〔１−４♀：使用中の店員　２５歳〕

　また誰かにノックをされた。それも「入ってますか？」と尋ねるためのノックではない。
　ここのドアはロックすると、外側に『使用中』を示す赤い印が出る構造だから、「早く出てよ」という催促のノックだ。

　しかし、まだ出るわけにはいかない。こっちにも都合がある。私はまだスラックスを脱ぎ終えただけで、まだなにも用が足せていないのだ。
　立ったままノックを返し、パンティーを膝の近くまで下げた。

（あーあ、こんなになっちゃって）
『目も当てられない状態』とは、まさに眼下に広がるこの光景。両膝が広げているパンティーの汚れ具合を言い表すのに、たぶん最も適した慣用句。

　いくら承知していたこととはいえ、こうしてこの目で見てしまえば、嘆息するしかない。
　決して明るいとは言えない個室の中でさえ、アソコに当たっていた部分が広範囲に濡れているせいで、ヌラヌラとした光を反射しているのだ。

　とうてい臭いを嗅ぐ気になんかなれないけれど、いやらしい臭いを発しているのも確実なだけに、嘆きは深い。

（でもね）
　嘆いていても仕方がない。その点は、両親を嘆かせた１０年前のあの日と一緒。そしてまた実家を遠く離れ、一人暮らしを始めることに決めたときの状況と、少しも変わるところはない。

　そこで。『いつも前向きに生きる』という信条を曲げることなく、粛々と状況の改善を進めていくために、まず汚れたパンティーを脱ぎ、ヌルヌルに触らないように気をつけながら丸める。

　まだ充分に穿けるとは言っても、こんなパンティーを持ち帰る気はしない。どうせ安物だ。
　備え付けのロールペーパーを巻きつけ、とりあえず棚の上に置いてから、洋式便器に腰を掛けた。

　再びロールペーパーをたくさん手に取り、パンティーと汚れの度合いを競い合っていたような場所に、しばらく押し当ててから便器に落した。次は腿の付け根を拭く番である。
　急ぐ必要はない。私をノックでせかした人は、隣の個室を利用していた人と、幸運にも入れ替われたらしいからだ。

（だけど、どうしてこんなふうになっちゃうわけ？）
　本屋さんを出る前にも感じた疑問だけれど、実に不思議。甚だ不可解。

　なぜならあの『ケツをまくった変態は大変』は、ひどく下品で猥褻で、いやらしいこと“この上もない”としか感じられなかった。小野幸一郎の小説を読んでいるときと違い、思わず胸が熱くなってくるような興奮など、まったく覚えなかった。

　もちろん私に変態性はない。異性の前で性器を露出したり、好んで排泄物をいじったりするような変態行為に対し、嫌悪感を抱いた憶えならあっても、そうした行為に興味を持った記憶もない。
　あの小説の中で、変態の中年男性ふたりを相手に、信じられない行為というか、まさに痴態どころか“恥態”を繰り広げながらも、なおかつ自分たちまで興奮していた彼女たちとは違う。私はごくごく普通の女なのだ。

　それにもかかわらず、これほどの量の体液を溢れさせてしまった。
　たとえオナニーを‥いや、仮に誰とセックスをしても、こんなに陰部が濡れるとは思えないのだから、自分でも不思議とか不可解としか言いようがない。

（こんなものね）
　さっぱりしたとは言えないけれど、これ以上は拭いても無駄。お風呂で洗うか、せめて濡れタオルで拭かなければ、これ以上きれいにするのは無理。
　小さな紙袋の中から、買ってきたばかりの新しいパンティーを取り出し、足を通していく。

（んー？　なにこの人）
　隣の個室の利用者が、ひっきりなしに水を流している。

　オシッコの音を消すのが目的なら、理解できなくはない。私もこういう不特定多数の人が利用するトイレでは、オシッコのときに必ず水を流す。
　大きいほうの用を足すときにしても、悪臭がこもらないように、その都度しっかり水を流すのは常識的なマナー、エチケットと言える。

