赤と黄に彩られた棋譜

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　▽

《そういえば……第一項のタイトルは『腕をまくる変態』だったな》
　その通り。明智の記憶力も満更捨てたものではない…というより、息子の血液をかなりの量、脳味噌に移血させられた証拠。

『ケツをまくる変態たち』の第一巻に真っ先に登場した男、スキンヘッドの井出博はセックスの際、ラッキョウのような形の亀の頭が溢血しそうになると、まず輸血によって引き起こされる可能性が高い病気の症状を数え上げ、次は自分が前回何月何日に腕をまくって献血に協力したか、その記憶をたどっていた。

　そして井出はそうした亀の頑張りと、献血への協力姿勢を評価され、憧れの看護婦さんというか、ナースの『出井エリ』との結婚を果たし、念願だった本格的なお医者さんごっこ、すなわち各種の医療器具まで用いた産婦人科医の真似事を、本物の看護婦さん相手に、それも制服を着せたままの格好でやり始める……というのが、第一巻の第一項で展開された物語だ。

「ねえ…探偵さん…。なにか、考え事してるの？」
「ええ…まあ……」
　明智は大嘘つきではない。ただ、相手の誤解を意識的に解かなかったり、答えを曖昧にごまかすことだけは、比較的頻繁におこなう。もちろん『嘘も方便』という諺に従う機会も多い。

「さっきの呼び出し……気になってるなら、先に電話だけでもかけて？」
「いえ、僕が気になってるのは、これから僕のやることが、奥さんに気に入ってもらえるかどうか、その点です」
「…………それなら……」
「わかってます」
　明智はきっぱり断言した。
　月経奥さんの意向がどうであれ、今の明智は自分が…いや、自分もやってみたかったことを、やりたいようにやるだけ。明智のおこなった断言は、小林夫人の意向の無視と、拒絶の姿勢表明でもあるのだ。

「さあ、もう少し膝を曲げて、胸の近くに引き寄せてください」
「……これで…いい？」
「はい、充分です」
　本音を言えば不充分。明智としては、もっと膝を広げてほしいところ。
　だが、月経奥さんの両脚は、今も厚手の生地のパンティーが脱ぎかけ状態。それを承知していながら「もっと」などと求めても、筋力的に無理。溢血寸前の息子に向かって「もっと身長を伸ばせ」だの「もっと頭囲を大きくして、胴回りも太くしろ」だのと命じるようなもの……とは少し違うかも知れないが、無理な注文という点では変わらない。
　明智は左右の腕に力を込め、月経奥さんの両膝をさらに広げさせてから、眼の焦点を再び陰部一帯に合わせた。

　恥豆は包皮を脱いだままの状態。鮮血をまぶしたような色の豆芯がツヤツヤと光り輝き、今や遅しといった感じで天を仰いでいる。
　やはり男に比べ、女は興奮の醒めていくのが遅い。明智は久々にそのことを肉眼で実感した。

　もし自分に、本格的なお医者さんごっこの趣味があって、そのための器具を揃えていれば、この肉芽とも呼ばれるクリトリスに聴診器を当てるだろう。そうすれば俺の鼓膜には、ズキズキという熱い疼きが聞こえてくる筈だ……。明智は『ケツをまくった変態たち』に真っ先に登場した男が、看護婦である妻相手に聴診器を使う場面を思い浮かべた。

　しかし、明智が今ここで聴きたいと熱望しているのは、決して恥豆の疼きなどではない。息子をもっと疼かせてくれる生々しい音、すなわち『聴診器なんかどこ吹く風』といったふうの“風音”、言い換えれば、耳が洗われるという点で、風鈴の音なんか目じゃない…いや、「耳障りなだけ」と断言できる音を聴きたいのである。

　明智は左手で月経奥さんの右膝を押さえたまま、ブロワーを持っている右手に「奥さんの左膝も手放すな」と命じながら、視線をゆっくりと手前に引いた。

　かなり口を広げ気味の肉壺からは、経血混じりの体液が途切れることなく溢れ続けている。それも単に『ダラダラと』という感じではなく、『ドクッ…ドクッ…』といったふうにしか見えない。軟体動物を思わせる壺の口が、ゆっくりとした収縮を断続的に繰り返しているためだ。
　未成年には目の毒というやつだが、変態気味の中年には目の薬になる光景である。

　今また“目薬婦人”の壺の口がすぼまり、多量の粘液を吐き出した。その伝い流れる先を目で追う明智は典型的な中年の変態男。
　会陰の薄い皮膚を伝っていた体液の流れが、わずかな滞留を見せた。そこには十円硬貨ほどの窪みが生じているせいだ。

