５　画廊の女

　その道は、国道から１本入っただけとは思えない、閑静な佇まいを見せていた。
　立ち並ぶブティック、喫茶店、花屋・・・どの店も趣味の良さを感じさせながら、必要以上に出しゃばらず、見事にそこの街並みに溶け込んでいた。
　目指す画廊は、通りの角にあった。
　そこは白を基調とした、意外に大きな店で、モノトーンの看板が大きく掲げられていた。
　なるほど、これなら見逃さないはずであった。
　僕は扉を開き、中に入った。
　店内は、高名な画家といった雰囲気の男性や、いかにも美術大学在学中といった感じの客たちで、それなりに賑わっていた。
　さて、とりあえず用事を済ませなければ。
　僕は受付の女性に尋ねた。
「あの、僕、奥山という者ですが・・・佐藤美沙子さんって方、いらっしゃいますか？」
「あ・・・オーナーですね。少々お待ちいただけますか？」
　受付の女性は、そのまま席を立って、奥へと姿を消していった。
　やや手持ち無沙汰のまま、僕は受付の前に立っていた。
　やがて、足音が近づき、声をかけられた。
「奥山さん？・・・・・」
　ややハスキーがかった、艶っぽい声であった。
　振り向くと、むっちりとした濃紺のスーツに身を包んだ、派手な顔立ちの、洗練された雰囲気の熟年女性が立っていた。年は、５０代に差し掛かっていようかと思われた。
　その美しさに、僕は、思わず言葉を失い、見とれてしまった。

　やや放心の僕を、怪訝そうに見つめながら、彼女が続けた。
「佐藤は私ですけど・・・・どんな御用件かしら？」
　僕は、ようやく我に返り、用件を伝え始めた。
「あの・・・実は、編集長から、これを届けるようにって、言われまして・・・」
　僕は、おずおずと封筒の荷物を差し出した。
　彼女はそれを受け取って、しばらく眺めていたが、やがて思い出したように、
「そうそう・・・これについて、編集長さん、何か言ってなかったかしら？」
「あ・・・そういえば・・・」
　僕は慌てて付け加えた。
「確か、『今のあたしには、必要ないから』って。・・・そう言えば、わかるはずだからって・・・そう言ってました。」
　それを聞くと、彼女の顔に、苦笑いが浮かんだ。
「あらら、あの子ったら・・・・結局、無駄骨になっちゃったわね。」
　その言い方に、僕は驚きを隠せなかった。
　あの男勝りの編集長を、『あの子』よばわりするこの女性・・・僕は気になり、つい、ぶしつけに尋ねてしまった。
「あの・・・編集長とは・・・どういう？・・・」
　それを聞くと、彼女は、やや呆れた表情を見せたが、やがて笑みを漏らすと、
「まったく・・・あの子ったら、何にも話してないのね。」
　そうして、一息つくと、
「姉です。」
　その返事に、僕は、またも驚き、黙ってしまった。

　佐藤美沙子は、客の対応を他に任せた後、僕を奥の部屋へ案内してくれた。
　そこは、ちょっとした応接間になっていた。
　僕は、ソファーに座り、テーブルを挟んで彼女と向かい合う形になった。
　タイトスカートからこぼれる脚を組んで腰掛けている彼女を、僕はまともに正視できなかった。
　熟年女性に対し、性の対象として見ることはあっても、ここまでどぎまぎしてしまうのは、正直初めてといってよかった。
　彼女は、そんな僕の状況を知ってか知らずか、コーヒーを一口飲んだ後、話しはじめた。
「大変でしょう？あの子の下で働くのって。」
　僕は思わず、
「ええ・・・」
　返事をしてから、しまったと気づいた。仮にも編集長の肉親を前にしているのだ。
　僕は慌ててコーヒーをすすったが、ごまかしきれなかったようだ。
　だが、彼女は別に気を悪くする風でもなく、くすっと笑って答えてくれた。
「ずいぶん正直なのね。」
　その一言で僕は、救われたように楽になった。