　でも、水洗の水音では消せない音があるのも常識。タイミングがずれたら、どんなに大きな水流音も、まったく消音効果を発揮しないことくらい、常識以前の問題。
　いくら自分で水道料を払う必要がないからといって、節水の精神まで水に流すような人は非常識としか言えない。

　現に隣の個室からは、ガスの洩れる‥‥違う、ガスを放つ鈍い音がはっきりと聴こえて‥‥いたのが聴こえなくなって‥‥今度は呻き声と‥‥くぐもったような“モーター音”まで聴こえてきた。

（まさか‥そんな‥‥）
　動悸が激しくなってきた。血流が速まるのにつれ、聴神経が研ぎ澄まされていくのがわかる。
　パンティーを引き上げていた手も、途中で止まってしまった。

　隣室から洩れてくる呻き声は低い。低いだけでなく短い。いや、単に短いというよりも「んっ‥‥んんっ‥‥んんっ‥‥」と断続的に呻いている。
　一方、モーター音とも震動音とも判別しがたい単調な音のほうは、一瞬たりとも途切れることがないのだ。

　私はこれまで１度として、バイブレーターなる物の現物を目にしたことはない。でも、それが使われるときの音なら、１度だけ耳にした。

　あれは２年ほど前。通勤ラッシュの電車に乗り合わせたときのこと。
　近くでモーターのような音が聴こえていたと思ったら、次に女性のすすり泣きまで聴こえてきて、最後は男性が「馬鹿野郎！　電車の中でそんな物まで使って痴漢なんかするな！」と大声で怒鳴ったのである。
　
　あの男性の発言を曲解すれば、「痴漢は素手でやれ！」とか「痴漢をやるなら場所を選べ！」と受け取れなくもないけれど、もちろん常識のある人は誰もそんなふうに受け取るはずもなく、良心と勇気を持った男性たちの手で、破廉恥な痴漢は駅員さんに突き出された。

　あのときのモーター音は、今も鼓膜に残っている。そしてまた小野幸一郎の小説にも、ごく当然のことながら「ああ…ああ……ん〜ん…ん〜ん……」などの喘ぎ声の他に、「んっ…んんっ……んんっ……」といった呻き声が頻繁に登場する。

　時と所と場合のすべてが異なり、そしてまたそれを使う対象が、他人ではなく自身だという点にも違いはあるけれど、隣の個室の女性がなにをしているのかについては、疑いの余地がないだけに、神経を疑う。

　ただ、私の神経も正常とは言えそうにない。
　胸の鼓動が鼓膜を震わせている。脳の神経の何本かは、脳内の血管の脈拍が、どれも強すぎることを感じ取っている。それも不整脈と頻脈状態を呈しているせいで、脳を包む薄い膜に、隣室の女性の姿を映し出してしまったのだ。

　年齢は２０代の半ば、私と同じくらい。着ている服はシャツブラウスとスカートの組み合わせだから、仕事はごく普通のＯＬ。職場では制服を着ていて、その胸に『椿菊江』とか『秋山茜』といった名札を付けているのだろう。

　そんな女性が、ブラウスの胸ボタンを外し、左手でブラジャーの上から右の胸を揉んでいる。まるで赤ちゃんのために、お乳を搾り出してやろうとするような揉み方だ。

　スカートは腰の上までたくし上げてある。パンティーはパンストと一緒に、膝下のあたりまで下げてある。足首まで落ちていかないのは、引力よりも大きな力が両膝によって加えられ、左右に広げられているせいだ。

　大きく広がった膝の間、太腿の奥には、白くて細い右の手首までしか見えない。
　だが、その手首の動き方を見れば、彼女がどんな物を持ち、それをどこにどう使っているのかくらい、誰でも簡単に想像がつく。

　彼女が手にしているバイブレーターの色は、おそらく黒だ。黒い色なら、手の白さとの対照が際立ち、いっそう淫靡な雰囲気を漂わせることができる。

　黒いバイブレーターの先端が、まだそれほど黒ずんでいない陰唇の合わせ目を、端から端まで丹念になぞっている。
　その動きは、滑らかすぎるほど滑らか。いや、ぬるぬると滑りながら動いているような状態で、動かせば動かすほど、滑りが良くなって‥‥気持ちも良くなっていくのだ。

