〔１−６−２♀：相談中の継母　３３歳〕

　今もアタシの子分同然で、今ではアタシの２番弟子に甘んじている杉澤桜子さん‥‥というか、今なおアタシには“さんづけ”で呼べない桜が、お冷やを口にした。

　表情が少し固くなったけれど、「そんなに緊張するほどの相談じゃないから」などと、わざわざ言ってやるほど、アタシは桜を子供扱いしていない‥‥つもり。
　アタシもお冷やで喉を潤してから、まず予備的な質問をする。

「桜を一種の専門家と見込んで教えてほしいんだけど、『ギンギンズット』って、本当に効くの？」
「？‥？」
　尋ねた途端、桜の表情が変わった。仮にこの世に、手話にも似た“顔話”というものが存在するなら、桜の顔は「あ、そういうこと」と訳せる。
　もっとも映画の字幕であれば、さらに短い「あらまあ」とか「おやまあ」になるはずだ。
　
「桜は暗示にかかりやすいだけじゃなくて、やたらと思い込みが激しいタイプだから言っとくけど、今の質問を、アタシが困っているからだなんて、誤解しないようにね」
「ええ、もちろん」
　いかにも口調が軽いうえに、曖昧な笑みまで浮かべているのは、まったく信じていない証拠。

「あのドリンクなら、本当に効くらしいわ。うちでもかなり売れてるし、いわゆる“リピート買い”をする人が多いから」
（ふーん‥）
　ギンギンズットは『滋養強壮』しか謳っていないけれど、話しに聞いていた通り、やはりその強精効果には、かなりの即効性と持続性が期待できるらしい。

「これはドラちゃんから聞いた話しなんだけど、あのドリンクには『シルバーシルバー・エバー』っていう別名があるんだって」
「なにそれ。単に英単語に置き換えた駄洒落じゃない」
「そう思うでしょう」
　桜の表情は、口調以上に得意満面といった感じ。少し悔しい。

「実はね、私も最初は、単なる駄洒落かと思ったんだけど、もっと深い意味があるんだって」
「どんな意味？」
「桜さんは『ハイヨー、シルバー！』っていう掛け声、聞き覚えがある？』
「トント聞き覚えがない‥‥というのは大嘘の駄洒落で、もしアタシがローンレンジャーに憧れていなかったら」
「キモサベ、いなかったらの後は？」

　アタシの話しを途中で遮った桜の口調は、名前を「薔薇子」と変えてやりたいほどの刺々しさだった。
　でも、唇を尖らせ、頬を膨らませている顔の可愛らしさは、中学生時代と少しも変わっていない。
　泣きそうになったり、困ったときの顔にしても、その可愛らしさは、たぶん今なお娘の朋子に引けを取らない筈。

　となれば、もう少し困らせてやりたくなるのが人情‥‥のわけはないけれど、朋子を困らせたり、悲しませるのではないのだから、何の問題もない。

「言ってもいい？」
「言わなくていい」
「じゃあ代わりに言ってよ」
「これほど夜の乗馬を好きになったとは思えない、そう言えばいいんでしょ！？」
「鋭いじゃない」
「はいはい、おかげ様で“気丈”にもなりました」
（ふふ‥）
　弟子や子分を自認していながら、親分相手にふてくされたような口調で、しかも駄洒落まで織り込みながら喋られるようになった点は、高校時代と大違い。

「で？　騎乗や乗馬‥‥じゃなくて、ローンレンジャーの愛馬シルバーがどうしたの？」
「それがわかれば、あとは簡単に理解できるはずよ。桜さんならね」
（あら）
　今の「桜さんなら」には、珍しく厭味が込められていた。敵討ちのつもりらしい。返り討ちにするためにも、ここはひとつ頑張って‥‥みるまでもなく、正答が導き出せた。

