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「これ、使わせてもらいますよ？」 明智は顔と軟膏の箱を小林夫人に向けた。所詮は儀礼的な行為に過ぎないとはいえ、礼儀を尊重したかのような態度が取れたのは、脳味噌が多少は平静を保っている証拠……と言えなくもないが、そもそも明智の意図は、礼儀や礼節といったものとまったく無関係な所にある。 「それ…ブロワーに塗るの？」 「ええ、これを塗っておけば、イボ痔の人でもない限り、痛みの“いの字”も感じない筈ですから」 明智が自信を持って放った駄洒落に対し、パンティーを脱ぎ終えた全裸婦人は瞼を閉じ、弱々しく首を振って応じてきた。 《受けなかったか》 受けるわけがない。おそらくすでに全裸婦人は、明智がブロワーを陰穴に挿入する目的、すなわち空気を注入された後の、我が身が強いられる苦痛と羞恥を予想できている筈なのだ。 《でもまあな》 駄洒落が受けなかったことは、明智にとって少なからず不満だが、軟膏を使う旨だけは、取りあえず伝わった格好である。 挿入時に痛みを与えるのは本意ではないという気持ちは、これで充分に伝わった筈……。だが、軟膏を肛門管に塗り込める付帯効果までは、この奥さんも予想できていない筈……。明智はその二点に満足を感じながら、ブロワーの長いノズル全体に軟膏を塗りたくった。 《念のために、少し吸わせておくほうがいいかもな》 軟膏をノズルに塗っただけでは、挿入時に陰穴の入口で剥げ落ち、効果が減るかも知れない。そうした可能性を考えた明智は、ブロワーのゴム球を軽く握り潰すと、チューブから絞り出した軟膏にノズルの先端を向けた。 《俺の場合、石橋を叩いて渡る性格だから》 確かに明智の場合、そうした一面もないではないが、今の場合に限って言えば、適当な比喩とは言い難い。肛門管に塗る軟膏の量が減ることのないように、つまり『音質を落さないために』などという目的で、ノズルにまで軟膏を吸わせておくような行為は、まさに『変態の執念がなせる業』以外のなにものでもないだろう。 《お、いかんいかん》 軟膏を吸い込むノズルが、無用の雑音を発した。空気も一緒に吸引したためである。 《こんなときに、ノズルが屁のようなノイズを発するのは遺憾です、なんちゃって》 屁のような語呂合わせや駄洒落しか思い浮かべられないのは、熱に浮かされたような明智の鼓膜が、すでに小林夫人の尻音の幻聴に震え始めているから……ではなく、一刻も早く生音に震えたいと熱望しているせいだ。 「さあ、奥さん」 軟膏を元の場所に戻し、ベッドへ戻った明智が声をかけると、すっかり観念した観のある…というか、まな板の上の鯉に姿を変えた全裸婦人は、バスタオルに降ろしていた足を上げ、再び両膝を裏側から抱える体勢を取った。 全裸婦人の両膝は閉じられているものの、この体勢で尻の狭間を閉じきるのは無理。いくら尻の膨らみが大きくても、形良く窪んだ陰穴一帯は、盛り上がった陰唇と同様に丸見えだ。 その点は仮に全裸婦人が俎上の鯉ではなく、その昔、ライン川を遡上していたらしいマーメイド、すなわち女性の人魚に姿を変えたとしても、何ら状況が変わることはない。女体の…いや、魚体の構造を熟知した人にとっては常識だが、魚類の肛門は人類の臍と同様、腹側の平滑な場所に設けられているから、人魚が手で押さえるか、うつ伏せにでもならない限り、肛門を隠しようがないのである。 「入れますよ？」 明智の予告に、俎上の鯉が身を固くした。 しかしそれでも肛門は、水面でエサを求める鯉の口のようにパクパク…するわけはないが、激しい怯えと緊張を窺わせるように、緊縮と弛緩を交互に繰り返している。 《今度は失敗しないようにしないとな》 明智は的を固定しておくために、左腕で人魚…いや、緋鯉と化している小林夫人の両腿を押さえつけると、間髪を入れずにノズルを的に差し向けた。 「あっ…」 ノズルの先端が２センチほども刺さったとき、緋鯉が慌てたような声を発し、身体を横に倒そうとした。大袈裟に例えてみれば、まな板の上から水槽へ向けてジャンプを試みたようなものだ。 しかし、それを許すほど明智は甘くない…というより、明智の腕力は弱くない。反射神経も鈍くない。少しも慌てることなく、右手でゴム球を握り潰し、ノズルの中の軟膏を肛門管に送り込むと、いったんノズルを引き抜いた。 「どうです。少しも痛くなんかないでしょう？」 「でも…でも……」 「もっと軟膏を塗ったほうが良さそうなら、そうしますよ」 「………………」 明智が得意とする“話しのすり替え”に、小林夫人は口をつぐんで瞼をしっかり閉じ、再び俎上の鯉状態に戻った。次は当然、明智がブロワーのノズルを緋鯉婦人の肛門に戻す番である。 