姉ちゃんは優等生　保留守人 作
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11.


　この時初めて俊介は、奈津子が修学旅行時に遭遇した地震によって受けたトラウマが、尋常なものではなかったのだと痛感した。
　姉はまだ、さっきの微震にさえ怯えているのだ。
　これはもはや立派なPTSDだと言っていい。

「それじゃ、行くよ」と、姉弟ふたりで廊下に出る。
　ムッとした熱気が、真夏の夜であることを俊介に思い出させた。

　２階のトイレは奈津子の部屋を通り越し、玄関が見下ろせる吹き抜けの廊下を過ぎたその先にある。
　トイレの扉を開けると手前側にパーテーションで区切られた和式便器があり、そして奥側正面に男子専用小便器が備わっている。

　ズボンのチャックを下ろしただけですぐに用が足せる“立ちション便器”は俊介にとっては有難い。
　しかしもうひとつの便器が、洗浄機のない和式だというのは、奈津子にしてみれば残念なことであるに違いない。

　考えてみれば洋館の家屋に、しかも子供部屋がある２階のトイレがなぜ和式なのか理解に苦しむ。
　それでもそれがどうしてなのか、敢えて両親に聞いたことはなかったが……。

　俊介は小便器の前に立ち、半ば無理やりに搾り出す。
　トイレに行こうとしたのは、復元画像にパニック状態になった頭を冷やすつもりだったので、元々尿意を感じていたわけではない。

　奈津子に背を向けたまま、俊介は聞いた。
「そうだ、姉ちゃん。トイレ屋さんにはもう電話したの？無料で直してもらわないとね。それか交換だよ、あんなの、まだ新品なのに……」

「……俊介、まだ知らないのね、夕方のニュース」
「え？」

　振り返ると一瞬目が合ったが、奈津子が慌てたように目を伏せる。
「どういうこと？　姉ちゃん」
　俊介はおチンチンを数回振りながら訝った。

「近藤金吉商会……うちのトイレも改装してくれた業者だけど、今日、警察の家宅捜索を受けたらしいの」
「えっ、何で何で？」

　驚きながらも俊介は、いつもなら省略することも多い、手を洗う行為を忘れなかった。
　女という生物が、そういう事にはうるさいのをよく知っている。
　
「盗撮容疑、ですって……」
　そう言った奈津子の顔が曇った。
「盗撮？！」

「ウォシュレットのシャワーが出る所に小さなカメラを仕掛けといて、後で回収してたらしいの」
「えー？　そんな事、できるの？」
　介はそう聞いておいて、自分で、
「そう言えば……」と、合点がいった。

　一か月ちょっと前に新しく取り換えた我が家の便座式洗浄機。
　一週間程でなぜか動かなくなり、すぐに業者を呼んだ。
　それが偶然ではなく、業者が仕組んだ事だとすれば、その時にカメラを回収することができる。

「……まさか、うちも？！」
　俊介が大きな声をあげると、奈津子は今にも泣きそうな表情を見せながら言った。
「それはどうだか、まだわからないけど……」

　まったく今日は、次から次へと驚きの連続だ。
　言葉を無くしたままトイレを出ようとしたとき、奈津子が言った。
「待って……」

「ん？」
「やっぱり、わたしも……済ませとく」
「オシッコ？」
　俊介の問いに奈津子は黙ったまま肯いた。

「あ、じゃぁ俺、外で待っとくね」
「あっ、いいの。ここで待ってて」
「え？　あ、うん……」

　ちゃんとパーテーションの扉で仕切られているので、排泄している姿を直接見るわけではない。

　伏し目がちに奈津子は“個室”に入り、その薄い扉を閉める。
　鍵をかける音はしなかった。

　すぐにパジャマのズボンとパンツを下ろす時の、衣服が擦れる音が伝わってくる。
　薄いボード１枚隔てた向こう側で、一段高くなった所にある便器を跨ぎ、背を向けてお尻を丸出しにしてしゃがんでいる姉の姿が自ずと思い浮かんだ。
　
　やがて《チョロ、チョロ、シャー……》という、小水が便器の水溜りに打ちつけられる音が容赦なく聞こえた。
　それからゴロゴロとトイレットペーパーを引き出す音がして、最後に勢いよく流れる水洗の音とともに奈津子がパーテーションの扉を開けて出てくる。

　無言の奈津子は表情が硬い。
　それでも洗面台で手洗いを済ませると「お待たせ」と言って、先に廊下へ出た。　

　部屋へ戻る途中、前を歩く奈津子が自分の部屋の前に来たとき立ち止まった。
　振り返って俊介を見つめる。

　まだ見慣れないショートボブの姉の顔が、不思議なくらい可愛く感じられてしまう。
　
　そんな奈津子が何を考えているのか、押し黙っているので俊介は焦った。

『？？？？？』と、俊介の頭からはたくさんの疑問符が飛び出していたに違いない。

　すると、不安げながらもしっかりと俊介の瞳を見据えた奈津子が、静かな声でこう言った。

「……今晩……アンタのベッドで、一緒に寝ていい？」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　……つづく
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2015年3月11日掲載
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