奈緒（その2）

　その晩、里子が藤井に言われるままフォーマルなドレスを着て有楽町のコンサートホールにタクシーで乗りつけると、会場には藤井がタキシードを着こんで待っていた。
　ノンナ・サボルスキーと言われても里子にはよくわからなかったが、どうもオペラの有名な歌手らしい。

　藤井はブローカーという職業に不似合いなくらいに、公の場において品格を重んじ、芸術を愛する男であった。
　そんな藤井がもっとも愛するのがオペラであり、この日もおそらくは簡単に手に入れたであろう、プラチナ・ペーパーの最前列席で、うっとりと聴きほれていた。

　楽章と楽章の間にできた沈黙を、曲が終わったものと勘違いして拍手しそうになった里子が慌てて周囲を見回して赤面するのも構わず藤井は目を閉じて、恍惚としていた。
　やがて演目が終わると、藤井は滂沱の涙を流しながら、日本人にはあまり馴染みのないスタンディングオベーションでもって演者を称えた。

　コンサートが終わると、藤井は予約していたホテルのレストランに里子を伴って行った。ホテルと言っても間違いなく藤井は自分を抱こうとはしない。
　里子はそれをよくわかっていた。せいぜい帰りが面倒だったら部屋に泊めるくらいで、決して藤井は里子を抱こうとはしないだろう。
　藤井は、自分を嫌悪する女にしか興奮しない男なのだから。

　生まれて初めて食べるウサギ料理を里子が、おっかなびっくり凝視していると、藤井の内ポケットで携帯が震えた。
　たとえ同席しているのが助手の里子とはいえ、女性との食事中に携帯に出るなどという無粋な真似を藤井はしない。
　それに、この携帯にかけてくるのなら相手は見当がついていた。

　奈緒が藤井に指定された通り向かったところは、工業地帯を海沿いに抜けた倉庫の立ち並ぶ一帯だった。
　てっきりどこかのホテルに呼び出されるかと思っていた奈緒は、もしかしたら、藤井が言ったのは冗談だったのかもしれないと、淡い期待をした。

　小さめの旅客機が一機丸ごと入りそうな大きな倉庫の前で、藤井が待っていた。藤井は黒のスーツにベージュのブラウスという奈緒の地味ないでたちと、こわばった表情にそそられたが、落ち着き払って奈緒を倉庫の中に誘い入れた。
「ここは…藤井さんの倉庫ですか？」
「そうですよ。仕事柄いろんなものがゴチャゴチャありますけどね」

　いくつものコンテナや、古いが稼動し続けている冷蔵室まである倉庫の階段を登って二階へ行くと、広く薄暗い中にスチールの棚が立ち並び何かの雑誌や書類や本などが、白いビニール紐に束ねられて並べられており、どうやらこの二階は藤井の広大な「書斎」のようだった。
　その奥へ歩いて行くと壁際の一角に古いソファが置いてあった。

　こんな殺風景なところで自分は犯されるのだろうか。
　これではまるでレイプではないか。いや実際これは奈緒にとってはレイプそのものなのだが、せめて覚悟を決めてきた自分を、ラブホテルに連れて行く位の心遣いがあってもいいではないか。
　こんなところで犯されて、シャワーを浴びることも許されず、行為が終わったら、そのままさっさと帰れというのだろうか。

　ソファに座ると藤井は、奈緒を隣に座るよう促した。
　促されるまま隣に座った奈緒が藤井に言った。
「あの…契約の件ですが」
「ああ、ちゃんと今日契約しますよ」
　藤井は奈緒の肩に手を伸ばすと、耳元で続けた。
「私は卑劣な男ですが、こういう約束は必ず守るんですよ」

　藤井が奈緒の唇に吸い付き、舌を入れると奈緒は諦めるようにその舌を受け入れ、おずおずと自分の舌を絡めた。
「…ん…」
　藤井の手が、ブラウスの上から奈緒の乳房を大きさを確かめるようにそっと撫でると、奈緒は目を閉じたまま体をこわばらせ、持って行き場のない奈緒の右手は、藤井の膝を握り締めた。

　藤井の愛撫は巧みではあったが、すぐに乳房から下に降りて膝の間に割り込みスカートをめくりながら太股を上り、奈緒のショーツの上から正確に奈緒のクリトリスと、性器の亀裂を探り当て、ベーシストの指使いのように四本の指を、そっと掻くように上下させた。
「ん…あ…んっ…あぁ…」
　奈緒は思わず脚を閉じて、藤井の唇も突き放してしまったが、藤井は意に介さずに、そのままズボンのファスナーを下ろすと自分のものを取り出すと、無言でフェラチオを要求した。

　奈緒はソファから立ち上がると、藤井の前に床の上でひざまずくとはじめて見る夫以外の男のペニスを、おそるおそる手に取り、目を閉じると、大志にしてやるのと同じように先端に何度かキスをして、舌の先を這わせた。

　奈緒の舌使いの中で藤井のものは、熱すら帯びて固く反り返り始め、藤井は、自分のものをしゃぶる奈緒に命じた。
「そのままの体勢でパンティを脱ぎなさい」
　奈緒はひざまずいたまま、ゆっくりとスカートをめくりあげあのシルクの白いショーツを脱いだ。

「そのまま私に跨りなさい」
　奈緒は思わず目を開いて言った。
「あの…ゴムは…」
「いいから」
　もう奈緒は諦める以外の選択肢は残っていなかった。
　黙って立ち上がり、パンプスを脱いでソファにあがると藤井の膝の上をまたぐ体勢になり、藤井のものを持って、その先端を、わずかに濡れ始めた自分の亀裂にあてがい、そのまま静かに座り込んだ。
「んんんんっ…あぁ…」

