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「さあ、入れますからね」 「でも…ハァ、ハァ…少しだけに…ハァ…してね？」 小林夫人が息を荒げたまま答え、緋鯉婦人に再変身した。 「ええ、そうですね。少しにしておきますから、入れている間は、口を大きく開けたままにしておくんですよ？」 すでに小林夫人はブロワーが持つ本来の機能と威力を、恥豆の鋭敏な神経で充分に知覚した。いわゆる『肌で知った』とか、『肌に染み込まされた』という状況である。 そして今は、ノズルが直腸まで達しているらしいことも肛門で、いや、正確には皮膚から粘膜へと移行していく『移行上皮』と呼ばれる部位で、充分に感じ取れている筈…というより、否応なしに感じ取らされているものと判断してまちがいない。 なぜなら肛門の奥、直腸内の粘膜に知覚神経は通っていなくても、移行上皮の内側には、皮膚と同じように、神経が細かく張り巡らされているからだ。 当然、小林夫人の頭の軽重や、過去の経験の有無、あるいは変態プレイを楽しむ素質の有無といったものがどうであれ、これから何のために、なにを入れられるのか、推察できないわけもない。正しく推察できたからこそ、小林夫人は「少しだけに」と明智に頼み、今度も俎上の緋鯉に姿を変えたのである。 それを考えれば。 たとえ仮に明智が「たくさん入れさせてもらいます」などと予告宣言したからといって、一方的に好き勝手なことだけをおこない、頼みを少しも聞き入れてやらないようでは、誰が見ても優しくないというもの。 本来、小林夫人の言った「少しだけにしてね？」の言葉の裏……いや、前か後には、「私…とっても恥ずかしいけど…探偵さんがさせたいんなら、我慢して何でもするから」といった台詞がくっついていることくらい、誰でも想像がつく。もちろん今の明智も例外ではない。 《でもな》 量が多い少ないなんていうのは、個人によって判断が大きく異なるのが世の常というか、世の習いともいうらしいが、とにかく俺にとっての“お屋敷”も、庭に広いプールがあるような豪邸に住む億万長者から見れば、所詮はウサギ小屋どころか、高山の家に今も残ってる“車庫の中の犬小屋”に過ぎないのと理屈は一緒なんだから、俺なりに「少しに」しておけば、嘘つきにはならずに済む……という長々とした屁を…ではなく屁理屈を、明智は固い信念に変えてからゴム球を潰し始めた。 「あっ…ハァ…ハァ…ハァ…ハァ……」 ゴム球の尻に開けられている穴は、空気を吸入するたびに特有の音を発する。穴は小さくても、決して小さな音ではない。 だがそれ以上に、緋鯉婦人の呼吸音は大きい。明智の与えた「口を大きく開けたままに」という指示を忘れることなく、口呼吸に全力を挙げている証拠だ。 明智がブロワーのゴム球を潰しては膨らませ、潰しては膨らませていく速度は、およそ十秒間あたり十五回のペース。 かなり速いかも知れないが、この程度の速さで握っては緩め、握っては緩めを繰り返さないことには、握力なんか鍛えられるわけがない……。明智は自分をごまかしながら握力の鍛練に励む。 変態行為に関してだけは、一度としてケツをまくったことのない明智なのだ。よりによって『一刻も早く何度も聴きたい』などという気持ちを、正直に認められるわけもない。 「んん……探偵さん……」 「おなかが張ってきたら、横向きになって、腰と膝を少し伸ばすといいですよ」 話しのすり替えをごまかすために、引き続き右手の握力の鍛練に励む傍ら、明智は左手で緋鯉婦人の体勢を横向きに変えてやった。 「そう、下になっているほうの膝を伸ばせば、それだけでだいぶ楽になるでしょう？」 身体を右側に倒した緋鯉婦人は、明らかに上のほうの脚というか、左膝も伸ばしたがっている。だが、それをやられたのでは、握力を鍛える妨げ。明智が妨害に努めるのは当然としても、使えるのは左腕一本という状況だ。 従って、いくら二人の性差による筋力差を割り引いても、脚の力と腕の力とでは、前者のほうに軍配が上がっても不思議ではない。