　窪みは浅いが、薄紫がかった橙色の中心から円の輪郭に向かい、放射状の線がくっきりと刻まれている。青井盥が『空気銃』に例えたブロワー、その真の標的は恥豆ではなく陰穴なのだ。
　実弾を使った射撃訓練がそうだったように、姫子相手に液状弾を放つ本番でもなかなか命中させられなかった明智といえども、至近距離から的を外すわけにはいかない。
　明智は右手に持った空気銃の…いや、ブロワーの狙いを定めた。

《よし》
　目薬婦人の的の真ん中、窪みの中心にノズルの先を押し当てる。
「あっ…」
《あ、いけね》
　失敗だ。小林夫人が慌てたような声を上げて尻をくねらせたせいで……というより、明智の右手は、とうに目薬婦人の左膝を手放していたために、ノズルが目標から逸れてしまった。

《そうか…俺も未熟だな》
　思い出した。青井盥は『ケツをまくる変態たち』の中で、竹藪秋彦のポルノ映画『蘇る金玉』の主題歌をもじり、『♪蠢く標的～狙いを定めて～』という替え歌まで作っていたというのに、的が尻とともに動くことを、明智はすっかり失念していた。

　冷静なつもりでいた俺も、やっぱりかなり興奮しているらしい……四十にもなって、まったく未熟な限りだ……。明智は久々に少し反省した。姫子との初夜で暴発事故を起こしたとき以来だから、ほぼ半世紀…違う、十年ぶりの反省である。

《でもな》
　岐阜に住む妹の種子が産んだ初子で、それぞれ「桃子」と「太郎」と名づけられた双子が、未熟児で生まれなかったことで自分を慰め、明智は改めてノズルの先端を標的に向けた。

「奥さん、じっとしててください？」
「あん…」
　先端が標的に届いた途端、目薬婦人の陰穴はすぼまり、夜間の校門状態になってしまった。
　このままでは先に進まない。だからといって明智には、押し込み強盗や強姦のような振る舞いに及べるわけもない。姫子を相手にやっていた『肉体尋問ごっこ』とは、わけが違うのだ。

《どうするか…》
　明智はノズルの先を的の中心に当てたまま、目薬婦人の説得方法を考え始めた。

「ねえ…探偵さん……そこは……」
「ここは肛門ですよ」
　明智は嘘つきではない。

「……でも…なにをするの？」
　話しのすり替えは無駄だった。
　やはり有害な産業廃棄物に汚染された土壌は多くても、柳の下にドジョウは二匹も三匹もいないものだ……などと、駄洒落めいたことを考えるだけで諦めるような明智ではない。

《政治家や官僚の国会答弁にしても、ノラリクラリやってるうちに、たいがいは質問する側も諦めるからな》
　今度は小林夫人の質問の言葉尻を捕らえ、駄洒落めいた返答でお茶を濁してみることにした。

「ナニが来ている奥さんに、ナニを何度かさせてあげるだけですから、なにも心配する必要はありませんよ」
「………………」
　濁ったお茶が一発で…いや、一服で効き目を現したらしい。小林夫人の口から新たな質問が発せられる気配はない。

　この奥さんの経験は浅そうだが、すでに変態プレイの楽しみ方だけはよく知っているというか、旦那との少ない経験で、たっぷり過ぎるほど学び取ったというか……。俺が正直に答える気のないことを知って追究を諦めたのは、そのなによりの証拠のはずだ……。
　明智は小林夫人が無言でいることを、そんなふうに受けとめた。

　青井盥によれば、変態プレイの楽しみ方には二種類の方法があるらしい。
　ひとつは、敢えておこなう予告によって、相手の羞恥心を刺激すると同時に、期待感をも募らせる方法。そしてもうひとつが、内容を知らせずに不安を煽ることで、予定を実行に移したときの羞恥を一気に爆発させてやる方法だという。

　これまではそんなことを少しも意識していなかった明智だが、どうやら今日は後者の方法を意識的に優先させているようだ。

　明智はノズルを少し的から遠ざけ、ゴム球を握り潰した。
「やっ…」
　小林夫人の漏らした可愛らしい声が、明智の鼓膜を震わせ、同時に網膜には、陰穴の窪みと刻みが深くなる様子が映し出された。これまた変態男にとっては目の薬である。