「それはつまり、シルバーエイジというか、かなりの高齢になっても馬並みの精力が発揮できる‥‥そんな意味ね？」
「ピンポーン‥‥と言ってあげたいけど、ブブー、残念でした」
「どこが違ってるのよ」
「だって正しくは、『そんな気にさせてくれるほど』っていう意味だから」
（なにそれ）
　鋭く返り討ちにした筈が、単純な屁理屈に負けてしまった。無念極まりないとはこのこと。

（でもまあね）
　これも桜が成長した証しだと思えば、親友としては喜んでやるしかない。

「桜さんのためなら、それも原価で提供しちゃうけど？」
　敵討ちを果たせて満足したらしい。桜の機嫌が元に戻った。余裕の笑みまで取り戻している。

「桜の考えてる『アタシのため』っていうのは、たぶん明らかな誤解なんだけど、あのドリンクってかなり高いし、どこのお店も、安売りみたいなことは全然しないらしいじゃない」
「ええ、うちのお店でも、ごくたまに値引きすることはあるけど、それも１割引き程度だし」
　桜の誤解は解けていない。今にも眉に唾を塗りそうな表情だ。でも、話しを続ければ、必ず誤解は解ける。解かなければ、夫が気の毒というもの。

「だからつまり、アタシが化粧品の他にも、いろんな薬まで安く買ってることを知ってる人からは、あのドリンクは安く手に入らないのかってね、はっきり聞かれたりもするわけよ」
「早い話しが、子分の人たちの希望に応えてあげたいってこと？」
「それだけじゃないの。だってほら、もしあれもお買い得価格で提供してもらえるんなら、もっと化粧品だって売りやすくなるし、そのぶんアタシも、少しはお小遣いが稼げるかなーってね」
「抱き合わせ販売をするってこと？」
「まあその点は、相手にもよるんだけどね」
　アタシが個人でそれをやっても、独占禁止法には触れない。もちろんその点は、桜なら百も千も承知。

「相手にもよるということは‥‥もしかして、いよいよ次の夢に向けた布石？」
「そう、早すぎる話しが、長期計画に基づいて、本格的な事前買収にも着手したいわけ。資金作りを兼ねてね。それができれば一石二鳥だし」
「わかったわ。そういうことなら取りあえず、うちの店頭価格の半額‥‥というか、２千５百円で提供するから、あとは好きなようにしてよ」
　いくら親分でも、好き勝手な真似はできない。相手は商売を営んでいる親友なのだ。

「桜の所は、それでいいの？　多少は商売になる？」
「あれは並みの化粧品よりずっと高いから、粗利率をぎりぎりまで下げても、数を売ればそれなりなのよ。メーカーからの販売報奨も受けられるし」

　まったく親友というのはありがたい。当時は思ってもみなかったことだけれど、今のアタシは、この日のために桜を子分にしたのではないかと思えるほどだ‥‥などと、無用の感慨に浸っているような場合ではなかった。

「それじゃそういうことで、とりあえず３０ケース送ってほしいんだけど」
「３０ケースって‥‥本気？　３百本よ？」
「そう、とりあえず２０人分‥‥というか、実はね、１本３千５百円なら、ぜひ注文してほしいって頼まれて、もうお金まで預けられちゃったのよ」
「！？」
　桜は驚きの表情しか浮かべていないけれど、内心は大いに戸惑ってもいる筈。
　ただ、それも当然といえば当然。桜から２千５百円で売ってもらう商品を、アタシが３千５百円で３百本売れば、それだけで利益は３０万円。それも純利だ。

「でね、もう桜は計算したと思うんだけど、アタシはこの儲けを独り占めする気はないの」
「どういう意味？」
「桜と山分けの形にするから、お店の利益に計上してもらうのでもいいし、桜が先行投資したいって言うんなら、サンプル代わりに、お勧めの高級化粧品をいろいろ送ってみてよ。そうすればアタシとしても、もっと化粧品の注文を増やしてあげやすいし」
「ありがとう。それなら化粧品を送らせてもらうわ」

