▽

　どこかで目覚まし時計が鳴っている。
《ンン…》
　 頭が重い。わずかに痛みもある。ベッドから起きようとしても身体が動かない。でも、時計のベルはもう聞こえなくなった。

《なにこれ…どうなってるの？　夢？》
　 脳細胞に覚醒を命じて、無理やり思考を開始させる。
　 頭痛はきっと睡眠薬のせいだ。睡眠薬を飲んで目が覚めるときは、よほど長く眠らないと、いつも決まって頭が重い。
　 それでも、身体の自由がまったく利かないのはおかしい。舌や口も満足に動かせないばかりか、重い瞼をいくら懸命になって開けても、わずかな光さえ入ってこないのだ。

《きっと…夢なのね……》
　 他に考えられない。いや、考え事をすること自体が、ひどく億劫だ。
　 瞼を閉じ、全身の力を抜いて、再び脳細胞に休眠を与える。

　どれくらい眠ったのか、意識が完全に覚醒した。頭痛がすっかり消えた代わりに、かなりの尿意が発生している。でも、お手洗いには行けない。ベッドの上にいるのは確かなのだけれど、起き上がることはおろか、喋ることもままならない今の私だ。

　心臓もすっかり変調を来している。自分がどうなっているのか、その状態と、その原因をもたらしたのが洋輔さんだと気づいてから、激しい動悸が鎮まってくれないのだ。

　目が見えないのは、洋輔さん愛用のアイマスクを掛けられているせいだろう。唇を閉じられず、舌も満足に動かせないのは、口になにかを含まされているためだ。
　 舌で触った感触では、プラスチック製の軽い球。それもあちこちに穴がたくさん空いている球だ。
　 おそらく中は空洞だと思われる。
　 口から押し出そうとしても出ていかないのは、馬が口に嵌める轡のような構造になっているからに違いない。口の両端から出ている紐が、頬を通って頭の後ろに回っているのが感じ取れる。

　両腕は背中に回され、腰のあたりで手首を縛られている。何度もほどこうと試みたものの、いや、今もほどこうとしているのだけれど、腕時計の革ベルトのような代物は、いっこうに緩んでくれる気配がない。

　最悪なのは両脚まで拘束されていること。膝の裏側から背中に回された幅広のベルトによって、身体をふたつにたたまれ、どちらの膝も、胸にくっついたような状態なのだ。
　 身体をたたんでいるベルトには、若干の伸縮性がある。だから私に、もっと強い筋力が具わっていれば、どうにかなりそうにも思えるのだけれど、どう頑張っても無理だということは、すでに充分に思い知らされた。
　 膝から下だけは、足をバタつかせることができる。でも、いくらそんなことをしたからといって、事態は少しも改善されないという状況だ。

《！！》
　 ドアの開いた気配。心臓が縮んだ。全身の筋肉も硬直した。もし真美子ちゃんだったら一大事、いや、それはあり得ない。真美子ちゃんなら、必ずドアの外で『お母さん』とか『お父さん』と呼ぶ。
　 返事をするまで呼び続ける。
　 私の子供となったときには、すでにそうやっていた真美子ちゃんなのだ。たぶん子供部屋で一人で寝るようになって以来、美子さんと洋輔さんに躾けられてきたのだろう。

「目が覚めたみたいだね」
　 洋輔さんの声とともに、背中の側でベッドが少し沈み込んだ。私が身動きするたびに起きる『カサカサ』という音も聞こえた。不自由な身体を石のように固くしておく。

「さっき部屋を覗いたときとは、寝てる場所がだいぶ変わったからね、目が覚めたことはわかるよ」
　 だから何だというのだ。もしも私が口を利ければ、『そんなこと喋っている暇があったら、早くみんなほどいてよ』と、棘々しい口調で強く訴える。

「香緒里は喋れない状態だし、その格好だと、お互いのコミュニケーションが取りにくいから、こうしよう」
《フン、勝手にすれば》
　 不貞腐れているしかない。どうせ今の私には、何の自由も与えられていないのだ。

「香緒里がそうやって右手をジャンケンの石にしてるときは考慮中。鋏に変えたらイエス、紙に広げたらノーだ。わかったかな」
　 野球にあまり興味のない私も、『女房役』と呼ばれるキャッチャーが、ピッチャーに指でサインを出す姿なら何度も見てきた。だから洋輔さんに言われたことはわかったけれど、右手は石のままにしておく。

「つまり、グーのときは、グウグウ寝てるような状態。チョキは指二本だから、ふたつ返事…じゃなくてもいいんだけど、とにかくチョキはイエス。パーというのは、頭の程度を示すときにも使うからノー、そう覚えてくれれば簡単だと思う」
　 私は自分の愚かさを自覚する機会も多い。でも、それほどパーではないつもり。こんな格好にされた上で、言われた通りにするのは悔しいけれど、右手でいったんチョキを作り、すぐに全身を元通りのグーに、いや、石に戻す。
　 私の置かれた状況は『グー』ではなくて、『バッド』もいいところなのだ。

「それから、俺が選択肢を提供するときの回答は、左手の指の数で示してほしい。まあ、ほとんどが二者択一か、せいぜい三択だから…簡単だろう？」
　 右手をチョキに変える。簡単なことだ。

「それじゃ、まず香緒里が気になっていることを教えてくれ。一番、真美子が今どうしているか。二番、俺はなぜ香緒里にそんな格好をさせたか。三番、香緒里はいつまでそうやっているのか」
　 順番はどうでもいい。まず左手の人差指を立て、中指と薬指を順に加えた。

「もうじき昼だから、真美子はそろそろお袋さんの家に着く頃だ」
《？》
　 事情がまったくわからない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
「香緒里の言った通り、真美子は明け方に起きてきたよ。そのときに聞いたら、八時に起きて一人で県営球場まで、野球を観に行くつもりだって言ったからね。七時過ぎに親父に電話して、車で迎えに来てもらったんだ。どうせ野球を観るなら、二軍の試合より、一軍の試合をボックスシートで見たほうが楽しいからね」
　 洋輔さんのお父さんというか、私の義父となった人は、母との再婚を機にそれまで借家で営んでいた理髪店をたたみ、母の家に引っ越した。母が『通い婚』ではなく同居を望んだためと、義父も母のために『タイガーシャークス』を球場で応援するのが目的だ。

