赤と黄に彩られた棋譜

河上唐薫 作


『さあ、まずはこれを飲ませてやろうな』
　池本が信玄袋から取り出したのは、女性向けの強壮ドリンク剤『堂々レディー』。発売時のテレビＣＭで、女優の内藤綾子と作家の三浦洋子が「氷点下でも、堂々飲んでシャキッとしないと」とやって以来、今も石原麗奈や田中さとみ、万田真矢といったタレントたちが、ナイトガウン姿で盛んに「女性も堂々飲まないと。お口の消臭効果もあるんだから」と訴えて続けているのだが、その売れ行きのほどは『ギンギンズット』の足下にも及ばないらしい。

　売れ行きが伸びない原因は俺でもわかる。瓶の形がいかにも男根を想像させるから、人前で堂々と口に運ぶわけにもいきにくいのだ。
　第一、いくら金色のラベルが貼ってあるからといって、商品名が「ドウドウ」では、期待できる効能自体、どうしたって「ギンギン」より明らかに劣る印象。その証拠に‥‥なるわけもないが、池本は『堂々レディー』を１０本入りのケースごと持ってきた。

『ひとりで飲めるか？』
『ひとりで飲めと言われるのでしたら』
『そうか、それなら』
　池本はドリンクを口に含み、口移しで秋子に飲ませる方法を選んだ。いや、最初からそのつもりでいたのは明白。そうでなければ、質問が「ひとりで飲めるな？」という確認になっていたはずである。

　確かに口移しも悪くはなかった。秋子が瞼を閉じて唇を開き、池本が口からドリンクをそそいでくれるのを待つ表情にしても、あるいは唇からこぼれたピンク色の液体が、顎や喉元をダラダラと伝う様子にしても、かなり淫らな感じがして、かなり良かったと言えなくもなかった。

　ただ、初めて観たときの俺としては正直なところ、不満どころか怒りにも似た気持ちさえ覚えていた。もちろん池本に対し「馬鹿野郎。いい年こいた強姦ジジイが、今更キスなんかやってんじゃねえよ。俺たちが見たいのは、秋子がそのチンコそっくりの瓶を舐めたりしゃぶったり、口に咥えたりするとこなんだから」といった悪態をつきたかったわけではない。

　あのときの俺は、当時まだ名前も知らなかった脚本家に対して「せっかくここまでいい感じで来てたのに、どうして池本に口移しなんかさせるんだよ。それじゃ堂々レディーの瓶の形が、まったく活かせてないだろう」と、映画会社の“お偉いさん”に成り代わって、叱りつけたい気分だったのである。

　だがそれもまた俺にとっては、自分の未熟さと愚かさと浅はかさとを、すべてまとめて思い知るための、実にいいきっかけだった。
　その意味で『泣きボクロ』は、猥褻なピンク映画も脚本家や監督次第で、人間を進歩させてくれる身近な教材になり得ることを、初めて教えてくれた作品とも言えた‥‥などと俺が今、トイレの中でしみじみ振り返ることができるのには、それ相応の理由がある。

　秋子とふたり、１０本の堂々レディーをすべて飲み終えた池本が、次に袋から取り出したのはサラミソーセージ。
　ソフトタイプのサラミとはいえ、長さも太さも秋子の“二の腕”より、ひと回りは確実に大きかったのだから、それはもう誰がどう見たって巨根の代用品。正確に言い換えれば、脚本家と監督がすべての観客に対し、池本の巨根を確実にイメージさせるために選んだ小道具‥‥というより、取って置きの“巨道具”と言えた。

　未熟で愚かで浅はかで間抜けだった俺が、そんなサラミを見せられてしまえば、脚本家に対して「もう…それならそうと、早く言ってくれればいいのに……馬鹿、意地悪……」などと思うわけもなく、ただひたすら巨道具を使った秋子の“模擬尺”を待ったのは、ごく自然な成り行きというか反応。
　秋子が「口裂け女」にでも変身しない限り、極太サラミを丸ごと咥えられるはずもないのに、肝心なその点にまったく気づかなかったのもまた、初めて観たときの俺にとってみたら、ごくごく当然の次第。

