は、私の手の気配で、魔法の扉のように、サッと、広がります。
「あうう！」
「あれ？すっごいね。ダメっていいながら、こんなに濡れてる」
「違うの、それはさっきのなのぉ」
「でも、ほら、じっと見てると、また、奥から出てくる」
　妻の美肉がヒクヒクと震え、尻の方まで流れ出した秘液が、さらに潤みを増しています。
「あぁ、違うの、違うの、恥ずかしくて」
「感じるんだろ」
　かぶせるような私の言葉に、妻は一瞬ためらった後で、コクリと頷くのです。
「そうだよ。恥ずかしいことをすると感じちゃうんだよね。スケベなメス奴隷だから」
「あぁ！そんなことぉ」
　クナクナと頭を振りながら、妻の秘唇がイソギンチャクのように、キュッと締めつける動きを見せるのです。
「ほら、両手で、オ○○コを広げるんだ」
　カメラを構えたまま、妻の左手も、サッと解き放ちます。
「そんな、できない、あぁ、許して、あぁ、お許しを、あうぅ」
　お許しをと叫びながらも、両手がそろそろと秘唇に伸びていきます。
「大丈夫、ほら、自分で広げたオ○○コを、ネットで見て貰うんだろ」
「あぁ、おねがい、やめて。見られちゃうのはいやあ」
　そう言いながらも、秘唇に伸びた手は、オ○○コを確実に広げます。
「この間の写真、いっぱいコメントが付いてたな。いやらしいオ○○コだと書かれてた」
「あうう、ひどい。あう。みないでぇ」
「こんどは、この写真をアドレスを送ってきた人間に直接メールで送ってみよう、それだと、無修正で見てもらえるからな」
「あぁ、奥まで見られちゃう、だめぇ、そんなことしないでぇ」
　クナクナと頭を振って拒否しながら、妻の秘唇には、奥から、ヌルヌルが次々と湧いてきます。
「あなた、あう、もう苦しくて、あう、あなた、ああ、ご主人様のが、お願い、もう、苦しくて」
「欲しいのか」
「欲しいのぉ」
「そのまま、オナニーをして、逝って見せろ、その写真を撮ったら入れてやる」
「そんな、苦しいのに」
「苦しい？オ○○コを弄っているクセにか」
「あう、だって、中が、寂しくって、あう、お腹の下の方が苦しくて、あぁ、お願いよぉ、ご主人様のを、ああ、あなたのを入れてください」
「中が寂しいなら、指を入れて良いんだぞ。ほれ、指を入れてみろ」
「あぁ、こう？ああ！あうう！」
　全くためらいもせず、右の中指を差し込むと、それだけで軽いオーガズムを感じたようです。
　指を遣いながらも、物足りないのか、しきりに、私を求めます。
「そんなに欲しいなら、これを入れろ」
「あ、いや！」
　にちゃっと言う感触で、妻の右手を引き抜くと、その手にバイブレータを握らせます。「あぁ、これ、いやあ」
　いやあと言いながら、握らされたものを手放せない妻です。
　この間、さんざんに、これで感じさせられたのを覚えているのでしょう。
「ほら、これを、おまえの写真を見ている人のチ○ポだと思って、ズブリと入れてみろ」
「あぁ、できない、いやあぁ、いやなのぉ」
「どうしても嫌なら、一度だけ中に入れたら、抜いても良いぞ」
　妻はダメぇといいながら、握ったバイブをお腹の所に持ったままです。
　その手をとって、強引に先端を秘唇にあてがいます。
「抜いたら、ご主人様のを入れてくれるの」
「いや、指だけだ」
「そんな、そんなことをしたら苦しくて、あうぅ！」
　先端をあてがっただけのバイブは、妻の手でズブリと奥に飲み込まれていきました。
「よしよし、一番奥に入ったか」
「あぁ、だめぇ」
　ダメダメと言いながらも、ストロボの光の中で、深々と妻の中に埋められています。
「さ、嫌なら抜いて良いぞ」
「だって、あぁ、ご主人様が入れてくださらないと」
「指だけ」
「そんな、それじゃ苦しくて」
「抜けないの？」
　いやあ、と目隠しをした顔を背けるようにしながら、妻は、その白い顎を引いて、はっきりとコクンと頷きます。
「じゃ、さっき教えたこと言って、さっさと逝って見せるんだ」
「あぁ、恥ずかしくて」
