不意にきつく抱きしめられたのは、下腹を強引に押すためではないか。そんな不安に襲われ…というより、そうした誤解に基づく怖れに駆られ、明智大五郎の腕の中で、全裸の身をじっと固めている小林夫人。 暴力的な行為を予感すれば、それだけで人は心が冷え固まる。たとえ運動や興奮が体温の上昇をもたらしていても、心が冷えた途端に身体から熱は引く。そうした条件反射とも言える生体反応に関しては、例えばジョギングをしていて、危うく車に轢かれそうになった途端、それまでかいていた快い汗が、一瞬で冷たい脂汗に変わった経験を持つ人なら、誰もが容易に理解できるだろう。 だが小林夫人の様子からは、気持ちが冷めてしまったというか、明智に対して心まで閉ざしたようには見受けられない。先刻までの興奮が冷めたようにも、明智には感じられない。 なぜならその白い柔肌は、今も薄紅色に染まったままであり、明智の全身に張り巡らされた皮下神経には、シットリと汗ばんだ感触が、人肌特有の温もりととも伝わってくるのだ。 これならこの奥さんも、まだ話しを聴く耳だけは持ってくれている筈……。当然、身体を芯からほぐしてやれる余地も、まだまだ充分に残されているのは確実……。この手で芯からほぐしてやりさえすれば、あの音を存分に聴かせてもらえるのは必定というやつ……。明智は自分なりの三段論法を、全裸婦人のふっくらした耳朶に唇を寄せていく足掛かりにした。 「なにしろ奥さんは、僕なんかよりずっと若い、とびっきりの美人ですし……」 明智は本音を告げる一方、左手を右の豊乳に差し向けると、それをすくい上げるようにしてつかみ取った。 女性の心をときほぐす目的で、その肉体を芯からほぐそうとするなら、唇を合わせるより先に、まず乳房をやさしく揉みしだくのが手順。たとえ相手が「くすぐったい…」と言い、肩をすくめながら避けようとする場合でも、「嫌っ！ やめてっ！！」と断固拒絶されない限り、乳房への愛撫から取り掛かるのが鉄則……といった文章が『ケツをまくる変態たち』に書かれており、その後にはこんな解説も付け加えられていた。 『乳房こそは母性だけが持つ“寛容さ”の象徴であり、女性の寛容さが年齢とともに体現化されていく特別な器官。 乳児にどれだけ強く乳を吸われても、母親がそれを叱らないことや、乳の出ない母親に代わって授乳を引き受ける乳母の存在が、ごく近年まで日本にも数多く見られたという事実が、そうした乳房の特性を裏付けている……などと書けば、いかにも小難しい話しになりそうだが。 要するに、幼児がこねる“ダダ”にも等しい“男のワガママ”を、タダで受け入れてもらおうとするなら、乳房に訴えかけるというか、胸の膨らみを乳念に…違う、入念にこねてやるのが最も手っ取り早く、それは相手の女性の年齢や乳房の大きさ、さらには感度の良し悪しなどとも、まったく無関係に成り立つ“男女の法則”なのである。』 つまり今の明智は、青井盥が授けてくれた知識というか、変態小説作家が打ち立てた法則に従っているだけなのだが、他に方法が見当たらないのだから、それも当然と言えば当然の話し。なにしろ明智には、姫子との間にしか性体験がない。おまけに姫子の場合は、明智のワガママとも言える変態的行為を、いつもタダで寛容に受け入れてくれたのだ。 「オッパイもこんなに大きくて……」 甘く囁くように語りかけながら、明智が乳房を裾からしごくように揉み始めると、豊乳婦人は瞼を閉じ、いかにも熱そうな吐息を鼻腔から逃がすようにしてこぼした。 「乳首だって……ほら、すぐにコリコリになるじゃないですか……」 すでに乳首が勃起したことは、当人にも自覚できていて当然。だが明智は、豊乳婦人に更なる自覚を促す意味から……ではなく、乳房を芯から揉みほぐすための手始めとして、手の空いている右手も現地ならぬ“現乳”に出向かせ、硬くしこった乳首を親指と人差指で潰し始めた。 「奥さんのような人が、もし最高に魅力的な女性になれないようなら、いったい他に誰がなれるんですか」 「ンン…」 小林夫人が喉の奥から呻くような声を発した。