　しかし「何でも有り」の脚本家、迫道俊は、そういった俺の様子を事前に水晶の玉かなにかで、たまたま見通していたらしい。いや、実際に水晶玉を使って占ったとしか思えないほどの台詞を、脚本家は池本に口にさせたのだ。
　おかげで俺のほうは、またまた呆然寸前の唖然状態。腹が減っていたわけでもなく、ましてや怒ったわけでもないのに、口が「あんぐり」となりそうだった。

『これなら材料が肉と脂で出来ておるし、硬さといい太さといい、わしの倅の代役を務めさせるには、まさに“うってつけ”と言えるはずじゃ。お前もそうは思わぬか』
　
　俺は思わなかった。サイズ的な面はともかく、ソフトサラミを「脂っこい」と感じる女性も多いから、さしもの秋子も「観音様のお口には合いそうにありません」くらいのことを言って、あっさり断るものだと思った。
　もう少し正確に言えば、いくら「何でも有り」の脚本家でも、そんな行為まで池本と秋子にやらせないでほしいと願ったのである。

　決して自慢できるほどのことではないが、当時から俺も、人は変態であろうとなかろうと、それぞれが好む行為や興味の対象といったものは、生きがいを含めて千差万別であることを知っていた。
　諺では世間を「広いようで狭い」というが、それは世間の広さを逆説的に例えただけだということも、そしてまた「自分は心が広い」と公言する人や、なにかと大口を叩くような人に限って、信じられないほど‥‥というより、呆れて笑っちゃうほど度量が小さいことも、すでに経験から学んでいた。

　なにしろ俺は小さい頃から、人に「見て見ぬふり」をされたり、憐れみや同情の眼差しを向けられたりするのは日常茶飯事。虫けらのように無視されたり、不気味がられて怯えられたりするのは、まだムシ‥‥いや、まだマシなほうで、中学生時代には、まるで俺自身、体毛に毒を持つ毛虫にでも変身したかと疑うほど、同級生たちから毛嫌いされた経験まで持っているのだ。
　未熟だろうと何だろうと、世間や人というものを少しは学び取れたのも当然だろう。

　だから俺は、女性の下の口に腕を肘まで突っ込みたがる男と、それを嬉々として受け入れる女のカップルがいても、彼らが自分たちの趣味を大っぴらにしようとしない限り、絶対に軽蔑するようなことはしない。

　仮にうちの会社の新人社員から「実はボクの兄さん夫婦が、フィストファックというやつに嵌ってるらしいんです」と聞かされ、そのあとに「ボク自身、アナルフィストをやってもらうのが好きだからわかるんですけど、あれは一度やると病みつきになりますよね……」と打ち明けられ、最後に「先輩も良かったら、ボクを相手に試してみませんか」などと、酒を飲みながら誘われたとしても。
　たぶん俺の場合は笑顔で「馬鹿野郎」と言いながら、そいつの頭を拳骨で殴るマネをしてからトイレへ向かう筈。そしてトイレで用を足しながら、入社早々そんな話しまで俺にペラペラ喋る奴の常識というか、神経を疑うと同時に、やはり世間は時として極端に狭くなるものだという現実を、改めて実感するだけだ。

　また例えば、観音様から一升瓶でお酌してもらえるようにと考えて‥‥かどうかは知らないが、「一生をかけてでも妻の膣口の拡張に努めたい」と意気込むゲイの女性の談話や、あるいは観音様が咥えたビール瓶で酌をして回りながら、尺八の名演奏を聴かせることで、居並ぶ客を二重にも三重にも酔わせるという１０代の芸者の存在が、一般の週刊誌で顔写真や経歴と一緒に紹介されたとしても、記事の内容自体には、大した驚きを感じない。

　ただ、いくらどれだけ妄想が逞しくても、そこまで“えげつない”行為というか、反正統的としか感じられない行為だけは、当時から想像もしたくなかった俺に言わせれば。
　堂々レディーの空き瓶を使うというならまだしも、極太サラミに巨根の代役を務めさせるような行為は、まさに暴挙の極みとしか言えず、いくらピンク映画という虚構の世界と言えども、俺の許容範囲から甚だしく逸脱していたのである。