「引っこ抜いちゃおうか？」
「いや！だめ！今抜かれたら、もう、苦しくて」
「ほらほら、早く」
「あぁ、恥ずかしいのに。あぁ、スケベな奈緒は、オチ○チ○が欲しくて、誰にでもオ○○コを広げちゃいます。あぁ、だめぇ」
　バイブのスイッチを入れました。
「ああ、逝っちゃいそう、あぁ、あなたが入れてくれないと、あ、だめ、言えない、あう」
「ちゃんと言って」
　妻が、自ら、白くしなやかな手で、バイブを激しく動かし始めました。もう、今にも、爆発しそうなほどに喘いでいます。
「あぁ、だ、誰でも良いから、あぁ、いやあ、誰か、あう、誰か、奈緒に、いっぱいセックスして！ああ！犯して！犯してください！」
　その瞬間、妻の目隠しをサッと解きました。
　妻の見開かれた瞳と正面から見つめ合います。
　犯して、と叫んだ口のままで、妻の全身にケイレンが走ります。
「あ、あ、あう、い、イク、逝っちゃう、いく、いくぅぅ！」
　ヒクヒクと腰を動かす妻の躯に、強い電流が流れているようなブリッジをしたまま、妻がオーガズムを迎えたのです。
「はふぅ〜」
　妻の躯から、再び力が抜けます。
　右手が、ガクリと言った感じでバイブから離れます。
　その瞬間、私は思いついて、そのバイブを手にとって、妻の中の上側、つまり、クリトリスの裏側をほじるように、小刻み突き動かしてみました。
「あぁ、あなた、待って、お願い、今、あう、すぐは、苦しくて、あう、あう、ヘンになっちゃうから」
　かまわず、そのまま、ヌルヌルの中の上側にある、微妙に違う手応えの部分を探ります。どろどろの中をかき回しながら、バイブの振動を利用して、丹念に、掻き出すように動かし続けます。
　妻は、降りることを許されない頂点のまま、息を絶え絶えにしながら、喘いでいましたが、突然、何かに驚いたような反応になったのです。
「あ、あなた、おねがい、もうダメ、そこ、おねがい、あ、あう、お願い、それ以上続けたら」
　懸命に私の手を押さえようとしますが、私は許しません。
　ぐ、ぐ、ぐっと掻き出すようにしながら、片手でクリトリスも、弄り始めました。
「あう、あなた、ヘンになっちゃうの、なんだか、何かが、出ちゃいそうで、あう、粗相を、そそうをしてしまうから、お願い、もう、ゆる…」
　許して、と丁度言おうとした瞬間でした。
　バイブを入れた奥の手応えが急に、ヒクヒクとケイレンしたのです。
「あう、あなたぁ、だめぇ！でちゃう！ああ！」
　ぴゅっぴゅっという勢いで透明な液体を吹きこぼしながら、妻は、達してしまったのです。
「ふふ、潮吹きというんだよ」
　物憂げな妻を覗き込んで、ほほえみかけます。
「恥ずかしい…　なんだか、ヘンな感じだった」
「感じたろ？」
　黙って私を抱きしめてキスをねだります。
「さ、そろそろ、入れてあげよう。俺ので犯してやる」
「あぁ、うれしい。犯してぇ」
　入り口にピタリと当てて、そこで止めます。妻の美肉は、私を求めてヒクヒクと蠢いていました。
「さ、言って」
　もはや、少しも妻はためらいませんでした。
「あなた、な、奈緒を犯してください。スケベな奈緒をいっぱい犯して、ああん、恥ずかしい！あぁ、あなた、いい！」
　妻の美肉の中は、ぬめりが激しく、どろりとした感触でした。どこもかしこもどろりとしたゼリーのような感触なのに、そのくせ、しっかりと私を包み込みます。
　その上、私のモノを飲み込むように、奥へ奥へとヒダヒダがうごめいてくるのです。
　奥に入れると、プニプニとした子宮口が私を包み込み、抜き出す動作には、入り口がガッチリと食い締めて、カリを刺激してきます。
「あなた、いいの、いいのぉ、お願い、いっぱい、いっぱいしてぇ」
　妻の長い脚が私の腰に巻き付いてきます。
　船岡の前で建太を乗せたあの時の仕草のまんまです。
　あの頃、船岡が、いつも大量に、濃い精液を中に出すので、妻は密かにピルを飲んでいたのです。