唇を閉じたまま、喉を絞って発したようなその声は、明智が左手で感じている乳房の重さより、遥かに重い感じの響きだった。 「僕は上司にもお世辞が言えないタイプですし、甘い言葉で女性を口説けたり、口から出まかせを言って、騙せたりするようなら、僕もとうに再婚できているはずです」 何の自慢にもならない台詞を並べた舌先で、明智は豊乳婦人の首筋といわず耳朶といわず、ぺろぺろと舐めまわす。 気持ちとしては、初めて姫子の胸を“生揉み”したときのように、それこそブチューッと唇を押しつけ、キスマークがつくほど吸いたいところなのだが、そこまではやれない。小便ビールの泡の集合体と化していても、明智の脳細胞は相手が“人妻”であることを忘れていないからだ。 「ァァ…」 明智の鼓膜を甘く切ない吐息で震わせながら、豊乳婦人が顎を上げた。人体の構造上、顔を伏せた格好でいると、喉許から込み上げる喘ぎや呻きといったものが、息苦しさをもたらすのだ。 《よし、もう少しだ》 明智は乳房を揉みしだく左手に、少しずつ力を込めていった。乳首を潰していた右手の指も、乳首と乳輪との境目に移動させ、今度はニ本の指の腹をゆっくりこすり合わせるような動きに変えた。 すでに時刻は十時を過ぎている。ウイークデーであることを考えれば、多くの家の『夫婦の寝室』では今頃、奥さんが掃除でもしていない限り、静寂さえ感じられていてもおかしくないだろう。 しかし、赤い屋根に黄色い外壁の瀟洒な二階家、表札に『小林大太郎』とだけ書かれた小林家の寝室は違う。静寂などとは無縁の雰囲気が、色濃く漂っている。一般には赤と黄色…ではなく、桃色一色と認識される淫靡な空気が、まさに充満している状態だ。 そうした空気の違いは、たとえ性体験を一度も持たない人が、仮に目を閉じている場合でも、人並みの聴力と想像力さえ持ってさえいれば感じ取れる。明智の手の動きが激しくなるのに連れ、豊乳婦人の息遣いも、激しさを増す一方だからである。 小林夫人の娘はまだ幼稚園児でしかない。だがそれでも、彼女を目隠ししてこの場に連れてくれば、「ママ…息が苦しいの？」とか、「ねえ…なにしてるの？」と不安げに尋ねることだろう。それほど小林夫人は呼吸を荒げているのだ。 「ああ…」 わずかに広げられた豊乳婦人の唇から、ようやく待望の声が発せられた。 その声は、まるで無声音を想わせるほど掠れていた。掠れていた分だけ、明智の鼓膜には、声とともに吐き出された息が、室温まで一気に高めそうなほどの熱気を孕んでいるように感じられた。 実際、声の太さというか低さにしても、少し前に洩らした呻き声の重さに、決して劣るものではなかった。 「僕の言ったこと、信じてもらえますね？」 耳元へ届けた問いかけに対し、小林夫人は上体を明智に預けることで応じてきた。下腹を防御していた両腕も、だらりと下げる格好になった。 男の愛撫を受けて、唇から熱い息を声にして吐き出せば、全身から力が抜ける。それが女の肉体的な特質であり、一種の生理的反応とはいえ、小林夫人は明智の愛撫に身を委ねきることで、返事に代えたとも言えそうだ。 しかし、まだ肛門括約筋から自発的に力を抜き、自主的に腸内のガスを一掃する気にはなれないらしい。いや、現に明智の鼓膜はビビビどころか“ビ”とも震えていないのだから、まだ気持ちが固まっていないのは明らか。 《であれば、仕方がないな》 餌を用いて釣るというか、姫子に対しては使う必要のなかった『奥の手』を使うしかない。明智としても決して本意ではないが、もはや残された手段はそれしかない状況だ。 とはいえ無論、明智が使おうとしている奥の手は、俗に言う『四十八手』とは無関係。その昔、捕り物の際に武器として用いられた十手と違い、使い方も非常に簡単。例えてみれば、『孫の手』を使って背中をかく程度のことに過ぎないから、一人前の竿を持った男…というより、大人用の“辛抱強い”竿をぶら下げた男であれば、たとえそれが未使用の竿であろうと何だろうと、猫の手も借りたいほどの多忙な状況に置かれていない限り、誰もが容易に使いこなせる。 