　ところが極太サラミの用途を知った秋子は、眼を爛々と輝かせながら、こんなふうに尋ね返したというか、わざわざ念まで押したというか‥‥。

『ではわたくしも、安心していてよろしいのですね？』
『そういうことじゃ。もしもこのわしに万一のことがあって、お前を充分に満足させられんかったときは、これを使うてやるから、安心しておれ』
　池本の返答に安心を得た秋子が、いかにも満足そうに頷いたものだから、おかげで俺の胸中は複雑を極めた。

　つまり、彼女の観音様が擬似巨根を貪る姿を、否応なく見せられることになりそうだという不安と、模擬尺八を見せてもらえそうにないことへの不満が交錯し、気分はもう「何の訓練も受けずに交通整理をやらされる警察官」‥‥なんか、いくら何でもいるとは思えないから‥‥。
　そう、いわゆる“１日署長”を任命された一般市民が、警察の広報担当責任者みたいな人から「手旗と笛を使う交通整理をもって、就任の挨拶に代えてください」と言われたために、交通量の激しい交差点の中央で、立ち往生しているような心境に陥ったのである。

　ただしそれもまた、水晶玉を使った占いまで操る‥‥いや、観客を操ることにも長けた脚本家の罠に、俺が易々と嵌っただけの話し。紛れもなく俺が、未熟で愚かで浅はかで間抜けで、もしかしたらあまりにも純情すぎたことの証明。

　そもそもあの極太サラミ自体、「わしに万一のことが」という極めて重要な台詞から、観客の耳を遠ざけておくために用意された物。巨道具どころか、“虚道具”とでも呼ぶべき遮音材に等しかったのだが。
　胸中が複雑を極めた直後に、池本が袋から取り出した魚肉ソーセージの束を見て、俺まで安心を得たというか、それが模擬尺八に使われることにピンと来てしまえば、そんな台詞は最初から聞かなかったも同然。

　たとえ池本が同じような台詞を２度３度と繰り返しても、「わしに万一のことが」などという言葉が、俺の頭に残る可能性なんか、万にひとつも有り得なかっただろう。

『わしは小腹が空いておるし、何本喰おうと、お前の懐を痛めることもないからな。遠慮なく喰うことにするが、お前のほうはどうする』
『いえ、わたくしは……』
『観音様は別として、お前の腹は空いておらんのじゃな？　それならわしの腹が空くように、お前はこれをたっぷり味見してみるが良かろう』
　池本が歯で皮というか、ビニールを喰いちぎって渡したソーセージは、俺の息子の憧れのサイズ。市販されている商品の中では、最も太くて長い魚肉ソーセージだ。

　池本の意向を瞬時に理解した秋子は、艶然としてソーセージを受け取ると、ていねいに包皮を‥‥いや、ビニールを剥いてから、唾液に光る舌先を伸ばした。そして池本の顔へ、妖しく燃える眼差しを向けたまま、ソーセージを舌全体でゆっくり舐め上げてひと言。

『こんな感じでよろしいんでしょう？』
『そうじゃ。その調子で何度も繰り返してみよ』
　池本の指示に沿う形で、秋子の舌はソーセージに添って何度も動いた。執拗ともいえるその動きは、薄い粘膜に身を包んだ軟体動物が、大きな餌にまとわりついて蠢く様子を連想させた。

　秋子の“舐め上げ”は、池本がソーセージをすべて食べ終えるまで続いたのだが、その程度のことで満足できるほど、俺の尺八願望‥‥いや、彼女の“模擬尺”を見たいという俺の願望は小さくなかった。
　だから秋子がこんなふうに尋ねたとき、俺は池本に「念」というものを、送れるものなら送りたいと望んだ。

『いかがですか？』
『まだまだ不充分』
　池本は、まるで俺の念が通じたかのように即答した後、さらに俺の意見をそっくりそのまま代弁してくれた。

『ソフトクリームを上手に舐められる年頃になれば、誰でもやれることじゃ』
『でしたら、こんなふうにするのは？』
　今度はソーセージの先端のほうの周囲というか、端から３センチほどの範囲を、舌の表と裏を使ってぐるりと舐め回した。池本が感想を口にするまで、秋子は何回も何回も舌を回し続けた。