　そんな義父が、ふたつ返事で迎えに来たのは想像に難くない。真美子ちゃんを連れて行けば、母も大喜びする。たぶんまた『カツサンド』をお弁当にして、三人で野球観戦に出掛けるのだろう。

「次に、二番目と三番目についてだけど……その前に、香緒里はオシッコがしたいんじゃないか？」
　 右手を石にしておく。手の中に握りしめているのは不安だ。すべての拘束を解いて、一人でお手洗いに行かせてくれるとも考えにくい。

「さっきから香緒里がお尻を揺すっているように見えたからね。オシッコがしたいんじゃないかと思ったんだけど、違うのかな」
　 違わない。でも、揺すっているように『見えた』というのは正しくない。私には揺すっていたという自覚がある。

「でもまあ、シーツの下にはレジャーシートも敷いておいたから、香緒里がそのまま洩らしたとしても、問題はないんだ。俺が責任を取って後始末するよ」
　 カサカサという音は、レジャーシートのせいだった。
　 いったい洋輔さんは、なにを考えているのか。ますます動悸が激しさを増す。尿意も強く意識させられてしまう。

「どうする？　オシッコさせてあげようか？」
　 石になっている右手が、ノーのパーを作るべきか、イエスのチョキを作るべきか迷っている。
　 オシッコがしたいのは山々でも、洋輔さんの手を借りて『させてもらう』のはいやだ。そうかといって、このまま失禁するのはなお最悪でしかない。

　パーかチョキか、満タン状態の膀胱が決断を迫ってくる。取り敢えず、時間を稼ぐためというか、意思表示のための時間短縮を図るために、右手の人差指だけ起こしておく。

「ほら、二択でも三択でもないんだし、選択肢から選ぶときは、左手を使わないと」
《わかってるわよ》
　 まだ決断できないだけだ。それに、まだ膀胱が破裂しそうなほどでもない。

　ベッドが震動し、洋輔さんが私のお尻の先あたりに移動した様子。
《あ、いや…やめて》
　 パジャマのズボンが膝まで脱がされた。洋輔さんの場合、四十を過ぎても精力と手の早さは衰えを知らない。
「ングッ…」
　 呻きにならない呻きが喉から飛び出し、全身が固まった。股間に指先らしき物を押し当てられたのだ。

《いや…だめ…押さないで…やめて》
　 いくら生理用シーョツの上からであっても、そんな真似はしてほしくない。生理かどうかを確かめる目的で撫でるだけならともかく、すでにわかっていてそこを押すのは、女性の生理に対する冒涜だと思う。

「ふーん…この感じだと、ナプキンはもうグチャグチャというか、グチュグチュしてるみたいだね」
《ンーッ……ンーッ……ンンーッ》
　 グズグズ状態のナプキンをあちこち押されるたびに、海老にされている身体が逆海老型に反りそうになる。でも、幅広の伸縮ベルトで縛られているせいで、身体は真っ直ぐにさえ伸ばせない。

「エアエア…オオアエエ、アエエ…」
　 口で『いやいや、もうやめて』と訴えながら、首を振っても伝わらない……いや、聞き入れてもらえない。ナプキンを押していた指が、あそこの割れ目をなぞるような動きへと変わっただけだ。ナプキン越しとはいえ、その動きは手に取るように伝わってくる。

《あっ、そこは》
　 今度は腿の付け根あたり、ショーツと肌の境目をなぞり始めた。
「この様子だと、お尻のほうにも漏れているんじゃないか？」
《いやいや、言わないで》
　 首だけを振って返した。わざわざ『この様子だと』などと言ってもらう必要はない。ナプキンから漏れた経血が、ショーツの足口というか、股繰りの部分に赤く滲み出ていることは、私も皮下神経と過去の経験で充分に承知している。肛門周辺ばかりか、尾骨に近いあたりまで汚れている点についても同様だ。

　今の私は、ナプキンを当てているだけではない。タンポンも併用している。でも、生理は二日目、今の時刻が十二時なら、ベッドに入ってから九時間近くが経った計算だ。
　 通常の使用状態でさえ、漏れてきても不思議はないというのに、体勢が体勢であり、何度となくもがいたことが、これほどの『漏れ』を招いたすべての原因…いや、違う。
　 すべての原因を作ったのは、洋輔さんに他ならない。

「美子はフルコースが大好きだった……」
　 洋輔さんが独り言のように喋り始めた。話しの先行きに予想は付かないものの、美子さんがフルコースを好きだったことなら、とうに想像が付いていた。

「自分は田舎生まれで田舎育ちだから、ナイフもフォークも上手に使えないし、いくらお洒落をしても田舎者が丸出しになるだけだから、フルコースを出すような気取ったレストランには、恥ずかしくて行きたくないけど、うちで食べる俺のフルコースなら、恥ずかしいけどたくさん食べて、何度もいきたいって……真美子が幼稚園に入る頃には、真美子を毎晩早く寝かし付けて、俺に求めてきたよ。だから真美子は早寝の習慣が付いたんだ」
　 知らなかった。なぜそんな話しを始めたのかもわからない。でも、そういう話しを聞かせたいのなら、肛門のあたりを押すのはやめてほしい。それでなくても、尿意で話しに意識を集中させにくいのだ。

「こんな話しを聞かせるつもりはなかったんだけど、昨日の夜、寝る前に美子と相談してね。俺と香緒里のためなら、喋ってもいいって…そう言ってくれたから……」
　 昨夜、私がベッドに入るとき、まだ隣のベッドは空だった。洋輔さんが茶の間にいたのは、美子さんの遺影と向き合っていたからだ…というのが今わかった。

「美子が肝炎に感染したとき、医者はしばらく安静にって言ったんだけど、それでも俺にフルコースを求めてきたのが、たぶん肝炎を悪化させた原因さ。俺も、まさか激症肝炎に移行するとは思わなかったし、そもそも激症肝炎なんてものを知らなかったからね」
　 私の父も、激症肝炎で亡くなった。肝炎が激症肝炎に移行する確率は百人に一人と聞いたけれど、今のような話しを聞くと、とてもそんなに低い数字とは思いにくい。

「美子が入院しているとき、俺は励ますつもりで、退院してすっかり元気になったら、またフルコースを楽しもうと言ったんだ。そしたら美子は、どう言ったと思う？」
　 わかるわけがない。でも、もう首を振るのさえ難しい。思うように振れないお尻を振って、尿意を堪らえるのが精一杯の状況だ。