明智はまず“こませ”を撒く意味で、左手を左の乳房へと移動させた。理由は他でもない。豊乳婦人の“競輪旦那”が左利きでない限り、左の乳房のほうが『揉まれ慣れている筈』だから、それだけ快感も得やすい筈というか、与えやすい筈と読んだのである。 そしてまた手の動きについても、今度は乳房を揉むというより、乳房全体を捏ねる動きに変えた。理由は他でもない…ではなく、何にも無い……こともなかった。姫子の乳房は小ぶりだったから捏ねることが不可能で、明智としては、死ぬまでにせめて一度は捏ねてみたいものだと、長く望んでいたのだ。 「ああ……んん…………んん……ああ……んん…あああ……」 明智の大きな手のひらによって、小林夫人の重く豊かな乳房はつきたての白い餅と化し、様々に形を変えてゆく。そして明智の手が、まるで餅の中の餡子を押し出すようにして乳房を握ると、そのたびに豊乳婦人は喘ぎを声にして絞り出す。 そうした光景を青井盥ふうに表現してみれば、『官能が充分に磨かれているにもかかわらず、セックスに飢えきった雌の人魚が、“前戯による性的快感”という長い名称の撒き餌をむさぼっている状況』だ。そろそろ大きな餌のついた釣り針を、人魚の視界に入れるべきタイミングと言えるだろう。 《とはいうものの…だよな》 明智はまだその気になれない。なれない理由がふたつもある。 ひとつには、人魚の鮫肌…違う。小林夫人の餅肌というか“餅乳”がジットリと汗ばんでいて、まるで手のひらに吸い付きそうなほど馴染んでいるからだ。 ほとんどの男には自覚する機会がないだろうが、掌は紛れもない性感帯のひとつ。その証拠に、自身の指先で軽く掌に円を描くだけでも、唇と皮膚との境目を爪の先でなぞる時と同様、くすぐったい感覚が発生する。そんな掌の中に収めた豊乳が、汗に包まれて快感を訴えているような状況を迎えれば、いくら目的が奥の手を使うことにあるからといって、そうそう簡単に手を引っ込められるものではない。 ふたつめの理由は、過去にこれほど豊かな乳房を揉んだり捏ねたりした経験が、ただの一度もないこと…というより、この先は二度と経験できそうな気がしないこと。だから明智としては、この降って湧いたような機会を利用して…というか、豊乳の女性に対してしかやれないことを、ぜひとも体験しておきたいのだ。 《やっぱり男たるもの、一度は渾身の力で揉んでみないことには、話しにならないから》 “渾身”ではあまりにも大袈裟に過ぎ、誰に対して『話しにならない』のかも不明だが、実際のところ、明智が左手に加えている力はすでに相当なもの。乳首の付け根を“すり潰している”右手の親指と人差指にしても、かなりの力が込められている。 姫子も乳房への愛撫を好んでいた。ただその膨らみ具合は、お世辞にも「豊か」とは言い難く、妊娠して出産を間近に控えた頃になっても、明智の大きな手のひらの中に、すっぽり隠れそうなほどでしかなかった。しかしそれでも明智が丹念な愛撫を施してやると、まだ処女だった頃から、今の小林夫人にも負けないだけの声を出して喘ぎ、パンティーまでぐっしょりと濡らした。 もっとも姫子の場合は、明智が少しでも力を入れすぎると、いつも決まって悲しそうな表情を浮かべ、「私のこと嫌いじゃなかったら、そんなに痛くしないで……」と訴えてきた。 セックスに関しては、ほとんど明智のやりたいようにやらせてくれた姫子である。それだけに明智としても、痛みを我慢させてまで、乳房を思いきり揉み込んだり、あるいは乳首をすり潰したりする気にはなれなかった。 だが、この奥さんの場合は、強烈な“乳揉み”を明らかに歓迎してくれている……。小便ビールの泡の集合体はそう判断した。 脂肪をたっぷり蓄えた豊乳の持ち主なら、誰もが強烈な愛撫を好むものなのか。それとも小林夫人の場合は、競輪旦那の手によって、そうした体質に変えられたのか。あるいはまったく逆に、日頃から乳房への愛撫に手を抜かれているせいで、どんな揉まれ方をされるのでも大歓迎なのか。小便ビールの泡の集合体にとって、そうした疑問は関心の外。 