　大量のホルモンと、毎日、浴びるように受けた恥辱と注ぎ込まれる濃いオトコの精。もちろん、その中には、思春期まっただ中の健太の精液も入っているのです。
　その一つ一つが、妻の躰を淫らにしてしまったのに違いないのです。
　もちろん、船岡は、私への当てつけに妻を妊娠させたがっていたにちがいありません。
　ピルは、せめてもの、いえ、最後の線だけは守りたかった妻の、必死の抵抗だったのでしょう。
　夫以外の精液を受けずにすむようになって、妻の子宮は準備が整っていました。
　身体の中の準備が、妻の性感を加速したのに違いありません。今や私が入るとあっという間に、驚くほどの頂点に達してしまうほどの淫らな躰です。
　オトコの先端部分まで飲み込むような子宮口まで、深く突き入れると、妻のカラダがヒクヒクと震えました。その極上のうごめきに、私もまた長くは持ちそうにありません。
「奈緒、逝くぞ。逝くぞ、出すよ」
「あなた、あう、お願い、出して、奥で、だしてぇ！」
　心まで震えるように、強烈な快感が躰を貫いて、妻の子宮に直接、噴出していました。
「あうう！来たの！はう！あなたが！あう、いっちゃうぅう！あなたぁ！」
　妻は、私の噴出を子宮で受け止めながら、最高で、そして、最後の、激しいオーガズムに達したのです。
　最後の一滴まで搾り取るように、妻の中がビクンビクンうごめきます。無意識の動きなのでしょう。
　妻のナカに、その一滴まで送り込みながら、しっかりと妻の躰を抱きしめます。
　名残のように、柔らかい私を包み込んだまま、妻は幸せそうに気を失っていました。
　
　冬が終わりを告げています。
「こんなに、注文が来るなんて」
　呆然とするしかありません。
　実はオタクだった、建太の提案で作ったホームページでした。
　もともと、私が研究してきた陸上用のトレーニング方法や、コーチングについて、いつかはどこかで発表したいと思っていたのです。
「せっかくだから、お勧めのグッズを売ったらどうでしょう」
　言われるがままにページを作ってはみたものの、最初は、ときおり飛び込んでくるメールに受け答えしている程度だったのです。
　突然、注文が殺到するようになってしまいました。
　建太に聞いてみると、私が「伝説の悲劇のコーチ」として、ネット上で有名になっていると言います。
　今でも私をコーチとして慕ってくれていた選手が火付け役のようです。
　その一人は、あの、箱根の往路を制したメンバーでした。世界陸上で日本人として久々のゴールドに輝いたのです。
　船岡の葬儀で久々に出会ったのですが、彼は、その時のことをブログで書いていたのだとか。
　そこに、次々と私がコーチした選手達の書き込みが寄せられ、いつの間にかこうなってしまいました。
　それにしても、いったい何を書かれているのでしょうか。やれやれ…
　照れくさいので、私はまだ見ていませんが、急速にアクセスと注文が増えたのは、思ってみないことでした。
　ともあれ、今日も妻は、やや目立ち始めたお腹をいたわりながら、専門家のいなくなったＨ中学へコーチに行っています。
　建太はと言えば、すっかり私の店の押しかけ従業員になりきっています。
「コーチ！　配達、行ってきます！」
　パンと開け放たれたドアから、折からの春一番が、店内に吹き込みます。
「行ってらっしゃい。寄り道しないでね」
　篤美は、伸ばし始めた髪を、後ろ側で軽くまとめています。
　真後ろで結ばず、右に寄せているのは「建太が、ホッペと耳にキスしやすいように」だそうです。
　右利きの建太は、いつも、篤美の左側に並んで歩くのでしょう。
　あの後、二人は、そろって学校に行かなくなりました。
　建太は、そのまま通うことなく「卒業」し、篤美は、船岡無き学校で進級して、今は、きちんと通っているようです。
　高校なんて行かない、と言い張る建太に私は言うべき言葉がありません。
　建太の心が癒えるまで、当分は私の店で働くしかないのでしょう。
　篤美に、せめて高校に行って欲しいという気持ちが募ります。