「美子はね、もっとたくさん恥ずかしいことをしてみたい。恥ずかしいことをすると、お満貯のときに、すごく気持ちが良くなれるんだって……そう言ったんだよ」
　 なぜ洋輔さんが『満湖』ではなく、『満貯』という単語を常用するのか、ようやく謎が解けた……からといって、拘束を解いてもらえるわけではなく、そもそもなぜ私を厳重に拘束したのか、その理由が解らない。

「だから俺は、どんなことをしてみたいのかとか、どういうことを恥ずかしいと感じるのか、いろいろ尋ねてね。美子のための『裏のフルコース』というやつを作ったんだ」
　 たぶん私がこれからやられる行為がそれだ。すでに『裏のフルコース』のオードブルやアペリチフといったものの準備は、すっかり整ったものと思われる。

「もちろん、そのための調理用具も買い揃えたし、それなりの研究もした。だけど美子は、それを一回も味わうことなく死んだんだよ」
　 私が口に嵌められている轡や、手首を縛っている革のベルトがその道具なのだろう。轡のせいで舌を上手に操れず、飲み込みくい唾液が、ダラダラと頬を伝っているのもひどく恥ずかしい。

「ただね、死ぬ前に俺にこう言い残してくれたんだ。もし俺が再婚相手に恵まれて、その人が真美子を可愛がってくれたら、その人にもフルコースを食べさせてあげてほしい。私の食べられなかった裏のフルコースも、その人に食べさせてあげてほしい。そうすれば、夫婦仲良くやっていけるし、真美子も幸せになれるからってね」
　 フルコースは気に入った。でも、裏のフルコースのメニューが想像できない。それより、もうオシッコが我慢ができそうにない。

「エエ…オイッオ。オイッオ、アエエ……」
　 右手で作ったチョキを振りながら、精一杯に舌と唇と声帯を動かした。私自身、耳慣れない言語とはいえ、一応は『口語』であり、『手話』まで添えたのだから、理解してもらえると思う。

「香緒里さんは、わしにオシッコをさせてほしいのかな？」
「ウウ、ウウ」
　 久々に突如として現われた助平ジジイに、いや、変態ジジイにチョキを振りながら頷いた。嫌々ではあっても、二回頷けば、ふたつ返事になるはずだ。

「それじゃ、お便所へ連れて行く前に、アイマスクを外してあげようかのう」
　 ありがたい。暗闇は不安が募る。お手洗いに行けるのも助かる。洋輔さんに教えてもらって以来、肛門括約筋というか…尿道や産道をくるんでいる括約筋も、私なりにそれなりに鍛えてきたから、まだショーツの中に漏らす心配はない。

　アイマスクが外された。瞼を開ける。見慣れた天井が目に入り、それを洋輔さんの顔が遮った。
　 目が合って、反射的に瞼を閉じた。顔も瞬時に横を向いた。天井よりも洋輔さんの顔のほうがずっと見慣れているけれど、こんな格好をしているときに目を合わせたくない。顔も見られたくない。

「メンス用のパンテーも脱がせたほうがええんじゃろうか」
「ウウ、ウウ」
　 当然だ。いくら脱がされるのが恥ずかしいからといって、ショーツを穿いたままではオシッコができない。諺にも、背に腹は代えられないというやつがある。

「どれどれ、その前に、少し料理の出来具合を嗅いでみてあげようかのう……」
「エアエア…アエエ、アエエ……」
　 洋輔さんの…違う、変態ジジイの鼻先が、股間に近づけてきた気配。
《だめ…そんな…鼻をクンクンさせないで》
　 こんなときに、臭いまで嗅ぐとは思わなかった。堪らなく恥ずかしい。
　 股間から変態ジジイの鼻を鳴らす音が聞こえてくるたびに、身動きならない身体が悶える。
　 やはりいくら口語とはいえ、『国籍不明言語』では『いやいや、やめて』が通じないらしい…と思っているしかない。

「ふむふむ、今日の満潮は血潮に満ちておるようじゃ。ということは、香緒里さんはわしに完熟トマトの絞り方を、実演して見せてくれようというわけじゃな？」
「ギガウギガウ…アエエ、アエエ……」
「そうか、違うのか。やめてやめてというのは、やっぱりオシッコさせるのはやめて、もっとこうしてクンクンしてほしいわけじゃな？　どれ、いちばん臭いそうな場所は、どこなんじゃろうな……」
「ググ…ググ……」
　 変態ジジイが、鼻を腿の付け根あたりにくっつけて動かしている。
　 どんな臭いを放っているのか、見当が付かないこともないだけに、恥ずかしすぎる。昔の記憶と調理師としての経験を重ね合わせて言えば、それは鮮度の極端に落ちた魚の内臓の臭いに例えられるはずだ。
　 もしかしたら、豚や牛の腐った内臓のほうが、より近い臭いを発するのかも知れないけれど、あいにく私は…いや、幸いにも私は、そんな臭いを嗅いだ経験を持たない。

「おお、なるほど、ようやくわかったぞ。香緒里さんは、トマトジュースの作り方を教えたいんじゃのうて、食前酒として生ビールを出してくれるわけじゃな？」
「ウウ、ウウ」
　 頷いて返した。昨夜、寝る前に飲んでいたのもビールであり、今も生ビールと言ってもらえたのだから、それで満足する…のはとても無理だけれど、今は諦めるしかない。

「まったく、オナゴの気持ちというのは、幾つになってもわからんものじゃて。生ビールをオマルにそそごうというのじゃから」
《！！》
　 オマルのひと言で、尿意が引っ込んだ。その反動で瞼が開いた。
　 たぶん私の眉毛は縦になるほど吊上がっていて、瞳も点になっている。昔々のそのまた昔、事物の形から漢字を考案したとされる人たちが、今の私の顔を見ていれば、西洋人より先にビックリマークを文字化できたことだろう。

「ほれ、真美子お嬢ちゃんが愛用しておったオマルじゃ」
　 パンツ一枚の変態ジジイが床に手を伸ばし、ベッドの上に白鳩形の…違う、白鳥を模した形のオマルが置かれた。

「ググ…アズアイイ……」
　 オマルに目を奪われていたら、生理用ショーツがお尻の側から脱がされ始めた。覚悟していたこととはいえ、毛穴から血の汗が噴き出しそうなほどの恥ずかしさだ。瞼さえ開けていられない。いくら首を激しく左右に振り、網膜に映る我が身の姿を消そうとしても、無駄な抵抗に終わっているのが何ともつらい。