この際は存分に力を発揮しなければ、『死んでも死にきれない』ほどの気分で餅を…違う、乳房を捏ねまわしながらのゴマすり…ではなく、乳首のすり潰しに専念する明智だ。 「ああ…んんっ……んんん……ああ……あああ」 豊乳婦人が急に声を大きくして、上体を激しく揺すり始めた。だらりと下げていた両腕にしても、今は肘を曲げて明智の腕を抱えているような状態だ。その姿は、明智から逃れようとしているように見えなくもない。いや、普通の感覚を持った人が常識的に判断すれば、『逃れようとはしていないまでも、嫌がっているのはまちがいない』という結論しか下せないだろう。 《さあ、最後の仕上げに、これでどうだ》 明智は大きな餌のついた針を、飢えた人魚の視界に入れる意味から、左の乳房をギュギューッと絞り上げた。同時に右の乳首も、まるで乳輪ごと引き抜こうとするかのようにグイーッと引っ張った。 「あーっ…ああっ……あああーっ……」 豊乳婦人の声がさらに大きくなった。顎を突き上げ、首を懸命に左右に振っている。しかし小便ビールの泡の集合体は、その様子を『完全に餌に喰いついた証拠』と受け取った。そして勝利を確信した余裕から、まるで青井盥にでもなったような気分で、こんな考察を巡らせた。 『これがもし大魚を相手にした釣りであれば、ここからがいよいよ腕の見せ所というか、釣り師の腕の振るい所。魚体を釣り上げるまで手を休めるわけにはいかないが、雌の人魚…いや、女体が相手の場合は、餌に喰いついた時点で、そのまま“お預け”を喰わせることが肝心。』 明智にとっても、豊乳の捏ねまわしを中断するのはまさに断乳…違う、断腸の思いだが、小林夫人に決断してもらうためにお預けを喰わせるなら、確かにタイミングは今しかない。 「あっ」 明智が豊乳を手放すと、小林夫人はそれまでとは違う声を発し、上体をよじるようにして悶えた。そんな豊乳婦人の声と身体の動きを、小便ビールの泡の集合体は『狼狽と不満の表れ』と受け止めた……となれば、かねて準備していた通りの台詞をそのまま口にするだけだ。 「僕の言ったことを信じて、奥さんが最高の魅力を発揮してくださったら、僕としても奥さんの時間が許す限り、今の続きをやらせていただきたいんですけどね……」 「………………」 「もちろん、こっちのほうの“コリコリ”だって……」 股貝に挟まった大粒の“珍珠”の姿を脳幕に蘇らせながら、濃密な下草のほうへ右手を滑らせていく明智の鼓膜が、思いがけないことに鈍い風音を拾った。 通常、相手に背を向けて屁をかますという卑俗な行為は、拒絶の意思表示として用いられる。ただ、この場で明智に対して放った小林夫人の場合に限っていえば、それは応諾のサインと受け取れないこともないだろう。 しかし、今の風音はそれなりに汚濁していた反面、著しく音量に欠け、極端に短いものでしかなかった。当然、当人の意思に反していた可能性を否定できない。いや、否定できないどころか、明智の鼓膜が震えるのと、小林夫人が一瞬ビビッと…違う、ビクッと身体を震わせたのがほぼ同時だったことを考慮すれば、今回も不慮の“事故”だった可能性のほうが高そうだ。 仮に小林夫人の完全なる“自由意志”に基づいて放たれたのだとしても、突風にも等しい突発的な出来事だったせいで、明智にはその音色を鑑賞するだけの態勢が整っていなかった。当然、満足感など少しも得られるわけがない……というより、たとえ耳を澄ませていたとしても、今のような瞬間的微風にも等しい風音だけで満足できるほど、明智の変態性は低くない。 やはり明智としては、明確な意思表示がほしいところ。先刻、自身がせっせとブロワーで送り込んだ空気の量と、その後に小林夫人が放ってきた“音風”の量とを比較して考えれば、もっと大きな音で、長々と響かせてもらえるはずなのだ。 「どうです。僕を信じて、最高に魅力的な女性になっていただけそうですか？」 顔を覗き込むようにして尋ねた明智に、小林夫人はコクリと頷いて返し、そのまま顔を伏せた。小便ビールの泡の集合体に、餌で釣る効果というか、お預けを喰わせる効果を実感させ、息子が期待感を漲らせるのにも充分な反応である。 