ガラス細工の少女
ひら 作
◆第１章

　３月初旬のまだ肌寒い、金曜日の夜のこと‥‥。
　俺はいつも通っている駅の改札出口で、家路に向かって次々と吐き出されてくる人々の姿をぼーっと眺めていた。
　時間は午後の７時を少し回ったところ‥‥。すでに待ち合わせの時刻を１時間以上も経過している。

　俺はホッとため息をつきながら、まあ、よくある子どもの悪ふざけだったかもしれないな‥‥と自ちょう気味に口の端を上げる。

「あの‥‥本城（ほんじょう）さんですか‥‥？」

　横合いから、いきなり声をかけられた。

「うん‥‥？」

　声のした方を振り向くと、そこには白っぽいハーフコートを着た、長い黒髪の少女が立っていた。

「えーと‥‥ネットの掲示板で待ち合わせをした‥‥本城さんですか？」
「あ‥‥。それじゃあ‥‥君が栞（しおり）‥‥？」
「よかった‥‥。生徒会の打ち合わせが遅くなったので、もう帰ってしまったかと思ってました」
「ああ‥‥そうだったのか。イタズラじゃなかったんだ‥‥」

　少女はその言葉に、怪訝そうな表情で眉根を寄せる。
　その細くて儚げな眉の形がとても印象的で、この子に対する興味が少しだけ湧いてくる。

「イタズラって‥‥どういうことですか？」
「最近は‥‥大人を面白半分にからかって遊ぶ子が多いと聞いているからな‥‥。てっきりそのクチかと思ってた」
「だったら、本城さんは‥‥何でこんな時間まで待っていてくれたんですか？」

　俺の皮肉っぽいセリフにも真面目に反応してくる姿を見ていると、何にでもムキになっていた十代の頃が懐かしく思い出されてきて、妙にうれしくなってしまう。

「そうだな‥‥。もしもイタズラじゃなかったとしたら、その子に対して申し訳ないなぁ‥‥と思ってさ」
「‥‥けっこう‥‥真面目に考えるタイプなんですね」
「いや‥‥。君ほどじゃないと思うけどな」
「なっ‥‥」

　それまで静かな感じで話をしていた少女の顔が、少しだけ気色ばんだ。

　―― どうやら生真面目そうな性格だな‥‥と、直感的に感じたことは正解だったようだ。

　ますます興味が湧いてきて、その少女をじっと見つめてしまう。

　背は１５０センチの中ほどだろうか‥‥。すらっとしたやせ形の体型に、ストレートの長い黒髪と眉の上で横一線に切り揃えられた前髪‥‥。初めて見た時から気になっている細くて儚げな眉毛に、長い睫毛と大きな瞳‥‥。色白の素肌に、すうっと通った鼻筋とピンク色の小さな唇‥‥。

　まるで一昔前の日本人形でも見ているかのような‥‥そんな少女が目の前に立っていた。

「‥‥何故だい？」
「何のことですか‥‥？」
「真面目そうに見える君と、援助交際をしたいという君が、全く重ならないように見えるからさ」
「本城さんには‥‥関係の無いことです‥‥」
「まあ、そうだけど‥‥。本当にいいのか？」
「はい、覚悟はできてます‥‥。それよりも、本城さんの方こそ‥‥こんな私に対して、本当に１０万円を支払ってくれるつもりなんですか？」
「ああ、それはもちろん。その法外な値段に興味を惹かれて、君に会おうと思ったわけだしな‥‥」
「‥‥わかりました。それでは本城さん‥‥今日はよろしくお願いします」

　そう言いながら、彼女は手を前に合わせて、ぺこんと頭を下げた。

「ふ、本当に真面目なヤツだな‥‥。それじゃ、俺についておいで」

　ゆっくりとした足どりで駅舎を出て、その正面から真っ直ぐに伸びている駅前通りを歩いて行くと、少女は５メートルぐらい離れた後方を付かず離れずといった感じでついてくる。

　そうして５分ほど歩みを進めて行くと、周りに人影はほとんど見えなくなり、街路灯の照らし出すブロック造りの歩道の上を、奇妙な組み合わせの男女だけが黙々と歩いて行くという構図になっていた。

　何だか妙な感じになってしまったな‥‥と思いつつも、微妙な距離間を保ちながらテクテクと後をついてくる少女の存在が無性におかしくなってきて、俺はいきなり歩道を走り出していた。

　走りながら後方をちらちら覗いてみると、信じられない事態に呆然としていた彼女が、焦った様子で俺を追いかけ始めるのが目に入った。
　その必死になって追ってくる姿を眺めていると、腹の底から笑いがこみ上げてくる。

　―― こんなに楽しい気分になれたのは、一体何年ぶりのことだろうか‥‥。

　それから１分ぐらい走ってから歩道に足を止めると、彼女の到着を待つことにする。

　まもなく、はあはあと息を切らせながら、少し不機嫌そうな表情でこちらに向かって走って来る少女の姿が見えてきた。
　彼女は５メートルぐらい手前のところまで来て足を止めると、息も切れ切れの声でこう切り出してきた。