それを明智が好勝負に持ち込めているのは、いわゆる火事場の馬鹿力…とは似て非なる『馬鹿な男の変態力』の賜としか言えないだろう。 《こんなとき、青井盥なら「目的が目的だけに屁でもない」なんてふうに書くんだよな》 確かにその通りであり、青井盥が常用する表現のひとつだが、明智には、俺にも少しは文才がある……などとうぬぼれる気持ちは更々ない。そもそもそんな表現が、自分の屁以上にくさいくらいのことは、今の明智にもわかっている。 すべては息子の小康状態を保つための、緊急避難を目的とした臨時的な思考。なにしろ明智のパンツには、息子が垂らし続けた多量の涎が、大きな染みを広げている状態で、その点だけは明智自身も自覚できているからだ。 「ああ…苦しい……ちょっと…待って……」 《？》 すでに興奮で膨張しきっているような状態の脳味噌が、それでも疑問を覚え、右手に握力の鍛練を小休止させた。 腹が膨満して苦しくなったのなら、普通は「待って」ではなく「やめて」の筈……。明智の脳膜が鼓膜経由で感じ取った疑問はその点にある。 「ねえ…お手洗い…行かせてくれるんでしょう？」 《？？》 この奥さんは「少しだけに」という注文を付けてきた時点で、この場での放屁を覚悟していた筈。そしてまた、今から空砲に実弾が混ざることを心配しているとは思えない……。それが脳膜に貼りついたふたつめの疑問符である。 なぜなら明智の脳味噌には、青井盥の小説の中に書かれていた『空気浣腸によって便意を催すのは放屁を何度も繰り返した後』という一文が、まだ深々と刻み込まれることなく、脳膜の内側に留まっている状態だ。 《あ、なるほど。俺も鈍いな》 ようやく気づいた。 《この鈍さは、この奥さんが聴かせてくれる屁の音と、実にいいショーブビビビビー、なんちゃって》 明智はおちゃらけながら反省した。 だが、そんなことでは反省が足りない。いや、そもそも反省にもなにも、まったくなっていない。 もしこの場に青井盥がいれば、直ちに明智を金田一二三の家まで連れていき、その頭を小さな犬小屋に押し込んでパンツを脱がせ、会陰一帯にバターを塗りたくってから、金田の飼い犬に舐めさせることだろう。 目的は言うまでもない。明智の息子の亀に何度も放精させ、普段の冷静さと頭の回転を取り戻させるためだ。 今の明智の知力は、嗅覚以上に鈍い。変質した脳味噌の状態を重量で例えれば、綿菓子よりさらに軽い。 胃や腸が膨らめば膀胱が圧迫される。だからこそ多くの人が食事の前にトイレへ寄り、あるいは食事の後に用を足す。 妊娠によっておなかが大きくなった女性もそうだ。ことに姫子の場合は、双子を身ごもったためもあり、比較的早い次期から足しげくトイレへ通うようになった。 そんな常識的かつ卑近な限りの生理現象さえ、すっかり忘れ去っていたという事実が、明智の頭の軽さを如実に証明しているというものだ。 《ということはだ》 つまり尿意というか、いわゆる小便を催したときにトイレへ行くのは常識。俺はこの奥さんにやった予告の中で、この場での『垂れ流し』なんか、ただのひと言も臭わせて…いや、匂わせていない……。明智は『いわゆる』という単語の使い方や、簡単な漢字の使い分けさえ間違えてしまうほどの軽い脳味噌で、難しい推理を開始した。 にもかかわらず……奥さんはそうした『わかりきったこと』を確かめてきた……。この事実はなにを意味するか。結論はひとつしかない。この奥さんにはこの場で小便した経験がある……。 これまで変態行為に関しては、一度もケツをまくったことのない俺も、人一倍の興味を持っている点は敢えて否定しない。想像力と推理力には自信もある……。 今では青井盥の小説を読んで、知識がますます増えた。創造力に磨きもかかった。だから、この奥さんと旦那はどんな性生活を…いや、どんな変態行為に励んでいるのか、俺にはもうすべて正しく理解できた。そう、すべての鍵はビールにあったのだ……。軽い脳味噌は、さらに推理を重ねていく。 夜になると、二人はいつも寝室でビールを飲む。