「それなら…ほら、僕がまたこうしてあげますから、軽く息んでみてください」 明智は再び豊乳へ両手を伸ばした。言うまでもなくそれは、決心を固めてくれた小林夫人へのご褒美…というより、小林夫人に決心を固めさせた両手に対する報奨である。 《そろそろかな？》 期待に胸と息子は膨らむ一方だが、耳を澄ませ、豊乳を手に取っているだけでは、何とも手持ち無沙汰。明智の脳膜がそんなふうに感じるより先に、左手は豊乳をやわやわと揉み始め、右手も豊乳を手放して下腹を目指し始めた。 だが、右手が目的地へ到着するより早く、鼓膜が『美美美』という魅惑の音色に震えた。 「ああ…」 小林夫人が全身を悶えさせた。汚らしい音だったという自覚に襲われたせいだろう。いや、もしかしたら身悶えした最大の原因は、汚らしい音の大きさにあったのかも知れない。 ただいずれにせよ。無声音にも近い喘ぎ声、真っ赤に染まった首筋、さらには両手で顔まで覆ってしまったその姿……そうしたどれもこれもが、みずから“美美美婦人”となった羞恥の激しさを物語っている。 しかし明智にとっては、それらのひとつひとつが耳の洗浄であり、目の保養であり、さらには息子の栄養でもあるのだ。 もっとも息子に関していえば、すでに栄養過多から来る急性肥満に陥っているうえに、食べ過ぎと飲み過ぎの症状を呈しているような状態。一過性の症状とはいえ、短い亀の首を鶴のように…いや、スッポンのそれを想わせるほどに伸ばし、今にも吐きそうなほどの興奮ぶりだ。 「私…少しは……魅力的になれた？」 「え？ ええ、もちろん」 ほんの数秒間とはいえ、明智の鼓膜は魅惑の音色に酔いしれ、網膜も羞恥に悶える女性の姿に見惚れてしまったせいで、声帯は「少しどころか最高に魅力的です」という台詞を足し忘れた。 「本当？」 「良かったら、ご自分の手で確かめてみますか？」 口で言うより手のほうが早い…というのとは少し意味が異なるというか、趣旨もかなり違いそうだが、とにかく事実を迅速かつ正確に伝え、完全に納得してもらうためには、それが最も手っ取り早くて確実な手段。美美美婦人の返事を待つことなく、明智はその手を取って息子の所へ……導いていこうとする考えを捨てた。 たとえパンツ越しであっても、ここで息子を握られ、揺り動かされでもしたら、限度を超えて飲み過ぎたときと同様、嘔吐中枢が刺激され、精嚢と前立腺の筋肉の激しい“同時収縮”を招く……というか、いわゆる『銃の暴発』を引き起こしかねない。すでに撃鉄は起こされており、誰でも引き金を引ける状態なのだ。 意に反して発射させたのでは悔いが残る。一発で弾切れを起こす心配はなくても、いつ時間切れになるのかわからない状況だ。二発目を直ちに撃ち出せるなら問題ないが、明智の銃は『四十年式』。一発撃てば、次の弾を込めるのにもそれなりの時間がかかる。 「さあ、そういうことですから、もう一度、今度はもっと大きな音で聴かせてください」 明智は瞼を閉じ、聴覚に神経を集中させた。どれだけ大きな音色を響かせてもらっても、意識が散漫な状態では、馬の耳を借りて念仏を聞くのと大差ない。 そして待つこと三秒………聴こえてこない。それでも辛抱強くさらに五秒間、固唾を飲んで待ち続けたにもかかわらず、聴こえたのは互いの呼吸音だけだ。 小便ビールの泡の集合体は『待てど暮らせど』という心境に達した。 もう待てない。バスケットボールのルールでも、プレー区域やプレーの状況によっては、ボールを持たずに三秒以上ボーッとしていてはいけないとか、ガスを…違う、パスを出すまでに五秒以上かけてはならないと定められている。となれば、いよいよ奥の手…ではなく右手の出番。明智はおもむろに右手を目的地へ差し向けた。 「奥さん…オナラを我慢するのは、身体にも良くありませんよ。まだ出るんでしょう？」 「あ、押さないで…」 まだ押していない。押すつもりも当面はない。今はただ撫で回しているだけだ。青井盥も『ケツをまくる変態たち』の中で、こんなときの男の心構えを、例の調子でこんなふうに説いていた。 