「これこれ、そんなに恥ずかしがることもなかろう。メンスというのは、月のものとも言うように、女には付き物の生理現象なんじゃから」
　 生理自体が恥ずかしい現象でないことは、言われなくてもわかっている。でも、生理用ショーツの内側を、それもナプキンからたくさん漏れて、陰部一帯が汚れているような状態まで見られたら、女性なら誰でも堪まらないほどの羞恥を覚えて当然だと思う。
　 結婚して間もない頃は、ナプキンを当てたお尻を撫でられただけで、恥ずかしさに悶えていた私なのだ。

「それにじゃな、いくら恥ずかしいと言われても、オマルでオシッコをさせてあげるためには、このメンス用パンテーを脱がせてやらんわけにいかんじゃろう」
《ウウ…そんなこと…言ったって……ウウウ……》
　 首の振れが止まり、代わりに涙腺が一気に緩む。パンテーが…違う、ショーツが徐々に脱がされ、外気を感じるお尻の面積が広くなるにつれて、こぼれる涙の量も増えていく。

《ウウウ…こんなの、恥ずかしい…ウウ……》
　 もはや涙は、閉じた瞼を突破するように溢れているような状態だ。

「こういうメンス用パンテーというのは、脱がすのが難しいもんじゃのう……」
　 普段のショーツと生地が違うだけでなく、私の不自由な両脚が、意味のない抵抗をおこなっているせいだ。
　 ショーツが膝のあたりまで脱げた。汚れきったナプキンは、まだショーツの中に留められている。
　 一刻も早く、自分で始末したい。そのためになら、尿道括約筋に最後のひと頑張りを命じられる。

「おお、これは何たることじゃ。まさかここまでの状態になっておろうとは、わしにも予想できんかった。長生きはするもんじゃて」
《アア…いや…見ないで…ウウ…見ないでよー…ウウウ……》
　 変態ジジイの目が、ショーツの内側に向けられているのか、それとも私の陰部を向いているのか、それはわからないけれど、どちらの状態も私には予想…いや、肌と経験で実感できていたことだ。

「どうじゃ、香緒里さん。わしは濡れタオルも準備してきたんじゃが、先に赤潮状態の満潮を少しでも拭くほうがいいかな？　それともその前に、オマルに生ビールをそそぐいで見せてくれるのか、どっちじゃ？」
　 拭くときは自分で拭かせてほしい。ビールをそそぐ様子も見られたくない。究極の選択を強いられても困る。

　でも迷っていたら、シーツばかりかカーペットまでビショ濡れにしそうだ。シーツと違い、カーペットは簡単に洗濯できない。クリーニングに出すにしても、何の染みか特定されたら恥ずかしい。
　 前に飼っていた猫のタマは、よく玄関マットの上でオシッコをした。だからといって、真美子ちゃんとよく遊んでくれたあの可愛い猫に、責任をなすりつけるのでは子宮が……違う、なぜかまちがえた……そう、胸が痛む。

「オイッオ、イアイ」
　 左手でチョキを作りながら、急いで不明瞭言語を発した。これならどこかの総理大臣が得意としたという『言語明瞭、意味不明』な演説より、よほど意思も明確に伝わるはずだ。

「おお、やっぱりそうじゃったか。わしにもオナゴの気持ちがようやくわかってきたようじゃて。どれ、そういうことなら、わしも一気に若返って、十代のアホタレ小僧に戻ろうかの」
《？？》
　 言語明瞭、意味不明とは、まさにこのこと。でも、意味を探ろうとしている間に、身体を抱き上げられて、私まで年がふたつかみっつの幼女に戻されてしまった。子供用の便器を前にして、親にオシッコをさせてもらう格好を取らされたのだ。

「香緒里さん、どうしたんスか。もうオマルの中に、ションベン生ビールをジャーッと注いでいいんスよ。おいら、オマルの中に台所用洗剤を混ぜた水を少し張ってきやしたんで、最初からジョボジョボいい音が聞こえて、泡立ちもいいはずなんスから」
《ウウ…そんな余計なことしなくても……》
　 変態ジジイだか小僧だかが恨めしい。でも、もう尿道を緩めなければ膀胱が破裂する…ことを心配したらしい尿道口が、自発的に広がってくれた。

《やだあ…もう…お水を張っておくことなんか、誰が考えたのよう…ウウ……》
　 変態小僧の言った通り、本当に耳障りな音が聞こえてきた。見えてはいないものの、泡が立っているようにしか聞こえない音だ。
　 変態ジジイは『アホタレ小僧』と自己紹介したというのに、こんなことにだけは気が回るらしい。
　 たぶんまちがいなく、こいつは小便小僧の末裔の成れの果てだ。

「おいら、ビールっつーのは、最初にジャーッとやって泡だけ作ったら、後はゆっくり注ぐもんだっつーふうに聞いてたんスけど、香緒里さんのやり方は違うんスね。栓を全開にしてるっつー状態じゃないスか」
《もう…しょうがないじゃないのよ！》
　 まったく憎たらしい。膀胱が満タンのときに“小出し”にできるものなら、自分でやってみろっつーの…と、この小僧に声を大にして言い返したい。いや、台詞を変えるほうがいいかも知れない。
　 例えば以前にお医者さんごっこで女医さんに扮した経験を活かし、もっと医学的な見地から『こんなときにチョロチョロしか出ない男性は、前立腺肥大の疑いがありますから、泌尿器科で診断してもらったほうがいいでしょう』と、冷静に教えたほうが良さそうだ……などと、そんなことでも考えていなければ、この恥ずかしさから逃れられない。

「なるほど、釜で上手にコメを炊こうとしたら、初めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋取るなっつーのが鉄則らしいんスけど、オマルにションベンビールを注ぐときの基本つーのは、蓋を取ったら即ジャージャー、オコメ…じゃなくて、オメコ広げてジャージャージャー、香緒里が泣いてもオマルの蓋するなっつーことなんスね？」
　 ひどい。そんなことまで言うなんて、あんまりだ。そもそも放尿するときに広げるのは股であり、大陰唇や小陰唇ではない。
「ググ…グググ……」
　 せっかく堪らえていたのに、涙ばかりか泣き声までが迸るように出ていく。

「まだ出るんスか？　お、あんまし音が聞こえなくなってきて……ションベン生ビールのタンクが空になったっつーことなんスかね」
　 答える必要はない。もうみんな出て、雫がわずかに会陰を伝い流れているだけだ。