旦那のほうは喉を潤すために、そしてこの奥さんは、一刻も早く尿意を催す目的で……。もっとも奥さんのほうは、自分の希望で自主的に飲むのか、それとも旦那の要望に応えているだけなのか、あるいは奥さんも自分で自分の気持ちがわからなくなっているのか、その点だけは不明だが……。軽すぎる脳味噌が、結論を急ぎ始めた。 ビールで尿意を催した奥さんはどうするか。たぶん一応は「お手洗いに…」と訴える筈。ところが旦那はそれを許さない。許さないどころか、例のビアマグを溲瓶として使うように命令するんだ……。 確かに普通のジョッキでも、溲瓶の代用にはなる。だが、小便をビールのように泡立てれば、臭いもそれだけ早く発生する理屈。その点、ビアマグなら蓋を被せられるから、臭いも漏れない……。ビール好きで変態の旦那は、そこまで計算したんだ……。明智の脳味噌は、どれだけ軽くなっても、論理的な推理を心がけようとする姿勢だけは忘れない。 そうさ、考えてみれば、いくらビールが好きだからって、わざわざビアマグまで寝室に備えておくなんてのは、不自然の極み。缶ビールにそのまま口をつけて飲むほうが、ずっと手軽なんだし、たぶん旦那もそうやってるはずだからな……。 俺もこの奥さんが股を開いている今、冷蔵庫まで開けて“裏を取る”つもりはないが、この部屋の冷蔵庫には、まちがいなく缶ビールがぎっしり詰まってるはずだ……。あの江ロ秀雄というペンネームを持つ男も、『ケツをまくる変態たち』の解説の中で、冷蔵庫に缶ビールをぎっしり詰め込んでいる男は変態だと書いていた……。明智の脳味噌は、とうに小林夫人が膝を閉じた現実を無視したうえに、実際に書かれてもいないことまで思い浮かべ、それを推理の根拠に掲げた。 もはや明智の脳細胞はビールの泡状態。脳下垂体も含め、すべてが泡の集合体。 今の明智の頭の中を、口の悪い金田一二三が覗いて見れば、おそらく「お前まで頭脳を失った脳無し泡沫調査員に成り下がったか…」とはっきり口にして嘆くだろう。 そして次兄の大ニ郎なら、必ずこんな思いを胸に抱く。 『誰かに濡れ衣を着せるための証拠まででっち上げるとは……五郎には見損なったな。でもまあ、こいつの頭の悪さが、今の時点でわかったのは不幸中の幸いだ。俺が自分の手でこいつの首を切る手間は省けるし、俺が首を差し出す必要もないからな……』 それくらいのことを、普段の明智なら想像できないわけもないのだが、あいにく明智の頭蓋を満たしているのは『ビールの泡の集合体』。なおも独自の…いや、手前勝手な推理を重ね続ける。 《ん？ ということは？》 いや、違うな……。一瞬はこの俺も、この奥さんが大嘘つきかと疑ったが、そうと限った話しでもない。夫婦揃って変態だとしても、旦那が週イチでしか勃起させられなくて、一回につき一度しか出せないと言った奥さんの証言を、そっくり否定することにはならないはずだから……。 そう、つまり……毎晩ビアマグに放尿させられるという変態行為によって、恥辱と興奮を強いられるにもかかわらず、週に一発しか放ってもらえないばかりか、肝心な月経を迎えると旦那は精液を出すどころか手も出してくれないとなれば、奥さんが浮気のひとつもしたくなるのは当然……いや、不思議のないところってことだ……。 明智特製の『ビールの泡の集合体』が、ようやく結論を導き出した。思考が随所で“書き言葉”ふうになったのは、きっと元の脳味噌が青井盥の小説に染まったせいだろう。 青井盥の場合は、かなりの年寄りであることが想像され、おそらく股間の筆や足腰が立たないばかりか、明らかに肝心な本物の筆も立たないとなれば、彼がそれを文語的表現でごまかそうと図り、エロ小説にもかかわらず、とかく『□□しないばかりか』とか『□□となれば』とか『□□にもかかわらず』と書くというか、とにかくそうした表現を使いまくるから、明智の思考が書き言葉みたいになった点だけは、やむを得ないみたい。 「ねえ…探偵さん……また仕事のことかなにか、考えてるの？」 