その28

〜エピローグ〜

　突然の異動にもかかわらず、閉店後の辻元の送別会は盛大だった。
　加藤や道子はもちろん、久辺公子も出席していたが、桂月は辻元から離れて、さと子の隣に座ったまま辻元と視線を合わせようとはしなかった。

「えー俺の後に店長をやる風間店長です！　はい拍手！」
　虚ろな目で機械的に桂月も拍手したが、辻元よりも若くて、はっきり言って辻元よりも好青年の風間に関心はなかった。

　風間もまた、麦倉と同じく辻元の「弟子」らしく、人心を掌握する術にたけており、早くも新しい職場のアルバイト達と溶け込み始めていた。
　宴は盛り上がり、酔っ払った道子がビール瓶をマイク代わりに調子はずれの歌をノリノリで唄っていたとき、目立たぬように辻元が何かを風間に耳打ちすると、こっそり席を立った。

　桂月も立ち上がりかけたとき、その腕をさと子が掴んだ。
「わかってる？」
　桂月は、中腰のままさと子の目を覗き込むように言った。
「ええ、わかっています」

　水銀灯が消された真っ暗な駐車場で、車に近づく辻元を呼び止める声がした。

「こうちゃん！」

　閉店後の店内でいきなりキスをされたときが、そもそもの始めだとして、4ヶ月目にして、初めて桂月は辻元を「こうちゃん」と呼んだ。

「私待ってる」

　辻元は黙って笑った。経験則で言うと「太陽が西から昇るくらい」の低い確率のその言葉だったが、桂月の健気さは充分わかっていたから、何も言わずに、そのまま車を走り出させた。

　その翌週の日曜日。
　桂月がいつものように出勤してくると、久々に裕美がいた。
　冷淡に挨拶をするが、いつものように裕美は無視であった。

　ピーク時、デザートのアイスクリームの容器を磨いていると、例によって裕美が突っかかってきた。
「そんなのさぁ！　いつまでも磨いてないでよ忙しいのに！」
「でも…洗浄器の洗剤が少し残っていたから…」
「忙しいんだから、いつまでも同じような事してないでよ！」

　一呼吸置いて、桂月が反撃した。
「忙しい忙しいって、一番忙しい時期に要領よく休んでた方のお言葉かしら？」
　これには裕美も驚いた。いや、物陰で成り行きを見守りながらいつでも助けに行くつもりだった道子も、そして裕美との関係をうまく終わらせた加藤も驚いた。

「関係ないじゃない！　だいたいＫ大の人がこんなとこでバイトしてさぁ！テレビ局とかマスコミで適当にバイトしてればいいのに！」
　唇がかすかに震えている相手を、今までの桂月なら争いを避け、「深追い」はしないのだが、今日は違った。桂月はとどめを刺した。
　実におだやかな笑みを浮かべた表情のままで。

「栗原さん、私を責めるとき、しきりにテレビ局とマスコミを口にするけど、そんなにアルバイトがしたいなら学務課によく求人出てますから紹介しましょうか？」

　それを聞いた道子と加藤は同時にガッツポーズを決めた。
　裕美は、エプロンを脱ぎ捨てるとそのまま立ち去っていった。
　もうこの店に戻ってくることはないだろう。

「桂月さん…ナイス！」
　加藤と道子が顔を出して笑った。
「立ち聞きは、お行儀悪いわよ」
「いやー俺も松月も行儀の悪い野良犬ですからねえ！」

　フロアのセンサーが鳴り、道子がフロアに出て行き、桂月と加藤が二人っきりになった。
「桂月さん…初めて怖いところ見ましたよぉ」
「私…これから怖い女になることにしたのよ」
　そう言うと桂月は笑った。

「いやぁ…でも俺には一番怖いのはやっぱさと子さんっすよ！」
「そう？」
　桂月が加藤に何か耳打ちすると、次の瞬間加藤は顔色を失い、頭を抱え、しゃがみこんだ。
「ごめんなさい…桂月さんが一番怖い人になりましたぁ…」
「ふふふっ…まこちゃんっていい子ね…」

　しゃがみこんだ加藤の頭を撫でると、「いらっしゃいませぇ」と桂月もフロアに出て行った。

（やっぱあのとき目を覚ましていたのかぁぁぁぁぁ！！！！）

完