『古い体質のお役所相手に交渉しようとすると、盥回しと押し問答の繰返しで、いっこうにラチが明かず、我慢ならないことも多いが、それはさておき。 浣腸を施した女性が相手のときというか、女が男の期待に反して我慢を続けている場合でも、下腹を押したり揉んだりするのは、できるだけ避けたほうが賢明だ。 理由は言うまでもない。男のそうした行動は、多くの女性に対し、こいつは不埒な拉致行為には加担しないまでも、フェラオの最中に喉の奥まで突っ込んできて、そのままイラマチオへ突入するくらいのことならやりそうだ……といった誤解を与えかねないからである。 好きな女性にビビビとやらせたのはいいが、二人の熱い関係にビビが…いや、ヒビが入って隙間風が吹き始めるようでは、駄洒落にもならない。人の口に戸は立てられないことを知りながら、「俺はたとえ夢の中であっても、美女の放風を聴けば竿が立つ」と“うそぶく”ほどの好き者でも、隙間風には鳥肌しか立たない筈だ。』 さらに男の取るべき対応策に関しても、こんな具合に書いていた。 『浣腸を施した女性の下腹は、さするように撫で回してやるだけで充分。その女性が浣腸に慣れきっていない限り、さする程度の刺激でも大腸の蠕動は活発化するから、肛門括約筋を縛っている“我慢の糸”も、必然的に緩みがちになるのだ。 さするに…違う、察するにそうした人体の生理機能は、排便を“お通じ”とも呼ぶことから考えて、浣腸されたときの痛み以上の傷みを胸に抱えている女性が、親しい人からの慰めで涙腺を緩ませることと、相通じるものがあるのだろう。』 もちろん今の明智が、そこまでの記述を思い出せるわけもない。だが、いくら小便ビールの泡の集合体でも、こうした状況におけるマナーとして、押すときには予告と承諾が必要なことくらい承知している。 「ほら、まだこんなに張ってるじゃないですか」 「………………」 否定の言葉は返ってこない。小林夫人自身が、まだ下腹に強い張りを感じている証拠だ。 「今度は僕が軽く押してあげますから、それに合わせて強めに息んでください」 「でも…そんなことしたら……たくさん出ちゃいそう……」 《ん？》 たくさん出してもらえるのに越したことはない。明智としては、もし承諾してもらえるなら…というより、三秒から五秒ほどの間に、断固拒絶の明確な意思表示をされる様子が見られないようなら、空気の補充と追加をしたいほどだ。 《あ、そういうことか》 明智は美美美婦人になってもらう小林夫人が、月経奥さんでもあることをすっかり忘れていた。脳細胞が小便ビールの泡の集合体にまで劣化していることの、これまた証拠のひとつである。 とはいえ、なにがたくさん出ちゃうのか、それさえ理解できれば問題は即解決。こういう事態に備えてティッシュを箱ごと持ってきたことも、直ちに思い出せるというものだ。 《ということは……だよな》 すでに決して少なくない量の経血が出たと思ってまちがいない。興奮がもたらす体液にしても、かなりの量が新たに湧出したはずだから、シーツに染みが生じているのは確実という状況だ。 しかしティッシュを使えば、染みの拡大だけは防いでやれる。明智はティッシュを何枚も抜き取ってふたつにたたむと、月経奥さんの脇に回りこんだ。 「ちょっとお尻を上げてください」 明智の右手に乗ったティッシュを見て、月経奥さんが腰を浮かせた。そして次の指示を待つことなく、膝の間隔も広げた。 そんな月経奥さんの腰を、明智は左腕で抱えながら、ティッシュを股間に差し入れると、何の予告をすることもなく、汚れているはずの陰部に押し当てた…途端、鼓膜が「ん…」という微かな声を拾い、耳の穴が少しきれいになった。 《少し押さえといたほうがいいか》 この後はそのまま下に敷く予定とはいえ、先にティッシュに吸収させておけば、垂れ落ちるまでの時間を先に延ばせる理屈。月経奥さんもそれくらいのことはわかるだろうから、屁を垂れる…いや、風音を放つことに集中しやすい。意識を集中すればするほど、放ったときの羞恥が増すはずだから、結果的に自分の満足感も高まる……。