《こういうのも、けっこう楽しいな》
　今年で“四十男”の仲間入りをした明智の脳膜に、またひとつ新たなズリネタが刻み込まれた。

「ねえ…それ、入れるの？」
「ええ、たくさん入れてあげますから、じっとしててくださいね」
　予告は少しで充分。明智の脳膜は自分なりに当然の判断を下し、ノズルの先端を的穴に差し向ける傍ら、網膜に状況の再確認を命じた。

　ブロワーのノズルは細い。ゴム球に近い最も太い所でも、せいぜいが小指ほどの太さでしかない。的穴が少し緩みさえすれば、容易に挿入できそうだ。しかも的穴を中央に据えた窪みには、二種類の体液が混ざり合った状態で伝い流れている。ゆっくり挿入していく分には、潤滑液に不足が生じることもない筈……。

《とはいうものの…だよな……》
　明智はノズルの挿入を思いとどまった。とはいえそれは無論、小林夫人の心情を思いやってのことではない。明智の執着心が、変態ならではの危惧を覚えさせたからだ。

　潤滑液に不足がないとしても、このまま事を運ぶのでは風音が音量不足をきたす可能性が高い。たとえ音量が充分であっても、音量の大きさが音色の良さを保証してくれるものでないことは、音響機器を例に取る必要もないほどの常識的知識。老若男女を問わず、誰もがそうであるように、小林夫人が澄みきった音色を奏でられる筈もないが、現状では満足な音色が得られないかも知れない。
　明智の脳膜は、その点を危惧したというか、端的に言い換えれば、青井盥の小説を好む明智のようなタイプの変態が、耳の穴をきれいに且つ快く掃除してもらうためには、音色の汚れ方の激しいことが、必要不可欠な絶対条件なのである。

「ちょっと待っててくださいね」
　明智は優しく声をかけてから、ブロワーを手にしたままベッドを降りた。

「やっぱり、電話するの？」
「いえ、違います」
　チェストの前に立った明智は、小林夫人に横顔を向けたまま答えた。

《えーと、確かこの引出しの中だったな》
　明智は少しも迷うことなく下段の右側の引出しを開けた……のは、脳味噌が平静を失っていて、記憶力が著しく低下している証拠。探し物が納められているのは、左側の引出しの中だ。

「ねえ、これ、もう脱いでもいいでしょう？」
「ええ、かまいません」
　網膜の中央に探し物を映したまま、明智は迷うことなく答えた。

　仮に明智の変態性がもっと幅広く、女性に恥ずかしい言葉を口にさせる趣味まで有しているなら、今の小林夫人の問いに対しては、まず「なにを脱ぐ話しですか？」と、答えのわかりきっている質問を返すに違いない。そしてもし「パンティー」という答えしか返ってこないときは、「どういうパンティーですか？」だの、「パンティーは今どんな状態なんですか」だのといった質問をネチネチと重ね続け、最後には取って置きの台詞を用いることだろう。
　つまり小林夫人の口から、生々しい限りの説明を引き出すために、こんなふうに言って冷たく突き放すのである。

『パンティーの中に収まっている物も含めて、奥さんに見えている通りのままを詳しく教えてもらわなければ、脱いでもらったほうがいいのか、それとも後で穿き直しやすいように、そのまま脱ぎかけの状態でいてもらったほうがいいのか、僕には何とも判断のしようがないじゃないですか』

　逆に明智の変態性が、女性に恥ずかしい台詞を浴びせかける方向に位置していれば、たとえ脳味噌が変質しかけている状態にあっても、こんな言葉で小林夫人に応じただろう。

『奥さんが脱ぎたいのは、もしかして脱ぎかけのパンティーというか、奥さんがあそこから垂れ流し状態で溢れさせたお汁と、二日目ならではの量のメンスをたっぷり吸ったせいで、もうナプキンでは吸収しきれなくなった分が、あちこちに染みを広げて、強烈な臭いまで発している月経用のパンティーですか？』

　しかし、明智にそういった趣味はない。明智の変態性はあくまでも正統で、『男の本分はイザというときに女や子供を守ってやることにある』と考えるような純粋性‥‥いや、性格的な単純さが、変態性の中核を成している。だから女性に羞恥を強いることはあっても、屈辱や恥辱といったものまで与えるような言動に及ぶことは、通常なら有り得ないのだ。

　今の明智にとって、小林夫人が穿いていたパンティーはすでに用済み。その汚れ具合を含め、充分すぎるほど網膜に焼き付けた。これから先は、かえって邪魔になる可能性が高い。
　そうした判断を瞬時に下せたからこそ、明智は少しも迷うことなくふたつ返事で応じたのである。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。

2008.9.27掲載

［1-2-1-13］／［1-2-1-11］