「そいじゃ、ここにまた寝てください。おいら、濡れタオルで香緒里さんの股とか拭かせてもらいやすから」
　 オマルの上からシーツの上に戻された。
　 陰部だけは自分で拭きたい。どうしてもアホタレ小僧が拭きたいと言うなら、ぜひとも涙と涎を拭いてほしい。
　 それを訴えるために、まず瞼を開ける。確か諺だか何だかにも、『目は口ほどにモノを言う』というやつがあったから、不明瞭言語を明瞭にするのに、少しは役立つはずだ。
《ア》
　 遅すぎた。このアホタレ小僧も動作が機敏で手が早い。床から洗面器をベッドに上げたと思ったら、タオルを絞って私の陰部に押し当ててきた。

「おいら、こう見えてもガキンチョがいましてね、オムツとか換えてやったり、こうしてタオルで拭いてやったりもするんスよ。さあ、もっとオメコを広げてください」
《でも…でも…こんなの…ウウ…こんなの、恥ずかしい……》
　 無駄に開いた瞼を、再びギュッと閉じておく。そうしなければ、股を広げておくのさえ難しい。

　そもそも私はガキンチョなどではなく、もう三十三歳の大の大人。すでにガキンチョの……いや、とうに子供の一人や二人、産んでいてもおかしくないどころか、実生活でも中学二年生の娘を育てている『母親』なのだ。
　 おまけに今は、生理の二日目。経血でひどく汚れたガキンチョを…違う、お満貯を拭かれている状況。とてもではないけれど、赤ん坊のように無心ではいられない。
　 それでも濡れタオルがあちこち動き、洗面器の中ですすがれるたびに、陰部一帯の不快感だけは拭ぐい去られた。

「へい、これで生蛤のモズク添えが完成しやした。お次はなにをしたらいいっスか」
　 まだ自分でやりたいことがたくさんある。気になっていることも多い。一刻も早く拘束を解いてほしい。
「オエ…オオイエ…」
　 両手を振りながら、両足も揺すった。もちろん瞼も開けて、アホタレ小僧に目を向けた。ここまでやれば、『これ、ほどいて』という心からの訴えが通じる…ことを衷心より切に願う。

「アホタレ兄ちゃん、お疲れやったな。後はわてら、関西弁ブラザースにまかせといてんか。へい、わっかりやした、おいら、これで失礼しやす」
《なによ、その関西弁ブラザースって》
　 初顔だ。でもこれで、アホタレ小僧の質問相手を私が誤解したことも、洋輔さんに私の願いを聞き届けてもらえないことも理解できた。

「兄ちゃん、このモズクの中に、一本変なのが混ざってるで」
　 私の気になっていることに目を付けられた。動悸が一気に速まる。視線を向けておく先がない。瞼をきつく閉じておく。

「どれや、調理人に文句言うたるさかい、わしにも見せてみい。これなんやけどな、どない思う？」
《だめ、それはだめ……いや、触らないで…いやいや、いやよいや》
　 首を振って訴える。やはりこの方法こそ、最も意思が伝わりやすいのかも知れない。

《ンン》
　 タンポンの紐を摘ままれた。ツンツン…といった感じで引っ張られている。首を振っても無駄だったので、瞼だけを全力で閉じておく。

「何や、お前はこんなもんも知らんのか、ガキやのう。兄ちゃんは知っとんのか。当ったり前や、これは赤貝を釣るための紐に決まっとるやんけ」
　 これまでは蛤だったのに、赤貝に変えられてしまった。でも、確かに経血が出ているのだから、名称的にも雰囲気は出ている…などと、自分の立場を忘れて感心できるような、そんな心境にはない。

「ちゅうことは、ザリガニ釣るときみたいに、餌が付いとるわけやな？　そうや、赤貝を釣るときは、カイコっちゅうか芋虫を使うんや」
　 いやな予感。この二人は関西弁ブラザースというより、インチキくさい関西弁を操り、女性を弄ぶトンチキな変態ブラザースなのだ。

「兄ちゃん、それホンマかいな。お前、わしを疑うんか。そういうわけやないんやけど……。疑うんやったら、お前この紐、抜いてみいや。わいが抜いてもええんか。わしに遠慮はいらん」
《やめて…お願い…》
　 私に遠慮してほしい。

「ほな香緒里はん、遠慮のう抜かせてもらうで。ゆっくり抜いたりや。わかってるて、赤貝に逃げられてもうたら大変や」
《ンッ……ンン……ンン……ンン……》
　 ゆっくりやりすぎだ。もう感覚の備わった場所まで抜けてきたというのに、そんなにゆっくり引かれたら、顎が上がるだけでなく、声まで引きずり出されてしまう。すでに内腿のあたりは、ピクピク痙攣を起こしそうになっているのだ。

《アア…声が…出そう……》
　 頭をのけ反らせたままで、声帯を固める。そしてまた、赤貝の口が締まって不覚の反応を生じさせないように、唇を最大に広げ、口だけの呼吸に切り替えておく。
　 どういう理屈か知らないのだけれど、こうして口だけで呼吸すると、赤貝の口を締めるのが難しくなるのだ。

《ンン……「アガ…ング」……アッ》
　 声が出たと思った途端、ようやくタンポンが抜けていった。そして内腿のあたりが痙攣…する代わりに、膣口にひくついたような感覚が生じた。
　 ただしもちろん、タンポンが抜けたことは、私にとって望ましい結果とは言い切れない……どころか、むしろ最悪と評したほうが適切だ。
　 最善だったのは、お手洗いの中で、それも一人きりの状況下、私自身の手で交換することであり、次善の状態はといえば、あのまま留めておいてもらうことだった。

「兄ちゃん、これカイコとちゃうで、弁当のタコにする赤ウインナーや。うーん…そんな餌を好む赤貝がおるとは、世間ちゅうのは広いもんやのう」
《ウウ…馬鹿》
　 最初は芋虫…いや、絹糸を作ってくれる白いカイコだったのだ。
　 赤黒いウインナーに変身したカイコが、糸を結ばれた蛾になったような気分で、ブラブラ遊び回っていないことだけを心から願いつつ、顔を横に倒す。

「それはええんやけど、これ、どないする？　どないするっちゅうて、まさかコックの香緒里はんに臭い嗅いでもらうわけにもいかんやろ」
　 念のために、息を止めておく。腐敗臭に類した臭いは嗅ぎたくない。

