| ２ 採用からの日数はあっという間に積み重なり、梅雨も明けようとするその頃、吉川緑の携帯に絵文字の入らぬメールが届く。 「ん？・・・杏子、久しぶりね。元気してるのかなぁ。」 折たたみ式の携帯を開くと、受信ホルダーを開き宮前杏子と記された文字を反転白文字にさせる。そこに映し出される無機質な文章は、言いたげなことが伝わらぬ文章だった。 「？。どうしたんだろ。あの子らしくない。」 緑は、すぐさま返信のメールを打ち込むと即座に送信した。その内容は、会って話を聞きたいが部活動や、期末テストやらの準備が忙しく、学期末にお茶でもしようという内容でしか送れなかった。 送信をし終えると、先輩教員の山崎が緑の背後から声を掛ける。鼻息の荒い山崎は、束ねた緑の髪の毛をその鼻息で揺らし、纏わりつくように顔を突きつけた。 「感心しませんねぇ吉川先生。まだ、終業時間ではありませんよ。生徒に指導する立場の教員が、就業中にメールなど、もってのほかだ。」 近づいた顔から逃れようと緑は前かがみになると、山崎は緑の背中に浮かび上がるブラのホックを凝視し、その視線を下に移すと、浅い腰の部分の隙間に目を奪われた。 「す、すいません。同期の二中の先生からのメールで。」 「まだ、学生気分が抜けてないようですな。生徒から人気があるだけじゃ、いい教師とは言えませんよ。生徒の携帯も没収されるくらいですから、吉川先生のも没収としましょうか。」 「えっ、そこまで・・・。」 「えぇ、そこまでさせてもらいますよ。同じ土俵に乗らないと生徒もつけあがりますから。さぁ・・・さぁ。」 「わ、わかりました。・・・夕方には。」 「もちろんですよ。それまで、学年主任の陣野先生にお渡ししておきます。いいですね。」 「えぇ、異論ありません。」 渋々、携帯を手渡すと、山崎はそれを封筒に入れホチキスで２ヶ所に封をすると自らの机の上に置いた。陣野の席は体育教官室からは離れた職員室にあり、授業の合間をみて山崎が持っていく腹だと信じて疑わなかった。 「キンコーンカンコーン。」 ４時限目のチャイムが鳴ると、自分の担当のクラスへと駆け足で向かい置き去りにした携帯のことは、脳裏から外れていた。 授業のない山崎は、封入された袋を手に握り締めると陣野の居る職員室とは違う保健室へと足を運んでいた。授業開始間際のざわついた廊下を進み、管理棟の一階にある薬品臭い保健室に向かうと、扉から出て来た保健教諭と何やら会話を終え、閉ざされた扉を引いた。 「ガラッ・・・守さま。」 「山崎か、入れよ。なんだ、こんな時間に昼寝の邪魔をしに来たか。それとも、あのババァと何かしてねぇか気になってきたのか。」 「いえ、お休み中申し訳ありません。いいものが手に入りましたので・・・これを。」 封入された携帯電話を取り出すと、ベッドに横たわる守に手渡す。お褒めの言葉でも頂戴したいのか、守の表情を見つめていると、気にも留めず二つ折りを開き誰の物か特定を始める。取り込まれた画像、受信履歴、発信履歴、様々な個人情報を包み隠さず守はインプットする。そして解析された持ち主の特定を進めると、いつも頭から離れることのない女の顔がちらついた。 「山崎、いつ返せばいいんだ。」 「そうですね、６時限の終わりには。」 「わかった、３時に取りに来い。それまで俺は、ここに居る。ババァにも言っておけ。一時間で帰らせるってうるせぇんだ。」 「わかりました。では、お楽しみください。」 山崎の気配は加齢臭とともに保健室から消え去り、元の消毒臭さの残る保健室に戻った。守の握った携帯は、画面の移行がスムーズに行われ、持ち主の吉川緑の交友関係や趣味、はたまた内面に潜んだ悩みなども露呈されている。 「陣野？まぁ上司のアドレスくらい業務の範囲ってとこか。山崎は電話番号すら入ってねぇな。」 守は緑の電話帳を隅々まで見通すと、保健室の時計を見やり給食へのカウントダウンを始める。今の守には、給食より何より吉川緑の携帯のみが食欲も性欲も睡眠欲も支配している。電話帳から発信、着信履歴を見渡すと、ある一人の名前が数度となく目に入る。 「男か、・・・。」 