明智はそんな計算を巡らせた。 《とはいうものの……だ》 このまま待つのでは芸がない。世間には『行きがけの駄賃』という慣用句もある。そこで明智は、月経奥さんの秘肉を軽く指圧…いや、“掌圧”することにした。 「んん…」 頭上から降ってきた悩ましい声で、明智の耳の穴がまたきれいに掃除された。しっかり抱きかかえた腕の中で、それでも腰を回そうとした艶っぽい姿に両眼も磨かれた。 「んんん……んんん……」 やはりこの手の声というか、女性が性行為の最中に発する声というのは、いつ聴いても心地がいい。尻から放たれる風音がそうであるように…といっても、まだ数えるほども聴けていないが、とにかく聴き飽きるということがない。ただ自分の趣味を言わせてもらえるなら、いわゆる“よがり声”も大きいに越したことはない……。明智の鼓膜の気持ちを代弁すれば、そんなふうになるだろう。 しかし。もうすでに明智の神経の向け先は、聴覚から触覚へ移った。今は右の手のひらに伝わってくる秘肉の感触というか、大小の陰唇の発達具合と軟らかさこそが関心の的だ。 この奥さんのマ○コは、本当に分厚く膨らんでいる…というか、厚みと膨らみ方が本当にすごい……。明智の脳膜は改めて思った。 土手の盛り上がり方にしても、姫子の土手は薄手だったが、この奥さんの土手は厚手というより、本来は恥丘と呼ばれるだけあって、文字通りの“丘”だ……。結婚するまで土手だった…違う、童貞だった明智の脳膜が、久々に姫子の陰部を映し出しながら、そんな感想を抱いた。 「ああ…出そう……」 蚊の鳴くような呟きが、半ば休眠していた聴覚に一瞬で緊張を取り戻させた。たとえ今の言葉があくまでも独り言で、当人には予告の意思がまったくなかったのだとしても、明智の耳の穴はきれいに掃除された状態だ。聞き逃すわけもない。 「出せるようなら、このまま出してくれていいんですよ？」 明智は月経奥さんの横顔を見上げ、右手で秘肉を持ち上げるようにしながら言った。 膝立ちの格好で出してもらえば、耳の穴と尻の穴の距離が近い分、鼓膜もいっそう風音を拾いやすい……などと考えたわけではない。右手で“掌圧”を加えたまま放たせたほうが、美美美婦人の羞恥はさらに深まる筈という判断からだ。 月経奥さんが両手で顔を覆った。明智の意図を察したかどうかは不明でも、泣き出したのでないことは明らか。 泣くほど嫌なら、その前に断固拒否の意思表示を…するのは難しいかも知れないが、正座の姿勢に戻ることも、あるいは明智に背を向けることもできる。まだ明智の左腕が腰に巻きついているとはいうものの、今はもう形ばかりの状態でしかないのだ。 おそらく小林夫人としては、秘肉への刺激がやまない状況で、明智の視線まで間近で浴びていたら、出せるものも出せない…いや、今にも出そうなものさえ、なかなか出ていってくれそうに思えないのだろう。 《お》 小林夫人が腰の動きを止めた。呼吸も止めた。いよいよである。 小便ビールの泡の集合体は一瞬、突発性耳孔拡張症を患いたいと願った。耳の穴が広がれば、鼓膜はさらに薄く引き延ばされ、いっそう震動しやすくなるように思えたからだ。 網膜が小林夫人の下腹のわずかな動きを捕らえたとき、鼓膜が大きく震えた。その音色はまさしく『ケツをまくる変態たち』に書かれていた通りの、『汚れているからこそ女性の美を際立たせる“美美美”』であった。 もっとも音の長さの面で言えば、今の場合は『美美美美美…』と表記したほうが適切。明智の息子が歓喜の涙をこぼす代わりに、多量の涎を溢れさせたのは言うまでもない。 美美美婦人が深々と嘆息した。女性の場合、激しい羞恥の感情に囚われた心を、声に出して泣く以外の方法で紛らわせようとするなら、どんな場面においても、長い溜息をつくしか他に方法はないのである。 しかし。まだ聴ける筈。少なくても、もう一発は必ず聴ける。明智の鼓膜は確信を抱いた。 無論、そこには充分な根拠がある。美美美婦人の嘆息の後に、明瞭な…というより、かなり大きな腹鳴が聴こえたのだ。 腹鳴の発生は、腸の中をガスが移動している証拠。