「ほんなら、どないすんねん。それ捨てて、また香緒里はんのために、カイコで釣ってみるいうのはどうや。そんなら、わいはもっと頭のええこと思い付いたで」
《もう…なにをしようっていうのよー》
　 馬鹿なことを思い付いたのは明らかだ。その目的も明々白々、私を辱めて泣かせるために他ならない。

「なにを思い付いたんや、言うてみい。赤いウインナーを丸ごと喰うほどの赤貝なら、カイコ一匹だけやと物足りんのとちゃうか？」
「イアイア、オンアオ、アエエ」
　 一匹で充分だ。でも、言葉だけでは伝わらないので、首を振りながら訴えた。
　 更年期で出血の多い母のように、ナプキンを二枚当てる女性は多いようだけれど、タンポンを二本も入れて使う女性は一人もいないと思う。でも、世間が広いことを考えれば、確信は持てない。

「そやな、香緒里はんが、いやいや、そんなんやめて…と言ったっちゅうことは、きっと赤貝が喜んで喰い付いてくるっちゅう証拠や。そやろ、もう準備も済ませてあんねん。賢いやんけ、昔は蛤が赤貝になるときをアンネとか言うたらしいから、『あんねん』は駄洒落にもなっとる」
　 そんなん、なってない。絶対なってへんと思うねんけど、ウチが生理になっていることは昨夜のうちに知られていたのだから、すべての準備はすでに済まされていると考えてまちがいない。
　 そしてまた私の喋る不明瞭言語が、概ねこの相手に伝わることも、私の切なる希望をほとんど絶対に聞き入れてくれないことも、おそらく百パーセント確実だ。
　 できるものなら私も、観念するしかないねんやから……と、関西弁を真似た口調で自分に言い聞かせたい。

「それはええけど、お前、カイコなんか、いったいどこで手に入れたんや。死んだ姉ちゃんが買ってくれてな、ずっと飼ってたんや。さよか、お前もほんま、物持ちがええっちゅうか、駄洒落が好きっちゅうか、動物愛護精神に溢れたやっちゃのう、わしもほんま、感心するで」
　 本間兄弟というか、トンチキ関西弁ブラザースが動物愛護を標榜するなら、女性の基本的人権や、羞恥心といったものを、もっと尊重して大切にしてほしい。
　 それにそもそも、関西弁では『買って』ではなく『買うて』と発音するはずやさかい、ほんまは…いや、本来なら駄洒落になんかならへんと思うねん。

《そうよ、美子さんがいけないんだわ》
　 初めて美子さんを恨めしく思う私。もし美子さんが、私と同じようにフルコースだけで満足してくれていれば、洋輔さんも裏のフルコースなど考案しなかったはずだ。

《ンッ》
　 膣口にカイコの群れ…違う、タンポンを押し当てられた。それも二本程度とは思えない。もっと何本もの数が束ねられているような感じで、ひどく窮屈だ。

「お前、いくら何でも、スーパーサイズを四本も束ねたのは多すぎたんとちゃうか？　大丈夫やて、心配いらんがな、車かてスーパーのほうが走りがスムーズやろ」
《ンン…ンンッ…》
　 本数が多すぎて、スムーズに入ってこない。膣口が軋んでいるような感覚だ。
《ン、ンッ…ンンッ…ンッ…》
　 力を加えられるたびに不規則な鼻息が洩れ、徐々に顎が持ち上がっていく。

「ングーッ……」
　 膣口を完全に広げられた感覚に、顎が突き上がった。不自由な腰までが、上へ上へとずり上がりそうになる。確か、初めて男性を受け入れたときというか、受け入れようとしたときも、似たような状態になった。

「そない言うたかて、車のガソリンタンクとはちゃうんやから、抜けへんようになったら、どないすんねん」
　 その通り。このお兄さんの不安は、そのまま私の大きな心配でもある。
　 私が日頃使っているタンポンも車に入れるガソリンも、スーパーではなくレギュラーだ。お満貯の中がスーパーで満タンになっても、少しも洒落にならない。満車のスーパーの駐車場や、満庫状態の車庫で、愛車を傷つけられそうになっているような気分なのだ。

「ググ…グググ……」
　 腰がよじれる。子宮まで悶えているような感覚だ。それでもタンポンの束は、私の心配をよそに、ギシギシと侵入してくる。
「さあ、この辺でええはずや」
　 ようやくタンポンの侵入が止まった。でも、まだ外筒が膣口の少し奥に入っただけだ。

「お前、ほんまにカイコで赤貝釣ろう思たら、もっと筒を奥まで入れんとだめやぞ。兄ちゃんもほんま、ええ年こいてからに、そないなこと言うて…とろくさいなあ。それ、どういう意味や」
　 なおも馬鹿なことを企んでいるのはまちがいけれと、事前に教えてもらえるなら、心の準備だけはできる。

「せやから、ここで留めておけば、カイコが水太りしても抜けるしやな……。抜けるしやな…の後は何や。つまり…ゴニョゴニョゴニョ……。ほほう…ほんまにお前は賢いやっちゃなあ……」
《ウウ…ウウウ……》
　 心の準備が整うどころか、内緒話しの真似事に怯えて、涙腺が緩んでしまった。抜けなくなる心配はなくなったものの、事態は悪化の一途をたどる一方でしかない。

「ほな、カイコを脱皮させて入れるで」
《ンンッ》
　 タンポンの内筒が押され始めた。繊維の束が入ってくる。
《ンッ……ンッ……アアッ……アアッ……》
　 どうやっても動かせない腰を、どうしても引きそうになってしまう。タンポンは四本も束ねられているとはいえ、洋輔さんのあれと太さは大して変わらないはずなのに、ずっと太く感じられてならないのだ。

「よっしゃ、あとは空の筒を抜いて終了やで。ゆっくり抜いたりや。心配いらん、わいも死んだ姉ちゃんに教えてもろたさかい、イナゴを炒めたり煮付けたりするのは得意やけど、オナゴを痛め付けるのだけは苦手やねんから」
　 痛くされなければいいというものではない。でも、痛い思いだけはしたくないから、その点だけは助かる。下手な駄洒落も、幾分かは緊張と不安を和らげるのに役立つ。

