夏休みが近付くにつれ、優美の憂鬱は募っていた。
　自分としては、普通の家で普通に成長したつもりだったが、最近周囲の話題に付いていけなくなりつつあるのだったし、その思いも崩れ始めていたのだ。

「明日何するの？」
　何気なく、前の席に座っていた友人に訊いた。
「明日？」
「うん。」
「明日から夏休みだしぃ、最初の日くらいまず彼と過ごすよ。」
「そう・・」
「優美は？」
「あたしは・・・」
　この友人の言う『彼と過ごす』ということの意味が、優美が未経験なことに直結していることが判っていたから、彼女は口籠もる以外なかった。
「優美っているんだよね？」
「え？」
「彼？」
「・・・」
　かすかに頷く。
「じゃあ、愉しい夏休みになるんじゃない？」
「・・・うん・・・・・」
　楽しい夏休みになるかもしれなかったが、優美はこの同級生が言うような休みを過ごすつもりはなかった。

　大体今日に限ったことではなく、優美は友人達から取り残されているかもしれないと実感させられる日々が続いていた。
　いつだったか、６月の半ばくらいだろうがそれ程親しいわけではないが、まあ毎日話をする程度の同級生から「パーティに行かないか」と誘われたので、どんなパーティーか訊ねたところ、
「誰かの部屋で飲み会するの。」
　と言う。
「ふ〜ん。」
　あまり関心はできないかもしれないが、優美はそこまで目くじらを立てる性格ではなかったし、まあそのくらいなら別に大したことはないと思う。
「まあ、盛り上がってきたら、ゲームとかしてぇ・・」
「うん。」
「結局はみんなでするね。」
「!!」
　あまりにもあっさりと言い放たれたので、絶句してしまった。
「いろいろ普段彼にもしないことまでしちゃったりするしぃ、彼もあたしじゃないのとしてて愉しそうだしぃ。」
　そこでフッと優美に振り返って、
「行く？」
　はっきり拒絶の首振りをする。
「そっか。愉しいよ。」
「いいよ・・」
「そう。」
「・・・よく行くの？」
　去り際に訊く。これが優美の精一杯。
「パーティー？」
　訊き返されて無言で頷く。
「月一くらいかな。優美は行ったことないの？」
「あたしはないよ・・」
　そう答えるのがやっとだった。

また、部活の終わりに着替えをしていたところ、清美という部活仲間が、
「優美、夏休みにキャンプ行かない？」
　と誘ってきた。
「キャンプ？どの辺に？」
「う〜ん、まだ決めてないらしいんだけど、武居先輩が優美誘ってみたらって言ってたから。」
「武居先輩が？」
　武居というのは、優美と清美の一学年上で部長でもあった。
「うん。優美だとまあ心配ないからって。」
「？」
　清美の真意は判らなかったが、優美が思うに武居は敬愛に足る女性だったから、その武居が自分を誘う以上は断るような理由はなかった。
「優美、行く？」
「まあ、親訊いてみてからでいいの？」
「ああ、いんじゃない。」
　清美のサッパリとした性格を優美は好きだった。
「もちろん、清美も行くんでしょ？」
「そりゃもう、彼も誘ったし。」
　当然のように言う清美。
「彼？」
　思わず訊き返す優美。
「あ！」
「え？」
　一瞬清美が後悔したような表情を浮かべた。
「どうしたの、清美？」
「あ。いや・・・」
　清美は着替えの途中だというのに服を抱えて、
「とにかく、親にも訊いておいてね。」
「清美？」
「じゃ、ねっ！」
　ボタンをはめながら出ていってしまった。
「う、うん・・・」
　いったい何なのだろうという顔の優美だけが残される。

「清美、優美のことどうだった？」
　更衣室の外では武居が清美に囁いていた。
「え、まあ、親に訊くって。」
「まあ、優美なら仕方ないか。」
「先輩、優美がその気になるようには話しますから。」
「あたしもしておくよ。何たって・・・」
　武居は少し妖しげな微笑いを浮かべながら、
「優美がいれば来る数が違うもの。」
　そうだけ言い残して清美の前から歩いていった。