『ほう、なかなかうまくやりおるわい』
　俺もまったく同感だった。

　処女で結婚し、新婚旅行先で夫を亡くした秋子である。仮に初夜から尺八を求められ、彼女がそれに懸命になって取り組んだのだとしても、回数は高が知れていると思えば、秋子の舌技は池本を感心させても当然と考えられた。

『よろしければ、取って置きの音もお聴かせしましょうか？』
『ん？　どういう音じゃ』
　秋子はなにも答えることなく、妖艶な笑みだけを返した。そして妖気を湛えたような眼差しを池本にチラチラ向けながら、ソーセージを“唾まみれ”にさせ始めた。

　つまり、一刻も早く池本に腹を空かせてほしいと願い、取って置きの「尺八の音」を聴かせようとした秋子は、それなら口で説明してから聴かせるより、口をつぐんだまま、唇と舌を使って聴かせたほうが効く筈と考え、その“舌準備”に取りかかったのである‥‥などという説明は、たぶん舌足らずどころか不適切。

　良識というものを具えた親なら、我が子が皿や箸を舐めたときは「下品だからやめなさい」と言って、直ちにたしなめる筈だと考える俺に言わせれば、ソーセージやチクワやキリタンポといった棒状の食品に、女性が唾を塗りたくるような行為は、もはや下品を通り越し、カガミさんのような上品な女性が、猥褻なパンティーを穿いて男を誘う行為も同然。
　当然、男の熱い興奮を呼び覚ますことにつながるのだから、秋子がやった行為は単なる下準備というより、それもまた取って置きの“超舌”な技巧といったほうが適切だろう。

　秋子がたっぷりの時間をかけ、丹念に唾を重ね塗りしたソーセージは、もはや食べ物と呼べるような代物ではなかった。なにしろあのときのソーセージの状態は、溶けかけたアイスキャンディーそっくり。あちこちから唾が滴っていた。
　
　世間には、女性の唾液にまみれた食品を、「垂涎の的」として捉える男もいるらしいが、でも俺の場合は少し違うというか、唾液そのものは興味の対象外。
　だから当然、俺と同じ趣味しか持たない男なら、よほどの飢餓状態に陥っていない限り、あのソーセージを見て涎を垂らすようなことは、まったく考えられないのだけれども、俺だけは例外中の例外。
　秋子がソーセージに唾を塗りたくる場面を見るたびに、いや、今こうして思い出すだけでも涎が出そうになるというか‥‥もっと正確に且つ現状に即した形で順を追って詳しく言えば。

　そもそもあの魚肉ソーセージ自体が俺の息子の憧れだから、唾の滴るソーセージを口一杯に奥まで咥えた秋子が、それを口からゆっくり抜いていくときに発した音、すなわち唾を「受留受留…受留受留…」とすする音を思い出すだけで、唾まみれのソーセージが垂涎の的と化す。
　そしていったんそうなってしまうと、俺がまだ１０代の半ばだった頃に公開された『私は貝になりたい』という題名の映画まで思い出されてしまう。
　その結果、「俺は貝になって海の底で穏やかな生活を送りたいなんてことは、砂粒ほども思わないけど、息子さえ普通のソーセージになってくれれば、妄想の中でカガミさんに生尺してもらうくらいのことは、俺なら簡単に実現可能だから、もっと楽しい人生が送れるのに……」と思ってしまう今の俺なのである。

　そんな我が身に照らし合わせて考えると、『ケツをまくった変態は大変』の解説に書かれていた一節というか、「シズル」とかいうやつに関するこんなふうな記述に、今更ながら説得力を感じるというもの。

『広告業界では、肉がジュージュー焼けるときのような音をシズルと呼び、シズル感に欠ける映像は訴求力に欠けるというのが常識。それを逆に言えば、シズルだけでも充分な訴求がおこなえるということに他ならない。』

