１．

「ねえ、あなた〜．．．」
　夫がいる隣のベッドに、下着だけの格好で潜り込んでいく。
「勘弁してくれよ。仕事で疲れてるんだ．．．」
　妻の奈津子に背を向けて、健治は布団に隠れてしまった。
　もうここ何日も夫婦の交わりが無い。
　奈津子は、夫の背中に下着姿の上半身を押し付けるとパジャマの上から股間に手を伸ばしていった。
「健治〜抱いてよ．．．ねえ、こっち向いて〜」
　縮こまった陰茎を揉み出す。
「やめろよ、そんな気分じゃないんだ．．．だから今日は勘弁してくれよ。」
　同じセリフを数日前から聞かされている奈津子は、諦めて寝室から出て行ってしまった。
「もう！健治ったら仕事仕事って私とどっちが大事なのよ。」
　夫への憤りを口にしながら一階に降りていった。
　火照った体を癒すつもりなのか、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「．．．そろそろ子供だって欲しい頃なのに。」
　喉を流れる冷たい涼感が、一時の間でも心を静めてくれた。

　奈津子たちは早くに結婚したのだが、広告会社に勤めていた彼女は、丁度その頃、重要な仕事を任されていた。
　新婚初期にも関わらず、夫はそれを喜んでくれた。
　それで子供も儲けず、お互いの仕事を尊重し合っていた。
　しかし、あれから5年が経ち、奈津子も退職し家庭を守っていた。
　来年は三十路になる、だから子供を儲けたい時期に来ていた。
　それに健治も二つ年上だから、性欲が落ちる訳でもなかった。
　なのに近頃は、奈津子に触れようとさえしなかった。
　浮気の疑いも持っていたのだが、夫の行動や女の勘からその可能性は少ないと信じていた。
「私に原因があるのかしら？．．．でも体のラインやサイズは変わってないし．．．」
　ビールを口にしながら、体のラインに触れながら自讃する。
「胸だってまだ張りもあるし、ウエストもキュッとしてるのに〜」
　奈津子は自慢の体を持て余していた。
　近頃は、オナニーで解消する毎日だった。
「もう、どうしてこんなエッチな体をほっとくのかしら．．．」

　原因はやはり健治にあった。
　ED、つまり勃起不全の症状が最近出ていたのだ。
　奈津子があの手この手で迫ってきても、頭の中では興奮のアドレナリンが大量分泌されるのだが、股間までその欲指令が届かないのである。
　その思いもしなかった障害に、健治自身も悩んでいた。
　プライドが高かった彼は、この事を妻に告白できる筈もなかった。
　寝室に残された健治は、独りベッドの中で落ち込んでいた。
（．．．病院で診てもらった方がいいな。このままじゃ奈津子が浮気しないとも限らないし．．．）
　明後日にでも行こうと決心すると、そのまま眠りに就いた。　　　
　．．．だが、この決定は遅かった。