「いえ、奥さんにどこでオシッコをさせてあげればいいか、それを考えていたんです」 「…………それなら……」 「どうしてもトイレに行きたいですか」 「………………」 小林夫人が口をつぐんだ。首を縦にも横にも振ろうとしない。 やっぱりこの奥さんは正直者だ。尻の軽さに比べて脳味噌はそれほど軽くなさそうだから、きっと福田康子の情報に関しても、自分で見聞きしたことと、推測や噂話しの区別を明確にして話してくれるだろう……。すっかりビールの泡と化した明智の脳細胞は、自分を棚に上げた。今回の調査対象である福田弘子の名前さえも、勝手に康子と改名させてしまった。 正直な女性の口を、わざわざ割らせるようでは優しくないし、ましてやその性癖を暴くような真似をしたら、天罰が下りかねない。天下り天国でのうのうと暮らす奴らには何の罰も下されないというのに、俺のような一般庶民が天罰を下されたら最悪だ……。明智の脳細胞…いや、泡の集合体は、書き言葉ふうの思考ながらも、久々に多少まともなことを考えた。 「奥さんさえ良かったら、溲瓶の代わりに、ご主人が愛用されている蓋付きのビールジョッキを使いませんか」 明智が言った途端、久々に…といっても、もちろん蓋付き…違う、ふた月ぶりなどというほど時間が空いたわけではないが、とにかく小林夫人の全身が固まり、石像状態になった。決して明智は『口角泡を飛ばす』ような喋り方をしたわけでもないのに、小林夫人のほうは表情まで硬く強張っている。 このままでは小林夫人に、ビアマグを尿で満たしてもらえない。ますます変態化の一途をたどる明智の趣味が満たされることもない。 しかし、諺によれば、必要は発明の母。今の明智にとって、ビアマグを溲瓶代わりに使わせる必要度は最大。創造力も想像力も逞しい明智は、難なく打開策を見つけた。 この奥さんが固まったのは、やはり普段からビアマグを溲瓶代わりに使っているというか、使わされていて、それを俺に知られたことに気づいたせい。それなら俺は、その理由を誤解したように振る舞えばいい……。それが明智の見つけた打開策だ。 「心配することありませんよ。使った後はジョッキを割ればいいんです。ジョッキはまだ新しいようですが、オマルに盛ったカレーを食べる気がしないように、いくらきれいに洗ったとしても、オシッコをそそいだジョッキを、ご主人に使わせるわけにはいかないでしょうからね」 「………………」 「大丈夫です。ご主人には、きれいに洗おうとしたら手が滑って割れたと言えば、なにも疑われません」 「………………」 「ただそれだと、ご主人が機嫌を悪くされるかも知れませんから、僕のお渡しする商品券で、新しいジョッキを買ってください。商品券の出どころを聞かれたら、半分だけ正直に答えればいいんです」 「………………」 小林夫人はまだ迷っているらしい。だが、石像状態だけは解けた。 明智は、もうひと押しで落ちる、そう確信した。 「和式の便器にキン隠しが付いているように、ご主人のジョッキにはマン隠しの蓋も付いていますから、奥さんも安心して溲瓶に使えるじゃないですか」 今になって『マン隠し』の効用を説くことが、どれほど無意味か、そこに気づかないのも、明智の脳味噌がほぼ完全に変質を遂げた証拠だ。 「………それなら……早く出して？」 「早く出したいんですね？」 「うん…」 覚悟が固まり緊張が解けたせいで、尿意が蘇ってきたらしい。膀胱満タン奥さんは素直に答えてきた。 明智は再びベッドを降り、チェストからビアマグを取り出すと、膀胱満タン奥さんの許へ急いで舞い戻った。 「さあ、奥さん。僕が後ろから抱いててあげますから、自分でジョッキを持って使ってください」 返事を待つことなく、明智は膀胱満タン奥さんの手にビアマグを押し付け、その上体を抱き起こしにかかった。 |
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| 2008.10.11掲載 |
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