　そしてきっと、そろそろ膣の奥まで挿入するか、あるいはクリトリスに軽く押し当てることで、彼女の呻きは「んんっ‥‥んんっ‥‥」から「んんーーっ‥‥」へと変わる筈。

　口の中が渇いてきた。喉だけでも湿らせてやるために、唾を飲み込む。
　唾液が粘ってしまい、ゴクリという音が、鼓膜を内側から震わせた‥‥途端、今度はノックの音が外から鼓膜を震わせた。

　緊張に固まっていた全身をほぐし、ノックを‥‥返す前に、その必要がなくなった。ノックはすでに隣のドアへ移っている。
　この状況を、あの明石家ハヤシなら「知事を辞めてしまえば、ノックもどこへでも移れる、なんちゃって」‥‥などと言うわけがない。彼なら、もっと上手なギャグを口にする。

　隣の個室から音が消えた。モーター音も、呻き声も聴こえなくなった。そしてドアの開く音が聴こえてきた。
「あら、オヒゲがちょっぴり残ってるわよ？」
「うふっ。やっぱり息みながらだと、うまく剃れないわね」
（！？）
　ヒゲを指摘したのが女声だったのに対し、返事をしたのは明らかな男声だった。

　私が最近、かなり面白いと思っているオカマの落語家、玉竿酉三郎の喋り声はハスキーで、しかもけっこう高いから、本当の女性の声にも聴こえそうだけれど、今の人の声は低音で太かった。

（何だ、そういうことか）
　ようやく納得。私の脳味噌は、あの変態小説を読んだせいで、冷静な判断力を失っていた。
　でも今は、事情がすべて飲み込めた。

　女装しているオカマさんが男性用に入れば、かえって周囲を混乱させそうであり、当人にも抵抗があって当然。女性用を利用するほうが、多少は自然。

　しかし、洗面化粧台に向かって堂々とヒゲを剃られたのでは、他の女性が抵抗を覚える。だから彼だか彼女だかは、個室の中で電気剃刀でヒゲを剃っていたのだ‥‥ということはわかるけれど。
　なにも便秘がひどいようなときに、息みながら剃ることはないと思う。

（ほんと、あんなことされたら‥‥ねえ）
　はた迷惑も甚だしいというもの。せっかくおこなった作業が無駄になってしまった。

（でもね）
　パンティーを穿き終えていなかったことは、いわゆる不幸中の幸い。少しでもタイミングがずれていたら、また腰を振りながら歩く‥‥ほどの汚し方まではしなかったとしても、歩く際に、かなり不快な思いを強いられていたのは間違いない。

　現に、陰部に押し当てたペーパーは、ホルダーから巻き取ったその量が、１回目より少なかったせいもあって、あっという間に体液が染み通ってしまった。

（だけど、ということは、あのときの痴漢も電気剃刀だったのかもね‥‥）
　その可能性は高いものと思われる。
　なぜならバイブレーターを携帯するのでは、他の痴漢と間違えられたときに言い逃れができない。
　だが、電気剃刀なら、毎日のように持ち歩いていても、それほど不自然でもない。

　私が勤めているお店のオーナーにしても、ヒゲが濃いせいか、それとも伸びるのが速いためか、夕方にもヒゲを剃ることが多いのだ。

（はい、終了）
　体液の拭き取りが完了した。便座から腰を浮かせ、パンティーをきちんと穿く。スラックスも引き上げて、ファスナーを閉めた。

　残る作業は、ゴミと化したパンティーの処分だけだ。それもすでにペーパーを巻いたのだから、処分に手間はかからない。下品な例えを用いれば、処女を捨てるときと一緒だ。

（ん？）
　隣の個室で、異質な物音が発生。とはいえ、この音なら勘違いのしようもない。
　ホーロー製の容器の蓋を開け閉めする際、よほど細心の注意を払わないと、ほとんど必ずと言っていいほど発生する金属音だ。