　実際、秋子がソーセージから唾をジュージュー‥‥違う、「受留受留…受留受留…」とすすり取る音は、あれだけでも充分な聴きごたえがあった。彼女が「取って置き」と言っただけの値打ちがあった。
　作られた音ではないだけに、擬音としての効果という点では、池本が杭打ちしていたときの「樹武樹武…樹武樹武…」という音色と比べても、まったく遜色がないようにさえ感じられた。

　なにしろ杭打ちの場面では、肝心の音源一帯が隠されていたのに対し、模擬尺の場面では秋子の口元とソーセージが丸見え状態。しかも彼女がすすっては吐き出し、吐き出してはまたすするといったことを繰り返すたびに、次第に白濁していった唾液は精液を連想させたのだから、訴求力というか見ごたえのほうも、充分どころか申し分なかった。
　
　模擬尺をそこまで堪能させてもらえれば、当時の俺というか、初めて観たときの俺の満足度も充分。鼻血が止まったかどうかなど確かめる気にもならず、なおもハンカチで鼻を押さえたまま、池本の反応を待った。
　もしかしたら頭の片隅では、彼に対して「お前も少しは進歩したみたいだし、秋子がここまでやったんだから、なにか褒め言葉のひとつくらいはかけてやるんだろうな」といったことを考えていたのかも知れないが、仮に考えていたとしたら、それもまた俺が未熟で愚かで浅はかだった故に、プロ意識の高い作家というのは、どんなふうに物語を展開させていくのか、まったく知らなかったことの証明と言えるだろう。

『なるほど、ようやくわかってきたぞ』
　池本の冷めたようなそのひと言で、秋子は咥えたソーセージを動かすことも、唾をすすることもやめた。

『お前は今、どうしてわしが乳を揉もうとせんのか、不満とまでは思わんまでも、不思議でならんじゃろう』
　唐突な質問に、秋子は不思議そうな表情を浮かべながらも、ソーセージごと頷いて返した。

『やはりそういうことじゃったか』
　池本にひとりで納得されても、俺にはなにが「そういうこと」なのか、さっぱり見当がつかなかった。

『どれ、そうとわかれば、わしにもやりようがあるというものじゃ。わしも乳を揉んでやるから、お前はソーセージを咥えたまま尻を振って、倅を元気づけるが良い』

　一体全体、池本はなにをわかったというのか。推測する手掛かりさえ得られていなかった俺としては、じっと画面を見つめているしかない状況だった。
　だがそれでも、秋子の表情からひとつだけ読み取れたことがある。彼女がすでに、狂気としか呼べないほどの、異常な精神状態に陥っていたことだ。

　池本から「わしも乳を揉んでやる」と言われた秋子は、嬉々とした‥‥というより、尋常ではない表情で頷いたのだが。どこがどんなふうに尋常ではなかったのか、肝心なその点を説明するのが非常に難しい。
　なぜなら俺の場合、当時と比べても格段に進歩の跡がたどたどしい。しかも仕事は酒類卸問屋の営業マン一筋。
小説家でも何でもないのだから‥‥

　般若を想わせるほどに吊り上った目。双眸に宿った妖しい光。精液にしか見えない唾液でヌラヌラと濡れ光る口元。そしてなにより印象的だったのは、汚らしいソーセージを咥えたまま、媚びた笑みまで浮かべて頷いたこと。
　そんな秋子の姿からは、もはや貞淑さのカケラさえ感じ取ることができず、決して尽きることのない情欲を剥き出しにした未亡人、いや、絶倫の客を初めて取れた淫乱な娼婦にしか見えなかった‥‥といった感じで表現するのが精一杯だから、その点はともかくとして。