　船岡が死んでからは、普通に中学に通っているのですから、これからがんばれば、篤美の頭なら十分挽回できるはずです。
「なあ、あっちゃん、そろそろ進路とか受験とかを考えないと」
　テキパキと店の掃除をする篤美は、朝から、何か言いたそうでした。
「あら、ちゃんと考えてますよ。コーチ。私は、世界で一番スゴい運動具屋さんでアルバイトしながら、看護婦さんを目指すんです」
　ここにも「押しかけ」がいるなんて。
　苦笑いするしかありません。
「あ、コーチ、疑ってるぅ！」
「いや、そんなつもりは、まったくないけど」
「これでも、昨日、市民病院で『一日看護師体験』をやったんですよ。けっこう似合いましたよ、ナース服」
　ジャージ姿のまま、スカートのすそを持つ手つきでクルリと回って見せます。
「おいおい、体験って、コスプレか」
「ちゃんと患者さんにも会いました。で、コーチ、そこでスゴい人に会っちゃいました」
　イタズラな光を載せて、瞳が輝いています。
「へぇ、有名人かなんか？」
　一呼吸置くようにしてから、正面を向き、私の目を見つめます。
「首都高を突き破った車に乗っていて、奇跡的に助かった女の子、です」
「！」
「やさしそうなご両親が、毎日見舞いに来るんですって。すっごく頑張ってリハビリしてました。もう、何歩か歩けるようになってきたんですよ」
　マスコミは、あの事件をいろいろと書き立てました。
　しかし、細かな事情は分からなくても、私たちには、少女の行動の意味がすぐに飲み込めたのです。
　去年の夏に起きた、あの事件は、新学期には、マスコミからも忘れ去られていました。
　それでもまだ、建太の前では、あの時の話題は出せません。
　なのに、さすが、女の子は強い。
　きっと、これを私に話したくて、健太の前で、ずっと我慢していたに違いないのです。
　まっすぐこちらを向いて立っている躰は、すでに女の魅力を湛えていましたが、少女特有の未来にあふれた輝きも喪ってはいません。
　この素直な瞳を持った躰が、何十回も、辱めを受け、ただれたセックスを受け入れてきたとは思えません。
　少女でありながら、全てを受け止め、そして、全てを飲み込んでしまった。
　なんと、女は果てしないものなのか。　
「そうか」
　私は頷くしかありませんでした。
　にこりと微笑んだ、篤美の、そのあどけない笑顔がこれ以上なくまぶしく感じます。
　実は、まだ、妻にも聞いていない、いえ、聞けないことがありました。
　あの日、倉庫の窓にハシゴを置いていたのは誰なのか。
　偶然のワケはないのです。
　かといって、私があの日に行くことを誰が予想できるでしょう。
『ひょっとして、おまえだったのか？』
　しかし、今となっては、いえ、今だからこそ、聞けるはずもないのです。
　二人の少女に、私たち夫婦は、いえ、私こそが、助けられたのだと思います。
　私にできるのは「ありがとう」と「頑張れ」の祈りを込めて、篤美を見つめることだけでした。
「コーチ。私も、頑張ります」
　私をまっすぐに見つめる、キレイな瞳を見つめ返しながら、うん、と一度だけうなずきました。
　篤美もまた、たどたどしく、でも着実に歩き始めていたのでしょう。
　私の中に、何かが熱くこみ上げてきた気がします。
　なんだかじっとしていられない気持ちでした。
「よし、久しぶりに走ってくるか。あっちゃん、ちょっと頼んだぞ」
「はい！」
　私が店を出た直後に、店の電話が鳴ったようです。Ｗ大からでした。
　でも、その時の私には、電話なんか、どうでも良いことです。
　胸の中に、何かがほとばしっていました。
　私、妻、篤美も、建太も、そして、その少女も。
『なくしたんだよな、何か』
　空を見上げる私を、春一番が追い越していきました。
『その代わり』
　ぐっと、空に向かって、背を伸ばします。
『何かを手に入れた…』
　みんな、動き始めたのです。
「追いつけるかな」
　春の日差しの中で、私も、ゆっくりと走り出したのです。

　　 ｆｉｎ