「ん〜ん……」 ノズルを三分の一ほども差し込んだとき、緋鯉婦人が上ずった呻き声を漏らして膝を揺らし、途端にノズルが入りにくくなった。 《そんなに締めつけなくても……》 緋鯉婦人の陰穴入口は、白い軟膏にまみれながらも、ノズルを咥えたままその窪みを限界まで深くしている。括約筋がノズルの侵入を喰い止めようとしているせいで、完全にすぼまりきった状態だ。潤滑を良くする目的で塗られた軟膏が、たとえシーリング剤の役目まで果たさなくても、おそらくノズルと肛門との隙間は完璧に塞がれていることだろう。 「奥さん。お尻の力を抜いて、もっと楽にしてください」 「だって…すごく、変な感じが……」 緋鯉婦人の喘ぎを混ぜ込んだような喋り声は、今にも泣きだしそうだ。まだ中途とはいえ、陰穴にノズルを挿入されたせいで、強い異物感に襲われているためだろう。 たとえ緋鯉婦人が返事をせず、口をつぐんでいたとしても、気色の悪さがどれほどのものかは、シーツを押さえつけるような格好で置かれた両手からも、充分に窺えるというもの。その指には見るからに力が込められており、爪を立てれば指先がシーツを突き破りそうにも思えるほどなのだ。 《うーん…このままだと問題だよな……》 いくら相手が“この場限り”の女性だからといって、やはり強引な突破は避けたい。もし緋鯉婦人が泣きだしでもしたら、それこそ興醒め、興奮まで醒めてしまう。恥ずかしさが極まって泣かれるのとは、わけが違うからだ。 括約筋がその働きを休める合間を狙う手もあるが、それでは手間がかかる。挿入に手間をかけるくらいなら、緋鯉婦人の為にもなりそうな言葉をかけてやるほうが望ましい。 そうした判断の下、明智は青井盥の『ケツをまくる変態たち』で得た知識を基に、陰穴から力を抜かせるための説得を始めた。 「奥さんもアナルセックスには興味があるんでしょう？」 「………………」 これまでの興味の有無はともかく、返事がないのは興味を惹いた証拠。そんなふうに決めつけた明智の脳膜は、予定通りの台詞の追加を、部下である唇と舌と声帯に命じた。 何の根拠もない“口から出まかせ”でも、時には大きな効果を発揮する。それは明智が刑事時代の聞き込み取調べを通じて学んだ経験則…いや、経験知だ。 「これから生理のときは、お尻に入れてもらうといいですよ。きっとご主人もアナルセックスが気に入って、普段の普通のセックスの回数も増えるはずです」 「………………」 「さあ、ご主人の太い物をここで迎え入れるためにも、まず細い物で慣れておきましょう。少しでも慣れておけば、アナルセックスのときに、それだけ早く気持ちが良くなれますからね……といっても、今のは語呂合わせの駄洒落じゃありませんよ？」 なおも“口から出まかせ”を重ね、さらに“言わずもがな”の釈明まで加えた明智は、いよいよ自分の目的を果たすための仕上げに取りかかった。 「もし本番のとき、ご主人のアレが入ってきにくいと感じたら、口を大きく開けて、口で息をするのが一番です。そうすれば肛門から力を抜けますからね」 「でも…変な感じが……」 「奥さんもセックスを始めたばかりの頃は、それほど気持ちが良くなかったでしょう？ アナルセックスの場合も一緒で、最初のうちは変な感じしかしないんですよ」 「………………」 「さあ、そういうことですから、口を大きく開けて、口で息をしてみてください」 明智が質問のような形でおこなった“確認”は、あくまでも青井盥の小説に書かれていた一般論に基づくもの…というより、姫子との体験が拠り所のすべて。 従って緋鯉婦人の場合も姫子と同様、セックスの経験が少なかった頃は、それほど…いや、ほとんど快感を得られなかったのかどうか、その点はたとえ明智の脳膜が冴え渡っている状態でも、おそらく判断不能。 しかしそれでも、緋鯉婦人が左腕を目隠しに使いながらエラ呼吸…ではなく、口呼吸を始めたことだけは、誰の目にも耳にも明らか。明智の脳膜が『これは今の「アナルセックスの場合も一緒」という“口から出まかせ”が功を奏した証拠だ』と即断し、自己満足を覚えるのに充分な状況である。と同時に、『これで入れやすくなった筈だ』と推定するのにも、充分すぎるほどの状況だ。 《へへ…俺は口から出まかせを三連発したんだから……》 明智は全裸の小林夫人が連発させる姿を網膜に思い描き、その魅惑の響きや調べといったものも鼓膜で思い浮かべ…というより、まるでみずから幻聴を呼び覚ますかのように“聴き浮かべ”ながら、ブロワーのノズルを奥まで咥え込ませにかかった。 「アガァ…ガカガァ……」 大口を開けているせいで、少し前までは明智の『耳掃除』の一助になっていた呻き声も、もはや壊れかけのラジオで聴く福永秀明の歌…違う、チューニング不足のラジオから流れてくるイビキにしか聴こえない。だが、ノズルのスムーズな挿入が図れている明智としては、泣き声を聴かされるより、よほど気が休まるというものだ。 