| １ 「み、宮前杏子です。２、２年生の英語を担当します。よ、よろしくお願いいたします。」 自信なさげな表情をした小柄な新任女教師は、その横に居並ぶ転任教師にマイクを譲る。極度の緊張と挨拶が終わった緩和で、手元が緩み手渡せるはずのマイクは壇上を転がった。 「ハハハッ」 生徒達の笑い声は、杏子には蔑みに聞こえている。転がったマイクを拾おうと杏子は２、３歩前に進むと、転がっているマイクに近づき、膝を折るように屈み込んだ。 「おっ・・・見えた。」 「白じゃん。」 壇上の杏子のスカートの隙間は、固く閉ざされたが、足の隙間でなくその下部は、担当するはずの２年生の男子生徒の目線と同じレベルだった。 男子生徒の脳裏に焼きついた新卒女教師のパンチラは、宮前杏子の名を覚えるより先に記憶づけられたに違いなかった。 「早く終われよ。・・・くたびれんぜっ。」 生徒の列の最後尾から、威勢の良い声が聞こえる。それに呼応してか、別の列からも同じような声が聞こえてきた。 「終われ、終われ・・・くだらねぇ。挨拶抜きで・・・裸踊りでもしろよ。」 「おいっ・・・静かにしなさい。攻児・・・おいっ・・・待て。」 声の主である生徒を学年主任が追う。それにつられて仲間であろう数人の生徒が体育館を飛び出した。 中には、女生徒も混じっていた。強く押さえ込むこともなく、どこかなし崩し的な対応をとる教員達。 その光景を壇上から見る杏子は、新卒である不安と、そこにある現状を合わせて、より以上の緊張が覆いかぶさった。 「えぇ、それでは、皆さんクラスに戻ってください。解散。」 教頭が、指示すると蜘蛛の子を散らすように黒い群れは、散開していく。杏子の隣に居た４０代の男性教師は、ふぅとため息をつき杏子に話しかけた。 「ついてねぇ。この時期に二中に転任なんて。新卒の宮前先生も不運だね。」 「そ、そうですか。」 「中学の荒れる時期は、４、５年続くんだよ。つい最近の台風の目は三中だった。去年からこの一中が台風なんだ。」 「そ、そんなに荒れてるんですか。」 「あぁ、さっき、大声を出した生徒。・・・六沢攻児。あれが台風の目でね、一年の半ばからこの一中はおろか、周りの中学にまで範囲が及ぶほどの悪なんだ。」 「先生方は、何も、対策を？」 「やりたくてもねぇ・・・出来ないんだよ。」 「なぜですか？」 「宮前先生もそのうち判るよ。・・・まぁ、あまり関わらんことです。」 自分より２０年もキャリアを積んだ教師の言う言葉は、新卒の杏子に重くのしかかる。言葉以上の不安は、まだ実感はなく、安穏とした中高一貫女子校生活を暮らした杏子には、これから来る荒廃した中学校生活は未知なる宇宙と同じだった。 始業式の喧騒も収まり、杏子は職員室でのオリエンテーションを受けていた。杏子の指導教員である黒川との対面も終わり上面だけの説明をノートに書き写す。 「以上ですね、何かご質問は？」 「は、はい。・・・今のところ特に。」 「じゃ、本日はこれで、私、部活動がありますので。」 「はい、ありがとうございました。黒川先生、よろしくおねがいいたします。」 深々と頭を下げた杏子の胸元を、無意識のうちに覗き込む黒川。杏子の置かれた立場を知るこの男は、建て前の顔を見せつけその場を去った。 黒川に言われたことを実践すべく、杏子は学校内を散策を始めた。穿いてきたパンプスを真っ白い運動靴に履き替え、黒のスーツに不釣合いな足元に変化した新卒教師は、管理棟と教室棟の狭間の渡り廊下を進む。 部活動で汗を流す生徒とは裏腹に、渡り廊下の隅にいる黒い影は白い煙を吐き出していた。目の前で、行われている悪行は、杏子の想像をはるかに超えていて、歩幅が抑制される。 「おいっ、郁。」 「ん？・・・。」 どこから拾ってきたのか、コンクリートブロックを数個重ねた上に腰をかけていた二人は、杏子の姿を見つけると、悪びれることなく火のついたタバコを土間に擦りつけた。 「い、いま、何をしていたの？」 「はぁ？・・・お前、誰だよ。俺のおかんじゃねぇよなぁ。そんなに若くねぇし。」 「誰だよって・・・み、宮前です。今日、始業式で挨拶したでしょ。」 