　サービス精神の旺盛さでは、それまで秋子の乳房を揉もうともしなかった池本など、足元にも寄らせない本山監督である。
　当然、池本が鉄砲乳から乳を搾るように揉みしだいたり、乳首を指先で何度も弾いたりする様子はもちろんのこと、彼の手や指の動きに合わせて、淫らに尻を揺すりまくる秋子の魅惑の表情といったものも、時間的にはたっぷり観賞させてくれたのだが、映像的には何の工夫も感じられなかったというか、他のピンク映画と似たり寄ったり。
　
　逞しいのは精力と妄想力だけで創造力に乏しく、単純な発想しかできない俺としては、例えば‥‥
　鉄砲乳の先端から弾丸のように飛び出していた乳首を、池本が指先で弾く場面を画面一杯のアップにして、なおかつ超スローモーション映像にするとか‥‥
　乳首を弾かれるたびに、一瞬、秋子の下腹が緊張して、緊張が解けた直後には必ず「ああ…たまらないわ〜」といった感じで尻を激しく揺する様子を、横からだけでなく、真上からも撮ってくれるとか‥‥
　あるいは‥‥そう、硬くしこった乳首の付け根を、乳輪ごとシコシコというかグリグリというか、ねちっこく揉み潰すときの池本の指の動きや、そこから乳房全体に広がる痛いほどの快感に、小鼻まで広げて喘ぐ秋子の表情といったものを、時にはアップで映し出すとか‥‥
　せめてそういった単純な工夫だけでも、監督には本山‥‥違う、求めてやまなかったところなのだけれども。

　実際には、秋子がソーセージを咥えていたこと以外、これといって目を引くような点もなく、逆にソーセージが猿轡のような働きをしたせいで、肝心の喘ぎ声や呻き声が聴こえにくかった分、言い換えればシズル感というやつに欠ける映像だった分、イマイチと言えなくもなかった。

　しかし無論、そこには本山監督なりの計算が働いていた筈。
　映像に凝れば凝るほど、観客の目は鉄砲乳と秋子の反応に奪われてしまい、池本の台詞になんか耳を貸さなくなる。たとえ熱心に耳を傾けたとしても、秋子の喘ぎ声が大きければ、台詞が聞き取りにくくなるばかりか、観客の息子の「凝り」まで激しくなり、池本の言っていることを理解しにくくなる。
　つまり監督は、そこまで計算したのである‥‥などと、大袈裟に持ち上げるほどのことでもない。

　その辺の考え方は、いわゆる２時間ドラマの最後の舞台に、いつも決まって断崖絶壁が選ばれ、遠くで波の砕け散る音しか聴こえなくなるのと一緒なのだ。
　ようやく真犯人を追い詰めた探偵や刑事が、いざ推理の過程を説明しようかというときに、監督や演出家が目立とうとして、茶の間の視聴者の気を散らせるようなことをすれば、どんなサスペンスドラマも茶番劇に‥‥いや、不条理劇と化す。

　泣きボクロにサスペンス性はなかったものの、ピンク映画らしからぬ意外性だけは意外にあった。だからそれを観客に印象づけるためにも、池本が重要な台詞を並べていく場面では、監督も敢えて印象に残らない映像や、動きの少ない映像といったものを心がけたのだろう。

　秋子の鉄砲乳を揉み始めた池本は、まずこんな台詞を口にした。
『こんな簡単なことに気づかんかったということは、やはりわしにも唐変木の血が流れておる証拠やも知れんが、お前がわしの教会に入信したときのことまで忘れるほど、わしは“もうろく”しておらんからな』

　そのあとに続けた台詞は、どれも秋子に語りかけているようでいながら、実際のところは独白同然。断崖絶壁まで真犯人を追い詰めた刑事が、推理の過程を説明する場面とそっくり‥‥なのだけれども、その実態はといえば。何の罪もない元刑事の過去を、強姦魔が追及していくというか、暴いていくにも等しい状況だ。

『あの頃のお前は、事件の捜査を進めていくたびに、法律と情実の狭間で悩み、警察官という職業への適性を疑い始めた。そして次第に仕事への意欲を失い、己に対する自信まで失くしてしまった……。確かそれが入信のきっかけだったのう』

『その後はわしの教えに従うことで、お前は自信を取り戻し、交際範囲も広げ始めた……。おかげで一太郎と出会い、自由に交際するために警察を辞めたまでは良かったが、今度は己の貞操観念、すなわち「女は結婚するまで純潔を守るべし」というお前の考え方と、世の男の性欲とが、互いに相容れない関係にあることを知って、おそらくお前はまた悩み始めたんじゃ』