空気浣腸と放屁によって活発化した大腸の蠕動が、腸の奥深くに埋蔵されていた天然ガスまで、出口付近へ輸送してきたものと判断して間違いない。 腹鳴の大きさが、ガスの輸送量に比例するのは常識。当然、小林夫人の「ああ…また出そう……」という蚊の鳴くような呟きと、それに続いて、明智の鼓膜にとっては地鳴りにも等しいような尻鳴りが聴こえてくるのも、おそらく時間の問題だろう。 だが明智としては、もう指を咥えて…いや、秘肉に掌圧を加える傍ら、人差指と中指を秘貝の奥まで咥えさせる行為を想像しながらであっても、もう待つわけにはいかない。 息子が激しい痛みを訴えているのだ。それも単に血圧の急上昇がもたらす頭痛ではない。長くお預けを喰ってきたことによる腹痛だ。これ以上待たせれば、射精のための器官が変調をきたす。そんなことにでもなったら、たとえ望み通り小林夫人が口で咥えてくれても、最高の一発を放つという悲願が叶わない。最悪の場合は勃起不全に陥り、センズリさえかけなくなるかも知れない。 明智は掌中に収めていた秘肉を手放し、経血と体液の滲んだティッシュを下に……置こうとしたのだが、ティッシュは秘肉にくっついているのでそのまま放置し、自分も膝立ちの格好になった。 「今度は僕がおなかを押してあげますから、残らずみんな出してください。いいですね？」 拒否されたときのことを考えれば、返事を待つのは無駄…というより、まさに『百害あって一利なし』の典型にも等しい無益な行為。明智は腰に巻いた腕に力を込め直し、下腹に右手を当てた。 「押しますよ？」 予告とともに、明智は手のひら全体を使って強い圧迫を加えた。途端に鼓膜が『侮美侮美侮美……』という音色に染まった。 青井盥の筆を借りて表現すれば、正常な羞恥心を持つ女性を『愛と美の神であるビーナスをもってしても侮れない美しさ』にまで高める御不浄の…違う、極上の音色だ。音量も申し分なかったから、青井盥の小説を愛読し、盥中毒に陥った男たちにとっては、性欲を高めると同時に、精液の増産を促す音でもある。 もうこれ以上の音色は望めない。いや、現実には『侮美侮美侮美』を超える華美な音色というか、“過美”の極致とも評せそうな音色も、決して無いわけではない。 例えば、たっぷりの空気と過剰な水気を含んだ軟便が、堪らえようもなく断続的に洩れ出るときの音色、すなわちビーナスも恥じ入るばかりという『美恥美恥美恥』や、あるいはまた軟便と呼ぶには緩すぎる液状便が、連続的に噴出する際の明らかな前兆音ゆえに、「奏でる者によっては失意のあまり、それだけで痴呆状態に陥りかねない」とも言われる『憮痴憮痴憮痴』などは、いずれもその代表的な例である。 もっとも、今そうした“過美”な音色を明智が聴きたいと望んでも、この場では無理。必要な道具がひとつもない…というより、たとえすべての道具や環境が整っていても実現不可能。仮に美美美婦人から「探偵さんが聴きたいなら……」といった申し出を受けられたとしても、今だけは有り難く辞退するしかない状況だ。 理由は単純。小林夫人が『美恥美恥美恥』と洩らして…違う、『侮美侮美侮美』とやることでもたらしてくれた感動は、遂に明智の息子に我慢の限界を越えさせたからである。 今や前立腺と皮膚との距離が最も近いあたりというか、玉袋の後部から会陰にかけた一帯は、興奮と我慢の続けすぎによって腫れたような状態を呈し、重苦しい疼きどころか、激痛にも近い感覚が発生しているほど。息子の勃起不全症や排尿障害を防ぐことと、美恥美恥婦人の鑑賞とを秤に掛ければ、どうしたって今は前者のほうが優先される。 ただ、それだからといって、自分の都合だけを優先させるわけにもいかないのは、有線の放送局やラジオ番組に聴きたい曲をリクエストするときと一緒だ。 |
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| 2009.5.2掲載 |
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