　アタシにお金を預けた人たちも承知しているように、こういう場合の代金は、前払いが常識‥‥ということもあるけれど、それ以前の問題として、持ち慣れない現金を、いつまでも持ち続けるのはかなり不安。
　直ちにバッグの口を開け、ふたつめの封筒を取り出す。

「ハイヨー、シルバーの分のニンジン」
「馬にはサツマイモよりニンジンだけど、ニンジンは何本？」
「本数が本数だから、この場で数えてもらわなくても済むように、アタシなりにちょっと工夫してきたの。もちろん専門家の手を借りたんだけどね」

　桜が封筒を覗いた。その目には、帯封された１万円札の束がひとつ見えている筈‥‥いや、筈もなにも、封筒に入れたのはアタシであり、今も確かな厚みが感じ取れたことを思えば、見えているのはマジ絶対に超確実。

「桜の取り分を入れても、ニンジンは１０本余る計算になるけど、その分は次回に精算してもらえばいいから」
「ありがとう。ここまで気を遣ってもらって、桜さんには本当にお礼の言いようがないわ」
　札束入りの封筒が、桜のバッグに収められた。

「お礼を言わないといけないのはアタシのほうなんだけど、そこはほら、２０年来の親分子分の関係ということで、失礼ながら省かせてもらって、ちょっと話しを戻してもいい？」
「どこまで戻すの？」
「２ヵ月目の件というか、８ヵ月先以降の件」
「いいけど、なあに？」
「仕事はどうするの？」
「ドラちゃんにまかせて、私は主婦業と子育てに専念」
「再復帰は？」
「したい気持ちも無くはないんだけど、ドラちゃんも子供はたくさんほしいって言ってるし、私には桜さんほどのパワーがないから、現実的には無理だと思う」

（そっか‥‥）
　それは少し残念。桜には子育ての傍ら『社長』を目指してほしかった。ドラさんなら副社長で‥‥というわけにはいかないとしても、会長の椅子を用意すれば、それで満足してくれるのではないかと思われるからだ。

　アタシは世の中でなにが不満かと言って、女性がなにかの肩書きを持つと、いちいち『女社長』だの『女流作家』だのといった具合に、余計な単語まで付け加える風潮が、今なお“はびこって”いることが不満。

　それは確かに、男女の別を明示したほうがいい場合も多い。でも、女性に限って肩書きに性別を付け足す必要性は、どこにもまったく見当たらない。アタシに言わせれば、性差別の象徴としての役割しか果たしていない。

　そうした風潮を改めるためには、やはり女性の社会進出が欠かせないというか、４文字熟語の中からアタシの大嫌いな熟語を敢えて使えば、『立身出世』を果たす女性の増加こそが、なによりの特効薬だと思うのだ。

　しかし、桜も承知しているとおり、主婦業も主夫業も、立派な仕事。単に専門職というより、一種の総合専門職でもあるのだから、アタシとしては保育士の試験のように、国家試験のひとつも実施して、合否判定でも下してほしいところ‥‥なのだけれども。
　そういう提言をするのは、夢が実現できた後。金バッジを付けて、赤い絨毯を踏めるようになってからの話し。ここで桜を相手に語るようなことではない。

「そういうことなら、また話しを戻してもいい？」
「今度はどこまで戻すの？」
「アルファベットの８番目」
「※＊＊※｝
　古すぎる言い回しなのに、桜の顔が一瞬で困惑に溢れてしまった。

（でもまあね）
　今日は化粧品の代金を支払った。ギンギンズットの販売で得る利益を、山分けにする話しもした。
　ここでアタシが別の用件というか、もうひとつある頼み事を持ち出せば、利益供与に対する見返りを、それこそギンギンに求めているように誤解され、さらに困惑を強いるのは確実。最悪の場合は、アタシという人間が見損なわれてしまう。

　それを考えたら、今日のところは猥談で知識を蓄えておくほうが、よほど‥いや、ドリンクの名前が名前だけに、ズット身のため、将来のためだ。

　　　　　　　　　　　　　　　　※〔１−６−２♀〕完　※〔１−６−３♀〕へ続く