『男というものは、誰もが皆、性欲とスケベ心の塊じゃからのう。ひとたび女の口を吸えば、次は乳を揉んで乳首を吸いたいと望み、乳首を吸えば吸ったでその次は、観音様の涙まですすりたがるのが常。
　お前と知り合うた頃の一太郎が、まだ童貞だったかどうか、そこまではわしも知らんが、あやつも男の端くれ。お前が処女だと知った時点で、スケベ心を抑えられんようになった筈じゃ』

『そんな一太郎に対し、結婚まで純潔を守りたいと望んでおったお前は、なにをどう考えて、どんなふうに対処したか。お前の乳を手に取って揉んでおる今のわしには、手に取るように読めるぞ。
　お前は悩んだ末に、あやつと結婚するためなら、貞操観念を捻じ曲げたほうが賢いという結論を出した……。つまり処女膜さえ残しておけば、結婚まで純潔を守ったことになる筈だと、こざかしい屁理屈……いや、愚かしいとしか呼べん詭弁によって、己を納得させる道を選んだんじゃ』

『そうなると今度は、お前の性欲が目覚め、人並みの快楽を求め始める番。だからお前は、あやつと逢うたびにこうやって乳を揉ませ、あやつが望めば、観音様を指や舌で愛でさせることまで受け入れた……。もちろん何度となく、極楽へも導いてもらったことじゃろうし、時にはお前の口から、極楽行きを頼んだやも知れんがな』

『ただそこまでやらせてしまえば、あやつがまぐわいを求めるのも時間の問題。男が男である限り、当然の欲求というものじゃが、お前は「それだけは結婚するまで待ってほしい」と頼み、その代わり“手こき”だろうと尺八だろうと、何でも喜んで引き受けることを申し出たのじゃろう。
　そこでまずは一件落着。あやつが取引きに応じたことで、事は見事にお前の計算通り運び始めた。
　確かに唐変木のてっぺんに立とうする朴念仁でもない限り、尺八で気持ち良く抜いてもらえるなら、処女膜だけは結婚初夜まで取っておくほうが、自分のためかも知れんと考え直すじゃろうし、結婚する前からすべてをやり尽くしたのでは、初夜になんぞ何の感激も得られんことくらい、少し考えれば、誰でも想像がつくからのう』

『だがな、わしにはわかっておるぞ。一太郎との結婚を望んだお前は、無理に貞操観念を捻じ曲げだだけではあるまい。結婚することを決め、尺八まで引き受けておきながら、まぐわいだけを先伸ばしにした裏には、もうひとつ別の計算も働いておった筈。
　お前はあやつに「ゆるい」と思われて、結婚前から浮気されたり、結婚を取りやめにされたりするのが心配だったんじゃ。だから手こきや尺八で時間を稼ぎ、きつく上手に締められるよう、観音様の筋肉を鍛えておったんじゃろう。
　つまりあやつに乳を練ってもらっておる裏で、お前は策を練っておったというわけじゃ。それも唐変木なあやつを操るような形でな』

　池本が２連発させた駄洒落と語呂合わせは、かなりの出来と言えそうだった。だが初めて観たときの俺としては「駄洒落を聞かせる暇があるなら、早くその推理の根拠を聞かせろ」という気持ちだったから、頬を緩ませてやる気も起きなかった。

『わしの読みに誤りがあるかどうかなど、今のお前に尋ねても詮なきこと。その様子では、いったいなにを聞かれておるのか、それさえわからんじゃろうからな。わしもそんな無駄なことはせんが、おそらく１点の誤りもないはずじゃ』

『これまでわしは、何千人もの女とまぐ合うてきたが、わしの倅を丸ごと締めつけられた女は、数えるほどもおらんかった。ほとんどの女が、観音様への入口に力を込めようとするだけで、もはや精一杯の状態でな。
　ところがお前の場合は、まだ女にもなりきれておらんかったというのに、わしの倅の頭から胴体まで、丸ごと締めつけおった。それも何度となく、苦もなくやれたということは、よほど観音様の筋肉を鍛え上げてきた証拠に他ならん。
　並大抵の鍛え方では、精気の漲ったわしの倅を咥え込んだまま、小便をチビチビやることなんぞ、とうてい出来はせんからのう……』