　ついに自分の中に藤井のものの侵入を許してしまった。
　奈緒がそのまま両手を藤井の肩に乗せたまま、身じろぎもできずにいると、藤井は体の向きを変え、そのままソファに横たわった。
　すると、藤井のものが奈緒の膣粘膜を押し広げながら根元まで入った。
「はぁぁぁぁっ…あああん…い…やぁ！」

　完全な騎乗位になった奈緒に、藤井がまた命じた。
「私は動きませんよ。早く終わらせたかったら、あなたが動いて私をイカせなさい」
　一刻も早く終わらせたかった奈緒は、ゆっくりと腰を回し始めた。
　ショーツを脱いだ以外は、服を着たままの結合で奈緒はスカートを腹のあたりまでめくって右手で裾を握っていた。
　スカートを体液で汚したくなかったのだ。しかしそのため奈緒の茂みの下で藤井との結合部が藤井から丸見えになっていたのだが、もはや奈緒にそれを気にする余裕などなかった。
「んっ…んっ…あん…んっ…」

　目を閉じたまま腰を回しながら、奈緒は不遇だった高校時代を思い出していた。
　小太りで「タヌ子」とあだ名を付けられ、いじめとまでは行かないものの、よくからかわれていた奈緒は、新たな場で生まれ変わりたくてあえて選んだ地方の大学で、今の夫の大志に出会った。

　大志もまた、暗く悶々とした高校時代を過ごしており、一度結ばれるや否や、二人は毎晩狂ったようにセックスをした。
　昨日は奈緒のアパートで、今日は大志のアパートで、と言う具合に、大学から二人で帰ると、食事や睡眠時間を削ってまで求め合った。
　いくら抱いても、いくら抱かれてもまだ足りないとばかりに。

　二人ともあまり経済的に余裕がないためか、日曜日などは、朝からセックスをしていたこともあった。
　奈緒は回数を重ねるごとに高まっていく自分の感度に、そして大志は、自分が求めれば求めるほど一層激しく乱れる奈緒に、自分が女であること、自分が男であることを確認できる悦びに耽溺し、一層激しく相手を求めた。

　卒業すると同時に奈緒は大志と結婚した。
　毎日が幸せだったのに、どうしてこんなことになったんだろう。
　どうして自分は、こんな不気味な倉庫でこんな男に犯されているのだろう。
　そう思うと奈緒の目から涙が落ちた。

　藤井がなかなかイカない。奈緒には理由がなんとなくわかっていた。
　腰を回すのが、あまり藤井のものに刺激を与えていないのだ。
　奈緒が腰を回していたのは、奈緒はクリトリスが弱かったためだった。
　一度大志とのセックスで、終わったあと大志がクリトリスに舌を這わせただけど、短い悲鳴と一緒に軽く失禁してしまったことがあるくらいに
　クリトリスは奈緒にとって一番敏感な部分で、腰を前後に動かすとペニスの出し入れで、常にそこが刺激にさらされるためだった。

（本当に男と女の性器の構造はお互い相手のためにできている）
　奈緒は痛感しながら、あきらめて腰を前後に動かし始めた。
「あんっあんっあっあっあっあっああああっ…」
　ついに奈緒は崩落してしまった。もうどうなってもいい、とにかく…早く終わらせたかった。

　ぐちゅっぐちゅっと音がしていたが、奈緒は夢中で腰を動かした。
　やがて藤井が呻き声を上げたため、思わず奈緒は藤井のものを抜き取るため立ち上がろうとしたが、すかさず藤井の両手が奈緒の大きめの尻を、スカートの上から鷲掴みにした。
「あっ…お願いっ…中には出さないでぇ…」
　しかし藤井は、初めて自分から腰を突き上げると、奈緒の子宮に自分のものをめり込ませながら激しく射精を始めた。
「だめっだめぇ…いやっ！　あああああああっ！」
　反射的に脚を閉じようとした奈緒の両膝が、藤井のわき腹に食い込む。
　奈緒の膣粘膜の奥深くに突き刺さった藤井のものから、生暖かい精液が子宮に流れ込んできた。

　奈緒は床の上にへたり込んだまま、自分のショーツを握り締めていた。
　早く穿いてしまいたかったが、犯されただけで充分屈辱的な上、藤井の目の前で下着をつけるという動作さえ、奈緒には屈辱的だった。
　ズボンのファスナーを上げた藤井が、スチールの棚に何かを取りに立った瞬間、奈緒はすばやくショーツを穿いた。

　奈緒の目の前のテーブルの上に、印鑑と印鑑証明と預金通帳の口座番号を書いたメモが置かれた。ようやく待ち望んだものを前にしても奈緒は放心状態で、淡々と手続きを済ませた。

　申し込み用紙をバッグにしまい、乱れた衣服と髪を整える奈緒に藤井は言った。
「もしも、またノルマに困っていたら来なさい。同じ条件でまた入ってあげるよ」

　奈緒はそれには答えなかった。とにかく早くこの場を立ち去りたかった。
　早く家に帰って、シャワーを浴びてこの男に汚された部分を洗い流したかった。
　しかし、まず営業所へ帰って成約の報告と事務処理がある。
　それまでの間、自分の膣の中にこの男のおぞましい精液がこびりついているなんて考えただけでもおぞましい事実だった。

　奈緒は冷淡に礼を言うと、藤井の倉庫を去っていった。
　藤井は例によって、すでに奈緒への関心はなくなっていたが、だからと言って保険を解約するような下衆な真似はしない。
　ただ「塩漬け」が一人増えただけの話である。