　優美は家に帰ってから、清美に誘われたキャンプのことについて母親に訊いてみた。
　父親にも訊いてみて承諾が得られたので、清美に電話をかけていた。

「はい、大庭です。」
「松井と言います、こんばんは。清美ちゃんお願いします。」
「清美ね？ちょっと待ってて。」
　多分母親か姉だったのだろう。
「はい。優美？」
　しばらくして電話口に清美が出た。
「あ、清美ちゃん？」
「うん、何？」
「うん、夕方のことだったんだけど・・」
「夕方？」
　清美は少し考えたようだったが、すぐ合点がいったとみえて、
「ああ、キャンプのことね。どうだったの？」
　訊いてきた。
「行き先を知らせておけば、まあ行ってもいいよって。」
「そう。分かった。」
「何人くらい行くのっても訊かれたんだけど、清美分かる？」
「何人・・・」
　実はその辺のことは清美も全く知らされていなかった。もちろん答えることもできないのだが、優美はさして気に留めているようでもなくて、
「まあ、分かったら言うねって言っておいたから大丈夫。清美もそこんとこ武居先輩とかから聞いたら教えて。」
　自分の方から助け船を出した。
「ああ、うん。分かったよ。」
「あたし行けそうだってことは、あたしの方から明日武居先輩に言うね。」
「うん、そうだね。」

　それから少しの間、優美と清美は世間話をした。
「じゃあ、長くなっちゃったし、この辺で切るね。」
「うん、だね。」
　清美が切ろうとした瞬間に優美が急に思い出したように、
「あ、そうだ、清美？」
　とそれを止めた。
「何？」
「うん・・・」
　いざ訊くとなると戸惑いが大きかった。第一何と切り出していいものやら・・・
「何、優美？」
「・・・ゴメン、何でもないよ。お休み。」
「お休み。」
　電話を切った。
「彼も行く」というのは一体どういう意味だったのだろう。
　夕方の清美の態度は釈然としないものが多くあったのだし、優美はそれが気にはなっていたが、１０分話していて電話であえて訊くことができなかった。
　まあ、清美が誘っているのだからヘンなことじゃないよね・・・
　そう思って疑問を鎮めることにした。

　宿題も終わって、明日の予習をしていたところに、少し離れたところに置いてある電話機が鳴った。
　この音は内線？
「はい。」
「優美、『武居』という方から電話よ。」
　受話器から流れてきたのは母の声だ。
「うん。」
「回すよ。」
「うん、お願い。」
　そう答えてから電話が切り替わるまでのわずかの間で、優美は考えていた。
　武居先輩だよね？清美が電話とかしたのかな？
「はい、松井です。」
「あ、優美？ゴメンね遅くに電話して。」
「いえ、武居先輩、何かご用でしたか？」
「いや、まあ・・・」
　電話を通しても少しだけ武居の躊躇が伝わってきた。
「用って言えばそうだし・・・」
　それきり１０数秒沈黙が流れる。
「武居先輩？」
「あ、優美？」
「はい。」
　武居も何か心を決めたらしい。
「清美から聞いてる？」
「は？」
　いきなりそうだけ言われても、何のことやら判らなかった。
「あ、ゴメン・・『キャンプに行こう』ってさ。」
「あ！」
　今度は一瞬にして武居が電話をしてきた経緯まで判った。
「済みません、先輩。清美から部活終わってそのこと聞きました。」
「あ、そうだったの。」
　武居はちょっと言葉を切って、
「で、どうなの？」
　訊いてきた。
「清美には、『親に訊いてみてから』って答えておきましたけど、家帰ってきてから親に言ってみたら、いいって。」
「そう！」
　電話の向こう側にいる武居の嬉々とした様が目に浮かぶような声。
「行くことはじゃあ、決まりね。」
「はい、よろしくお願いします。」
「ん〜と・・よろしくと言われてもまだ日程も決めてないんだよね。」
「それも清美から聞きました。」
「ありゃ、清美ったらおしゃべりだな・・ま、いいや、優美？」
「はい。」
「詳しいことはあたしとか千宏とかで考えておくから、日程決まったら優美にもお報せするよ。」
「はい、お願いします。」
「うん、じゃあ、遅くなってきたからこれで。」
「はい。わざわざお電話有り難うございました。お休みなさい。」
「うん。お休み、じゃあね。」
　電話が切れた。
　この日優美がした電話はこれで終わりであった。