　翌日、健治から電話が入った。
「悪いんだけど、今日部下を連れて行くからビールとつまみ、用意しといてよ、じゃあな。」
　夫は一方的に用件だけ伝えると、電話を切った。
「もう〜いつも勝手なんだから．．．」
　少しムッとしながらも、冷蔵庫を漁り始めた。
　２，３品手早く作った後、食料庫の缶ビールを冷蔵庫に並べていった。
　二人ともビール好きで、普段から欠かした事が無かった。
　既に夕食を済ませていた奈津子は、早々リビングで缶ビールを開けていた。
　二本目を飲み終えた頃、健治が帰宅した。
　ほんのり色づいた頬をして、玄関に向かった。
「おかえりなさい。」
「ただいま。ごめんな急に連れてきて．．．こいつ同じ課の中西君。」
　健治の後に続いてガタイのいいスーツ姿の男が入ってきた。
「初めまして、中西です。いつも健治さんにはお世話になっています。」
　夫のスリムな体型とは反対に、野性的な体格が印象的だった。
「すみません、奥さん突然お邪魔しちゃって。」
「いえ、全然構わないんですよ、どうぞ上がって。」
　奈津子はにっこり微笑んで招き入れると、二人に従ってリビングへ戻った。
「取り合えず腹が減ってるから、先に食べるよ。中西もそこへ座って寛いでろよ。」
　そう言ってから、着替える為に寝室のある二階へ向かった。
　奈津子は準備していたつまみと夕食のおかずを、テーブルに並べていく。
「すみません、僕も手伝います。」
　座っていたはずの中西が、いつの間にか台所の奈津子の背後に来ていた。
「きゃ！．．．だ、大丈夫です。座ってて下さい。」
　その時、奈津子の鼻に男の汗の臭いが感じられた。
　仕事後の独特の疲労臭が鼻を衝く。
（あああ〜すごい臭いだわ．．．）
　久しぶりに感じる夫以外の男の匂い。
　奈津子の中で何かが弾けた。
　が、一瞬の事ですぐに理性の殻に隠れてしまった。
「すみません、驚かして。」
　中西は、自分の親切心が逆に奈津子を怯えさせてしまったと思い、すぐにリビングへ戻った。
　部屋着に着替えた健治がリビングに入ってきた。
「おっ！旨そうじゃん。中西も上着脱いで座れよ．．．一応、奈津子の料理は自慢できるからな、遠慮しないで食べてくれ。」
「何よ、一応って．．．．．．中西さん、御口に合うか解らないけど食べてね。」
　冷蔵庫からビールを出してきた奈津子が言った。　　　　　　　　　　　

　久々の来客で、リビングは楽しい話題で盛り上がっていた。
　アルコールの勢いも手伝ってか、普段の静かな時間とは違っていた。
　中西もかなりの酒好きらしく、空いたビールの缶が所狭しとテーブルを埋めていった。
　奈津子も中西の滑稽な話をつまみに、いつも以上のペースで飲んでいった。
「おまえ、酒が入ると面白いな。会社では真面目な印象だったのに。」
「僕も楽しいです。いつも家では一人で飲んでますから。」
　三人とも上機嫌だった。

　いつの間にか、時計は1１時を指していた。
「なんだ、もうこんな時間かよ。中西、先に風呂に入らせてもらうよ。」
　健治は、やや足元をふらつかせながら、立ち上がった。
「はい、僕はもうちょっと飲んでますから。」
　奈津子と中西は、ふらふらと歩く健治を見送ると、元の話に花を咲かせ出した。
「そう．．．じゃあ、レスリングの全国大会まで出たのね。」
「ええ、まあ一回戦負けでしたけどね。」
「でもすごいわ．．．で、今はやってないの？」
「たまに、大学には顔を出しますけど．．．練習はしてないです。」
　中西の体格の良さの理由が解った。
（ほんと、たくましい体だわ〜腕もあんなに太いし．．．下はどうなってるのかしら．．．やだ、私ったら）
　アルコールのせいで、考え方が在らぬ方向に飛躍してしまった。
（酔ってるのかしら．．．私ったら飲みすぎね）
　その場の空気から逃げるように立ち上がった。
「テーブルの上、片付けちゃうわね。」
「僕、お手伝いします。」
「いいのよ、中西さんは座ってて。それに健治もお風呂から上がると思うわ。」
「はあ、すみませんね。」
　奈津子はほろ酔いのまま、洗い場に立った。
（あ〜体が火照って熱いわ〜）
　中西も同様に、体に火照りを感じていた。
（奈津子さんってとても魅力的な女性だな〜俺と５つしか違わないのに、すごく大人に感じる）
　目を凝らして、台所の人妻をスキミングしていた。　　　
　その時、健治がタオルで体を拭きながらリビングに入ってきた。　
「あー、さっぱりした。中西も入っていいぞ。」
　中西は我に返り、ハッとなった。
「すみません、何から何まで．．．奥さん、先にお風呂いただきます。」
「あ、は〜い．．．ゆっくり入って。私はもう済んでるから。」
　奈津子も彼を意識してしまい、マトモに顔を見れなかった。
「明日、早いから俺は先に寝かせてもらうよ。中西も風呂から出たら早く寝ろよ．．．おやすみ。」
　健治はそそくさと二階の寝室へ向かった。
　この後、何が起こるのか知らずに．．．