幾度か出てくる名前に聞き覚えはなく、二中にいる教師でもないことは判っていた。メールのやりとりにも出現するその男の名を記憶にとどめ、残存する緑の送信履歴と受信履歴を交互に時系列を追いながら辿っていった。 読み始め数十分がたった頃、保健教諭が室内に戻り、守に声を掛ける。携帯をサッとポケットに隠した動きは、老眼の始まった教諭には気がつかずにすんだ。 「富田君、調子はどう？給食は食べれるの？」 「いや、まだ、だるくて。もう少し横にならせて下さい。そうすればよくなると。」 「そう、でも、困ったわ。私、これから用事があってここを離れるのよ。」 「えっ・・・さ、さっき山崎先生が、こられて。」 「あ、そうね、山崎先生、午後の授業もないって言っておられたし、お願いしようかしら。」 「・・・。」 「じゃ、山崎先生に後をお願いするから、先生の言うことを聞きなさいね。」 保健教諭は、そう言うとカバンに書類を詰め込んで、守の額を触り発熱の有無を確かめると、興味なささうにその場を立ち去った。 「ふぅ・・・これで、あと３時間は。」 メールの受信履歴と送信履歴を交互に読み続ける守の股間は、少し興奮気味になり、額よりも熱を帯び始めていた。 携帯がないことを少し忘れかけていた緑は、陣野と顔を合わせてもその話題には触れなかった。６時限目が終わり、皆が部活動や帰宅を始めるその時、着替えをすべく更衣室へ向かい、Ｔシャツを脱ぎ、部活動用の吸汗性の良いシャツに腕を通した時、預けたままの携帯に気がついた。 「あっ、還してもらわなきゃ。陣野先生、会議があるって・・・。」 着替えを素早く済ませると、更衣室の扉を開け、陣野の居る職員室に駆け出すが、その途中で見かけた駐車場にあるはずの陣野の車は見当たらず、駆けるの止めた。 「山崎先生・・・。」 駆けるのを止めたとこに偶然居合わせた、元凶である山崎を呼び止める緑。振り返った山崎は、緑に近づき何の用かと問いただす。 「あのぉ・・・私の携帯は？」 「あぁ、陣野先生では？」 「えぇ、でも、陣野先生は会議で・・・おられないと。」 「あぁ、では、持って行かれたかもしれませんね。諦めて、明日にでも私が引き取ってきましょう。」 「えっ・・・。」 「何か問題でも？」 「あっ・・・判りました。では、明日、お願いします。」 反論を止めた緑の心中には、新卒採用とはいえ、まだ実習期間であることを思い返し、この場で山崎に食って掛かるのは、この先にある正規採用の辞令を貰うまでの辛抱と心に釘を刺し、言いたいことを止めた。 陣野に預けられたことへの安心感から、緑は大きな負担を感じることなく部活動の場へと駆け出した。簡単に引き下がるとは思わなかった山崎は、その報告を手柄となすため守のいすわる保健室へ向かう。 「ま、守さま。危ないとこでした。」 「なんだ、用意できたのか。」 「私の持ってる充電器はメーカー違いでして、・・・これ、購入してまいりました。早速充電を。」 「それで、どう還す。」 「それなんですが、陣野が持ち帰った事にしてあります。なので、明日の朝一には、直接吉川先生に手渡さないと。」 「そうだな、陣野がからむと、ややこしくなるな。でも、山崎、緑は陣野にこのことを聞くんじゃ。」 「大丈夫でしょ。自分から不始末のことを穿り返すようなことはしません。ましてや持ち帰った陣野の顔を潰すようなことを、正規採用の辞令前の教師がするとは思えません。」 「だな、じゃぁ、持って帰ってもいいんだな。」 「えっ。」 「え、じゃねぇ。明日の朝、お前が家まで取りに来いよ。な、わかった？」 「は、はい。・・・では、教育長によろしくお伝えください。守さま。」 充電のランプが赤く点ったと同時に、バッテリーの失われた緑の携帯は、守のカバンに押し込まれ、女教師の全てを吸収する時間を手に入れた。偶然の産物を手柄に変えた山崎は、教育長である守の父への拝顔の許しを得た。 |
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| 2012.1.28掲載 |
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