（でもまあ、ここは女性用なんだし）
　男性の耳を気にする必要はない。女性がその音を耳にしても、よほど特別な事情があって、しかも親しい間柄でもない限り、互いに同性という理由だけでは、「あなた生理なのね？」などという言葉をかけたり、かけられたりするわけがないからだ。

　当然、私も気にする必要はない。容器に捨てるのは使用済みのナプキンではなく、もっと恥ずかしい汚れ物だけれど、掃除をする人が紙袋の中身を確かめるはずもない。

　第一、マナーやエチケットに欠けた人は、ナプキンやタンポンをきちんと包まずに捨てるから、掃除をする人は、紙袋の中を覗くどころか、紙袋を手に取ることさえ嫌がって当然だ。

　そこで。
　空になった小さな紙袋に、ペーパーを巻きつけたパンティーを入れ、ホーロー製の容器の蓋を‥‥やはり音がしないように、細心の注意を払って開けた‥‥のはいいけれど。
　容器がほとんど満杯状態。仕方がないので、容器の穴に紙袋を置き、蓋で押し込む。

（んー？）
　新たな問題発生。蓋が閉まりきらない。蓋と本体との間に隙間ができていて、そこから紙袋が見えている。
　気になる。紙袋の中身が中身だけに、このまま放置しておく気にはなれない。

　こうなったら“蓋まかせ”にはできない。自力で問題を解決すべく、再び左手で蓋を外し、右手をグーにして押し込む。
　こんなことをすれば、下のほうの包みに血が滲み出すことは百も承知。大人の女性にとっては一種の常識。でも、こっちにも都合がある。意地でも紙袋を目立たせたくないという自分勝手な都合だ。

　ただし、掃除をする人に迷惑をかけたり、不快な思いをさせる心配はない。容器の内側には、黒いビニール袋がゴミ袋としてセットされているからだ。

（うん、これなら大丈夫）
　私の捨てた紙袋が、完全に容器の中に姿を消した。
　蓋を‥‥被せたら大きな音がしたけれど、そもそも気にする必要はないのだと思えば、別に何の問題もない。
　それより問題は、せっかくスラックスまで穿いたのに、オシッコがしたくなってきたことだ。

（今日はほんと、予定が次から次へと狂っちゃってる感じ）
　すべての原因は、あの小説にある。
　これで後の予定‥‥いや、計画まで狂ったりなんかしたら、それもまた目も当てられないところだけれど、たとえ結果がどうなろうとも、私には誰を恨むつもりもない。

　なぜならすべては私が自分で播いた種。畑に種を播けば、よほど時季を外さない限り、ほとんど必ず芽が出ることを、すっかり忘れていた私の責任。

　日本語には『藁にもすがる思い』という比喩や、『頼みの綱』という表現があるけれど、私が頼った相手を例えてみれば、横綱が締める綱なのだ。
　それほどまでに太い綱が切れてしまえば、それはもう運命。

　運命を恨んだり呪ったりするくらいなら、ベートーベンの名曲でも聴きながら、藁人形に釘を打って遊ぶほうが、よっぽど建設的。
　釘打ちが上手になれば、自宅に建設業の看板を掲げ、大工の棟梁をしている父の跡継ぎに、もしかしたらなれる可能性があるかも知れないからだ。

　すべての用足しを終えた。水を流して個室を出る。
　洗面台で手を洗い、鏡に視線を‥‥向けたら、背後の女性と視線が合った。

「ねえ、こんな場所で何だけど、ちょっと時間をもらえないかしら」
「宗教の勧誘や、教材のセールスでしたらお断りします」
　鏡の中の女性に答えた。

「実はね、そういう毅然とした答えを返してくれる若い女性が必要なのよ」
　声に聴き憶えがある。オカマさんのヒゲの剃り残しを指摘した女性だ。

「アレの来ているときに、今のような冷静な判断ができる人なら、私も安心して話しが聞けるし」
　ホーロー製の容器の蓋を閉めたときの音で、生理が来ているように誤解されたらしい。