　それから僕は、彼女と編集長のことについて、いろいろ尋ね、話を聞かせてもらった。　姉妹なのに、彼女と編集長がぜんぜん似てないのが、まずは疑問であった。
　２人とも美人には違いないが、何せ、タイプが全くといっていいほど違っていた。
　佐藤美沙子は、どちらかといえば派手な顔立ちだ。顔のつくりも肉感的で、造作も、かなり大きめである。髪は黒く、ボリュームがある。
　一方、編集長はというと、典型的な痩せぎすである。顔の雰囲気も鋭角的で、狐のような顔立ちに近い。髪も茶色く、長めのストレートだ。
　さらに、服装や言葉遣いからして、正反対だ。
　佐藤美沙子は、初めて会ったので何ともいえないが、ほどほどの短さのスカートを穿いたタイトスーツ姿が、とても品よく似合っていた。言葉遣いも、極めて女性らしい。
　一方、編集長は、スカート姿を見たことがない。革ジャンかＧジャン、中はＴシャツ、下はジーンズか黒のスラックスというのが定番となっている。以前は皮のショートパンツという悩ましい服装の時もあったが、最近はとんと見かけなくなった。言葉遣いは、まんま男といっていい。
　聞いてみると、美沙子は正妻の子で、編集長は、いわゆる妾の子ということだった。
　親戚からはずいぶん虐待を受けた編集長だったが、美沙子は、年の離れた妹である編集長の面倒を、わりとよく見ていたらしい。
　編集長も、美沙子にはなついていたようだが、結局中学に入ったころからグレ出し、高校の頃には、押しも押されぬスケ番グループの長におさまった、
　ただ、スケ番とはいえ、長であるから、かなり面倒見はよかったらしい。
　確かに、今でも、編集長におさまっているだけあって、リーダーシップは、なかなかのものである。
　ただ、僕をはじめ、部下たちがそれについていけないのだ。
　思ったことをすぐに口に出すため、社内でも、かなり衝突は多かったと聞く。
　そうしたことが重なり、ゴシップ雑誌の編集部に回されたということだ。
　ただ、編集長が就任してから、部数は伸びているから、腕は確かに違いなかった。
　しかし、それに陰で振り回されている部下たちは、正直たまったものではない。
　どちらにしても、今週でおさらばする我が身としては、もうそのことも、あまり問題ではなくなっていたのだが。
　そんな話を聞きながら、時間は瞬く間に過ぎていった。
　彼女もそれに気づいたのか、
「あら・・・もうこんな時間・・・ごめんなさいね。何か、引き止めちゃったみたいで。」
　彼女は謝ったが、僕はむしろ、もっと長い時間を彼女と過ごしたかった。
　だが、そういうわけにもいかなかった。
　最後に僕は、画廊に来る前から気になっていたことを尋ねてみた。
「あ、ところで・・・・きょうの荷物の中身って、何だったんですか？・・・もし差し支えなければ、教えてほしいんですが・・・編集長も、教えてくれなかったので・・・」
　彼女は、それを聞くと、いたずらっぽく笑って、意外な答えを口にした。
「お見合い写真よ。あの子の。」
「お見合い写真！」
　僕は思わず、最後に飲み干そうとしていたコーヒーを吹き出すところだった。
　編集長とお見合い・・・このでたらめとも言える組み合わせを、僕はしばらく、頭の中で繋げあわすことができなかった。
　彼女は続けた。
「あの子も、女だしね・・・男勝りに肩肘はって仕事してるけど、年も年だし、いいかげん女の幸せもつかんでほしいと思ったの・・・でも、いらぬお世話だったみたいね。」
　そう話す彼女の横顔は、どこか寂しげであった。
　ちなみに彼女は、学生結婚をしていたのだが、１０年前に夫が事故で亡くなっていた。　だが、今も亡き夫の姓を名乗っている。だから、編集長とは姓が違うのだ。
　僕は、彼女の亡き夫に、立場もわきまえず、軽い嫉妬を覚えた。