「ほな抜くで」
　 タンポンの筒が動き始めた。膣口も軋み始めた。
《ンンン……ンンン……ンンン……》
　 まさか四本ものタンポンの筒を、こねるようにしながら抜かれる日が来ようとは、夢にも思ってみなかった。まるで洋輔さんがあれを入れたまま、腰を回しているような錯覚に陥りそうだ。

「ンガ…ンガ……ンッ」
　 またしても声が出てしまった。でも、もう抜けた……のはいいけれど、それでも膣口は広がりきったったままだ。閉じそうな感覚もまったくしないから、たぶんすべての繊維の束の端は、膣の外に出ているのだろう。
　 状態を確かめたい。でも、それをするのは怖い。瞼さえ開けられそうにないのだ。

「ほな兄ちゃん、香緒里はんを起こすの手伝ってや？　何や、わしが助手かいな。ゴチャゴチャ言わんと、昔の女囚みたいにされてはる香緒里はんのためやんか」
　 背中がベッドから浮いて、洋輔さんの胸にくっついた。洋輔さんはベッドのヘッドボードに上体を預け、広げた両足を前に投げ出した格好なのだろう。

《もう…なにをさせるのよう…》
　 体勢はオマルを使わせられたときと似ているものの、まさか再びビールを垂れ流せと言われるとも考えにくい。

「香緒里、俺も下手な関西弁は疲れるし、ここらで手っ取り早く話しを進めよう」
　 インチキ関西弁ブラザースが、洋輔さん一人に戻った。
「グーチョキパーのサインも変更だ。この格好だとサインが見えないからな」
　 顔を前に向けたまま、頷いて返す。

「目を開けてるか」
　 首を横に振って返す。
「目を開けてみてくれ」
　 再び顔を振った。目を開ければ、たぶん汚れきった生理用ショーツとナプキンが目に入ってくる。
　 そんな汚れ物を、必要もないときに見る気はしない。

　真美子ちゃんにしても、最近は生理でショーツが汚れると、それだけは自分で手洗いするようになった。ナプキンを捨てるときにしても、私以上に厳重にペーパーで包むから、まるで野球のボールのような大きさになっている。
　 それはどちらも、そうした汚れ物を他の人には見せたくない気持ちと、自分でも見たくないという気持ちの表れであり、真美子ちゃんが女性としての羞じらいや、社会的なマナーというものを順調に身に具えつつある証拠に他ならない。

「そうか。それじゃ、俺が説明しよう。香緒里の真正面には、三脚で据えたビデオカメラが置いてあって、俺たちの様子をずっと撮影中なんだ」
《！！！》
　 心臓が縮み上がり、涙腺が完全に締まった。同時に両膝も密着した。あそこを隠せないのは承知でも、少しは写る面積が狭くなる……などと、脚の筋肉と神経が意味のないことを考えたからだ。おかげで…というか、そのせいで、タンポンの束の存在を強く意識させられる。

「まず、新しいサインについてだけど、俺の質問にイエスのときは、亀肉ソーセージを握ってくれ。
　 握るのがいやなら、ウズラの玉子入りの稲荷袋に触るのでもいい。ノーのときは、頭を後ろに思い切り倒して、俺の鼻の骨を折るか、何度も首を横に振り続けてほしい。わかってくれたかな」
　 手首を曲げて、稲荷袋に触った。亀肉ソーセージを握るのでもかまわないけれど、この体勢だと難しそうだ。

「香緒里が俺との離婚を決めた理由はわかった。俺もそのほうが、少しは後ろめたい気持ちにならなくて済むから、遠慮なく…というのも香緒里には悪いけど、適当に浮気をさせてもらう。それでいいんだろう？」
　 稲荷袋に仕方なく触る。できれば浮気はしないでほしい。

「ただ俺としては、その回数を減らしたいし、香緒里にも俺のことを忘れないでいてほしいんだ」
　 忘れられるわけがない。だから私は、昨夜も涙が涸れるまで泣いたのだ。
　 私の希望が叶い、洋輔さんと無事に復縁できたとしても、あれだけ泣いたことは死ぬまで忘れないだろう。

「ビデオを撮っているのは、そのためさ」
　 理由がわからない。サインも決めていない。首を傾げることで、疑問の意を伝える。
「香緒里とこうして裏のフルコースをやっている様子を、まあ、一種の裏ビデオとして撮って、向こうで観るんだ。そのことに問題はないだろう？」
　 とんでもない。私の今の姿が撮られているのは大問題だ。第一、なぜ私を裏ビデオの主演女優に仕立てたのか、その説明がない。

「好きでもない女が出てるビデオなんか観るより、香緒里のビデオがあれば、自分でやるときに抜きやすいし、他の女とやってるときも、香緒里のことを考えていられるからね。わかるかな、俺の気持ち」
　 何となくわかるので、稲荷袋にそっと触る。他の女性とセックスする際に、私のビデオを見せるようなことはしないと思う。

「ただ、香緒里に忘れられたら…というか、香緒里が他の男になびいたりするのは、耐えられないんだ。身勝手だけど、それもわかってもらえるかな」
　 身勝手すぎると思う反面、嬉しい気持ちもなくはない。また稲荷袋に軽く触る。

「だから、どうしても香緒里が俺のことを忘れられなくなるように、裏のフルコースを最後まで進めたいんだよ」
　 だからその『裏のフルコース』のメニューが、まだ私にはすべてわかっていないのだ。いや、何となくわかってはいるものの、それだけは受け入れたくない。

「裏のフルコースっていうのは、生理のときの特別コースでね、メインディッシュには、香緒里のいやがっていた場所を使うのさ」
　 やはりそうだった。口に轡を嵌められ、膣にタンポンを四本も詰められた今となっては、残る穴はただひとつしかない。

「ただ、そのためには、どうしても欠かせない準備がいるんだ」
　 首を傾げることで、取り敢えず内容を尋ねる。
「浣腸さ」
《：！》
　 心臓と肛門が同時にすくみ上がり、ふたつの点になった。そのせいで、半ば忘れかけていたタンポンの束の存在を、改めて強く意識させられた。
　 やはり洋輔さんが教えてくれたように、肛門を締める括約筋と、膣や尿道をくるむ括約筋というのは、『８』の字状態に繋がっている。

「コンドームを使えば、汚れないのは汚れないんだけど、どうしても香緒里のほうは出そうになって…というか、実際に洩れて出ることもあるからね。気持ちが良くなるための妨げになるんだ。わかるかな」
　 わかるような、わからないような……。決してわかりたくはないけれど、わかったことにして稲荷袋を触る。