『わしの読みに誤りがない証拠なら、もうひとつあるぞ。
　これはどんな女にも言えることじゃが、乳が練れてくるまでは、たとえどれほど好きな男に揉んでもらうのでも、くすぐったさか痛みしか感じられんものよ。しかも心地よさを感じられるようになったからといって、そうそう簡単に、観音様が嬉し涙を溢れさせるまでには至らんものでな。そのことはお前自身、よくわかっておるじゃろう』

『つまり乳が充分に練れておらんうちは、赤子のための乳が出にくいだけでは無うて、ちょっとやそっと揉まれた程度では所詮、観音様も雀の涙ほどの涙しか出せんのじゃからな。これこそ、観音様がほとんど練れておらんかったお前も、乳だけはたっぷりと練られてきたことの、なによりの証拠と言えるはずじゃ』

　そんな具合に、池本が右手を休めることなく、鉄砲乳を揉んだり乳首を弾いたりする傍ら、独白めいた台詞を並べている間、秋子のほうは頷くことも首を横に振ることもせず、ただひたすら尻を揺すり続けていたのだが。
　池本が「証拠と言えるはずじゃ」と言ったきり口をつぐみ、手の動きをわずかに休めたとき、彼女はソーセージを口から抜き取って、久々に言葉を発した。

『ねえ…こんなに硬くなってるのに……まだ来てくれないんですかー？』
　秋子の口調と表情には、嬉し涙‥‥ではなく、恨めしさが溢れていた。

『そうじゃな。このままでは、わしの褌まで汚れてしまいかねんから、そろそろ始めることにするか』
　俺は一瞬、池本が暴発を心配したのかと思った。

　原因は他でもない‥‥などというよりも。
　なにが「そういうこと」だったのか。その点を池本が噛んで含めるように‥‥いや、揉んで練り込むように解説してくれたにもかかわらず、右の耳から入った台詞は左の耳へと抜け、左の耳で聞いた台詞も右の耳へ抜けた‥‥わけではなく、単純に俺が抜けていたために、池本の提示した「なによりの証拠」の意味を、充分に理解できなかったせいに他ならない。

　池本がいわゆる「締め」に使った台詞を裏返し、俺なりに若干の捕捉と脚色を加えれば、彼の言ったことはすなわち。
　秋子の乳房はすでに一太郎の手によって、充分すぎるほど練られてきたから、少し揉んでやるだけで、観音様は大量の涙を溢れさせ、その量は赤ちゃんの２回分のオシッコや、大きい哺乳瓶の１本分にも匹敵する‥‥といった内容になるはずなのだが。
　そのことにようやく俺が気づいたのは、池本に促されて立ち上がった秋子の後ろ姿を見たとき。しかも何度となく観た後というか、池本の解説を繰り返し聞いた後だったのだから、これこそ俺が抜けていたことのなによりの証拠‥‥などということはともかく。

　あの場面における彼女の後ろ姿には、大いに魅せられたというか、目玉を激しく揺さぶられたというか、めまいを起こしそうなほど魅了された。
　理由は他でもない。秋子の薄い腰巻に、大きな染みが広がっていたからだ。

　つまり本山監督は、秋子の欲情の高まり具合と、池本の推理に誤りが無さそうなことを、観音様が溢れさせた涙の量‥‥というより、垂れ流した涎の量で示すためにも、彼女を素っ裸にするわけにはいかなかったのである。

　俺としては、池本が腰巻を裏返しにする場面も、どうにかして織り込んでほしかったというか、腰巻の染みを内側からアップで映してほしかったというのが、監督に対する正直な気持ちなのだけれども。
　あとからもっと刺激的というか、俺が求めてやまない映像まで、監督は腰巻を使って見せてくれたのだから、それだけでも充分にお釣りが来たと言える。

　そもそもが、遠景と近景を交互に映し出すような忙しい映像は、観客の視神経が疲れるために、結果としてめまいを起こしやすくさせるだけで、そんなことは映画やテレビ番組の制作者にとっては常識なのだ‥‥といったことが、どこかの週刊誌に書かれていたことを思えば。
　ピンク映画だろうと何だろうと、名のある監督が、アップの映像を細切れ状態で多用するわけがない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。
2010.1.16掲載
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