「ど、どうして‥‥いきなり‥‥逃げるんですか？」
「逃げたんじゃないよ。覚悟を決めたという君の本気度を試してみたかったのさ」
「い、意地が‥‥悪いんですね‥‥」
「栞。もう一度だけ確認するけど‥‥これ以上先に進むと後戻りはできないぞ。いいのか？」
「はい。それに‥‥後戻りができないというのは‥‥本城さんも同じだと思うし‥‥」
「まあ、そうだな‥‥。俺もそろそろ覚悟を決めなきゃな。これで事実上、犯罪者の仲間入りをすることになるわけだし‥‥」
「正直‥‥なんですね？」
「はは、正直というよりは“やけくそ”といった感じかな‥‥。こんな卑劣な行為をしようとするからには、これからの人生を棒に振ってしまうぐらいのことは覚悟しているさ」
「‥‥‥‥」
「栞、それじゃあ行くぞ」
「はい」

　その真面目な返事に、思わず口の端が上がりそうになるのを我慢しながら、俺は目の前に建っているマンションの玄関口へと歩みを進めていった。

　―― ３年前から借りているこの古ぼけた賃貸マンションの自室に、十代の幼い少女を連れて行くことになろうとは‥‥。ここに意気揚々と越してきた頃の自分が今の状景を見たら、一体どう思うだろうか‥‥。


　エレベーターを降りて、マンションの５階にある２ＬＤＫの自室に入ると、先に彼女をフロアに上げてから、玄関のドアにロックをかける。
　その音にぴくっと振り返る少女に向かってうなずいてから、無言で手を差し出して、着ているコートを渡すようにと促す。

　彼女は静かな表情でうなずき返すと、白いハーフコートのボタンを一つ一つ慎重にはずしていく。
　そして、脱ぎ終わったコートを二つにたたむと、小さな声で「はい」と言いながらこちらの方に渡してきた。

「う‥‥。やっぱり‥‥マジに‥‥中○生だったのか‥‥」

　彼女は窺うような目つきで俺を見やりながら、コクンと１回うなずいた。

　栞が着ていた制服は、この辺では知らない者がいないというぐらいに有名な代物だった。ここから５駅ほど離れたところにある、ミッション系の名門女子校のセーラー服‥‥。

　白くて大きな襟に、こげ茶色の上着と膝までのプリーツスカート‥‥。その襟と裾の両方に入っているエンジ色の二本線と同色のリボンタイ‥‥。胸のポケットに施された金糸の校章に、同じ模様が入った白のハイソックス‥‥。

　それを着ている彼女の姿は、いつまでもずっと眺めていたいと思ってしまうほどに、とても似合っていた‥‥。

「ま、まあ‥‥とにかく上がってくれ」
「はい、おじゃまします‥‥」
「とりあえず、紅茶でも煎れるから、ソファに座っていて」

　キッチンでお湯を沸かし、ゆっくりと時間をかけて紅茶を煎れると、二つのカップと一緒にお盆に乗せてリビングへと運んで行く。
　彼女はベランダへと続く大きな窓から外の景色をじっと眺めていた。

　―― 寂しそうな背中だな‥‥。窓辺に佇むセーラー服姿の美しい少女を見やりながら、俺はそんなことを考えていた。

「‥‥変わっているだろう？ マンションの中庭が公園になっているなんて‥‥」
「たくさんの緑があって‥‥晴れた日にあそこのベンチでお弁当を食べたら‥‥とってもおいしそうな感じ‥‥」
「そうか？ 俺はここのマンションの住人たちに見られているかと思うと‥‥あの公園のベンチでピクニックというのは、あまり賛成できないけどなぁ‥‥」
「誰も見てくれないよりは‥‥遥かにいいです‥‥」
「ふーん、なるほどな‥‥。あ、それよりも、紅茶が冷めてしまう。早く飲んでしまおうぜ」
「‥‥はい、いただきます」

　居間のソファに向かい合わせに座ると、お互いに紅茶を口に付けながら、ポツリポツリと会話を続けていく。

「そうそう‥‥この封筒の中に約束の１０万円が入っている。先に渡すので確認しておいてくれ」
「いいえ‥‥。それは全てが終わってからで構いません」
「ふーん、一応は信用されているということか‥‥。だったら、あまり過激なことはできないな‥‥」
「過激なことって‥‥？」
「そうだな‥‥浣腸とか、アナルプレイとか、鞭打ちとか、拘束プレイとか‥‥」
「ふ、普通でお願いします」
「はは、冗談だよ。‥‥ところで、家の方には連絡を入れているのか？」
「大丈夫です‥‥。明日の夜までは誰も帰ってきませんから‥‥」
「そうか‥‥。どうやらその辺に、君の事情みたいなものがありそうだな‥‥」
「‥‥本城さんは‥‥どうして私なんかを？」
「俺か‥‥？ まあ、さっきも言ったとおり、１０万円という法外な金額に興味を惹かれたのと‥‥、あとは、今の中途半端な生活に終止符を打ちたかったのかもしれないな‥‥」
「中途半端な生活ですか‥‥。私と似ているかも‥‥」

　先ほどの寂しそうな少女の背中が頭をよぎる。

「そうかもしれないな‥‥。よし、それじゃ、そろそろ始めるとするか。‥‥まずは、その制服を脱いでくれるか？」

　栞は静かな表情でうなずくと、淡々とした手つきで胸元のリボンタイをはずし、次に上着の脇にあるファスナーを下ろしていった。
【次】
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2010年5月8日掲載
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