「あぁ・・・白パンツの露出狂師。」 郁と呼ばれた生徒ではなく、その相方の背の低い男が、近づいてきた杏子を茶化す。 「なんだよ、それ。」 「郁くん、見てねぇんだ。このパンチラ教師、さっきの始業式で、壇の上からパンチラ拝ませてくれたんだ。・・・染みつきの白。」 「本当かよ・・・染みまで見えたのか？」 「・・・。」 「黙ってるところを見ると、濡れ濡れだったんか？」 「う、嘘です。お、大人をからかうのは、よしなさい。それより、いま、タバコを・・・。」 「はっ？・・・何言ってんの？」 「ポケットから・・・出しなさい。」 「判ったよ・・・出せばいいんだろ出せば。」 杏子は、殊勝なものいいになった郁を見る。足をかがませ生徒と同じ目線に下がると、それに反した郁は、杏子の前に立ち、ポケットに手を入れる素振りから、自らの腰履きした制服のズボンをずり下げる。 「ホラ、これ・・・先生欲しいのか？」 「・・・キャッ。」 杏子の眼前に飛び出したものは、色づきは浅いが枝振りの良い陰茎だった。飛び出した陰茎を杏子に見せびらかすようにぶらつかせた。 「ケケケッ、初めてじゃないくせに、かまととぶって。」 「早く、穿きなさい。」 目を閉じたままの杏子は、郁にズボンを上げるように手先でのみ促すと、調子に乗った郁は、一歩前に足を踏み出すと先端が、杏子の拒絶の手に触れた。 「イヤッ・・・な、何をしてるのぉ。」 半笑いの二人組みは、男を知らぬ杏子の仕草を確信し、顔を見合すとその場をあわてて逃げ出した杏子を手を振って見送った。 数分の間、二人組はこの後に起こりうる全てのことを想像し、何もなかったようにブロックの上に再び腰掛けた。 「郁、どうしたんだよ、なんか面白いことでも。」 「あ、攻児くん。まだ、帰ってねぇの？」 「あぁ、紗枝と・・・。」 「どこで？」 「屋上。」 「何回？」 「しつけぇな。・・・２回だよ。」 「ゴムは？」 「屋上、見て来いよ。」 「遠慮しとく・・・イカ臭そうだから。」 それまで郁と親しげに話していた実は、急に声のトーンを落とし、攻児へしゃべりかけることはなかった。 「あ、実、居たんだ。わりぃ、お前、紗枝のこと、まだ、忘れられねぇんだっけ？」 「い、いや、いいっす。・・・お、おれ、用事思い出したから、先に帰る。」 実は、攻児へ視線を合わせることなく、学校の裏フェンスを飛び越え走り去った。 実の座っていたブロックに攻児が腰掛けると、渡り廊下の管理棟側から大の大人が二人、顔を出した。 「大池、お前、宮前先生に何をした。」 つかつかと寄ってきた生徒指導の男性教師は、その横にいる攻児を見つけると、トーンは落ち、なだめすかすように変わった。 「何もしてねぇし。・・・ねぇ攻児くん。」 「あぁ、何もしてねぇよ。」 「み、宮前先生・・・これは、どういうこと？」 「えっ・・・あ、あなた、さっきまで・・・。」 証拠を見つけようと、土間を見回すが、消し去った後すらなく現行犯でなくなってしまった事実だけがそこにある。 「先生、どうしたの？・・・夢でも見てた？」 「も、もう一人の子は？」 「もう一人は俺だろ。」 攻児は、親指で自分を指し示すと、半笑いの二人組みは目を見合わせ杏子の次の言葉を待った。 「ち、違います、もっと小柄の。」 全ての事実が覆ると、はなから事を荒立てる気のなかった生徒指導の男性教師は、攻児らに帰宅だけを促してその場を去った。 「パンチラ先生、残念だったねぇ。俺のポコ○ンの評価は、通信簿に書いておいてくれる。五段階評価で。」 「・・・。」 悪童たちへの苛立ちを隠すように無言で立ち去った杏子は、管理棟に入る瞬間には堪えきれない涙が堰を切っていた。 「宮前杏子・・・どこで、どう捌こうか。」 攻児は、郁に聞こえるかどうかの小声で、管理棟に消えた杏子の行く末を、薄汚れた手のひらで転がし始めていた。 |
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| 2012.1.25掲載 |
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