「俺も最初は全然わからなかったんだけど、会社の健康診断で、医者に直腸診断というのをやられてね。指を突っ込まれたときは、喉からその指が出てくるような気がしたし、指を抜かれる前に洩らすんじゃないかって、慌てふためいたものさ」
　 そんなことを私にしようとするなんて、まったく信じられない。洋輔さんの亀肉ソーセージが硬くなったときのサイズは、指なんかと比べ物にならないのだ。
　 それにもかかわらず、そうした行為を喜んで受け入れていた美子さんの気持ちも、とうてい私には理解できない。理解したいとも思わない。

「ただ美子に言わせると、普通のセックスとはまた違った快感があって、病み付きになるものらしいよ」
　 実際、病み付きになったのだろう。
　 美子さんの遺影に向かって言う気は起きず、洋輔さんにも面と向かっては言えないけれど、そんなことだから肝炎が悪化したのだ。
　 しかし、もし今も美子さんが存命で健康なら、私はフルコースも食べられなかった理屈になる。何とも複雑な気持ちだ。

「そこで俺としては、どうしても香緒里に裏のフルコースのメインディッシュを味わってほしいんだけど、香緒里は浣腸したことがあるかな」
　 首を横に何度も振って返す。
　 母は私が子供の頃から、便秘になりにくい食事を作ってくれた。自分で調理するようになってからも、『健康づくりは先ず食事づくりから』を心掛けている。だから真美子ちゃんも洋輔さんも、もちろん私自身も便秘とは無縁だ。

「浣腸されるのはいやだよね」
　 当然だ。稲荷袋を強く触る。
「浣腸されて、用を足す姿をビデオに撮られるのは、もっといやだろう？」
　 稲荷袋を握り締め…ようとしたら、腰を引かれた。もちろん握り潰す気は毛頭なかったけれど、フェラチオのときに教えてもらったところによれば、少しでも強く握ると、物が物だけに、タマらないほどの不快感を覚えるらしい…と、駄洒落めいたことを考えることで、ビデオに撮られる私の排泄姿を、頭の中から追い出す。

「香緒里がそう答えると思ってね。俺は、もうひとつの選択肢を用意したんだ」
　 助かる。早く教えてほしい。すでに肛門の脅えが、直腸から大腸付近にまで達してきたせいと、朝のお務めを済ませていないために、何となく腸が蠕動しそうな感じがしてならないのだ。

「俺がこの態勢で、香緒里のナメコを撫でては中断、撫でては中断するのと、どっちを選びたい？」
《！！！！！！》
　 びっくり仰天とは、まさにこのこと。驚愕というのもたぶん同じ意味。
　 ナメコといえば、関西地方で好まれているらしいオメコの一部で、別名は蛤の貝柱。俗称が豆。あだ名がオリーブの実。そして正式名称は英語でクリトリス、日本語だと陰核に他ならない。

　私と洋輔さんとでは身長差が大きいために、英語で『６９』とかいう『舐めっこ』をしたことはないけれど、ナメコを舐めてもらった回数は数えきれない。前に飼っていた猫のタマが餌皿を舐めた回数など、比較にならないほど多いはずだ。

　例えばフルコースに付き物のレストランごっこで、初めて洋輔さんが客となったときのこと。思いがけず『食前酒はマティーニを』という注文を出された。そして私が思わず『そんなの、どこにあるの？』と聞き返したら、『あなたのマターニあるじゃろう』と答えられた。
　 あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れていると、助平ジジイの客に、なおも真顔でこう言われたのを憶えている。

『香緒里さんが股で作ってくれるマティーニは、香りが実に濃厚芳醇で、舌触りもマッタリしておるから、男心を酔わせてくれるんじゃ。おまけに、ほんのりとソルティドッグのような塩味が効いておって、オリーブの実が添えられておる点も本格的じゃから、わしの一番のお気に入りなんじゃよ』

　そのときの助平ジジイは大酒飲みで、オリーブの実だけを肴に、延々とマティーニを飲み続けたものだから、私も延々と悶えながら涙を流し続けることになってしまった。
　 でもその結果、女の頂上への登頂所要時間の最短記録を作った。マティーニのお返しだと言われ、『椎茸の串焼』で串刺しにされたら、ほんの数口で到達してしまったのだ。

　しかし、あのときと今とでは状況が違う。今の私の下の口はタンポンの束で塞がれている。椎茸の串焼を頬張れるような状態にはない。
　 それ以前に、前提条件がまったく異なる。オリーブの実というか、ナメコを『撫でる』か『舐める』かの違いは別にしても、フルコースに欠かせない『メインディッシュ』を…というか、オーガズムは絶対に与えてもらえず、『ただただ延々と悶えさせられるだけ』という前提で、撫でては中断、撫でては中断されるのだ。

「もちろんただ撫でるわけじゃない。タンポンの紐も揺すってあげるし、引っ張るような真似もしてあげるよ」
　 飲み込めない唾を、無理やり飲み下す。他にこの恐怖にも近い感情を抑える方法が、今の私には見つからない。

「俺がナメコを撫でてやれば、ナメコ汁というか、オメコ汁が出てくるだろう？　それにトマトジュースも出てるわけだから、どうしたってタンポンは太くなるわな」
　 学歴と口先だけで税金を飯の種に変える老害政治家でもあるまいし、語尾に『わな』まで付けて説明されなくても、もう私にはすべてがわかった。
　 洋輔さんは私に究極の選択を強いているだけではなく、タンポンの束で膣口を塞ぐという罠を仕掛けることで、私の逃げ道まで完全に塞いだのだ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　▼

　頁が尽きた。香緒里さんは『万策尽きた』といった状況だけれど、僕のほうは違う。手元には黄色い表紙の副読本が残っている。

《盥さんか野々口さん。この不肖のドラの期待を、ドラマチックに裏切るなんていう冷たいことは、ドラかしないで下さい‥‥》
　 胸の内でマジに祈りながら、副読本を持ち帰る‥‥のは問題‥‥というより、勘違いにも等しい漢字違い、つまり単なる間違い。

　まちがえた原因は文字単純‥‥また違った、マジ単純。パンツが少し冷たくなっているせいに他ならない。祈りの言葉に盛り込んだ駄洒落の出来が、超々悪かったのも、同じ理由からだ‥‥ということにしておく‥‥間に副読本の持ち替え完了。
　 黄色い表紙をめくり、引き続き黙読に励む。