「それにほら、あなたと私には“共通点”があるじゃない？　といっても、私の場合は片方にしかないけど、ね？　でしょう？」
　ウインクをされて気づいた。確かにこの女性の顔にも、共通の俗称を持つ“点”がある。その位置は左目の下瞼だ。

「どういった用件ですか？」
　向き直って尋ねた。

「実は私、こういう者なんだけど」
　名刺を差し出された。私も社名を知っている出版社の、それも編集長の肩書きだ。
　年齢は３０代半ば‥‥いや、物腰が落ち着いていて、人当たりも柔らかいから、４０歳になっているかも知れない。

「あなたのような女性が今、どんな人たちに興味を持っているか、それを教えてほしいのよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「もちろん仕事の参考にさせてもらうわけだから、タダでとは言わないわ。といっても、本当の所はケーキとお茶くらいしかご馳走できない‥‥ようじゃ子供騙しみたいだから‥‥そうね、お土産にはクッキーの詰め合わせでどうかしら」
「‥‥‥‥‥‥」
「難しく考えてもらう必要はないの。早い話しが、売り出し中の芸能人や、これから有名になりそうな人たちについて、３０分ほど雑談させてもらうだけだから、お茶に付き合ってよ。ね？」
　編集長さんが手を洗い始めた。

（そうね、そのほうがいいかもね）
　付き合うことに決め、編集長さんが洗面台を離れるのを待つ。

　本屋さんを出るとき、“薬屋さん”を見かけた。向こうは私に気づかなかったと思うけれど、私は気づいた。気づいたからこそ、慌てて顔をそむけた。
　理由は他でもない。ただし、単純にパンティーが汚れていたからではない。

　薬屋さんを見かけたのは、あれが本日２回目。電車を降りるときにも、奥さんらしき女性と一緒にいるのを見た。
　そんな薬屋さんが、一人で本屋さんを訪れた。それはすなわち、奥さんとはしばらく別行動を取ることに他ならず、別行動の目的が暇潰しにあるのは明らかだった。

　薬屋さんは如才がなくて、友人や知人を非常に大切にする人。だからもし私に気づけば、たとえ潰せる時間が３０分程度しかなくても、必ずお茶に誘い、ケーキをご馳走してくれたはずなのだ。

　もちろんそこには何の下心もないから、普段の私なら、喜んでご馳走になるところだったけれど、今日の場合は典型的な“有難迷惑”。椅子に座れば、スラックスに恥ずかしい染みができるのは確実だった。

　だから私は、嘘の口実を設けて誘いを断る心苦しさと、事前に顔をそむけてしまう非礼とを『瞬間測定用天秤』に掛け、後者のほうが気が楽という結論に達したのである。

　このまま帰るのでは、また同じ電車に乗らないとも限らない。もしそのときに挨拶でもされたら、今度こそ笑顔で挨拶を返すしかない。結果的に、奥さんに無用の誤解を与えてしまうことだって、決してないとは言い切れない。

　それを思えば、少し時間を潰したほうがいいかも知れないという私の判断に、まったく誤りはないと思うけれど、私に声をかけてきた編集長さんの判断は、かなり怪しい。
　なにをどう間違っても、的確とか正当といった評価が下せないのは当然として、妥当だの無難だのと言えるかどうかさえ疑わしい。

（やっぱり生理が原因なのかもね）
　出版社の編集長といえば、紛れもない管理職の筈。そしてどんな会社でも、管理職に就ける女性が少ないのは常識。
　ましてや男性でさえ、４０歳でも平社員という人が少なくないという現実や、ほんの少し前に、オカマさんと鉢合わせしたときの落ち着き払った態度、さらには左手の薬指に結婚指輪まで嵌めていることを考えれば、この編集長さんがタダモノでないことくらいは、スナックの店員でしかない私にもわかる。

　それほど優秀な女性が、なぜ私のようなタダの女に声をかけてきたのか。非常に不思議。著しく不可解。
　生理が来ているせいで、冷静な判断が下せなくなっている可能性は、先刻のオカマさんが生理用のナプキンを当てたがる可能性より、ずっと高いように思われてならない。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　※〔１-４♀〕完　 ※〔１−５♂〕へ続く