　だが、そんな僕の気持ちは、もちろん彼女の知るところではなかった。
　店を出るとき、彼女は僕を優しく見送ってくれた。
「引き止めて、ごめんなさいね。お話楽しかったわ。もし暇があれば、いつでも遊びにいらっしゃいね。」
　僕はその言葉に、無性にそわそわした気分になったが、それを彼女に知られるのは恥ずかしかった。
　僕はやたら無愛想な顔で、事務的に一礼し、そそくさと店を出た。

　家に帰った僕は、佐藤美沙子のことが、頭から離れなかった。
　彼女と過ごした時間が、僕にはとても、貴重に感じられた。
　それを思い出すと、僕は何か、ほんわかしたような、幸せな気分に包まれた。
　何か僕には、彼女の存在が、どこか、侵しがたい存在のように思えた。
　ベッドに入っても、彼女の姿が、目の前に浮かんできた。
　僕は試しに、想像の中で、彼女を満員電車の中に置いてみた。
　満員電車で身動きできない彼女は、それでもなお、どこか神聖な雰囲気を漂わせていた。
　僕は彼女の後ろにつき、手を伸ばそうとした。
　だが・・・・僕は彼女の体に、手を触れることができなかった。
　ためらっているうちに、想像の中の彼女が、僕に声をかけてきた。
「どうしたの？奥山君・・・・」
　僕はそれに対して、どぎまぎしたまま、何も答えられなかった。
　彼女はたまらなく慈愛に満ちた視線を向けて、言葉を続けた。
「私のこと、触りたいとか？・・・・もしそうなら、いいわよ、我慢しなくても。黙っててあげるから・・・」
　僕は、そんな都合のいい申し出に対し、想像の中でありながら、何とももったいない返事をしてしまっていた。
「いえ・・・・いいです・・・」
　彼女は目を見張り、やや、いたずらっぽい笑いを浮かべながら僕に尋ねた。
「あら。どうして？・・・・そうね、やっぱり、こんなおばさんじゃ、そんな気にならないわよね。」
「あ・・・いえ、そうじゃなくて・・・・あの・・・そうじゃないんです・・・」
　僕は、彼女の言葉を慌てて遮った。そして、やっとの思いで、言葉を搾り出した。
「あの・・・いるだけで、いいんです。・・・・こうして、側に一緒にいるだけで・・・それだけで、僕は、凄くいいんです・・・」
　何か、まるで保母さんに対する、幼稚園児の告白であった。
　想像の中だというのに、そんな答えしかできない自分が、やたら恥ずかしかった。
　彼女は、なかば呆れたような顔をしていたが、やがてフッと笑って、
「そう、わかったわ・・・じゃ、駅に着くまで、こうして一緒にいましょうか・・・・こうやって、くっついて・・・」
　彼女はそう言って、僕と向かい合わせになり、僕のことを軽く抱きしめてくれた。
　想像の中の彼女は、とても暖かく、柔らかい感じがした。
　ひょっとしたら、母親に抱かれるというのは、こんな感じなのだろうか・・・
　そんなことを考えながら、僕は、たまらなく幸せな気分になっていた。
　そうしているうちにも、僕の下半身は、彼女の太腿のあたりで、身勝手に膨らみを増していった。
　僕は、それが彼女に気づかれたかと思うと、たまらなく恥ずかしくなってしまった。
　だが、想像の中でも、僕の膨張は、都合よく収めることができなかった。
　彼女は、太腿に密着する僕自身が硬くなっていることに気づき、軽い驚きの表情を見せた。
　だがやがて、
「あらら・・・もう、仕方ない人ね・・・」
　そう笑って、そのまま黙って、密着を許してくれた。
　僕は、このまま暴発させてしまうことは、彼女への冒とくに思われた。
　僕は必死に抑えながら、それでも、彼女との幸せな時間を楽しんだ。
　そうして、想像の中で、いつまでもたどり着かない次の駅まで、彼女との暖かな時間を過ごしながら、僕は深い眠りについていった。