《やっぱりあの小説を読んでおいて良かったぜ。小次郎には感謝しないとな》 明智はブロワーのノズルをゆっくりと押し進める傍ら、脳膜の隅っこで小林小次郎に感謝を捧げた。もし彼から『ケツをまくる変態たち』を借りていなかったら、そこに書かれていた口呼吸に関する解説、すなわちこうした効用を知ることはできなかったのだ。 『口呼吸、それも大きく口を開けておこなう呼吸方法には、筋肉の収縮力と収縮持続力を弱める効果がある。その点は筋肉の種類が随意筋か不随意筋かを問わない。 従ってアナルセックスに怯えた括約筋が、当人の意に反して大活躍しているような場合や、腹筋が浣腸液の受け入れを拒んでいる場合、あるいは浣腸によって高まった腹圧を、腹筋が生理的な働きから解消しようとしている場合には、口呼吸を用いさせるのが極めて有効である。 ちなみに近年の大きな陸上競技大会では、口を開けて走る短距離走者の姿をよく見かけるが、あれもまた筋肉に力が入り過ぎて、スムーズな走りの妨げになるのを防ぐ目的だ。』 「ガガァ…ガガガァ……」 《よし、ここまでだ》 ノズルの長さにはまだ若干の余裕があるものの、これ以上の挿入を図れば、ゴム球を握り潰すのが難しくなる。理屈としては、ドアノブの径が太くなっている部分、すなわち手で握る部分とドア板との間に、一定の間隔を必要とするのとまったく一緒だ。 「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」 明智がノズルを挿入する手を止めると、豪快なイビキのようにも聴こえていた小林夫人の呻き声は消え、呼吸音だけになった。ただそれでも、まだ息遣いはかなり荒いから、聴く人によっては、炎天下の大型犬が必死に体温を下げようとして、口から舌を出したまま激しく喘いでいる姿を連想するだろう。 《さあ、やるぞ…の前に、念には念を入れておくほういいな》 空気を詰め込んだ後に、小林夫人が聴かせてくれるはずの風音。そこにすべての期待を込め、今まさに右手の筋肉がゴム球を全力で握り潰そうとした瞬間、脳膜が「待った」をかけた。 理由は他でもない。変態ならではの執念、言い換えれば、音質に対する“飽くなきこだわり”が、脳膜に一種の閃きをもたらしたためである。 確かにブロワーのノズルには、軟膏をたっぷり塗りたくっておいた。一回目に浅く挿入した時点でも、少しとはいえ軟膏を注入した。だが、それが肛門管の隅々にまで確実に行き届いたかどうかとなると、また話しは別。そもそも軟膏というのは、患部に「付着」させて使う物ではなく、均一に「塗布」すべき物ではないか……というのが、脳膜のこねくり回した屁理屈だ。 《これは奥さんのためでもあるんだから》 自分がこれからおこなう行為、その目的の半分は、小林夫人が一日も早く快感を得られるようにしてやるため。明智の脳膜は自分への言い訳を整えると、右手にノズルの抜き差しを命じた。 「ガガッ、ガガアガ…アガガ……ガガガ……」 小林夫人がまたしても豪快なイビキの物真似を始めた。 その原因は、何の予告もなしに、予想外の行為を始められたせいなのか。それとも肛門管が強烈な異物感に苛まれているためか。あるいは明智が単にノズルを抜き差しするだけでなく、時にはクルクルと回転もさせるためなのか。 その原因を第三者が推測しようとすれば、人によって意見が分かれるところだろうが、小林夫人に完全拒否の姿勢が見られないという点においては、必ずや衆目の一致を見るはずだ。 小林夫人は全身を震わせるようにして悶えている。その姿は今や、熱湯を浴びせられた蛸。俎上の鯉とは程遠い。 ただ、折り曲げられている腰を全力で伸ばそうとすれば、それだけで明智の行為を中止させられそうだというのに、膝も腰も、伸びかけては元に戻り、また伸ばしかけては元に戻しているような状態でしかない。 両腕の動きにしてもそうだ。右手はシーツを掻きむしるような動きと、ブロワーのほうへ向かおうとする動きを交互に繰り返している。目隠しに使われている左腕も、明智の行為の排除に何度も向かいかけるのだが、途中で思い直したように、瞼の上に舞い戻るのだ。 《よし、これくらいで充分だろう》 明智はブロワーの動きを止めた。たとえ小林夫人がまだ我慢を続けてくれるとしても、明智の脳膜のほうは、もう“辛抱たまらん”…ではなく、もう待ちきれないといった心境である。なにしろ肛門管にどれだけ軟膏を塗布しても、腸管に空気を送り込まない限り、明智の鼓膜が喜びに震える『至福の時』は迎えられないのだ。 |
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| 2008.10.4掲載 |
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